第二章2  『謎めいた……』

 給食、午後限、帰宅。

 時間はスムーズに流れ、時刻は午後5時を示す。


 ベッドに腰を下ろし、肘をついて手を組む。

 静かな時を感じながら、時計の針の音がよく聞こえる。

 彼此1時間もこうしている。


 瞼を下ろして集中し、それが途切れぬよう立ち上がる。

 自室を後に、異常に広い廊下を無感動に進んでいく。


 台所へとやってきて、冷蔵庫を開ける。

 中には案の定、たくさんの食材が保管されている。



「―――」



 死へと誘われ『AGAIN』実行中の現状。

 過去の自分の肉体を借りているが故に、お腹は当たり前のように空いている。


 今日の献立はあらかじめシチュードリアと決めていたため、下拵えをする。


 まずシチューの材料である、にんじん、じゃがいも、たまねぎを一口サイズの乱切りにし、鶏肉も同様の調理をする。


 次にごはんを洗い、炊飯器にセットする。

 その後、お風呂を沸かし、洗濯物を取り込む。


 2年前より一人暮らしと化しているため、食事や洗濯物などの物量が減っても家が広すぎるが故に、仕事量があまり変わらないのがおかしな話。



 6歳の頃までは人並外れた貧乏生活だったというのに――。



 ボロボロの市営住宅。

 襖は穴だらけで、畳は染みだらけで茶色い。

 床は踏むとミシリと音を立て、お風呂はひびの入った五右衛門ごえもん風呂で、壁は石壁で。


 ゴキブリやムカデ、ネズミなんかが平気で現れ、夏には蜂が巣を作っていたりと、多々印象深い秘密基地のような要素を含んでいる。


 どれだけおんぼろだろうと、住めば都とはよく言ったもので、家が貧乏丸出しであろうと、物にはあまり困りはしなかった。


 ゲームやパソコンなどの最新機器が揃っていて。

 山付近の田舎に立地していたため、どれだけ騒ごうと、誰も何も言わない。

 夜には星が綺麗で、川には蛍がいたりする。


 けれど、それは10年前の話。

 あいねとの約束を守れず、親を恨み続けた毎日。



 小学校入学10日前のこと――両親が死んだ。



 死因は急死で、原因は不明。

 わかっているのは、父母揃って黒々とした紫色の痣が体中にできていたことだけ。


 本当に、謎の死だった。


 しかしそこに、悲しみなどなく、あったのは清々した思いだけだった。

 開放感が身を包み、ちょっぴり嬉しくもあった。


 引き取り手として、父母共に兄弟はおらず、父は親から勘当され、その親も自分が生まれる頃に息を引き取っていたため、母の実家である祖父母の世話になることになった。



 ――のだが、



 引っ越す当日、迎えに来てもらうはずの祖父母が交通事故に遭い、命を落とした。

 そしてそこにはまた、黒々とした痣が二人の体中にできていた。


 引き取り手がいなくなり、近くに孤児院もない。お金もない。

 そんな自分は途方にくれる。



 ――はずだった。



「ふぅ……」


 お風呂が沸き、入浴する。

 少し熱めのお湯が全身を温めていく。


 顔にお湯をかけ、暖かな蒸気が目を癒す。

 すると瞼を開いた先、波紋する水面に自分の顔が映っていて。

 感慨深く浸ってしまう。



 あの日、彼女に出逢った日のことを――。



      ※



「――どうした?少年?」



 小さな川と小さな石橋。

 周りに広がるは、田んぼや森などの草木ばかり。


 そんな田舎道でふと声を掛けられる。

 橋の上に座って、泳ぐ川魚をただひたすらに見つめていた自分。

 声のする方へ振り向けば、金髪に紅い瞳の少女がいる。


 見るからに年は上で、おそらくは小学生くらい。

 黒いドレスに紅い装飾がされており、日傘まで黒く。

 近くにリムジンと、黒スーツにサングラスをかけた男がいる。


 田舎ではまず見掛けない、物珍しい光景。



 ――けれど、


「……わからない。何も」


 また川へと視線を戻し、景色を眺める。


 何も思えない。何も感じない。

 行く当てなどなく、ただひたすらに茫然と過ごしている。


「お姉さんが、話を聞いてやろう」


 『よいしょ』と、隣へと腰掛ける女の子。

 大人びた口調に惑わされそうになるほど、彼女は小学生離れしている。

 知らない人なのに、寄り添ってくれる存在が嬉しかったのか、自然と口を開いていた。


「父さんと母さんが死んだ」



「―――」



