美咲side

68

 いつもとは、明らかに何かが違う……。宮殿内の空気、使用人達の表情。

 この雨のせいなのか……。何もかもが、暗く感じる。


 そういえば、今日はチヌの姿を見ていない。いつもなら、朝から威勢よく飛び込んできて身支度を整えてくれるのに……。


「今日はチヌが居ないようだけど、具合でも悪いの?」


 いつもチヌのあとに控えている、王宮の使用人達に聞いてみた。


「チヌ様は……」


 それだけ言って、使用人の1人がシクシクと泣き始める。


……え?


「申してはならぬ!」


 もう1人の使用人が、止めに入った。


 なんなの? 何か、嫌な予感がする……。チヌの身に、何か起きているのかもしれない。


「ねぇ、何! 何があったの?」


 そう言って、止めている方の使用人をまっすぐに見た。いつもチヌの指示に直接従っている使用人だ。

 いつもの従順な態度とは違い、頑なに口を噤んだまま私から視線を逸らしている。


「ねぇ、お願い!!  知ってることがあるなら教えて!」


 使用人は困惑しながら、鬼気迫っている私に視線を戻した。


「申せっ!!」


 最終手段、第3夫人という立場を悪用する。

 その声にハッとした使用人は、声を震わせながら話し始めた。


「チヌ様より、ヨナ様にお伝えするのは事が終息してから! と、命じられておりました……。実は……、本日、ヨナ様の父上や兄上、ホン家の方々が処刑されます……」


「えっ、嘘でしょ!」


 ありえない! まじで逝かれてる!!


「ヨナ様はもうホン家の者ではないと王様も庇っておりましたが、朝廷側がそれでは名分が成り立たぬと申し立て……」


 まさか! チヌは、私を守ろうとして……。


 その時、銅鑼どらのような音が、宮殿中に鳴り響いた。

 それが、何を意味するのか本能的に分かった。処刑が、執行されたのだ。

王宮の使用人達が、うろたえながら涙を流している。


 私は部屋を飛び出して、渡り廊下を走っていた。

 なぜか、チヌが居る場所が分かる。履物も履かず、濡れた庭園に駆け下り、隣りの敷地に駆け込んでいった。


 雨が降りしきる中、蔵が並ぶ殺風景な広場の片隅で、兵士達が十数人慌しく動いている。何かを運びだしているようだ。

 粗末な担架に、藁のようなゴザが掛けられている。中にあるのが遺体だということは明らかだ。


「やめてーっ!」


 チヌじゃないよね!! チヌであるはずない!


 私は、半狂乱になりながら走り寄っていた。


「ヨナ様っ!」


 あとから追い掛けてきた王宮の使用人達が、泣きながら私を引き留める。

 兵士達は私を気にしながらも、担架に乗せられた遺体をそのまま運びだそうとしている。


 嘘……。


 チヌの右手が見えていた。

 泥に塗れたエメランドが、微かな光りを放っている……。私の髪を結い、衣装を整え、私の手を引いてくれた温かい手だ。


「チヌーーっ!」


 悲痛な叫びをあげていた。


 私は愚かだ! 

 もし、元の世界に何かを持って帰れるとしたなら、それはダイヤモンドではない、チヌだ!

 チヌを失いたくない! ずっと傍に居て欲しい! ダイヤモンドより、どんな美しい宝石より、チヌの頼もしい笑顔、余裕のある生きざま……。

 チヌの存在ほど心を満たされるものは他にない。


「チヌ! チヌーーッ!」


 今日は自分で結んだ髪も、うす紫色の衣装も、もうびしょ濡れのまま、狂ったように泣き叫んでいた。

 続々と集まってきた王宮の使用人達も、同じように濡れたまま、私を支えながら号泣している。


「チヌ様!」「チヌさまーーーっ!!」


 この宮殿に来て、私と同じ時を過ごしていたのに、チヌはまわりの人達からこんなにも信頼されていたんだ。

 なんで、私なんかの身代わりに! 私は、チヌの命に値しない、自分のことしか考えられない身勝手な人間なのに!


 悲しみが痛すぎて、もうどう理解したら良いのか分からない。苦しくて、胸も身体も引き裂かれそうだ……。とても、自分の力では立っていられない。

 心が壊れるというのは、こういうことなのだろうか……。

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