第一章7 『重荷』
ひんやりと伝わってくる冷たさ。
ゆっくりと瞼を開ければ、また青い床にうつ伏せとなっていた。
二度目の感覚に何故か不思議と安堵する。
起き上がりながら笑みを零し、虚ろな感覚で『プラザ・ゲート』へと歩みだす。
足取りは重く、ふらつきながらもようやく扉へと辿り着く。
ありがたいことに扉は軽く触れただけで開放されていった。
眩しい光が辺りを覆う。
視界がぼやけるも、止めることなく足を動かす。
扉の外へと一歩踏み出せば、身体はボスリと何かにぶつかっていた。
フローラルな甘い香りと、ミントのような清々しさ。
鼻腔を擽るその匂いが、懐かしくて堪らない。
優しく包み込む温もりが、心を溶かす。
そっと顔を上げると、一人の少女にギュッと抱きしめられていた。
青い衣服と白い肌。綺麗な黒髪。
それだけで誰なのか、察しが付く。
「アオ……」
自然と口にした彼女の名前に、アオは何も言わずに微笑する。
この温もりにずっと抱かれていたいけれど、男としてそんなかっこ悪い甘えは許されない。
名残惜しくも、彼女から離れ、やせ我慢をしてしまう。
「無理、しないでくださいね……?」
アオは心配そうにこちらを眺める。
嬉しくも見透かされているようで、苦笑してしまう。
「クロ」
すると聞こえる誰かの声。
知っている声なのだが、疲労感により反応が少し遅れてしまった。
声のする方へ視線を移せば、レイがいて。
「……え?」
現れた瞬間、手錠をかけるように颯爽と何かを腕に嵌めてきていた。
青いリストバンドに四角い黒の画面。
変わったデジタル時計かと思いきや、表示されているのは時刻ではなく、何かの数値。
他に特徴があるとすれば、色とりどりの細長いボタンだけ。
『これは何なのか』、そう目で訴えかけていれば、
「それは『RMI《リメイ》・ミニマム』。急遽用意する破目になった、クロの後悔を数値化するものです」
「……」
『ほら』とミニマムを指すようにレイは首を振る。
点滅表示される数値とローディング画面。
――『《ORIGIN》:7』→『《RENEWAL》:6』
オリジンとリニューアル。
7から6への減少。
そこから導き出されるは、
「俺の、後悔」
己が抱える後悔、少ないようで多い、一つ一つが重すぎる。
失ったモノの数だった。
「―――」
黙認の相槌。
もう一度、ミニマムへと視線を落とせば、
「クロは、これからどうしますか?」
不意にアオの声が耳に届く。
それ故に顔を上げれば、薄く微笑むアオがいる。
問われたことの意図がわからず、首を傾げてしまう。
「クロの後悔はまだ終わっていません。その数字が示す通り。これからが本番でしょう」
その通りだった。
これから歩まなければならない道筋は、残酷なもの。
全く持って、何を恨めばよかったのか。
だから、自分を責めることで、償いとしていた。
そんなこと、何の意味もないというのに。
「クロはまだ、続けますか?」
迫られる選択。
けれどその答えは考えるまでもなく、
「当たり前だろ?」
取り繕い切れない、中途半端な弱弱しい笑顔で答えていた。
疑いようもない本音なのに、これでは余計に彼女たちに心配をかけてしまう。
『やらかしたな』と内心そう思い、俯けば、
「……っ」
頬にそっと、アオの手が優しく触れていた。
アオへと目を向ければ、困り気に微笑む姿がある。
『悪い事をしたな』と目を伏せると、
――暖かい。
伝わってくる温もりがまた、保っていた自分を崩そうとしていた。
嬉しいのに、ちょっぴり悲しい。
おかしな感情だった。
「ゔ、ゔん」
ふと聞こえる咳払い。
そこには不服そうに眉を顰めるレイがいる。
アオがキョトンとし、そんなアオにレイは何故か嘆息する。
よくわからないが、瞳の奥が熱くなる。
シックな映像が朧気に蘇り、何度目の懐かしさを覚える。
前にも似たような光景を見たことがある。
見たことも、記憶にもないはずなのに。
ほんと、不思議だ――。
「クロっ……!」
朦朧とする意識。
視界がぼやけ、暗転していく。
今までにない感覚が迸り、身体が倒れていっていることにやっと気づいた。
踏み止まろうとするのだが、身体は動かないうえに、もう遅い。
ぼんやりと、アオとレイが何かを訴えかけてくるのがわかるが、何を言っているのかはわからない。
死に際に味わった時と似た眠気が襲い掛かり、とても抗えそうにない。
徐々に薄れていく意識の中、思うのは先ほどの『AGAIN』のこと。
『ごめんね』と、誰に言うでもなく謝り続ける自分がいて。
その声だけが、最後まで胸の中で響いていた。
※
最初の後悔――『初恋』。
