第一章1 『リスタート』
ぼやけた視界。
瞳の奥に映るのは、広がるは暗闇と、満遍なく広がる青い床。
理解できるのは、這いつくばった体勢と床から伝わるひんやりとした冷たさだけ。
「――ここは、どこだ……?」
目を覚まし、うつ伏せになった体を起こす。
ただそれだけの動作なのに、少し鈍い。
立ち上がることも儘ならず、胡坐をかくことだけで精一杯だった。
そして、思い出す。
自分が先ほど取っていた行動を。
――自殺。
悔いばかりある人生に嫌気がさし、死んだ。
「そうか……死んだんだ」
――でも、
「……っ」
――どうして、だ……。
走る頭痛。
何故死んだのか、思い出そうとすれば、黒い霧が全てを覆い隠す。
わかっているのは、たくさんの後悔をしたこと。
その後悔をした場面だけ。
だから考えることをやめて、床に寝転がる。
――すると、
「……?」
徐々に近づいてくる足音に、耳は自然と傾いていた。
「――目を覚ましましたか」
暗闇の中から現れる、一人の少女。
長い黒髪を靡かせ、スカーレットの瞳が淡い光を帯びている。
藍色の服と白いスカートが、彼女の可憐さをより一層際立たせていた。
「君は……」
その美しさに何気なく見惚れ、言葉を失う。
彼女はと言えば、愛らしい微笑を浮かべていた。
「私はここの番人。名前はありません。好きに呼んでください」
真剣な表情。
そこに少し困惑すると、彼女はまたクスリと笑みを溢す。
ずっと見ていても飽きない、素敵な笑顔だった。
「じゃあ『アオ』で」
素っ気無く付けた彼女の名。
ネーミングセンスのない自分にとっては十分な出来。
――それなのに、彼女は、
少し赤く頬を染め、嬉しそうに口元を緩ませていた。
それが不思議で、秘かに気恥ずかしさを感じて。
話題を早々に切り替えることにした。
「それで、だ。アオ、ここはどこなんだ?」
けれど、そんなことは持ち掛けるまでもなく、わかりきっていることで、
「ここは死者の魂が集まり具現化する天空の都。通称――『蒼の神殿』」
案の定、察していた通りの場所……でもなかった。
――『蒼の神殿』。
それは正しく、この青で埋め尽くされた場所を示すにはビッタリの名だった。
「蒼の神殿……」
確かめるように声を漏らし、一つの疑問が浮かび上がる。
――ん?神殿?
でもそれも、もじもじと物言いたげな顔をする彼女を目にすれば、どうでもよく思えることだった。
「あの、あなたの名前は……?」
何を言い出すかと思えば、今更の問い。
まぁ、自己紹介をしていないこちらが悪いのだが……。
「
「まそう……くろう……」
はにかむように口にするアオ。
どことなく嬉しそうなその姿に、何故か照れ臭さを覚えてしまう。
「アオ、ここは何なんだ?」
先ほどの彼女の言葉を思い出し、気になる点がもう一つ。
――天空の都……空の上?
ここがどこの何なのか。
それがイマイチ把握できていなかった。
「さっきも言った通り、ここは死者の魂が集まり、具現化する天空の都。通称〝蒼の神殿〟。蒼の神殿では、死者の行く末を決める……いわば、裁判所のようなものです」
「……」
何故か脳裏に、自分が無実の罪で牢獄へと入れられるというイメージが過ぎる。
無実の罪かはわからんが……。
「言葉を変えると、進路指導のようなものです」
物の例えがマシになり、出てもいない冷や汗を拭う。
ただ現状、進路指導にもあまりいい思い出は無いのだが……。
「進路指導?」
それはこの先どうするかということ。
死後のことだ。どうするかも何もない。
「それにはまず、この世界の成り立ちについて知ってもらう必要があります。少し長いので心して聞いてください」
黙認の相槌。
すると彼女の声と表情に真剣味が増し、
「まず、人は死ぬとどうなると思いますか?」
急な質問に少し戸惑う。
人間の死後。
誰でも一度は考えることだろうが、考えたところで不毛でしかないこと。
生きているモノには、わかりようのないことなのだから。
自分が死んでいるのは確か。
けれど死んだと気づいたのもついさっきの事。
生きていた頃の記憶は曖昧。
死という経験をしたのは今さっきで、経験と呼べるほどのものでもない。
つまり、経験則が使えない。死んでいるのに。
「霊になって閻魔大王のところに行き、天国化か地獄に行く、か?」