「でも、悲しくない。大嫌いな人だったから」


「……今も?」


「うん」


 変わらない憎悪。

 その存在がいなくなって、とても自由になった。

 それがとても嬉しいけれど、少し複雑。



 ――だって、



「じいちゃんとばあちゃんが死んだ。行く場所がなくなった」


「迷子?」


「うん……」


 家はある。

 保険金で僅かではあるが、金はある。

 小学校への手続きも済ませ済みで。


 生活には何ら支障はない。

 ただ家族がいなくなっただけ。


 料理だって自分でできる。

 洗濯も、買い物も、勉強も。

 全部全部、一人でやってきたから。


「じゃあ君は、一人ってわけだ」


「……」


 少し嬉しそうに彼女は声を弾ませる。

 その反応がおかしくて、眉を顰めれば、


「行く当て、ないんでしょ?」


「……うん」


 何を企んでいるのか、微笑みながら問うてくる。


「君の名は?」


「まそう、くろう」


 だから素直に答えていく。

 彼女が何かを持ち掛けようとしているのは、何となくわかっていたから。


「じゃあ、クロだね」


「……?」


 急に付けられるあだ名。

 彼女は立ち上がると、橋からひょいと道へと降りる。


「それじゃあ、クロ。私の家においで」


「ぇ……」


「行く当て、ないんでしょ?」


「うん……」


 差し伸べられる手。

 その手の先には、微笑む謎の少女がいる。

 それを見比べ、『彼女は一体誰なのだろう』と、そう思っていれば、


「私の名前は『ルギ・アリーシア』。皆からは『アリーシア』って呼ばれてるけど、君には『アリー』って読んで欲しいかな」


「外国人?」


「うーん……まぁ、そんなとこかな」


 わかっていたかのように自己紹介をされ、恐る恐るその手を取る。

 そしてひょいと飛び降りて、


「うおっ」


 着地に失敗し、バランスを崩す。

 すると掴んでいた手が手繰り寄せられ、彼女に抱きしめられるような形でキャッチされる。


「大丈夫?」


「うん……」


 含み笑いを浮かべるアリー。

 その手を引いては、車へと導いていく。


「君、歳は?」


「6歳」


「誕生日は?」


「4月23日」


「ほうほう」


 発進する車の中で、他愛もない質問が飛び交う。

 それをアリーは事細かにメモを取っていく。


「お姉さんは……」


「ん?」


「アリーはいくつなの?」


「別にお姉さんでもいいのに」


「……恥ずかしい」


「可愛いな~クロは。その無表情が消えたら、もっと可愛いのに」


「……」


「あーはいはい、年ね。私は小学4年生、10歳だよ」



「―――」



「ちょっとー、聞いといて無反応はないでしょー。酷いなー」


「ごめん」


「素直でよろしい」


 大人びた口調。お道化た態度。掴み所のない性格。

 全く持って何を考えているのかわからない。


 もしかしたら、付いて行く相手を間違えたのかもしれない。

 それほどに怪しすぎる人。


「どこに行くの?」


「んー?君の新しい家だよ」


「遠いの?」


「ううん。ここからすぐ近くの街だよ。君もよく知っている、ね」


 意味深な発言。

 想うことがあるとすれば、


「アリー……怖い」


「え~、怖くないよ~」


 車の端へより、距離を取る。

 その行動に気づいてか、アリーも地味に距離を詰めてくる。

 途端、手を首元へと絡めてきて、顔を近づけてくる。


「クロは、いい匂いがするね~……桜の匂いがする」


「……」


 匂いを嗅がれ、今度は頭を撫でてくるアリー。

 まるでペットを愛でるような優しい手つき。

 手櫛で髪を整えてくれるのだが、一向に直らず、


「クロはくせっけなんだね。こりゃあ水で濡らさないと直らないタイプだ」


 それでもなお、アリーは嬉しそうに髪を梳く。

 そんな夢中なアリーを置いて、窓の景色が変わる。

 少しだけ建物が多くなり、何だか不思議な気分に陥る。



 ――そして、



 目の前に大きな建物が見え、それが家なのだと理解するには少しばかり時間が掛かった。


 100メートルくらいの長さと、50メートルはあるであろう奥行き。

 3階建てで、アパートやマンションかと思いきや、玄関が一つしかない。

 見覚えのないはずの家なのに、知っているような気がしてならない。