あいねへの、告げられなかった想いであり、守れなかった約束。
それを果たすべく、『AGAIN』への道を選んだ。
――けれど、
そんなのは建前で、本当は違う。
10年間、忘れることなくこの胸を締め付け続ける想いから、解放されたかった。
逃げ出したかった。
だから、『好きだった』。
約束を破った身でありながら、また叶わない約束を交す。
死んだ身でありながら、『また会おう』などと嘘をつく。
それが、罪悪感の正体。
何ておこがましいのだろう。
『好きだ』なんて、勘違いさせるような言い回しをし、死んでいるのに『また会おう』などと守れるはずのない約束を交わす。
また同じことを繰り返している。
彼女を悲しませる言動ばかり取っている。
酷い男だ。
彼女はきっと、こんな幼き頃の約束なんていつか忘れてしまうだろうと。
そんな淡い期待を抱いている。
そうすることでしか、自分を肯定できない。
本当に、酷い男だ――。
※
「―――」
瞼を開いた先にあったもの。
それは二度目のあの天井。先ほどぶりのベッドの上。
ぼんやりとする頭でゆっくりと起き上がり、辺りを見回すが誰もいない。
静かな部屋で光指す窓に目が行き、重たい腰を上げて歩み寄れば、
「……っ!」
広がっていたのは、一瞬で目が冴えるほどの絶景。
それほどに驚きが隠せない。
窓を開け、身を乗り出しては外を見渡す。
最初に感じたのは、冷たい風。
死んでいるのに感じる温度は、生きている頃と何ら大差はない。
今更のことなのに、圧倒される。
周りに広がっているのは、澄み切った青空。
下へと目を向ければ、地面から岩でできた作り掛けの蜂の巣を生やしたような造りで。
窓から落ちないよう空を見上げれば、目を凝らしてようやく青いレンガでできた城のようなものが見え、あれが『蒼の神殿』なのだと理解する。
まとめると、現在地は上空300メートルほどの位置に存在し、地面から生やされた岩状の軸に半球岩が支えられ。その上に『蒼の神殿』が聳え立っている。
――そして、
どういうわけか、下に広がる見慣れた風景。
生まれ育った街。
見間違えるはずのない、故郷だった。
「……」
死んだと思った世界は、現世との狭間。
けれど、死んでいるのは確かな話で。
――もし、
もしも自分が生きていたらと思うと、何だか複雑だった。
未練があるわけじゃない。
逆に、早く死にたいと思う日々で、生きたいと思えた事なんて一度もない。
明日という日に自分は生きているか。
明日も今日と同じように生きられるか。
皆に会いたいと希い、それを許さず恐れる自分がいた。
一人不安に押し潰されそうになりながら、嫌な現実を送る毎日。
だから、死んで後悔はない。
「……寝よう」
目を瞑り、マイナスな思考回路に歯止めをかける。
辛い現実から目を逸らすには、寝て忘れるのが一番。
昨日のことをはっきりと覚えていたり、短時間でたくさんの事を覚えたり。
比較的、記憶力の良い自分なのだが、心を病んだせいか、いつの間にか自然と就寝時に記憶を忘却の彼方へと消し去ろうとするようになっていた。
死んだ今でも、習慣となっているのがおかしな話。
「……ん?」
ベッドへと視線を送り、ふと気づく。
何やら一つの膨らみがあり、恐る恐る近づいてみる。
意を決して布団を捲れば、
「スー…スー…」
可愛い寝息を立てるアオがいた。
「……」
丸まって眠る姿はまるで子猫。
愛らしい彼女に自然と頬が緩む。
気持ちよさそうに眠るアオに釣られてか、こちらも眠くなってしまう。
ひと眠りするつもりではあったのだが、『これはどうしたものか』とベッドへ入ることを吟味する。
けれど結局、『ま、いっか』と気にすることなく布団へ入り、目を閉じていた。
目の前に女の子がいるが、手を出さなければ問題はない。
最初からそこにいたのなら、不可抗力。
何か言われたときは、その時はその時。
――おやすみ、アオ。
心秘かにそう呟き、眠りに浸ろうとすれば、
「……おはようございます、クロ」
「―――」
瞼を閉じたまま、口を動かすアオがいた。
――なんだ、起きてたのか。
唖然とする一方、心の中は落ち着いている。
――ただ、
「男の子は皆狼だと聞いていたんですが、クロは違うんですね」
至近距離で放たれる意味深な発言。
ベッドの上の彼女は性格が変わったように大人っぽくて。
そこに疑問符が絶えない。
「まあいいです」
そっとこちらへと近づいては、艶めかしい視線を浴びせられる。
ゆっくりと彼女の手が頭の後ろに回されて、互いの額がくっ付くような態勢をつくられる。
息と息が触れ合う距離で、彼女から目が離せなくなる。
「……クロは、優しいですね」