あたり添わりのない返し。
気づけば、目の前にいるアオが赤縁眼鏡をかけ、目の前でホワイトボードに指し棒で説明していく
――なんか、違う意味で可愛い……。
「普通はそうです。ですがその規則性は変わり、ある程度の人々には人生をやり直させる機関ができたのです」
一般的理論。
どうやらそれは当っていたようで、
「何で、できたんだ?」
その先の言葉に、疑問が生まれていた。
そこにアオはニヤリと笑みを浮かべ、自慢気に口を開いた。
「それはですね、現世に行き場をなくして彷徨う霊が存在するからなんですよ」
――なるほど。つまりは、
「(霊が彷徨って行き場をなくすのは)困りもの、か……」
そう一人でぼそりと呟いて、納得すれば、
「神は人の幸せを願うモノ。それは霊だって同じです」
「神?」
「はい」
「……」
突然放たれる彼女の言葉に沈黙していた。
何故そんな当たり前みたいな反応を示しているのかがわからない。
まぁ結局は、どうでもいいことなのだが……。
「もとは人が作り上げた幻想のモノなのですが、人が強く願い、崇め奉ることから生まれた存在なのです」
「……」
なんて曖昧な存在なのだろう。
まるで本当に幻のよう。
――けれど、
存在していようといまいと、何もしてくれないモノに変わりはない。
神は救世主じゃない。ただの傍観者。
どれだけ何を願っても叶うなんて甘い話はなく、虚しい時が過ぎるだけ。
いてもいなくても一緒なら、期待しても無駄なのだと。
そう心密かに思っていれば、
「人が強く願えば、願いは叶うってことですね」
それを見抜いていたかの如く、彼女は言葉を紡いでいた。
他人行儀の明るい笑顔で。
そんなこと、微塵も思っていないように見えたのは、気のせいなのだろうか。
「……っ」
途端、アオの顔が心配そうにこちらを覗き込んでいたことに息を呑む。
『知らない女の子の顔がこんなにも近くにあるなんて』と、今までなら思いもしなかっただろう。
――ただ、
胸の奥で彼女のことが無性に懐かしく思えるのは、何故だろう。
「ふふ」
「……?」
俯き気味にアオは顔を隠す。
どうやら安堵の笑みを浮かべている模様。
その後、後ろを向いて「ゔ、ゔん」と咳払いを一つ。
恥じらうようにこちらを一瞥しては、
「いいですか。つまり死んでからの選択肢が増えたということです。人が死ぬと、あの世に行く他に何があると思いますか?」
またも真剣な表情で、この空気を一変させる。
けれど今度は、その急な質問に動揺することなく、
「転生、か」
察していた答えを口にした。
――のだが、
目の前にあるアオの『さすがです』と言いたげな顔に、なんだかバカにされた気分だった。
「その通りです。人は死ぬと転生できます。ですが、それとは別の選択肢ができたのです」
別の選択肢。
そこに思い当たる節など、あるはずもなく、
「人生のやり直しです」
アオは冷静な態度で、言い切っていた。
「―――」
たった一瞬の間。
流れる静寂が少し、肌寒く感じ、辺りの暗がりは増して、
「私たちはそれをこう呼びます」
――『〝AGAIN〟』
「―――」
時が、止まった気がした。
絶対にありえない現実が、そこにはあった。
でもそれは、夢にまで見たことだったから。
何度願ったかわからない、自分の望みだったから。
嬉しさのあまり、口元が緩んでしまう。
悔いばかりある自分にとって、叶わないと思っていたはずのモノがすぐ傍にまで来ている。
だから今、胸の奥がこんなにも高揚感で満ち足りているのは、当然のことなのかもしれない。
「〝AGAIN〟とは人生のやり直しですが、それをするにあたっていくつか条件があるのです」
条件がある。
今は無言でその言葉を咀嚼し、呑み込む。
一刻も早く物事を先へ進ませるためには、今の自分は邪魔でしかない。
黙って頷くことだけが、この場では最優先事項だった。
「まず、〝AGAIN〟するかどうかは死者が決められます。しない場合は転生となります。そして、する場合には、さっきも言った通り、いくつか条件があるのです」
不敵な笑みを添えて、淡々と説明してくれる彼女。
まるで、こっちの事情をわかっているかのよう。
「〝AGAIN〟は死者が一番後悔した歳で行われます。クロ……の場合は、私と同じ今の15歳ですね」
不意に呼ばれる自分の名。
――クロ。