「―――」



 徐々に近づいてく距離。

 それに合わせて車のスピードもゆっくりと落ちていく。


「さあ、ここがあなたのお家よ」


 車を降り、塀の前に立つ。

 中を覗けば、庭だけでも結構な広さを持っていて、圧倒される。



 平地なのに屋上まで行くと、この街を見渡せて、見晴らしが良さそうに思えて――。



「え?」


 ふと、背後からドアの閉まる音が聞こえ、振り返れば、後部座席の開放された窓にアリーの姿がある。


「それじゃ、今日からここがクロの家だから。好きに使ってね」


「え、アリーは?」


「ん?」


「一緒に住むんじゃないの?」


「んー、そうしたいんだけど、私またアメリカの方に行かなきゃいけないから。当分は帰って来れないの。ごめんね?」


「そうなんだ」


 新居の提供。

 変な人に引き取られたと思いきや、結局は一人暮らしに変わりはない。


「寂しい?」


「んー、ちょっと」


 寂しくないと言えば嘘になる。

 でも、離れていても助けてくれる人がいるだけで安心する。

 今はそれだけで、十分だった。


「じゃあなるべく早く帰ってこれるように頑張るから。いい子にしててね」


「……アリーって、何してる人なの?」


「ただの魔法少女よ♪」


「……」


 本当に不思議な子。

 年も少ししか違わないのに、凄くしっかりしている。

 見ず知らずの自分を救ってくれる意味で言えば、魔法使いもあながち間違ってはいないのかもしれない。


「それじゃ、何か必要なものとかあったらここに電話して」


「わかった」


「はいこれ鍵」


「うん」


 手渡されるメモと家の鍵。

 それを考え深く見つめていると、アリーは思い出したかのように口を開く。


「あ、そうそう」


「ん?」


「怪しい人が訪ねてきたらこう言って?『ルギ・アリーシアの名の下に誓えますか?』って」


「何それ?」


「親の名前とか、兄弟とか、何だっていい。家のことを聞かれたときは私の名前を出すの。わかった?」


「わかった」


「よし。それじゃあ、しばらくは帰って来れないけど、会いたいときはいつでも言って?すぐ駆けつけるから」


「うん」


 念押しのように、言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返す。

 胸の中にアリーという少女の存在が刻まれる。


 新しい家族。新しい家。

 引っ越した先は山を下っただけの同地区で。

 見慣れた街が変わらないこと、友達も一緒で、学校も変わらない。


「クロ」


「ん?」


 手招きをされ、アリーのもとへ近づく。

 耳を貸してという合図により横を向けば、


「……っ」


 あの感触がまた、頬を撫でた。


 柔らかい、優しい口付け。

 唖然とアリーの顔を伺えば、


「愛してる」


 熱烈な言葉が飛んできていた。



「―――」



 その言葉を最後にリムジンは遠ざかり、一人茫然と立ち尽くす。

 愛音との約束が蘇り、罪悪感が込み上げてくる。

 ただ、そんな悲しさよりも今は新しい家族が出来たことに幸せを感じていた。


 零れそうになる涙を堪え、塀の中へと進んでいく。

 数十メートルかけて、やっと玄関へとたどり着き、貰った鍵で戸を開ける。


 入った先にあったのは暗がりの廊下。


 こんなにもだだっ広い家を見たのは初めてで、こんな家に一人で住むと思うと、何だか心細く感じてしまう。


 お別れしてすぐ、アリーを呼びたい気分だった。



 ――けれど、



「……」


 部屋を見渡していく度、懐かしく思える。

 何がどこにあるのか、それが不思議とわかっていた。


 この家には地下があること。


 そこには、屋内スポーツフロア、野外スポーツフロア、図書館、温泉、プール、スケートリンクなどが、B1からB3まで内設されていること。



 ――そして、



 3階の東の部屋。

 そこに自室があることが、誰に導かれるでもなく、足は自然と動いていて。


 まるで、ずっとここに住んでいたかのように把握していた。



      ※



 入浴を終えて、台所へと立ち、夕食の支度をする。

 下拵えした食材を鍋で煮込み、シチューの完成を待つ。


 その間にフライパンでバターライスを作り、皿に盛る。

 シチューのとろみがいい具合に出来上がったのを見ると、それをライスの上にかけていく。


 その上にパン粉とチーズを散らばらせ、オーブンで加熱する。

 20分くらいの時が流れ、レンジが音を鳴らして。


 本日のメニュー『シチュードリア』の完成である。


「いただきます」


 暗がりの部屋で一人、食卓を囲む。

 もう何年も続けてきたことなので、そんなのは今更気にするほどでもなく。

 平然とドリアを平らげていく。


「ごちそうさまでした」


 食器を片付け、入浴中に回しておいた洗濯機から洗濯物を取り出し、ベランダへと干していく。


 何もかも一人分だから、5分足らずで家事が済む。

 料理を覗いては、だけど。



「―――」



 自室へと入り、ベッドへと横になる。

 時刻は夜の8時。



 ――あと、4時間。



 『あれ』が姿を現す瞬間。

 過去ここって来たのは、後悔を無くすためだけじゃない。


 それを引き起こした謎多き存在の正体を探るため。

 全ての元凶を突き止めるため。


 ここへ、帰ってきたのだ。


「……暇だな」


 時刻には少し余裕がある。

 過去にやっていないことをすると、時の流れが変わってしまう恐れがある。

 なら、過去にやっていたことなら、問題はないということ。



 ――だから、



「アニメでも見るか……」


 机に配置したデスクトップパソコンを起動させ、パスワードを入力する。

 インターネットを開き、動画サイトを開く。


 今季アニメ一覧を目に、頬が緩む。

 時代が時代だけに、懐かしいものばかりが並んでいる。


 その中から一つ。

 夢を持つきっかけを与えてくれた作品へとマウスを持って行く。


 オープニングとエンディングをカットすれば、1クール分は視聴できる。

 見終われば『あれ』が現れる。



 ――けれど、



 やはりやめておこうと、インターネットを閉じ、パソコンをシャットダウンする。

 再びベッドへと横になると、時計のアラームを11時半へとセットする。


 布団に入り、猫のように丸くなる。

 闇夜に一人、孤独に怯えた猫のように眠りにつく。


 そこから取って、ネットでは『怯え猫』と名乗っている。

 何てことはない日常を詩にして呟いたり、愚痴を零したり。


 それが、弱い自分の本音。


 打ちのめされそうになる心の弱さを文字という形で露にする。

 誰かが助けてくれるのではないかと、そんな淡い期待を抱きながら。



 そうやって、弱い自分を形にしていた――。



      ※



「……っ」


 いつの間にか眠りに落ち、目が覚める。

 急いで時計へと目を向ければ、11時22分と、アラームのなる8分前ということに安堵する。

 自然と目が覚めてしまったため、アラームを12時に設定し、天井を眺める。


 次に時計を見た時、11時35分を示していたため、また寝ないためにリビングへと降りて、コーヒーを淹れる。


 自室へと持ち入って、コーヒーを一口。



 ――残り20分。



 ちびちびとコーヒーを味わい、コップを机の上に置くと、窓の外に目が行く。

 そこには真ん丸お月様が幻想的にも輝きを放っていて。

 自然と星座を探してしまう。



 ――すると、



「……っ」


 そうこうしている間に時間はあっという間に過ぎていて、時計のアラームがジリリと音を鳴らす。

 背後を月夜が照らし、胸へと注目すれば、案の定のヤツが姿を現す。


 黒々とした紫色の淡い光。

 ゆらゆらと揺らめきながら燃える様子は火の玉で。


 空気に溶けるようにして消えていった。



 あの時と、同じように――。



「……ん?」


 ふと辺りを見回す。

 視界というよりも、背景全体に歪みが生じており、渦を巻く。


 それが何となく、前回の『AGAIN』終了時の現象と似ていて、何となく、時の移り変わりなのだと悟る。


 その証拠に、時計の針は12時のまま止まっていて、ぼやけたカレンダーの数字は変更され、時計の針が動き出す。


 これが後悔の第二幕を現しているのだろうと、そう思う。


 『あれ』によって引き起こされた悲劇。

 その始まりを物語った出来事。


 謎めいた根拠のない確信が胸の中にはある。



 『あれ』の所為で、全てを失ったのだと――。

 

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