第一章6  『決別の懺悔』

 ――『麻桃まとう』。



 そう刻まれた表札を横目に名残惜しくも重たい荷物を運んでいく。



「――よい、しょ」



 抱えた段ボール箱を車の荷台へと降ろす。

 並んだ三つの箱を目に嘆息して、3階のマンションへと視線を移す。


 ある程度の荷物は引っ越し業者のトラックへ積み、残った物は愛車へと乗せる。

 けれどその数があまりにも多く、あと6箱という数字が小さいようで大きく感じていた。


 たとえ自分が20代後半の若々しい美しさを誇っていようと、そんなものは今この場においては何の役にも立たない。


 3階にいる愛娘が、寂しそうに待ち惚けしている姿に胸が痛む。


 自分は親で、可愛い娘の頼みなら何でも叶えてあげたくなるけれど、こればっかりはどうしようもない。



 だから内心、『よし!』と気を入れ直して階段を上り、もう我が家ではなくなる玄関前に佇む少女――『愛音あいね』のもとへと近寄って。



「愛音。もう少ししたら終るわ」


 笑顔でそう、告げたのだが、


「うん……」


 愛音は顔を上げることなく、悲し気に呟いていた。


 仕方のないことなのだが、どう自分の気持ちを押し切っても、困り気味に鼻息を漏らしてしまう。


 ふと下を見下ろせば、愛音のお友達やお世話になったママ友たちが数人ほど集まってくれていた。


「皆も来てくれたんだし、お別れをちゃんと言いなさいよ」


「うん……」


 元気のない返事。

 相も変わらぬその表情に歯痒い思いで、頭を搔く。


 理由はわかっている。



 ――少年かれがいないのだ。



「全く……」


 愛音の悲しげな表情の理由を知ってはいたが、こんなにも堪えるとは。

 そのぶん本気なのだと、そう思わされる。


 そんな愛音に、まだある荷物を運ぶついでに一言投げかける。


少年かれを待っているんでしょう?」


 不意にかけられた言葉に愛音は驚きの顔を見せる。

 図星の表情に、どうやら勘は当たっていたようで。


 恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに初々しく、見ていて微笑ましい。



 本気の恋だから。初恋だから。好きで好きでたまらないから。ずっと一緒にいたいから。また会いたいから――。



 たぶん心は、そんな感情で埋まっているのだろうと、そう思う。


 この子の恋は本物だ。


 本気の恋に歳なんて関係ない。

 その言葉が、今の自分にもよくわかる。


 何より、娘のこの恋を誰にも邪魔はされたくない。

 そう応援する気持ちが胸の内にあった。


 娘の本気の初恋は実ってほしい。

 それでいて、娘にはどんな時でも笑顔でいてほしい。


 ――だから、



「大丈夫よ。少年かれはきっと来るわ。なんたって、愛音の初恋で、『最愛の人』なんだから」


 その言葉に頬を朱色に染めつつも、愛音は首を傾げる。


「さいあいのひと……?」


 少女の言葉に頷きながら、屈んで同じ目線になり、説明する。


「そう。愛音が最初に好きになった人で、一番大好きな人のこと」


 微笑みながら、からかうように手向けられ、愛音は口籠る。


「それに、予定の時間までまだあるわ。荷物が運び終わっても、それまでは待ってあげるから、心配はいらないわ」


 安堵し、早く来てほしいと愛音は願う。


 すると一つの声が耳に届く。

 声は、小さくも聞き覚えのある声で、少女がずっと待ちわびていた大好きな人のもの。


 そこに自然と笑みを溢し、合図する。


「行ってきなさい、あなたの王子様のもとへ」


 愛音は頷いて、その声の主のもとへと走り出す。

 もう会えなくなるから。また会いたいから。少女は少年かれのもとへと駆けて行く。

 自分もまた一人、その光景に呟く。



「あなたの想いをぶつけなさい。掴み取り、奪ってきなさい――『最愛のかれ』の心を……失わないように、手放さないように……」



 その言葉にかのように、少女は少年のもとへ向かっていく。



 伝えたい思いを胸に、涙を浮かべながら――。



      ※



 膝に手をつき、息を漏らす。

 肩で息をしながら、あまりの体力の無さに身体の幼さを実感する。


「あいね……」