生前、自分の愛称だったそれが、今は呪のように感じる。
その言葉一つ聞くだけで、失われたモノたちのことを鮮明にも思い出してしまう。
そして、ふと気づく。
どうして言っていないはずの自分の年齢を知っているのか。
そんな疑問に囚われるも、アオの照れた顔を前にすると、些細な問題でしかなく思えた。
「この歳というのは、人生をやり直すうえで一番最初に後悔した時に関係があります。〝AGAIN〟は一番最初に後悔した歳の肉体に死者の魂が憑依し、人生をやり直していくということです。一番後悔した歳と一番最初に後悔した歳は後悔という共通点が乗り移る時に関係しているのです」
「……」
「つまり、今のクロが一番最初に後悔した時の自分に乗り移り、そこから人生をやり直して行くということです」
難しい話をアオはその微笑みと共に優しくする。
理解が追い付き、案外それほどでもないように思えば、見越していたのか『油断禁物』と勢いよく目の前を指さしてきていた。
「ですが、これが簡単のようで簡単ではありません。乗り移った場合、知能は一番後悔した歳、身体は一番最初に後悔した歳からなので、たとえ知能があっても運動能力には限度があるのです」
「見た目は子供、頭脳は大人ってやつか」
「うーん……ちょっと違います」
「というと?」
「例えるなら、10年先の未来を知った少年、もしくは10年若返ってタイムスリップした、と言った方が近いです」
なんとも具体的な例え。
その言葉だけで確信が行く。
彼女は――、
「〝AGAIN〟は一番最初に後悔した歳と一番後悔した歳……なんだよな?」
「はい」
「時を操れる、か……」
夢みたいな話。
本当に夢ではないのかと思わされる。
「クロ?」
死んでいるのかさえ、疑わしくなってくるほどに。
「……っ」
気づけばアオの手が頬を触れていた。
心配そうに眺める瞳。
その手を触れて、尚も実感する。
――暖かい。
本当に死んでいるのか、わからなくなってくる。
「そういえば……」
「……?」
「〝AGAIN〟は、いつできたんだ?」
「確か、15年前です」
「じゃあ、その頃の死者は……」
「残念ですが、それはわからないんです……私がここの番人になったのは、ここ最近のことですから」
「手掛かりなし、か……」
「すみません……」
申し訳なさそうにアオはしょげる。
何故だか彼女には、笑顔でいてほしい。
そう強く叫ぶ自分がいる。
――だから、
「なぁ、アオ」
「……何ですか、クロ?」
「ありがとうな」
「ぇ……」
キョトンとした反応。
それも仕方ない。
今から告げるのは、自分でも似合わないお礼の言葉。
不思議と頭に浮かんできた感謝なのだから。
「俺さ、ずっと夢見てた。こうやって、人生をやり直すってことを」
気づいただろうか。
自分が言っているのは、『AGAIN』のことだということを。
でも、それでいい。
らしくないことを口にするには、勘違いをさせるくらいの戯言が調度いい。
「でもそれは、私が作ったモノじゃないですし……」
また落ち込んでいる。
その事実が、息苦しいくらいに胸を締め付ける。
どうしてかはわからないが、
――そんな顔をさせるな。
何度も訴えるその声に、自分も賛成だということ。
出逢ったばかりの彼女だけれど、笑顔が一番似合うということ。
そういう思いが、自然と今の自分を突き動かしていた。
「さっきまでさ、死ぬ時の事、死ぬ前の事とか思い出せなくて……でも、後悔していることはわかってて。それがたくさんあって。俺は人生の選択肢を間違えまくって、不幸な人生を送ってたんだなぁって、そう思ってた」
後ろを振り向いて顔を見なければ、気恥ずかしさはどうにかなる。
心配なのは、ちゃんと届いているかということだけ。
初めて奥底の弱さを曝け出し、確かな辛さを覚えるけれど、彼女のためならと痛む心を必死に堪える。
「でも違った。俺は一番の幸せ者だ。死んで何が幸せなんだって思うだろうけど、俺は死んでよかった。俺は生きていても、後悔ばかりしていたから。後悔を無くせることがスゲー嬉しいんだ」
誰にも話したことの無い本音。
話すことなんて生涯なかったし、話すつもりも毛頭なかった。
ただ死んだ今なら、許されるんじゃないかって。
「―――」
誰に乞うているのかは定かじゃないけど、気になるのはアオの反応。
