第一章9 『リナリアと星型乃蘭』
外へと出て、コンビニへと寄った帰り道。
冷蔵庫になかったおやつを買って、帰ろうとしたのだが、
「……」
裏山の神社が目に移り、立ち寄ることにする。
誰もいない、小さな神社。
階段へと腰を下ろし、コンビニ袋に入ったアイスキャンディを手に、風景を眺める。
静寂のひと時。
シャリシャリと口の中でアイスが溶けていく。
物思いに耽っていると、何やら背中を撫でる暖かいものがある。
振り返ってみれば、そこには顔馴染みの子猫たちがいた。
和ましい光景。見る度に何度も癒される。
なんとなく、立ち寄ることを見越して2個ほど買っておいた猫缶を取り出す。
開けてやると、現れた5匹が、むしゃむしゃと仲良く食べていく。
あっという間に完食され、食べ終わった猫たちは「ニャー」とお礼でも言っているのか、擦り寄ってくる。
背中をよじ登り、頭へと太々しくも乗ってくる黒猫。
膝の上を独占し、丸くなる灰色猫。
顎を撫でれば、「ごろごろ」と気持ちよさそうな顔をする茶トラ。
「僕も撫でて」と言わんばかりに腕にしがみつく三毛。
背中に頬ずりをして、どうしようかと目の前をウロウロする白猫。
そんな皆が可愛らしくて、構ってあげたくなる。
けれど時計を見れば、時刻は3時40分を示しており、「じゃあね」と挨拶してダッシュで帰宅した。
※
「ただいま~……」
そろりと覗き込むように玄関の扉を開く僕。
自宅なのに、なんで僕が怯えないといけないんだ?
そんな疑問に囚われるも、彼女が起きていないことを確認し、胸を撫で下ろす。
階段を静かに登っていき、自室のドアノブにそっと手をかけ、ゆっくりと開放する。
案の定、未だ物静かだったため、小さな漏れ息と共に、何事もなかったかのように席へと着く。
「バカ……」
「……っ!」
不意に隣から声がして、そちらへと目をやれば、涙目でこちらを睨む彼女の姿があった。
「急に一人にしないでよ……っ!寂しいじゃない!」
「いや、その、ごめん……」
理由が可愛らしすぎる……。
「どこ行ってたの……?」
半泣き状態の君。
今にも泣きだしそうに頬を赤らめている君に、僕は慌てながらに口にする。
「ちょっとコンビニに行ってただけだって!」
「ふ~ん……」
納得がいかないご様子。
「ほら!ちゃんと君の分もあるよ!」
袋から限定スイーツのプリンを取り出す。
すると君は口をへの字にして、寝返りを打つ。
僕は申し訳なくて、「ごめん……」と謝罪して、
「一緒に食べよ?」
そんな言葉しか、口にすることができなかった。
――そして、
「~~♪」
プリンを一口した瞬間、君はいとも容易く上機嫌になった。
よかった……。
「ふふ」
微笑ましい光景に思わず、僕は笑みを溢す。
それと同時に、僕も僕で買っておいたコーヒーゼリーを取り出して、ゆっくりと噛み締める。
うん、安定の美味しさだ。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「一口頂戴」
「え、ああ、うん」
笑顔でお願いする君。
すると何気に、口を「あーん」と開けていて、僕はその機嫌を損ねないよう、僕も「あ、あーん」と戸惑いながら一口献上した。
なんか、すっごく恥ずかしい……。
「うん、美味しい」
「それは良かった……」
「それじゃあ、はい」
「え?」
今度はお返しと言わんばかりか、プリンを一口差し出す君。
僕はゴクリと唾を呑み込んで、意を決して口を開く。
「あーん」
「あ、あーん……」
「どう?」
「美味しい……」
「でしょでしょ♪」
「うん……」
嬉しそうに、君は有頂天にはしゃぎ倒す。
でも複雑なことに、口にしたプリンは恥ずかしさであまり味がしなかった。
「それじゃ、また明日」
「また明日……」
午後4時となって、帰宅する君。
閉まる玄関を眺め、右手にある帰り際に渡された白い紙袋に目をやる。
意外と重みがあり、自室へと持っていくと、中のものを確認する。
「トランシーバー?」
取り出した物を目に、彼女の部屋へと視線を移す。
そこには調度、帰宅した君がいて、手元から声が響く。
『贈り物は喜んでいただけたかね?』
「何その悪の秘密結社みたいなセリフ……」
『一度言ってみたかったんだ~♪』
「……」
窓越しに見つめ合う僕ら。
僕は恥ずかしくて、目を逸らす。
立ち上がって、ベッドへと移動し、腰を下ろす。
『ちょっと!なんでいなくなるの!』
「いやだって、恥ずかしい……」
君の視界から消えた僕。
その理由はいたってシンプルで、
『可愛いかっ!』
「君に言われたくないな」
売り言葉に買い言葉で、僕はそう口走っていた。
『え?』
「え?」
互いに疑問符を浮かべ合い、流れる少しの静寂。
僕の頬は徐々に熱を帯び、やらかしたという思いでいっぱいだった。
『私って、可愛い……?』
「……ノーコメントで」
『なんでよ!?言ってよ!』
「そんなこと、軽々しく言えないよ……」
呆れる僕。
「好きな人とかじゃないと……」と、最後にそう呟いた時だった。
『……やる』
「……?」
『絶対、言わせてやる……っ!』
耳を澄ませば、聞こえてくる怒り気味の声。
そこに若干の焦りと恐怖を浮かべながら、彼女の様子を窺うべく、窓へと近づけば、窓越しからこちらの部屋を睨む彼女の姿があった。
「ひぃっ……」
慌てて隠れる僕。
けれど再度、覗くようにして彼女を見ると、
『絶対、可愛いって言わせてやるんだから!』
「ぇ……」
『それじゃ、また明日!』
ぷつりと切れるトランシーバー。
彼女の言葉に、僕は少し頭を悩ませる。
さり気ない約束と、その言い分。
流れからして、君は僕のことが好きなのかと思わされる。
何度も何度も、勘違いしそうになる。
凄く、モヤモヤする……。
――そして、
その夜は案の定、もどかしい思いで眠れぬ夜を過ごす破目となった。
※
次の日、約束通り仕事場にて作業をするも、彼女の言葉の真意を確かめることなく1日が終わり、あっという間に1週間の時が流れた。
文字数5万6000字。
締め切りまであと2日。正確には34時間。
それまでに残り3万字ほど書き上げなければ、規定ページ数により応募以前の問題となる。
そんな中、
「スー……スー……」
寝顔を晒す君。
とっくにイラストを描き終えて、そのクオリティは凄まじく。
僕にはもったいないくらいの絵を君は手掛けてくれた。
だから、それに応えなくちゃ。
「―――」
仕事場の椅子へと腰掛ける。
ソファで眠る君を眺め、キーボードへと指を置く。
開けた窓から吹く風。
明後日から5月。
なのに、一枚の花弁が宙を舞って迷い込む。
この風景を目に、自然と手は動く。
綴られる文字。
その世界にいる一人一人の言葉が身に染みる。
欲していた願い。届けという想い。
自己満足の所業。ただそれだけの技術。
真っ黒に染まった心。灰色まっしぐらの人生。
けれど君と出逢った瞬間、僕の心はカラフルに色づき始めたんだ。
不思議だな。
君といるだけで、世界がこんなにも違って見える。
ほんと、不思議だ――。
※
「あれ……」
ふと手が止まり、意識が浮上する。
顔を上げ、辺りを見回せばオレンジ色に染まった景色が広がっていた。
時計へと目を移すと、夕方の6時近くを回っている。
ソファでは案の定、彼女が眠っていて。
視線を画面へと落とすと、いつの間にか物語がエンディングを迎えていた。
「書き終わってる……?」
信じられない光景。
タイピング速度が上がったからと言って、執筆するとなれば別の話。
1日で10万文字執筆したことがあるという作家を聞いたことはあるが、自分は精々1万文字程度しか書けたことはない。
でもそれは、学校に通いながらというものだったから、平日だけでも5万文字、休日で1万5000字ずつ書いて、1週間に1作品の完成という計算で。
