第20話 私の可愛い師匠(閑話・改稿))

 エルスト大陸東端のボーマ岬には、地図にはない町があった。

 私と同い年で幼なじみのアリサは、名前すらないその町から車で二時間ほど走った林道の小脇に勝手に車を駐め、事前に決めた持ち場にそれぞれ移動した。

 時刻は十五時三十分。七の月の下旬では山間でもまだ明るく、暑気払いするにはちょうどいい気候だった。

 私はスコップで人一人が立って入れる『蛸壺』を掘り、周囲の木々を麻縄で縛ってつくった蓋を確認した。

「よっと……」

 さっき掘った蛸壺に入り蓋を閉めると、肩に下げていた対物ライフル、へカートⅡの二脚を開き、スコープのキャップを上げて銃を構えた。

 ここまででぴったり三十分。スコープ越しに睨む先には小さな山荘があり、オープンデッキに警備の黒服たちが立つ中、まだ誰も座っていないデッキチェアがある事を確認した。「スカーレットよりイエローサン。配置についた」

 私は無線に接続したインカムのトークボタンを押し、アリサにメッセージを送った。

『スカーレット、こちらイエローサン。こちらも配置についた。距離千七百ってところね』 無線からアリサの声が返ってきた。

「こっちは千三百くらいだよ。私の腕じゃ辛いかも……」

『だから、私がいるんでしょ。へカートⅡとこの距離なら余裕だよ』

 アリサの声を聞いて、私は苦笑して首に下げていたビノクラを片手にレンズをのぞき込んだ。

 しばらくそのまま動きがなかったが、ビノクラの双眼レンズに真っ白なバスローブを着た偉そうなオッサンがオープンデッキに出てくるのが見えた。

「スカーレットよりイエローサン。ターゲット視認。任務開始」

『了解。こっちも確認。手はず通り、私がヘッドショットを決めるから、無理しない程度に重要な部位を狙って』

 私は頷き、銃の重たいコッキングレバーを引いた。

「……これで金玉ぶち抜いたら笑えるだろうな。重要な臓器でしょ」

 私は小さく呟いて一人小声で笑った。

 バスローブのオッサンがデッキチェアに座り、夏の午後を楽しみ出した時、山の静寂を破って巨大な銃声が谷間に木霊した。

 私も負けずに心臓を狙って二発撃ち込み、グチャグチャになったオッサンの死体をビノクラで確認した。

「イエローサン、ミッションコンプリート。予定通りのポイントで回収する」

『了解。はやくしてね』

 私は手早く銃を分解してケースに収め、周囲に散った空薬莢を全て回収すると、林道に駐めた車に急ぎ、エンジンを掛けて銃のケースをトランクにしまった。

「さて、いくか」

 私は車を走らせ、アリサとの合流ポイントへと急いだ。

 これが、ある夏の昼下がりの事。いつも通りだった。


 私の名はビスコッティ・ボナパルト。スカーレットは無論コードネームだ。

 昼間一仕事片付けた私は、実家でシャワーと夕食を済ませ、夕涼みの体を装って名もなき町の広場でアリサと落ち合った。

「さて、まずはおめでとう。今日はお誕生日でしょ」

 広場のベンチにアリサと並んで座って、私は背もたれに身を預けた。

「ありがと。でも、お互いにでしょ。同い年の上に同じ日にここで産まれ、家は隣同士で仕事ではお互いに心強いバディだもんね。どれだけ縁があるんだか」

 私はアリサが持ってきたドクペの缶のプルトップを開けた。

「で、やっぱり今日は卒業式?」

 アリサが小声で聞いてきた。

「もちろん、家業だからやってし、売れ線のプロだって自覚はあるけど、それも今日までだよ。もうちょっと、マシな仕事があるでしょ」

 私は苦笑した。

「そっか、じゃあ私も負けずに卒業します。未練はありません。以上!!」

 アリサが笑った。

「いいの、ずっと追っ手が掛かるよ。もったいない」

「どこがもったいないの。もううんざりだよ。さて、クランペットが待ってる。いこう」

 アリサが立ち上がると、私は手に合った缶を一気飲みして、近くのゴミ箱に投げ込んだ。

 私もベンチから立ち上がり、アリサの後に続いた。

 そのまま街外れの小屋に向かうと、巨大なVツインエンジンを積んだバイクが二台駐められ、気の弱そうな女の子がせっせとバイクを磨いていた。

「お疲れ、クランペット。さすがに、調達やらせたら安全確実だね」

 アリサが笑った。

