69

「ヨナ様!」


 裏門の向こうから、誰かが呼ぶ声……。


 意識朦朧の中、その声のする方に視線を向けてみるが、激しい雨と涙で何も見えない。


「ヨナ様!! スヨンに危険が迫っております。どうか、お気を確かに!」


 必死に訴えるその姿が、少しずつ鮮明に見えてきた。

 婚儀や華の宴で巫女達を仕切っていた、巫女のリーダーだ。


 スヨンに危険が迫っている? 世奈の身にも、何かが起きてるの!


 我に返り、重い身体を無理矢理立ち上がらせた。チヌ直属の使用人に支えられながら、巫女のリーダーの元へと近付いていく。


「スヨンと親しくしている巫女から、全ての真相を聞きました。ヨナ様!! 今、スヨンは、ホン家に掛かっている呪術を解く為に戦っております」


「じゅじゅつ?」


「呪いの儀式でございます。先程、側近の方に申し出て参りましたので、すぐに王様にも伝わるはずです!」


 世奈が、呪いの儀式?


「お急ぎ下さい! ヨナ様がおられないと儀式が成立しません」


 巫女のリーダーの毅然とした態度に、私は正気を取り戻した。


 世奈……。世奈まで失ってしまったら、私は……。

 でも、チヌは? チヌをこのままにしておけない……。


 よろめきながら、動物の死骸のように扱われているチヌの亡骸を振り返る。


「ヨナ様! チヌ様のことは、わたくしどもにお任せ下さい! どうか、マヤ様のおっしゃる通りに!!」


 ずっと支えてくれていたチヌ直属の使用人が、まるでチヌのような口調で私の背中を押した。使用人達は、巫女のリーダーが言っていることを全て理解したようだ。


「スヨンのところへ連れていって下さい!」


 そう言っていた。何がなんだか分からないけれど、とにかく世奈が心配だ。


「では、ヨナ様をお連れします!」


 使用人達にそう告げ、自分と同じ紺色の生地を私に被せ、巫女のリーダーが雨の中を歩きだした。

 レインコートのようなその生地を纏って、ありえないほどズタボロ状態で私もあとに着いていく。


 川沿いの砂利道を、濡れながら急いで歩いていく……。

 清んでいるはずの川の水は灰色に濁り、ゴウゴウと音を立てながら流れている。


「全ての災いは、呪いの術が掛けられていたからなのです!」


 巫女のリーダーが振り返り、嘆くように言った。


 呪いの術って……、あの藁人形とかに釘打つやつ?


「ホン一族の謀反も、チヌさんが身代わりになったことも……」


 悔しそうに言い放ち、巫女のリーダーが足元の悪い山道に入っていく。


 そっか、チヌは私の身代わりになった訳だから、呪われているのは私なんだ!


「だけど、いったい誰が? 誰が私を呪ってるの!」


 雨の音に消されないように叫びながら、私も未知のエリアに足を踏み入れる。


「おそらくは、ヘビン様ではないかと思われます!」


 やっぱり、あのド派手ババァだったんだ! 初めて会った時から嫌な女だとは思ってたけど、そこまで腐ってたなんて……。えっ、っていうことは?


「まさか、王妃の病も?」


 巫女のリーダーが振り返り、深刻な表情で頷いた。


「あの女、絶対に許さない! なん倍にもして痛めつけてやる!」


 激しい怒りが込み上げてくる。


「今は、呪術を解くことだけを考えましょう!」


 巫女のリーダーが、私を悟しながら足を速める。


 確かに、そうだと思った。呪いの術だなんて、人間技ではない。

 あのド派手ババァに勝つ自信はあるけれど、見えないものへの対処法は訳が分からない。


 土砂降りの雨の中、竹林らしき景色が不気味に広がった。

 視界はゼロに等しい。


「少し、お待ち下さい!」


 巫女のリーダーが立ち止まり、辺りを気にしながら目を閉じた。

 私は茫然と、ただその様子を眺めることしかできない。


 チヌのことでメンタルは崩壊され、世奈のことも不安で仕方ない。けれどもなぜか、この巫女のリーダーに従っていれば良いと思えた。頼れる女性は、やはりカッコイイ。


 何かを感じたのか、巫女のリーダーが目を見開いて竹林の奥を覗き込んだ。


「こちらです!」


 そう言って、竹林の中へと入っていく……。私も、濡れた草に足を取られながら、その背中に付いていく。


 物置きのような小屋が見えてきた。

 近付くに連れて、懐かしい感覚が蘇ってくる……。


 私は、この小屋を見たことがある。

 この場面が、記憶の奥にある。

 夢中になっていて気にも留めなかったけれど、チヌが処刑された場所も分かっていた。

 この世界は……、世奈の前世だと思っていたこの世界は……、国王の第3夫人として生きているこの世界は……、私の前世の世界でもあったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る