 そんな中でも、頭は彼女のことで埋め尽くされている。

 当たり前だ。そのために帰って来たのだから。



 ――やっと。やっと。



 違えてしまった約束。破ってしまった誓い。

 10年かけて、ようやく辿り着いた。


 目の前にある小さなマンション。

 昔、あいねが住んでたとされる建物。


『確か』と思いながら、3階へと目をやる。

 そこにはベランダ越しに映る、昨日ぶりの彼女の姿が見える。


 自然と頬が綻び、名一杯の息を吸う。


 周りには全員ではないけれど、見知った皆がいる。

 きっと、あいねのお別れに来たのだろう。

 いつもの自分なら、恥ずかしさのあまり躊躇していた。


 でも今は、


「あいねー!」


 そう叫ばずには、いられなかった。

 皆の視線が一気に集中する。


 注目されるのは苦手なのだが、ふと目を離したベランダには彼女の姿がなく、どこに行ったのだろうと探してみれば、こちらへと駆けよってくる彼女がいた。



 ――そして、



「……っ」


 その勢いに身を載せて、あいねの強い抱擁が飛んできていた。

 5秒ほどの時が流れて、それが解かれると、彼女は笑いながらに涙を零していた。


「本当に、来てくれたんだ……」


 彼女の言葉に少し、息が詰まる。


 実際、この場に自分はいなかった。

 今ここに来れたのも、卑怯な手段で。


 罪悪感が胸の内に広がっていく。



 ――でも、



「当たり前だろ」


 今この瞬間だけはと、自分に言い聞かせていた。

 彼女に心配をかけないよう、取り繕った笑みを浮かべて。


「そうなんだけど……」


 目尻の涙を拭い、不貞腐れるあいね。

 そこに苦笑しながら、今まで言えなかった言葉が脳内に溢れ出す。

 だから自然と、素直に気持ちをぶつけてやろうと、そう思えていた。


「あいね」


「何?」


「俺は、あいねのことが好きだよ」


「……っ」


「ずっとずっと、好きだった」


 疑いようもない事実。

 あの頃伝えられなかった本音。


 彼女は気づいていないだろう。


 この言葉の真意を。


「嬉しい……」


 何度も瞳を潤ませる彼女。

 泣かせてばかりで申し訳ない。


 その反応がやはり両想いだったのだと、気づかせてくれた。

 ありがたい気持ちでいっぱいだけれど、罪悪感が増す一方だった。



 ――気づかなくていい。気づかないでくれ。



 そう思うばかり。


「さよならは言わない。いつかまた、きっと会えると信じて」


「うん……」


 何を言っているのだろうと、自分でも思う。


 会いたいけど、会いたくない。

 そんな矛盾が、嘘偽りの自分を作らせる。


 酷い男だ。


「ねぇ、くろう」


「ん?」


 徐々に迫る彼女の顔。

 流れる動作はとてもゆっくりと見えるのに、されたのは一瞬で。



「―――」



 柔らかい感触と、交じり合う小さな息遣い。

 たった数秒触れ合っただけで、心奪われそうになる。


 それほどまでに、取り乱していた。


「……」


 そっと離れていく彼女は、どこか大人びていて。

 振り返った姿には、煌びやかな笑顔があった。



「――じゃあね、くろう。またどこかで」



 まるで別人。

 幼さの欠片もない、ひとたびの別れ。


 茫然と、立ち尽くす事しかできない。


 手を伸ばすのに、届かない。


 彼女の背中だけが、瞳には映っていた。


「みんなも、またね!」


 皆は涙を流して別れを惜しむ。

 あいねの顔には、自分のよく知る笑顔がある。


 一瞬だけ。


 先ほど見た、あの悲しげな表情は何だったのだろうか。

 気のせいだったのだろうか。


 そんな疑問が、返ってくるはずのない時の中、歯痒くも木霊している。


 別れを告げに来たのに、別れを告げられた。

 手持無沙汰の感情が、犇めいていた。


「じゃあね、みんな~!またどこかで~!」


 気が付けば、乗車し、徐々に離れていく別れ際。

 窓から身を乗り出し、手を振る姿は幼きあいね。

 何が何だかわからなくも、手を振り返せば、


「くろうも、浮気しちゃだめだよぉ~!」


「……」


 付け足された一言に、苦笑していた。



 ――そんな言葉、どこで覚えたんだよ……。



 内心そうツッコミを入れ、やはりさっきのは気のせいだったのだと自分に言い聞かせる。


 見えなくなった車。解散していく皆。

 一人、誰もいない空間に立ち尽くし、歪みゆく世界に気が抜ける。


 終わったはずの後悔。

 嬉しいはずの『AGAIN』に達成感はあっても、喜びはない。


 見上げた空には、色が失われていく光景がある。

 胸にあるのは、虚しさ。


 死を迎え、時を越えて。

 抱えた後悔を望み通りの筋書きへと書き換えた。



 ――けれど、



 その未来に自分はいない。


 たとえここで時間の流れを理想の形に変更しても、死んでしまった自分には、立つことのできないパラレルワールドが生成されていくだけ。


 なら、誰のために、何のために『AGAIN』しているのか。



 ――いや、



 そんなことは、どうだっていいのかもしれない。


 自分の所為で不幸になってしまった人たち。

 巻き込んでしまった皆を救えるのなら、それだけで十分。


 結局は自己満足だ。

 ただの、自己犠牲だ。


 皆が笑って過ごせる未来ができる。

 それだけで、十分じゃないか。


 終わりゆく世界の果て、儚い想いをこの胸に刻む。



 ――また会おう。俺の、最愛の人……。



 叶うはずのない願い。

 叶わなくてもいい。


 最初に愛した人へ向けた、決別の意をここに。


 この時をもって、初恋への未練を断ち切る。

 引きずり回した想いが少しだけ、軽くなった気がする。


 終わりからの始まり。

 色のない世界に光が溢れる頃、思い浮かぶのは出逢ったばかりの彼女のこと。



 ――さぁ、帰ろう。待っている人のもとへ。



 眩しい光に抱かれ、意識は剥がれるようにあの場所を目指していた。



      ※



 ――『蒼の神殿:監視室』



「どうやら、無事終わったみたいですね」


 青暗い空間の中、六つの画面に目を凝らしていた態勢を解く。


 長いようで短い彼の『AGAIN』。

 少し気に食わない部分もあるけれど、良しとし安堵する。


「そのようね」


 隣から聞こえる少女の声。

 白銀の髪を垂らし、雪のように凛とした姿。

 少し年上の女の子。


 『シルバー』改め『レイ』と名付けられた彼女と同様、一息つく。


「それにしても、クロの最初の後悔があんなにも可愛いものだったとはね」


 すると頬に手をつき、レイは浸り込む。


 確かにクロの最初の後悔が『初恋』だったとは。

 クロの初々しい面を見れて嬉しくはあるものの、そこが少し気に食わない。


 だから片頬を膨らましては、不貞腐れてしまう。


「そう気にすることでもないでしょう?誰にでもあるものよ?『十年前の恋』というものは」


 励ましなのか、からかいなのか。

 的を射た台詞に、図星のあまり『違う』とそっぽを向く。


「別に、気にしてなんかいません」


 我ながら意地っ張りだなと思う。

 隣を一瞥すれば苦笑するレイがいる。


 そしてふと、壁際に配置されたポッドへと目を向ける。


 透けたエメラルド色の液体に浸け込まれた少年。


 その彼が、今目覚めようとしている。

 真実を知れば、彼はどう思うのだろうか。


 何度味わっても辛い残酷性が、罪悪感を生む。


「……っ」


 痛む胸を押さえていれば、肩にレイの手が触れていた。


 困り気に微笑む姿には悲しげな表情で。

 彼女もまた同類なのだと思わされる。

 自分だけではないのだと、分かち合う者がいてくれるだけで、気分が少し楽になる。


 長い長い使命に終わりはない。


 彼が目覚めようとしているのなら、笑顔で迎えてあげよう。

 彼が大好きだと言ってくれた、笑顔を。


 そうやって、歯を食いしばって立ち上がり、精一杯の笑顔を作る。


「それでは、運びますか」


「そうですね」


 ポッドへと近づき、液を抜く。

 開放され、倒れてくる彼の身体をそっと抱き寄せ、『プラザ・ゲート』へと元に戻す。


 扉を閉め、何もなかったように彼の帰還を待つ。


 複雑な心境が立ち込める中、笑顔だけは崩さずにいた。


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