「馬力よりトルクが欲しいと聞いたので、このタイプのバイクがいいと思ったんです。ただ、急だったので三台は調達出来ませんでした」

 クランペットは苦笑した。

「クランペットも家出組か。まあ、原因が私たちでもあれだけバカスカ殴られたら嫌にもなるか」

 私は苦笑した。

「それもありますが、こんな町で終わるのは嫌だと思ったのです。毎日のように金庫の鍵開け練習や潜入訓練ばかりで、いい加減嫌なんですよ」

 クランペットが小さく笑った。

 私やアリサと一個下の妹分のようなもので、臆病だがいざとなると頼りになる心強い味方だった。

「じゃあ、私は一人で乗るから、クランペットはビスコッティの後ろに乗って」

 ここまで揃えなくていいのに、私たちはピンクの猫耳フルフェースヘルメットで、クランペットだけまともな黒のフルフェースヘルメットだった。

「無線テスト。クランペット、このヘルメットのチョイスはどうかと思うよ」

『クランペットです。これレアものなんです。探すのに苦労したんです』

 私の声に対して無線を通して、クランペットの笑い声が聞こえた。

『ビスコッティ、あとでシメよう。いまは脱出が先。いくよ』

 アリサの声が聞こえた途端、エンジンを掛けたようで地響きのような音が小屋に響いた。 私もキーをONにしてセルボタンを押すと、バイクがお腹に響くデロデロした重低音を立てはじめた。

『いくよ。門番はいつものやる気がない兄ちゃんだから大丈夫』

 無線からアリサの声が聞こえ、先行する形でバイクを小屋から出した。

 そのすぐ後に続いていくと、一応は遮断棒がある街の門に差し掛かった。

「なんだおい、イカすマシンに乗ってやがるな。誕生日プレゼントか?」

 見るからに頭の中が軽そうな兄ちゃんが遮断棒を開けながら笑った。

「よし、いってこい。朝には帰れよ!!」

「あいよ!!」

 手を振ってきた兄ちゃんに手を振り返し、私たちは一気にバイクの速度を上げて、遠ざかる町を振り返る事もせず、岬の付け根にあるモン・ハテ砂漠に突入した。


 アリサの説明では、私たちはバイクのまま王都に向かい、全寮制の魔法学校に入る事が第一段階。そのまま卒業して、魔法研究所に入れれば、滅多に外部と接触がないので当面隠れることが可能だという事だった。

 必要な書類は三人分ちゃんとクランペットが確保しているし、入試なんてあってないようなものだから問題ないとのことで、好都合な事に王都には北部、中央、南部の魔法学校があるということで、私は中程度で貴族がいない北部、クランペットは下位の南部、貴族もいる面倒そうな中央にはアリサがいく事に決めていた。

 立ち去った生まれ故郷の町から王都までは、どんなに急いでも三日はかかり、途中の名も知らぬ町や村で宿を取りながら砂漠を突き進んでいくと、急に整備された石畳舗装の街道に出た。

『やっと街道に出たね。これで、今日中に王都に着くよ』

 アリサの声がインカムに入ってきた。

「助かった。さすがに町は大騒ぎだろうし、なるべく早く落ち着きたいよ」

 私は苦笑した。

『学校までの地図はもう渡してあります。順番からいくと、南正門を通るとして私が一番に下りる事になります。無線で頻繁に連絡を取り合いましょう』

 クランペットの声がインカムに入ってきた。

「まあ、頻繁っていっても限度はあるけどね。まずは寮の部屋でおめでとうかな」

 私は笑った。

『そうだね。それで、やっと自由への一歩だから』

 アリサが笑った。


 ……何年後か?


「あーあ、今日も暇だねぇ」

「そうですねぇ」

 ここは、魔法研究所内にある酒場兼助手の待機所。通称『棺桶』の中だ。

 この数年で分かった事は、助手とは上司である研究者の道具であるということだ。

 どんな実験に付き合わされるか分かったものではなく、その研究者のお気に入りになれればお抱えの助手として安定した立ち位置を期待出来るが、残念ながら私もクランペットもご縁がなく、こうして昼間からお酒を飲んではクランペットとどうでもいい会話をして過ごす。それが、すっかり板に付いてしまった。

「そういえば、アリサと連絡とれた?」

「いえ、どこにいるかも分かりません。研究所から逃げ出した時は、かなりの騒ぎになりましたが、機密情報を扱う研究者についたお陰で、それほど真剣に探される事もなかったようですが」

 クランペットがお酒のグラスを傾けた。

「全く、逃げる前に報告しなさいよ。今度会ったらビシバシしてやるんだから」

 私は苦笑した。

 しばらくクランペットとどうでもいい話をグデグデやっていると、私たちのテーブルに向かって、まだ小さな子供が一丁前に白衣を着てやってきた。

「あの、失礼します。カウンターで覗ったのですが、ビスコッティさんとクランペットさんはお二人で間違いないですか?」

 その子は小さくお辞儀した。

「ん?」

「そうですが、どうかしましたか?」

 クランペットの声に、女の子は頷いた。

「私はスコーン・ゴフレットといって、着任して間もない研究者です。どうしようかなと思い悩んでいたら、郵便でこれが届きまして……」

 スコーンは困惑して封筒を差し出してきた。


『匿名希望、怪しい者ではありません。同封したパンフレット一式を持って、恐らく酒場でくだを巻いているビスコッティとクランペットという二名の助手と会ってみて下さい。悪くない話になると思います』

 そう書かれた便せんと、カリーナ魔法学校という聞いた事のないパンフレットが入っていた。

「この字、アリサのだよ。クランペット、至急調査!!」

「分かってます。聞いた事ないな……」

 ブツブツ呟きながら、クランペットが酒場から出ていった。

「あっ、今のゴタゴタは忘れて下さい。これだけ出されても困りますよね。場所を変えますか?」

 私はスコーンに笑みを浮かべた。

「はい、ここはうるさすぎます。最初からそのつもりで、助手の採用面談という事でこれを借りました。ないと入れてくれないので」

 スコーンが私に差し出したのはLevelⅤと記載された入館パスだった。

「……最高機密エリアだ。この子なんだろ?」

 私は純粋にスコーンに対して興味を覚えた。

「では、まだなにもないですが、私の研究室に行きましょう。こううるさいと、頭がクラクラしてくるので」

 スコーンが苦笑した。

「まあ、慣れないと大変でしょうね。行きましょうか」

 私はお酒の代金をテーブルに置くと、スコーンと酒場を出てエレベータに向かった。

「最高機密エリアなんて初めて入ります。楽しみです」

「出入りが面倒で大変なだけです。国王様から直接命令がきて、その魔法を作ればいいという点も気に入りません。魔法を自由に開発できなければ、研究者の意味がないですからね」

 エレベータに乗り込むと、スコーンが苦笑した。

「それはそれで大変ですね。助手は悲惨ですよ」

 私はうっかり本音が出た。

「そうですか。私はもっとマシな勉強が出来ると期待して中央を出たのですが、期待外れどころではなく、研究所ならまだしもと思ったのですが、すでに嫌な予感がしています」

 スコーンがさっきから苦笑ばかりしていた。

 エレベータが最上階の三階で止まり、スコーンと一緒に下りると、さっそくパスの検査が入った。

 特に問題なくスコーンの研究室にいくと、確かに椅子すらない空間が広がっていた。

「ところで、カリーナ魔法学校とは?」

「それが分からないのです。パンフレットの写真を見る限りは、かなり大きな学校のようですが、この仕事をしていながら実は魔法には疎いのです。クランペットの調査待ちですね。こういう事はお任せです」

「そうですか。魔法は楽しくて怖いです。そこの境界線が面白いのですが、ビスコッティさんは魔法書で勉強した事はありますか」

「生憎ないのです。学校は出ましたが、謎が増えただけでした」

 私が笑うと、スコーンが笑みを浮かべた。

「まだ、荷物が届いていないのですが、魔法書がたくさんあります。これも何かの縁なので、正式に私の助手として勉強しながら働きませんか。クランペットさんもです」

 スコーンが笑みを浮かべた。

「全助手がその言葉を待っているのです。よろこんで」

 こうして、私とクランペットは長かった助手浪人時代が、ようやく終わったのだった。


 ……さらに何年後か?


 寒々した景色が広がる研究室に、私と師匠が黙って時間を過ごしていた。

「さすがに我慢強い師匠もブチ切れましたか。そろそろ時間です」

 私の声に、師匠はいつもノートとノートパソコンを入れている鞄を持った。

「時間です。行きましょう」

「分かった」

 師匠が椅子から立ち上がると、私の片手を握った。

 なまじ最高機密に触れていたため、簡単ではない師匠と私、クランペットの研究所からの逃避行が始まった。

 気が付けば師匠は十九才、私は三十八才になっていた。

 カリーナ魔法学校については、随分前に細かい事まで調べ、最初からここに逃げていればと思ったが、そうしたら師匠との出会いはなかった。

 一度決めれば、師匠は絶対に止まらない。

 あまりに馬鹿にした魔法開発命令書がきて、師匠はついに動いた。

 全てはカリーナにつけば解決するはずの問題だった。

 私は師匠と交わした公認助手の契約書をただの紙切れとは思っていない。

 今度の依頼は、長くなる。

 私はそっと笑みを浮かべたのだった。

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