背後に向かって語り掛けているのだから、彼女の表情がわからないのは当然。
彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。
「俺は生きていても死んでいた。生きているという実感が持てなかった。だからさ、アオには感謝しているんだ。こんなチャンスを与えてくれて」
ある程度の気持ちを伝え終わり、振り返った直後。
目に入ったのは、大粒の涙を流すアオの姿で。
なぜ彼女が泣いているのかわからないという事実だった。
「クロは、そんな……人生を、送っていたんですね……っ」
励ますつもりが、彼女をさらに悲しませている。
自分は何をやっているんだと、心底思うけれど、それがちょっぴり嬉しくもあった。
だって――、
「アオは、優しいんだな」
「え……?」
「だってさ、そんなにも人の悲しみを自分のことのように考えている……」
人の悲しみを別ち合える。その凄さに圧倒される。
生きている頃にこんな子に出逢えていたら、どれだけ救われただろうと不毛なことを考えてしまう。
いや、その逆。
今だから思える。出逢わなくてよかったと。
危うく、自分の甘さが更なる悲劇を呼ぶところだった。
だから、改め直す。
今出逢えたから、よかったのだと。
そして、思う。
素直に気持ちを伝えることの大切さ。
後悔として蔓延っていたそれを今ならしてもいいのではないかと。
「君のそういうところ、好きだな」
精一杯の笑顔で、溢す気持ち。
告白なんてしたことなくて、あるのはこの子に申し訳ないという思いだけ。
アオの様子を窺ってみれば、驚いた顔でこちらを見つめている。
けれどすぐに、はにかむように微笑んで。
「……クロ、私も嬉しいです」
「……?」
「その……こんな風に告白されるの、初めて、でしたから……」
「……」
もじもじと恥ずかしがる彼女。
自然と自分の頬が、熱を帯びていくのを感じる。
慣れないことはするもんじゃない……。
「クロ」
「……何だ?」
「私も……」
アオは確かに何かを口にする。
だが声が小さくて、途中からよく聞こえない。
「……?」
すると決心したのか、「私も……っ」と同じセリフを強く吐き、そこに繋がる言葉を絞り出していた。
照れ臭そうに、はっきりと――。
「私も、クロが好きですよ……?」
「……っ」
なんという不意打ち。
まさか出逢ったばかりの少女に好意を向けられるなんて思いもしない。
わかっている。そんなことは絶対にあり得ないことだと。
――それでも、
嘘でも、上辺でも、冗談でも。
こんな子に好かれるのなら、どんな形であれ嬉しく思えていた。
「……さて、そろそろ聞きましょうか」
そんな気恥ずかしさに耐え兼ねたのか、アオは早々に話題を切り替える。
真面目な話に移ったというのに、互いに顔を合わせられないままでいる。
まぁ、そんな簡単に切り替えられれば苦労はしない。
そのため深呼吸をして、気持ちを楽にする。
自分のこの先に関わることなのだ。
笑い話じゃ済まされない。
――よし。
おかしな空気が流れ、辿り着いた現状。
振り返って、真剣な眼差しを向けるアオと向かい合い、自分の決意を表明する。
「俺の答えは決まっている」
「―――」
確信を得たのか、アオは浸り気味に笑みを溢す。
目は口程に物を言うというが、その言葉通り。
察したアオにはもう、言う必要など無いのだろうが、こればっかりは口にしないと気が済まない。
「もちろん……」
誰に言うでもなく、自分自身のために。
自分自身に、言い聞かせるために。
瞼を閉じて、後悔という名の思い出を噛み締める。
やり直したい過去がある。取り戻したい『時』がある。
――だから、
「『AGAIN』だ」
大切なモノのために立ち上がるのだ。
もう二度と、失わないように。
「クロ」
距離を取り、後ろを向いてアオは空を仰ぐ。
ゆっくりと振り返る姿には、今までで一番の笑顔を見せていた。
「ようこそ、〝蒼の神殿〟へ!」
満面の笑みで迎えてくれる彼女は、まるで自分が来ることを待っていたかのようで。
そこにはやっぱり、何とも言えない懐かしさがあって。
この瞬間が不思議と、悪い気はしなかった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます