第一章8  『謳歌』

「なぜこんなことに……」


 噴水広場で立ち尽くし、茫然とする。

 背後に設けられた時計を目にしては、辺りを見回すの繰り返し。


 ただ待ち合わせをするというだけなら気が楽なのだが、デートとなれば話は別。

 だから少し、そわそわしてしまう。


 それを紛らわすべく周りに広がる風景を眺めてみれば、複雑にも感慨深く思う。


 見慣れた景色。

 服や雑貨、カフェなど、いろいろな店が立ち並ぶ大通り。


 懐かしの街。

 自分の住んでいた街だ。


 死んでどれくらいが経ったのかはわからないが、死人が現世に実体を持って再び現れるというのはおかしな話。



 それもこれも、レイのあの一言から始まったのだが――。



      ※



 ――1時間前。



「デート……?」


 自分とは縁遠いものだと思っていた単語に耳を疑う。

 それを誰であろうレイが両手を合わせては、満面の笑みで持ち掛けてきていた。


「はい♪」


 何ともテンションの高いこと。

 こちらとしても、こんな天使のような容姿を持つ彼女から誘われるのは光栄なことで。


 悪い気は、しなかった。



 ――ただ、



『デート』という言葉で、ふと蘇る独特の苦みが、心境を複雑にする。


 またも罪悪感に押し潰されそうになるけれど、レイの言葉に耳を傾けることで振り解いた。


「クロはとても疲れています。なので、優しい私たちがクロを癒してあげようかと」


「押しつけがましいな」


 真剣な顔で何を言っているのやら。

 嬉しくもありがたい話なのだが、可愛い発想に呆れながらに小さく笑みを零してしまう。


「……というのは建前で」


「……ん?」


『本当は』と、レイは言葉を紡いでいく。

 ゆっくりと腕を上げて、こちらを指さし、


「クロ」


 そう呼んでは、


「あなたは消えます」


 辛辣な発言が飛んできていた。


「……」



 ――消える。



 今一理解が行き難いが、それはきっと、もしかしなくとも、文字通りの意味合い。


 けれどそんなことに、あまり恐怖は抱けなかった。

 理解できていないからではなく、心が死んでいたから。


 負の感情を抱き続けていた自分には、さほど気にするほどのことでもなく、平然と受け止めていた。


「クロはとても疲れています。それは確かです」


「ああ」


「そんなにも後悔をため込んでいるんです。押し殺していた感情に歯止めが利かなくなってもおかしくはない。現に今、クロの心は負の感情で溢れている。もう今までのようには抑えが利きません」


