第一章8 『二人』
「やっぱり、リンクできないな……」
仕事場にやって来た僕。
ノートパソコンを立ち上げるも、筆が進まずにいた。
「リンク?」
ソファから背中を反ってこちらを見る君。
手元にはこの部屋の備品の一つである液タブがあり、君はラフ画だけでも形にしようと頑張っている。
けれど僕には、それができそうにもなかった。
「自己投影で作品と繋がることだよ」
僕にとって、唯一の武器。
「僕はずっと、主人公に自分を重ねることで物語を紡いできた。感情に身を任せ、掛けられたい言葉を並べ、理想世界を描いてきた。そこには必然的に、読者に訴えたい思いがあったから、皆からの共感を得られたんだ……と思う。リンクは、感情がものを言うんだ。思いの強さが、物語の主人公と繋がって形となる」
「あー、読者が深読みする逆バージョン的な?」
「たぶん、そんな感じ」
作者が主人公に自己投影する。伝えたい想いを胸に、文章を綴る。
ただそれだけ。たったそれだけの、何ともありきたりな技術。
「感情がキーだから、主人公と気持ちが一致しないと効果を発揮しない。極端な話、自己投影が強ければ強いほど、面白く、筆が乗りやすい。心ここにあらずなら逆もまた然りだ」
「なるほどねぇ」
誰にだってできる、凡庸なこと。
天才たる所以がどこにも見あたらない。
「それが今できないと……」
意味深にも呟く彼女。
遠目から見るに、彼女はもうラフ画を描き終えている。
時計の針がうるさく感じる。
気づけばもう、6時半を過ぎている。
だからなのか、君はふとして立ち上がり、振り返る。
「今日はもう、帰ろっか」
ベランダから差し込む夕日に、照らされながら笑う君の姿。
僕にはそれが、眩しくて仕方がない。
「うん……」
申し訳なくも顔を背ける僕。
君の足を引っ張っているようで、凄く歯痒かったけど、今日はもう駄目だと自分でも自覚していた。
二人歩く、暗がりの街道。
君の背中を見つめながら歩くこの道で、僕の足取りは重い。
君にこの手が届く気がしない。
僕は、どうしたらいいのだろう……。
「それじゃ、また明日♪」
「あ、うん」
いつの間にか、僕らは家の前に立っていて、君は無邪気に手を振っている。
本当に明日を楽しみにしているんだなと、伝わってくる。
何が楽しみなのかはわからないけど、僕にとっても不思議と嬉しいことではある。
君には、どんな口実を付けたって会いたいと思ってしまう。
ほんと、不思議と――。
「……ん?」
家に入ろうとした瞬間、見慣れた影が電信柱に映る。
僕が何だろうと近づけば、そこにいたのは、
「中尾?」
「……っ!?」
ビクリと慌てる中尾の姿があった。
「どうしてここにいるの?」
「え、いやー、そのー……」
「……?」
「ちょっと生徒会の帰りで……」
「そうなの?」
「うん……」
「家、反対だよね?」
「……っ」
痛いとこを突かれたのか、挙動不審な中尾。
明らかにおかしい。
まぁ、でも――、
「送って行こうか?」
問い詰めるのも良くないし、何より、
「こんな時間に女の子一人で歩いてると危ないよ?」
こんなところに中尾を一人にしてはおけなかった。
「なんか、お巡りさんみたいな台詞だね」
「そうだね」
萎らしい表情。
ほんと、どうしたというのだろう。
「じゃあ、お願いしようかな」
物珍しい出来事。
「ちょっと待ってて」
「うん?」
家へと帰宅し、カバンを置くと、僕は庭に止めた自転車を手にする。
「乗って」
「え?」
「こっちの方が早い」
唖然としている中尾。
困ったように微笑を浮かべ、何も言わずに後ろに乗る。
「自転車で二人乗りなんて、見つかったら大目玉だね」
「うん」
夜道の走行。
星がキラキラと輝いている。
後ろには女の子。
笑顔が素敵な、優しい人。
だからこそ――、
「何かあった?」
中尾が心配でたまらなかった。
出会うはずのない女の子が家の傍に立っていた。
ただそれだけの出来事でも、僕にとってはありえないこと。
だって、普段なら絶対に会うはずはないから。
「何も、ないよ?」
「嘘下手か。バレバレだよ」
ヘタクソな嘘。だんまりの彼女。
僕はそこに呆れてしまう。
「……間遠こそ、唯ちゃんとよく一緒にいるよね」
「成り行き場だけどね。それ今関係ある?」
意図の掴めない会話。
話しづらいことであるのはわかる。
「ここでいいよ」
「え、まだ少し距離あるよ?」
「大丈夫だよ。送ってくれてありがと」
「そう……」
手を振り、別れる僕ら。
「間遠」
「何?」
口を開こうとする中尾。
けれど眉を寄せて、
「ううん、何でもない……」
「……そっか」
そう、口にするだけだった。
「おやすみ」
「おやすみ」
別れ際の言葉。
背を向け、軽くペダルを踏むと、
「関係なくないよ……」
最後にそう、中尾の声が聞こえた気がした。
※
帰宅し、自室へと入った僕。
ドッと疲れたせいか、すぐさまベッドにダイブする。
そしてゆっくりと瞳を閉じていく。
1日の予定が狂うと、やる気が起きなくなる。
それ故に、この睡魔に抗うことはできなかった。
心にある騒めき。
中尾のあんな顔を見せられれば、嫌でも気にしてしまう。
中尾は一体、どうしてしまったんだろう――。
朧気な視界。
瞼の裏に映るのは、そんな中尾の姿と、淡く彩られたここ3日間の思い出。
ちらつく二人の少女の姿。
その理由に何となくだが気づいている。
でも僕は、知らないふりをして目を逸らす。
僕は――、
わかっていながら、背を向けてしまう。
やるべきことがあるからと、僕には無理だと、言い訳を並べて。
これ以上、何かを背負おうものなら、そんな重荷で押し潰されそうになる。
自分で解決しなければならない問題。
でも今は、考えることを放棄して、この眠気に身を委ねたかった。
徐々に何も映ることがなく、意識がそっと離れて行く。
その最後で思う事があるとすれば、
ほんと、どうしてしまったんだろうね――。
現状に苦笑する哀れで難儀な自分への想いだけだった。
※
白く暖かな世界。耳の奥に薄っすらと響く誰かの声。
聞き覚えのある声とその温もりに頬は自然と緩むも、心の中は不安と寂しさでいっぱいで、迷子のようになっていた。
『母さん……?』
凄く、懐かしい感覚。
ほんのりとするお日様の匂い。
――でも、
どんなに辺りを見回しても、誰もいない。
ただ徐々に、花のような色の香りが、水色という爽やかな匂いに変わっていく。
『ユキ……?』
変色を繰り返し、漂うイメージから連想させられる。
孤独で寂しいはずの世界。
暖かい故か、不安が和らいでいく。
遠く聞こえる誰かの声。
その声が次第に大きくなり、辺りの白さは増して眩しくなる。
穏やかな感情に抱かれ、わからないようでわかる不思議な感覚に陥りながら、その世界が終わりを告げた。
※
何度目の朝。眩しくてか、目を開けていられない。
「もしもーし」
「んぅ……」
まだ眠いからと、聞こえる声に反応するも寝返りを打つ。
「朝ですよー?」
小突かれる頬。
そのくすぐったさ故に、薄っすらと瞼を開く。
ぼやける視界に映る誰かの影。
ただ凄く安心する。
離れて行く影に目をやると、徐々に意識が覚醒する。
働かない思考回路で、身体を起こせば、
「……あれ?」
着ているのが寝巻きではなく制服だということに気づいた。
「そっか……」
昨日は疲れて寝てしまったのだと、その理由を思い出し、着替える。
ゆっくりと身体を動かし、寝ぼけ眼ながらに1階へと降りていく。
「おはよう」
「うん……」
冷蔵庫から牛乳を取り出し、軽く滝飲みする。
「朝ごはん、できてるからね」
「うん……」
その声に誘導されるがまま、テーブルに広がる料理を目に、リビングへと足を運ぶ。
「……ん?」
ふと、現状を前に足が止まる。
「どうかした?」
背後から聞き覚えのある声。
頭の中を疑問という疑問が埋め尽くす。
「何でいるの!?」
それは今さらという気づき。
この家に僕以外の人間がいるはずはなく、あるはずのない声。
それがさっきからしていたというのに、眠気のせいか、彼女から漂う懐かしさのせいか、自然と見逃していた。
「玄関、開いてたから」
「いや答えになってないよ!?」
「だって、どれだけピンポン押しても出て来ないんだもん。挙句、気持ちよさそうに寝てるし、起こすの悪いかなーって」
僕の寝顔見てたのか……。
まぁでも、戸締りをしてない僕が悪いか……。
「……仕事場に集合じゃなかったっけ?」
不貞腐れながら、席へと着く僕。
「家も近いし、一緒に行こっかなって」
すると君は向かいに座り、
「さ、食べよ?」
何年ぶりにも食卓を囲む。
「……いただきます」
「いただきます♪」
朝から眩しい笑顔。
でも、見てて癒されるのだから嫌いじゃはない。
「どう?」
「うん、美味しい」
並べられた料理。
タマゴサンドにハムサンド。プチトマトが乗ったポテトサラダ。
目玉焼きにソーセージ。そしてオレンジジュース。
緑色鮮やかで、ヘルシーなあっさり系。
初めて食べる彼女の手料理なのに、凄く懐かしい。
「そっか♪」
「うん」
手に取る料理が、彼女と触れ合う瞬間瞬間が、とても暖かい。
凄く、美味しい。
「ふふ」
「どうかした?」
「ううん。何でもない♪」
「……?」
微笑ましそうに眺める君。
「ここ、付いてるよ」
「え?」
「マヨネーズ♪」
頬を指さすも、それがどこかわからなくて、ティッシュを手に君が徐々に近づいてきて、
「はい、取れた」
「あ、ありがと……」
「どういたしまして」
そんな君に、僕の心臓は飛び跳ねるような動揺でいっぱいだった。
「ごちそうさま」
「はい、お粗末様でした」
食べ終わり、食器を片付ける君。
僕も一緒に手伝おうと隣に並ぶ。
「はい」
隣で洗われた食器を拭き、積み重ねる。
その動作が自然と様になっていて、家庭科の調理実習を彷彿とさせる。
二人でやれば、終わるのも早い。
「よし」
洗い終わり、胸を張る君。
凄くやり切った感がある。
「次は……」
隣で最後の食器を拭き終わり、棚にしまう僕。
すると君は、お風呂場へと移動して、
「洗濯、しよ?」
そう、告げてきた。
これほど洗濯に愛着が湧くようなセリフがあっただろうか?
「よいしょと」
前日にやり忘れた洗濯。
一人暮らしのため、基本的に量は少ない。
――だから、
「次は掃除機、かな」
洗濯機を回している間、君は物置きから掃除機を取り出す。
なんで場所知ってるんだ……。
「あ、お風呂沸かしといたから」
「いつの間に……」
「私が掃除機かけている間に入っておいで。昨日、入ってないんでしょ?」
彼女に言われるがまま、入浴する僕。
朝風呂なんてしたことなかったから、なんか新鮮で、贅沢で……。
昨日の疲れが抜けていく――。
「着替えとタオル、ここに置いとくから」
「うん……ありがと……」
定番のセリフ。
だからなんで場所知ってるんだ……。
タオルを巻いて、お風呂から上がった僕。
すると調度、洗濯機の音が鳴って――、
「―――」
タイミング悪くも、君は現れる。
「……」
僕の半裸を目に、無言の君。
気にすることもなく、すかさず洗濯物を籠に入れて、立ち去り際に足を止めて、
「……良い身体してるね!」
「そんなこと言わなくていいから!」
辱めを受ける僕だった……。
着替え終えて、リビングへとやってくると、君は庭で洗濯物を干していた。
「……ん?」
遠目にも彼女を眺めながらふと思う。
彼女の手に持っているのは、僕の下着で――、
「―――」
思考回路が一気にフリーズする。
「ん?どうかした?」
男物の下着を平気で干し、終わったのかリビングへと戻ってきた君。
気にしている僕が女々しいのか。
正直、その光景を目にした僕には複雑だった……。
「終わったねー……」
「そうだね」
休日の朝。
突如押しかけて来た君により始まった、爽やかな日常。
あれ?そういえば……。
「今日、仕事場に行く予定だったんじゃあ……」
「あ……」
気づいた僕。
時刻は朝の10時を示し、僕らは互いに固まった。
「まあでも大丈夫!」
「何が?」
「じゃーん!」
手提げ鞄から、取り出す君。
見たところ、液タブのようで、
「仕事場じゃなくても、やることはできるから!」
そこに違和感を覚えるも、満面の笑みで自信を誇る君に僕は、
ほんと、君は自由人だ――。
そう、呆れながらに笑っていた。
※
自室へとやってきた僕ら。
入ると僕はパソコンを立ち上げ、君は窓からの景色を眺めている。
「ほうほう。こういう風に見えてたんだね」
こっちと彼女の部屋からの景色を見比べる君。
両方の景色を知っている君を心密かに少し羨ましく思えば、君は透かさずベッドへとダイブする。
ギュ~と僕の枕を抱きしめ、顔を埋もらせる。
「モフモフ……」
和ましくも恥ずかしい光景。
そういうのは僕がいない間にやってくれるとありがたい……。
「さてと……」
デスクチェアへと腰を下ろし、青縁眼鏡を掛ける。
「あれ?君、目悪かったけ?」
「
「ふ~ん」
「何?」
「なんか新鮮だなと思って」
「……」
微笑ましそうにこちらを見つめる君。
何度も何度も、勘違いしそうになる。
「それじゃ、私も描こうかな」
足をバタつかせ、スラスラと作業を始める君。
無防備な体勢。
今更気づいた、初めて見る彼女の私服。
水色のカーディガン。白のワンピース。
とても女の子らしい服装。
「ん?どうかした?」
「う、ううん……何でもない」
「そ」
見惚れていたなんて、言えるはずもなく、パソコンに向かい合う。
そしてふと、隣の引き出しにとある物があることを思い出す。
複雑な感情。葛藤する自分。
数秒ほど考え込むと、決意を胸に取り出した。
「ねぇ」
「何?」
黙々と描いていた君。
こちらへと振り向くと、取り出した物を手渡した。
「目、悪くなるよ」
手渡したのは、
「眼鏡?」
僕とは色違いの、赤縁の伊達眼鏡。
「いいの?」
「うん」
嬉しそうに掛けてくれる彼女。
「どう……?」
不安そうな顔。上目遣いの君。
恥じらう素振りが可愛くて、僕は迷わず、
「似合ってるよ」
そう、答えて上げた。
作業して1時間半。
僕はパソコンを前に悶々としていた。
まだ5000字しか書けていない……。
普段ならいいペースだが、応募締切は次の日曜日。
このペースじゃ、とても間に合いそうにない。
そんな中、
「できたぁあ~」
完成したのか、彼女の伸びが視界に入った。
「お疲れ様」
「ありがと。君はどう?」
「うーん……まあまあ、かな」
苦笑する僕。
とてもじゃないけど、全然だなんて言えない。
「……お腹すいたね」
彼女の言葉に時計へと目をやると、12時近くを回っている。
「お昼にしよっか」
さり気ない優しさ。
君は僕の進捗を気遣ってか、そんな言葉を並べる。
だからなのか、彼女の言葉はより一層、暖かく感じる。
もっとも、それが真意なのかは定かではないけれど。
彼女の手料理を食べ、また同じ光景が広がって、時間は刻一刻と過ぎていく。
作業へと戻り、時刻は午後2時半過ぎ。
彼女のおかげか、1万字ほど書き上げることができ、筆が停まる。
「またか……」
今朝と同じく、急に勢いが途切れてしまう。
納得がいかないわけじゃない。集中力がないわけじゃない。
やることは決まってる。あとは突き進むだけ。
なのに何度も立ち止まる。
一体、どうして――。
「んー……」
考え込み、頭を抱える。
けれど、そんなのは不毛なことで、ふと物静かな部屋に違和感を覚える。
隣へと目を移せば、天使のような寝顔が一つ。
立ち上がり、近づいてみれば、「スー……ス―……」という寝息と、同じくスリープした液タブがある。
見覚えのある機種。
何気なく、画面へと触れてみれば、
「……っ」
そこには、完成されたイラストがある。
「―――」
詰まる息。
無言で眺めていれば、止まっていた息が勢いよく漏れ出した。
圧倒的な才能の差。本物の天才。
彼女を見て思うのは、
「お疲れ様……」
そんな感謝の念と、僕も息抜きをしようということで、そっと自室を後にした。
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