それをさらに1か月で出来上がるように割り振っていたため、この記録は過去最速の結果。
「……」
喜ばしいこと。
胸には、ありえない思いでいっぱい。
だから自然と、疑いの目を向けてしまう。
「そうだ!いくら早くても完成度は……」
焦り気味に、書いた文章を読み返す。
マウスを手にスクロールしていき、目を通すたびにその緊張感が薄れていく。
「なんだ、これ……」
完成した作品。
いつも通り、自己投影したはずだった。
――なのに、
「こんなことって……」
完成した作品は――、
「ん……」
ふと聞こえる漏れ息。
ゆっくりと彼女の身体が起き上がることに気づくも、反応が遅れる。
「おはよう」
「んー……」
寝ぼけ眼の君。
首を回し、こちらへと振り向けば、そこには可愛らしい姿がある。
「帰ろっか」
「うん……」
目を擦りながらの返事。
それを微笑ましく思うも、胸の中の騒めきは消えなかった。
「大丈夫?」
「うん……」
未だに眠そうな表情。
それ故に恥ずかしくも、僕と彼女の手が繋がっている。
なんか、迷子を拾った気分だ……。
「もうちょっとで家だから。頑張って」
「んー……」
「……」
覇気のない声。
こんなにも幼い彼女は初めて見る。
だから少し、心配になる。
「……ぶ」
「え?」
「おんぶ……」
「……」
渋々、彼女を背中へと乗せる。
小柄な体型。凄く軽い。
君は本当に女の子なのだと、改めて実感する。
背負い歩く夜道。
程よく揺れていたせいか、耳元で彼女の寝息が聞こえてくる。
でも、無理もないのかもしれない。
ここのところ、僕らは必死で、平日は学校、休日のほとんどを創作が占めていた。
締め切りに間に合うように、納得のいけるものを完成させるために、最低限の睡眠時間での行動。
僕も少し、眠い。
完成して安心したのか、今まで張り詰めていたものが一気に解かれ、ドッと疲れが溢れ出している。
――でも、
完成した原稿は――。
「……」
足が止まる。
考え事をしている間に、彼女の家の前へと到着する。
「着いたよ」
「んー……」
「えっと……」
力強く、背中を掴む君。
どうやら降りることを拒んでいるよう。
さすがにこのままでいるわけにもいかないため、彼女の家のインターホンを押す。
『はい?』
「……」
どうしよう……。
押したものの、なんて言えばいいかわからない。
この状況、どう説明したものか……。
『どちら様ですか?』
「えっと、その……」
『……?』
「唯奈、さん? を、お届けに上がりました……」
思いついた言葉は、なんとも情けないもので。
言ってて他になかったのかと、つくづく思わされる。
そうやって自分に呆れていれば、
「……ん?」
開く玄関の戸。
現れたのは、モデル並みの容姿をした金髪の女性で。
「――あなたは」
その姿に少し、見惚れてしまった。
「あ、その、僕……」
「間遠くん、よね?」
「え?あ、はい」
こちらを眺め、そっと微笑するその人。
「上がって」
すると、理解してくれたのか、家の中へと誘導される。
「お邪魔します……」
玄関へと入り、ふと思う。
人生初の女の子の家。
凄く新鮮味があって、そわそわする。
「こっちよ」
階段を上っていく女性。
きっとその先に彼女の部屋があるのだろう。
「ここに寝かせて」
「はい」
入った部屋は案の定、彼女の部屋。
未だに起きようとしない彼女の身体をそっと、ベッドへと預ける。
一息つくと、自然と辺り見渡す。
ピンク色の床。可愛らしいクッションやぬいぐるみ。
窓を見れば、僕の部屋が映る。
こういう風に見えていたんだなと、感慨深く思う。
「今日はね、夫がいないの」
「はあ……」
「娘も帰ってこないもんだから、一人で寂しかったわ~」
「……へ?」
「ん?」
「えぇ!?」
むす、め……?