 何もかもお見通しなのだと、レイまでもがそう言いたげな瞳で訴えかけてくる。

 実際図星なのだから、ぐうの音も出ない。


「なので、クロ。あなたの中から、感情を消したいと思います」



「―――」



「本当の意味で、ね」


 薄気味悪く、レイは非情な宣告をしてくる。



 けれど、やっぱり――。



「ああ、やってくれ」


 答えはすんなりと出てきてしまう。

 とてもあっさりと、きっぱりと、受け入れられてしまう。


「クロ」


 ふと隣から、その流れを断ち切るように呼び声が聞こえる。

 声のする方を一瞥すれば、アオが真剣な表情でこちらを見つめていた。


「ぁ……」


 何かを言おうとしては、アオは口を噤む。

 押し黙る姿からして、心配してくれているのだろう。


『本当にわかっているのか』、と。


 そんな姿を目にしてしまっては、ちゃんと理由があって決断したことなのだと、そう伝えなければ気が済まなくなる。


 大した理由ではないのだが、彼女たちには伝えなければならないと、そう思えていた。


「俺は常に、感情を殺して生きてきた」


 吐き出した第一声。

 重たい空気をさらに重くする。


 けれどこれは仕方のないこと。

 何故なら自分の生い立ちに関わる話だから。


 誰にも理解できないであろう過去が、己をそうさせた。


 本当に、仕方のないことだ。


「そうすることで、自分を守っていた。傷つかないために」


 喜怒哀楽。

 その一つ一つが合わさって、一人の人間を作り上げている。


 生きていく上で、感情は邪魔でしかなかった。


 嬉しい事があった時、必ず不幸が舞い降りる。

 期待をすれば、裏切られる。

 怒れば誰かを傷つけてしまう。

 必然と、悲しみに暮れる毎日。


 感情は、絶望を大きくする。



 ――だから、



「だからいつも、『無』に徹していた。何も感じずにいた」


 ただぼんやりと景色を眺める。

 周りの人々が、まるで別世界の住人見えるように、何も考えずにいる。


 そうやって、自分と世界を断絶していた。


 少しでも干渉してしまえば、崩れ去ってしまう。


 そんな孤独に身を置いていた。



 ――それでも、



「それでも俺は人だから。完璧には自分を殺せない。無関心ではあれても、無感ではあれない」


 どれだけ自分を騙そうと、どれだけ自分を偽ろうと。

 溢れ出そうになる感情を殺すのは、たとえ自分であっても心が痛む。


 鏡に対面するように現れる一人一人の自分。

 現れる度、彼らの胸を何度もナイフで刺し殺す。


 プスリと刺せば闇に溶けるように消えてくれる。

 胸の中は、その闇でひんやりと覆われる。


 感情を殺すことは容易かった。


 でも今ここでは、それができずにいる。

 素直であろうとする自分がいる。


「……本当に感情を消せるんだな?」


 確かめるように視線をレイへと上げれば、黙認の相槌が返ってくる。


「……そうか」


 ふと、さきほどのセリフが脳裏を過ぎる。



 ――『本当の意味で、ね』



 あれは間違いなく、わかっている上での言葉だった。

 アオとレイは確実に、自分の知らない何かを持っている。


 たとえば、昔どこかで会っている、とか。


 そうでなければ、こんなにも親身には接したりはしない。

 そうでなければ、全てを理解してくれているような言葉は吐かない。



 あり得ない話だ――。



「なら、頼んだ」


 薄く微笑むように受諾する。


 消えたっていい。

 消えたところで、悲しむ人はいない。


 いたとしても、どうでもいい。

 無責任な話、自分の命に尊みなんて感じてはいない。


 あの時から、死を選択した時点でこの気持ちに変わりようはない。

 感情を殺せるのなら、こんなにも苦しまなくて済む。

 こんなにも、自分を責めなくて済む。


 辛い現実を味わわなくて済むのなら、その優しさに甘えよう。


 そう思えていた。


「……っ」


 瞬間、勢いよくアオに抱きつかれ、唖然とする。


 強い抱擁。

 伝わってくる熱が心地いいけれど、申し訳なく思えて仕方がない。



 ――だって、



 息遣いが少し、震えていたから。

 悲しげに、小刻みに。


 するとレイまでもが近づいては、反対側から抱きついてくる。

 優しく、そっと。


 何もしてあげられない自分たちを責めているのか。

 二人とも、辛そうに見えた。


 類は友を呼ぶとはこのことなのだろうか。

 互いが互いを想い合い、感情を共有する。

 その感情とお別れを告げる。


 ただそれだけの行為に心は満ち足りる。

 複雑にも、死んでよかったと思えてしまう。


 悲しんでくれる人がいるのなら、自分のことを大切に思ってくれる人がいるのなら、どれだけ不幸であろうとかまわない。


 今まで欲しかったものが、手に入った気がしていた。



「―――」



 ゆっくりと離れていく二人。

 悲しげな表情は一変して、今まで通りの笑顔を見せる。

 それが作りものではないことに安堵する。


「さぁ、準備をしなくちゃね」


「はい!」


 そう顔を見合わせて、幸せそうにする彼女たち。

 そこに自然と笑みを零してしまう。


 二人の元気な姿に和んだ瞬間だった。


「……ん?」


 そしてふと、疑問に思う。


「デートって、どこ行くんだ?」


 手向けられた思い出作り。

 その行き先を自分は知らない。


「『RMI《リメイ》・ミニマム』にはですね、使用者の気力回復を図るシステム『RECOVERY《リカバリー》』が備わっており、それは主に現世を謳歌するというもので、そこには監視者も同伴可能というものなんです」


 饒舌に語る無邪気なアオ。

 レイはベッドから降り、あどけなく振り返っては、


「ただし、一度だけですけどね」


 そう言葉を紡いでいた。

 たった一度しか使えない機能。


 それをいきなり使う理由は、


「クロはこれから感情を消す。ならば今ここで使わなくて、いつ使うのかという話です」


 聞かなくとも読んでいるというようにレイは答えてくれていた。


「なるほど。お別れ会か」


 感情を消すということは、これからは本当の意味で何も感じなくなってしまう。

 それはきっと、何もかもに心がときめかない。何も楽しくは思えない。


 だから最後に目一杯、心を感じようというデート企画。

 まぁ、自分に対してのお別れ会というのは、おかしな話なのだが。


「そういうことになりますね」


 雑なまとめ方。絶え間ない笑み。

 彼女らの頭の中は既に、デートのことでいっぱいのようで。

 そこに自然と微笑する。


「それではクロ。私たちは準備していますので、先に噴水広場の方で待っていてください。その緑色のボタンを押せば、すぐですから」


「わかった」


 扉から二人揃って退出し、見送ると、何の躊躇もなく『RMI《リメイ》・ミニマム』の細長いボタンを押す。


 すると身の回りを数字の羅列が光のように散らばって、辺りを白く染めていく。


 そして、次に気づいた瞬間、


「……」



 瞼を開いた先にあったのは、慣れ親しんだ街だった――。



      ※



「お待たせしました」


 浸り込み、長いようで短かった回想。

 声のする方へと振り返ってみれば、白と黒の綺麗な長髪を靡かせる二人の少女が立ち並んでいた。



「―――」



 白いダウンベストに赤いミニスカート。黒のレギンスに革のロングブーツ。


「変、ですか……?」


 黙然と直視していたせいか、アオは恐る恐る訪ねてくる。


 けれどそれは、大きな間違いで、


「いや、見惚れていただけだ」


 素直な気持ちを言葉にした。


「そうですか……」


 やや安堵気味にアオは笑みを零す。

 ふと隣へと目を向ければ、無言で訴えかけるレイがいて。

 アオ同様に、服装へと注目する。


 白いコートに白のミニスカート。白いロングブーツ。

 全身白で埋め尽くされた煌びやかな格好。


 凄く清楚だ。


「なんていうか……綺麗だ」


 例える言葉がそれしか見当たらず、頭を掻く。

 レイの様子を伺ってみれば、頬を赤く染めて口をへの字にしていた。


「……さ、行きますよ」


「あ、ああ」


 歩き出す一行。

 どこへ向かっているのかはわからないが、一歩一歩足を動かす。


 そんな中、機嫌を損ねているのではないかとレイの背中を眺めていれば、隣にいるアオがレイの顔を覗いては微笑していた。



 ――そして、



 アオが今度はこちらをじっくりと眺めては、横に並んで、


「……クロは、そのままなんですね」


「……」


 デートだから。

 着替えてくればよいのにと、そう言いたいのだろう。


「着替えれるのか?」


「ここは、クロの故郷ですよ?」


「……」


 地元なのだから、家に帰れば着替えられるだろうと、当たり前のように放たれる言い分。

 死人が現世でデートをし、あろうことか服装を変えようという。

 何とも理解が追いつき難い話。



 ――けれど、



「俺は、このままでいいや」


 着替える必要なんて、いると思えるはずもなく。


「……?」


 『どうして』というようにアオは小首を傾げる。

 理由は至って明白。


「これは俺の、イメージファッションだからな」


 ブルーグリーンのパーカーに黒のズボン。

 奮発して買った革のロングブーツ。


 今までずっと、パーカーにジーンズとスニーカーさえあれば、格好としてはどうとでもなるという発想で。


 青と黒、時々白というカラーリングを重視していた。


 それが好きだというのもあるが、一番の理由は、


「この一張羅を着ていれば、俺だって気づいてもらえる」


 ずっと同じような格好をして日々を過ごす。

 それはまるで、アニメの主人公のようなスタイル。



 一目見ればわかるように――。



 そんな憧れを抱いていた。


「そうですか」


 口元を緩ませ、納得し気味のアオの姿。

 きっと全てを見抜いている。


 この格好をしていれば、誰に気づいてもらえるのか。

 それは誰でもない、皆のためということを。


 知っていながらに知らないふりをする。

 誰かが隠し事をするときは大抵、大切な何かを守りたいとき。



 謎多き少女――アオ。



 確かなことは、彼女は優しいということ。



 ――だから、



 たくさんの隠れた秘密を知る時が来ても、彼女を責めることはできないだろう。

 彼女は悪くはないのだと、買い被りすぎでも許してしまう。


 優しさ故の理由なのだと。


「クロ?」


 浸り込み、見上げていた空。


「いや……」


 『何でもない』と、そう言おうとした時だった。


「……っ」


 途端、アオに手を掴まれて、何事かと思えば、目先に目的地であろう巨大な建物が聳え立っていた。


「さぁ、まずはショッピングです!」


 海岸沿いの大きなデパート。

 中に映画館、水族館、カラオケ、ボーリング等々。


 左手にバッティングセンター、右手に遊園地と。

 中も外も豊富な遊戯場アトラクションを揃えた名所。



「――クロクロ!これ、どうですか?」



 雑貨屋にて眼鏡を試着するアオ。

 大はしゃぎする姿は見ていて飽きないくらいに可愛げがあって。


「ああ、似合ってる」


 やはり自然と、笑みを零してしまう。


「……なぁ」


「はい?」


 ふと気になることがあり、隣でジュースのストローに口を付けようとするレイに話しかけていた。


「アオはいつもこうなのか?」


「いつも、とは?」


「下界に降りて、このはしゃぎよう……」


「ああ~」


 理解が行ったのか、レイは声を漏らした反応を示す。

 すると遠めに、アオを眺めながら感慨深そうに浸っていた。


「『いつも』ではないですよ」


 当然と言えば、当然。


 いつもあれでは、『RECOVERY《リカバリー》』するネガティブな者にとっては逆に気力が削られる。


 それくらいに元気いっぱいな、眩しすぎる姿なのだから。


「だって、初デート、ですからね」


「……は?」


「ふふ」


 聞いた答えは少し違うもので。


 てっきり、『過去に何度も訪れてはいたが、久しぶりに下界に降りてはしゃぎしている』というものだとばかり思っていた。


「アオは言ったはずですよ?『私が番人になったのはここ最近だ』って」


「ああ~……」


 出逢ったとき、確かにアオはそう言っていた。


「ついでに言うと、私も何気に初めてなので、お手柔らかにお願いしますね」


「……」


 天使のような満面の笑み。

 口にされた言葉に『何だかなぁ』と苦笑しつつ、再度アオへと目を向ける。

 楽しそうに目を輝かせ、隣にいるレイを再度一瞥すれば、美味しそうにジュースを頬張っている。



「―――」



 そんな光景を目に、手を胸へ当て、過去を思い出す。


 昔もこんな風に皆で遊んでいた、あの頃の思い出を。

 どこを見ても、瞳の奥に皆と戯れる過去の自分が蘇る。


 楽しそうにケラケラと笑っている。


「クロ!次は服を見たいです!」


「ああ」


 走り去っていく思い出を横目に声のする方へと足を運ぶ。


 笑顔で並び立つ二人の少女。

 過去の自分が今を知った時、どう思うだろうか。


 どんなに考えようと、その答えは見つからない。

 とうに自分さえも見失っている。


 全てを捨てて、未来(いま)の自分は過去を取り戻そうとしている。

 過去に囚われ、過去に縋りついている。引きずっている。


 見苦しくも、愚かな姿。


「行こ?」


「……っ」


 また、アオに手を掴まれ、花のように凛とした笑みを目に彼女は走り出す。


 容赦なく、まるで今までの思考を振り払うように。


 彼女の無邪気な姿に余計なことなど考える暇もなく、時間は流れていた。


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