ふと放たれる彼女の言葉。
それが何に対してのものなのか分からなくて、
「ぇ……」
自然と、小さな声が漏れる。
するとゆっくり後頭部を撫でられ、彼女は尚も優しい微笑みを浮かべ続ける。
「10年も初恋を引きずっている人なんて、そうそういませんよ?」
やっとわかった、言葉の意味。
なんとなく、そんな気はしていた。
アオは『AGAIN』を見ていた。
だからそんな、甘く囁くように言葉をかける。
きっとレイも――。
「俺は……」
優しくなんかない。
そう言いたいのに、寡黙な自分は面倒臭がって言葉にしようとしない。
言いたいのに言えず、言おうともしない。
なんともふざけた歯痒き想い。
ただの拗らせた自暴自棄。
「自覚がないのがその証拠です」
何もかもお見通しと言いたげなアオの顔。
認めようとしない意地っ張りな自分に呆れ返ったご様子。
生前でもよく優しいと言われた。
けれどやっぱり、自分ではそうは思えない。
親に憎悪を向け、周りを見下し、友を見放す。
ずっと、過去に背を向けて生きてきた。
こんな自分を優しいと呼ぶなんて、間違っている。
本当に優しいのは、アオのような何でも受け止めてくれるような人のこと。
「―――」
ふと思う。
アオはどうしてそこまで自分に構うのだろうと。
特別な感情を抱いているわけでもないのに。
人が人を好きになるのは簡単とは言うが、アオの場合は何かが違う気がする。
――もしかしたら、
自分がアオに惹かれていることと何か関係があるのではないか。
そう思えて仕方がない。
わかっている。これはただの妄想。
けれど今まで、自分の想像力の豊かさにより引き付けられた未来がある。
まるで、未来予知のように。
それに何故か、その答えが自分の中で一番腑に落ちていた。
謎が謎を呼ぶばかりの人生。
――ほんと、嫌になる……。
「クロ?」
蹲り目を閉じる。
眠いわけじゃなく、今はただ何も考えたくはなかった。
いつかわかることに、もしもの想像を働かせても不毛でしかない。虚しいだけ。
――でも、
胸にあるモヤリとするしこりだけは払っておきたい。
――だから、
「なぁ、アオ――」
どうしてそんなに構ってくれるのか。
そう単純に聞こうとした時だった。
バタリと開かれる扉に言葉は途切れ、近づいてくる足音に目をやれば、
「……」
顔に怒りマークを付けたレイが、不満げな形相で佇んでいた。
「クロ」
怒気の混じった声。
怒られる時に呼ばれる自分の名に久しぶりの恐怖を覚えてしまう。
『自称:《怯え猫》』の異名が脳裏に蘇った瞬間だった。
「……おはようございます」
妙に間を開けた挨拶。
内心怯えてはいても、それが外に出ることはなく、
「ああ」
不動の精神が外面を平然とさせていた。
すると鋭い視線が横にいるアオへと移され、アオはまた小首を傾げていた。
そのせいかレイの怒りが爆発しそうになるも、呆れるようなため息となって消えていった。
「……そうでしたね、あなたはそんな子でしたね」
「……?」
何のことやらと、アオは疑問符を浮かべ続ける。
レイは流すように対応し、
――そして、
レイは目の色を変えて、こちらに真剣な眼差しを向けて、
「クロ、ごめんなさい」
そう謝罪を述べていた。
それが何のためのものなのかわからず、今度は自分が首を傾げてしまう。
「私たちは、クロの『AGAIN』を見ていました」
綺麗なお辞儀だった。
そんなことは別に気にするほどのことでもなく、何ならアオの話からそんな予想はついていた。
――だから、
「いいよ、別に。気にするな」
怒ることなく、微笑を浮かべていた。
安堵するようにレイは頬を綻ばす。
どこか遠くを見つめるようなその反応は、まるで最初から答えがわかっていたかのよう。
時折見せる彼女らの素振りがノスタルジックで、妙に引っかかる。
胸に痞えるような、チクリとした痛み。
やはりここには自分に関する何かがあるのではないか、そんな考えが働いてしまう。
妄想かもしれないが、ここは死後の世界。
何が起きてもおかしくはない。
これが、現実なのだから。
「クロ?」
「どうかしましたか?」
考え込み、顔を上げてみれば、アオとレイが二人して神妙な顔をしている。
そのため、『何でもない』と目で訴えかける。
少しの間をおいて、レイはゆっくりと口を動かす。
「クロ」
浸り気味の顔。
「何?」と、そう口を開いていれば、
「デートをしましょう」
そのたった一言に返す言葉が見当たらず、謎の静寂が流れていた。
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