「どうかした?」
「いや、その、てっきり姉妹かなんかだと……」
「ふふ、これでも34だからね?」
普通に若い……。
「女子大生と言われても信じちゃいますよ」
「ありがと」
無邪気な笑顔。
ほんとに親子なのだと、そう思わされる。
「それじゃ」
「あら、もう帰るの?残念ねー。もうちょっとお話したかったのに」
寂しそうな態度。
僕も少し、申し訳なく思う。
「また今度、改めてお伺いします」
「そ。約束よ?」
「はい」
お茶目な人。優しい眼差し。
親子揃って、可愛げがある。
だからなのかな?
彼女という存在の秘訣を、垣間見た気がした。
※
締め切り最終日。
完成した原稿を目に、何度も沈黙を浮かべてしまう。
酷いわけでもなく、昔ほど面白いわけでもない。
――ただ、
「……っ」
ふと、薄っすらと聞こえるインターホンの音が耳元を掠める。
振り返り、席を立つと、机に置かれたトランシーバーがジリジリと音を立てる。
『ま~と~く~ん……あ~そ~ぼ~……』
「怖い怖い怖い!」
玄関へと向かい、開ける扉。
そこに立っていたのは、さっきとは裏腹の笑顔の君で。
「よ!」
呪いの言葉とは対照的な、明るい挨拶だった。
「……どうしたの?」
階段を上りながらの問い。
その疑問に君は「む……」と唇を尖らせる。
「今日は応募締切の日なんだよ!原稿見に来たに決まってるじゃない!」
「原稿なら、できてるよ……?」
「え?」
「昨日、誰かさんが寝てる間に、ね」
間抜けな声。
自室へと入り、ベッドへと腰を下ろす君。
僕は言葉通り、完成した原稿を見せる。
「これ、ジャンルは?」
コピー用紙の束を手に、今更の質問。
僕はそこにいろいろな思いを馳せて、口元を緩めて――、
「異世界もの」
そう、答えて上げた。
「在り来たりだなぁ」
つまらなそうな反応。
ラノベ界で最もメジャーなジャンル。
人気でありながら、廃れている元凶。
「……百聞は一見に如かず」
「……?」
けれど、君の想像しているものと、僕の作品は少し違う。
「まぁ、読んでみればわかるよ」
自信はない。
でも、面白くないとも思わない。
普通ではないのは確か。
「―――」
パラパラと、印刷した原稿を読み進めていく君。
真剣身のある顔。
その表情を数秒ほど眺め、僕はパソコンへと目を向ける。
そこに開かれるは、応募サイトのページで。
「ねぇ」
「んー?」
「PN《ペンネーム》、どうする?」
「ああ、それならもう決まってるよ」
「何?」
ひょいと立ち上がり、ペン立てから一本取り出すと、原稿の裏、白い部分に文字を書いて、こちらへと見せつける。
4文字の漢字。
ありがたいことに、ふり仮名が振ってある。
僕はゆっくりとそれを読む。
「
「そ」
「君のPNは?」
「それはねー……」
嬉しそうにペンを走らせる君。
今度はカタカナ4文字で、
「リナリア!」
君は笑顔でそう、読み上げた。
※
原稿をパラパラと捲っていく君。
1時間が経過し、君は読み終えたのか、パタリと原稿を閉じる。
「うん……」
スッと立ち上がり、近づいて、
「よく、頑張ったね」
そっと頭を撫でてきて、君は僕を子ども扱いする。
でもそれが、照れ臭くも悪い気はしなかった。
ほんと、凄く恥かしかったけど……。
「よし!それじゃ……」
横を向く君。
その視線を追うように首を回せば、口にせずして理解する。
それぞれが必要事項を記入して、確認ボタンを押して、間に合ったことに安堵しながら、完了ボタンをクリックした。
笑みを浮かべ合う二人。
この先に、何が待っているのかはわからない。
――けれど、
確かなことがあるとすれば、着実な一歩を踏みしめているということ。
僕らの旅は、始まったばかりだ――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます