第一章 カリーナにて

第7話 エピソードゼロ(閑話)

 わたしはリズ・ウィンド。所属は今のところカリーナ魔法学校、初等科一年生だ。

 半年前に故郷の山村にある小さな魔法学校から引き抜かれるような形で、このファン王国の魔法学校としては最高峰の今の学校に入学した。

 魔法事故に備えて被害を食い止めるために、学校の周囲百キロはただの草原が広がる陸の孤島のため、当然ながら全寮制で学内で基本的なものは揃うように巨大な購買があったり、まあ、変わった学校だった。

「ねぇ、パトラ。せっかくの連休を潰して、どこにいくのよ」

 学生課の記入台で外出申請の用紙に記入しながら、わたしは笑った。

「うん、ちょっと冒険。さて、書けたよ」

 パトラが笑みを浮かべた。

「あとは、車の手配だね。ちょっと前に免許取ったばかりだから、わたしの腕には期待しないように」

 わたしは免許を取り出し、学内に貸し出し用として置いてある車の借用書用紙を持って苦笑した。

「うん、酔わなきゃいいよ。さて、一泊二日だね。先にいっておくけど、ちょっと危険だよ。準備はしてね」

 パトラが小さく笑みを浮かべた。

「それは分かっていたよ。珍しくパトラがどっか行こうなんて、あた……いけね。わたしはなに、護衛役?」

「普通にあたしでいいじゃん。村じゃそうだったんでしょ、いつまでも猫被ってると疲れるよ」

 パトラが笑った。

「いや、ここのお堅い空気じゃマズいでしょ。それより、用紙全部書いてサインもしたから、あとは出すだけだね」

 わたしはパトラの分の書類も持って、学生課のカウンターに乗せた。

 全寮制という事もあるが、危険回避のために、学外に出るのは許可制だった。

「はい、一泊二日ですね。しかし、行き先が『ちょっとそこまで』では受理できません。はっきり明記して下さい」

 窓口のお姉さんが苦笑した。

「それが、友人が教えてくれないんです。ダメですか」

「ああ、シリーガルの街です。たまには外の空気を浴びようかと」

 私が返答に窮していると、パトラが笑って答えた。

「分かりました、こちらで訂正しておきます。あとは、車ですね。十四号車を使って下さい」

 窓口のお姉さんが鍵をカウンターに乗せ、小さく笑った。

「はい、ありがとうございます。パトラ、いこう」

「うん、頼んだよ。ハーフ・エルフは免許も取らせてもらえないから」

 パトラが苦笑した。

「全くね。さて、さっさといこう。シリーガルの街ならそういってよ。車ならすぐだよ」

 私は笑い、パトラと一緒に事務室を出た。


「えっと、十四号車ね……」

 巨大な校舎前の片隅に並んだ車は、どれも厳つい軍用車だった。

 大袈裟な感じだが、街道はまだ建設中で雨が降れば泥濘路と化す頼りない道が一本あるだけで、このくらいでないと車は役に立たなかった。

「よし、あった。カリーナの制服できちゃったけど、大丈夫かな」

 私は苦笑して、車の運転席に座った。

「これが頼りか……」

 私は腰のショート・ソードを外して、後部座席に放り込んだ。

 カリーナでは危険な攻撃魔法は、中等課程じゃないと教えてもらえない。

 初等科に入ったばかりのわたしは当然使えないことになっているが、村にある学校ですでに初歩の攻撃魔法は教わっていたので、この限りには含まれない。

 一応、使うなとはいわれているが、その危険性を知っているということで、特例で自衛程度にとなっていた。

「全く、行き先くらい、先に教えてよ」

 わたしは車のエンジンを掛けて、小さく苦笑した。

「……ごめん。行き先は街じゃないんだ。巻き込みたくなかったんだけど、私の里なんだよ。せめて、お母さんに人間の社会に入れたってね」

 パトラが助手席に乗り込み、申し訳なさそうな顔をした。

「マジで!?」

 わたしの声が裏返った。

 そう、パトラは人間とエルフの混血である、ハーフ・エルフだ。

 まあ、お互いの差はいいとして、厳格な掟に守られたエルフの里に人間が足を踏み入れたら、下手すれば捕縛されて処刑されかねないし、まして人間との混血児であるハーフ・エルフなどただの異物扱いされるほど論外で、すぐさま叩き殺されてもおかしくなかった。

「うん、リズが嫌ならやめるけど、どうしても陰でひっそり里で暮らしているお母さんに報告したいんだよね。ダメかな……」

 パトラが小さく息を吐いた。

「うーん、パトラが行きたいならいいよ。ただ、場所が分からないからどれくらい掛かるか分からないし、守れる自信はこれっぽっちもないけどね」

 わたしは苦笑した。

「そっか、ありがとう。恐らく、二人で合わせて酷い目に遭うよ。それをリズが知らないとは思えないし、それでも行ってくれるなら嬉しいよ」

 パトラが笑みを浮かべた。

「寮で同室のよしみだよ。一人で行かせるわけにはいかないしね。さて、ビシバシぶん殴られますか」

 わたしは笑って、車のアクセルをゆっくり踏んだ。

 動き出した車を正門に向け、守衛に向かって外出許可証を示すと、あっさりと遮断棒を上げてくれた。

「どっち?」

「うん、左方面に向かって」

 私はウインカーを出し、正門を潜って細い道を走り始めた。

「意外と近いから安心して。草原の中に取り残されたようにある、小さな森の中にある里だから」

 パトラが小さく笑みを浮かべた。

「へぇ、そんな場所があったんだね。なにもないと思っていたよ。おっと、泥道」

 わたしは車を止め、一回下りて前輪のハブロックのつまみを回してロックの位置にして、運転席に戻ると、副変速機を四輪駆動ロウの位置に入れた。

「この泥濘み登坂がね。さて、ハマらないように進まないと」

 わたしの操る車は、泥沼のようになっている岩混じりのちょっとした坂を、ゆっくり登っていった。

「リズ、この坂を越えたら右方向に道を外れて。すぐに着くから」

 パトラがなにか覚悟を決めた顔で、わたしにいった。

「分かった。それにしても、この坂キツいな……」

 泥に埋まった岩を乗り越えて、おおよそ道とは思えない泥沼を大揺れする車で乗り越え、坂を登り切ったところでまともな地面に着くと、わたしは再び運転席から下りて前輪のハブロックを解除して、副変速機を二輪走行に戻した。

「よし、この草原の先だね。覚悟しよう」

 わたしは苦笑して、車を草原に入れて車をゆっくり進めていった。


 草原を二時間ほど走ると、こんもりした小さな森が見えてきた。

「リズ、あれだよ。ごめんね」

 パトラが苦笑した。

「いいよ、乗りかかった船だもん。さて、どうなるやら」

 わたしは車の速度を上げ、森に向かって進んでいった。

「あの森は全て私の里の物なんだ。だから、カリーナの安全地帯を作る作業で手が出せなくて、ポツンと残った感じなんだよ」

 パトラが笑みを浮かべた。

「それじゃ、人間に対してもいい思いを持ってないね。大した規模じゃないけど、エルフは面倒だからねぇ」

 わたしは小さく息を吐いた。

 エルフの怖いところは、どこか一つの里で暴れようものなら、全ての里を攻撃したと認識され、最悪の場合は人間対エルフの全面戦争になりかねないところだった。

 もっとも、この里は見るからに他の里とは隔絶された位置にあり、それだけは避けられるという確信はあった。

「おっと、来たか」

 わたし達の車の進路を塞ぐように、エルフを乗せた二頭の馬が森から出てきて、こちらに向かってきていた。

「よし、白旗を振っておくよ」

 いつ積み込んだのか、パトラが後部座席にあった大きな白い布を結びつけた竿を振り始めた。

 馬の速度が若干遅くなり、私が車を止めると二頭が挟むように横並びになって止まった。「敵意はないようだな。何用だ?」

 馬上から一人のエルフが問いかけてきた。

「はい、母親に会いたいだけです。すぐに里から出ますので、よろしくお願いします」

 パトラが答えて、小さく頷いた。

「……分かった。ハーフ・エルフと人間か。人間の方はともかく、分かっているな。これは、長老の沙汰が必要な事だ。それで構わぬなら、まずは里まで案内しよう」

 そのエルフが頷き、私は大きく息を吐いた。

「とりあえず、良かったね。付いていくか」

 エルフを乗せた馬が森に方向を変え、私は車でその後を追った。


 森の入り口で馬が止まり、車では無理な森だったので、わたしとパトラは運転席と助手席から飛び下りた。

「うん、いいだろう。なにか、武器はないな」

 パトラは元々丸腰で、私の剣は車の後部座席なので問題なかった。

「うん、ないよ。大丈夫」

 エルフの一人が頷き、踵を返して二人とも森の中に入っていった。

 わたしとパトラは、その後を付いてゆっくり森に入った。

 木漏れ日の中を歩くうちに開けた場所に出て、こぢんまりしたエルフの里の中に入った。

 私たちが近づくと皆逃げて、遠くから覗うような視線を送ってきた。

「なんだ、妙な客を里に入れるな」

 里の広場のような場所に着くと、一際歳を取った様子のエルフが唾棄するように言い放った。

「あの、お母さんは……」

「なんだと、あやつから生まれたハーフ・エルフか。捨て置けないぞ。なぜ戻った」

 明らかにこの里の長と思われるそのエルフは、なにか汚いものでもみるようにパトラをみた。

「けしからん、しかも人間など連れてやってきおって。まあ、いい。エランサは自宅にいる。なにか用があるなら、さっさと済ませろ。せいぜい、最後の時間を楽しむといい。二人とも処刑とする。そこの人間は、なにか利用価値があるだろう。捕らえておけ」

 長老は即決で言い放ち、その場を去っていった。

「ちょ、ちょっと待って。あたしはいいんだけど、お母さんまでって!?」

「うん、覚悟はしていたんだよ。族意識が強いから、その一族の誰かが不祥事を起こせば、本来は一蓮托生なんだよ。なんとか許してもらって、私だけ追放で済んでいたんだけど、もう一度戻ればこうなるってね。リズは捕まっちゃったね、本当にごめんなさい」

 パトラが小さく息を吐いた。

「それって酷すぎるよ。あたしは生きてるからまだいいけど、せめて同じとか……」

「あり得ないって、一回お目こぼしもらっておいて、それを反故にしたらこうなるのは当然なんだよ。さて、お母さんのところに行こう」

 パトラが私の手を握って、笑みを浮かべた。


 大して広くもない里の中を歩き、パトラは小さな家の扉をノックしてから開けた。

「えっ、パトラ!?」

 家の真ん中にあるテーブルでお茶を飲んでいた女性が、甲高い声を上げた。

「お母さん、久しぶり。人間社会で上手くやってるよ。こっちはリズ。私の親友なんだ」

 パトラが笑顔で女性に声を掛けると、ティーカップを放り出すようにテーブルに置き、パトラを強く抱きしめた。

「よかった、ちゃんとやってるのね。心配していたのよ」

「うん、リズのお陰で助かってるよ。ああ、リズ。これが、私のお母さん」

 パトラが笑みを浮かべた。

「あ、あの……」

「大丈夫、お母さんも分かってるから。リズも元気出して」

 パトラが笑い、わたしはどうしていいか分からなくなった。

「はい、今後の処遇は分かっています。娘がお世話になっているそうで、ありがとうございます」

 パトラのお母さんは、わたしに軽く頭を下げた。

「え、えっと……いえいえ」

 わたしも一礼して、ため息を吐いた。

「さて、お茶でもといいたいところですが、申し訳ありません。その時間はないでしょう」

 パトラのお母さんがいった時、ノックもなしに家の扉が開いてエルフが二人入ってきて、パトラとお母さんの両手を縄で縛った。

「じゃあねとはいわないよ。リズ、またね」

 パトラが笑みを浮かべ、そのままお母さんとと共に家から外に連れ出された。

「お前は、とりあえずここで待て。見たくはないだろう」

 エルフの一人が無機質にいって、家の扉を閉めて出ていった。

「……どうしよう」

 私は半ば呆然として、そこに立ち尽くす事しか出来なかった。


 結局、まずはこの家から出ない事と外から扉に鍵を掛けられ、わたしは椅子に座ってため息ばかり吐いていた。

「じゃあねっていわないって、どうしろっていうんだよ」

 わたしは鞄から魔法の研究ノートを取り出し、あるページを開いていた。

「……成功率二十%。分が悪すぎるな」

 私は禁術と自分で朱書きした、ノートのページを黙って見つめた。

「……なにが禁術だ。今使うしかないよ。魂の有効時間は二十四時間だって知ってるしね。でも、ここで暴れたら台無しか。時間がないよ」

 わたしは小さく息を吐き、ノートに記された呪文を確認した。

「……さすがに長いね。自分で作ったとはいえ、これ以上短くは出来ない。しかも、一回勝負で二度目はない。失敗したら、魂が壊れちゃう。でも、やるって決めた」

 わたしはノートをそっと閉じて、鞄にしまった。

「さて、どうやってここから出ようかな。扉を壊したら目立つか……」

 家には扉と窓があり、扉がダメなら窓しかないか。でも、狭いな。わたしじゃつかえて出られないか。今騒ぎを起こすのは、得策じゃないね」

 私は小さく息を吐き、先ほど勝手に淹れたお茶のカップを見つめた。

「……出してもらえるか分からないけど、ギリギリまで待った方がいいね。とても寝られないか」

 私は小さく息を吐き、カップの冷めたお茶を飲んだ。


 窓の外が夜闇に包まれた頃、外の鍵が外される音が聞こえ、扉が開いてエルフの一人が家に入ってきた。

「よし、ここから出ていい。だが、里の中だけ自由だ。食事は毎日持ってくる。触れを出して、決して危害を加えるなと厳命してあるので安心していい。だが、広場にはあまり近寄らない方がいいだろう。掟に背いた報い、それも重罪につき遺体を弔う事を禁止されている。つまり、そのままなのだ。分かったな」

 私は黙って頷いた。

「ここは開けておく、寝食はここだ。気晴らしに歩くといい」

 エルフはそれだけ言い残し、家の扉を開けたまま外に出ていった。

「重罪ってハーフ・エルフを生んだ事なの。気に入らないね」

 私は小さく鼻を鳴らした。

「まずは遺体の様子をみないとね」

 私はそっと家を出て、里の広場に向かった。

 人だかりでも出来ているかと思ったが、もう飽きたのかなんなのか、時折人が何事もなかったかのように通過するだけで、ただ血まみれのパトラとお母さんの遺体が、地面に転がされていた。

 わたしはしばし黙祷し、小さく息を吐いた。

「さて……ちょっと、キレちゃったかな」

 わたしは制服のポケットから、パトラがくれた小さな薬瓶を取り出した。

 エルフ文字でラベルが張ってあったが、わたしはエルフ文字も読めるので問題なかった。

「……赤いキャップの薬瓶。魔法薬が好きなパトラらしいよ。ネーミングは『ラスト・チャンス』」

 それは、パトラが精製した魔法薬で、いざとなったら使ってと渡された即効性の猛毒だった。

「……こんなもの渡してきて、なに考えてるのって怒ったのが懐かしいな。よし、まずは邪魔者を排除しよう。こんな小さな里じゃ、とんでもない騒ぎになって、こっちどころじゃなくなるよ。でも、まだ時間が早いね。戦闘訓練の授業好きじゃないけど、真面目にやっておいて良かったよ。二人とも待ってて」

 わたしは里の中をゆっくり歩き、まずは適当な場所に置かれていた小さな荷車を勝手に引いて、二人の遺体の側に置いた。

「これでいいか。あとは……改良だね」

 わたしは家に帰り、テーブルの上に置かれていた食事を床に払い落とし、水だけ飲んで鞄から研究ノートを取り出した。

「せめて、五十%出せないと使えないよ。まあ、簡単といえば簡単なんだよね。禁止されている裏ルーンを使えば」

 わたしはある魔法の呪文を、イチから見直し始めた。

「学校の先生に見つかったら怒られるけど、そんなの知らないよ。理論値だけでいいから、五十%が最低ラインだね。さて、始めるか」

 わたしはノートをテーブルに置き、鞄からペンを取り出して呪文の再考を始めた。


「よし、論理値八十九%。この環境じゃ上出来だね」

 わたしはノートを見つめて笑みを浮かべた。

「さて、時間は……午前三時か。いい頃合いだね。里の夜は早いみたいだし」

 わたしはノートを鞄にしまい、そっと家を出た。

「真っ暗だね……」

 森に囲まれた里は真っ暗で歩く人はなく、ところどころに設けられた魔法の灯りが照らすだけだった。

「さてと……」

 私は静かに里の中を歩き、取り分け立派な家の前にいった。

 普段から誰も里に近づく事がないせいか、門はあっても鍵はなく、わたしはそっと家の敷地に入った。

「……誰もいないか。護衛もなしなのかな。里の規模を考えたら、森の周辺警備に人手を取られているみたいだね。ならいいか」

 わたしはそっと小さな庭を突っ切って、建物の玄関にある引き戸を少し引いた。

「……錠前すらないね。犯罪もないのかな」

 わたしは小さく息を吐き、そっと扉を開けて家に入った。

 狭い廊下を進み、各部屋の引き戸を少し開けては中を確認して閉め、奥の方の部屋でハンモックで寝息を立てている長老を見つけた。

「……やりたくはなかったんだけど、あんたが悪いよ」

 わたしは赤いキャップの薬瓶を取り出し、蓋を開けるとツーンとしたニオイがした。

 キャップを貫通して付いているスポイトで中の薬液を少し吸い出し、半分口を開けて寝ていた長老の口内に数滴垂らした。

 しばらくして、長老がハンモックから跳ね落ちる勢いで体を起こしたため、わたしは反射的に口と体を全力で押さえつけた。

 しばらくバタバタしていた長老の体が動かなくなり、私は大きく息を吐いて床に座った。

「どうもダメだね、こういうのは。でも、これは必要な事。パトラの事を差し引いても、わたしもここから出られないなんて最悪だからね。長寿命のエルフに付き合ってられるかって感じだよ」

 私は呼吸を整え、そっと長老の家から出た。

 そのまま広場に移動して、浮遊の魔法で二人の遺体を荷車に乗せると一息吐いた。

「せめて、二人をちゃんと埋葬して弔うのが正解なのは分かってるけど、これは完全に『あたし』の我が儘だね。もう、大人しくしてられるか!!」

 あたしは苦笑した。

「あとはこっち。騒ぎに乗じて逃げるだけだね。一応、家に帰っておこうか」

 あたしはため息をつき、パトラの家に戻った。


 寝てなどいられないので、そのままテーブルとセットの小さな椅子に座ってお茶を飲んでいると、窓の外が薄明るくなってきた。

「やっと、夜明けか。さて、準備しよう」

 私は鞄の中を確認し、呪文を唱えてポケットの中の薬瓶を全て空間の裂け目に入れた。

「寝てなきゃ不自然か。でも、ハンモックってどうも……」

 あたしは部屋に張りっぱなしになっていたハンモックに、無理矢理潜り込んだ。

 しばらくすると、エルフが一人家に入ってきた。

「なんだ、食べなかったのか。まあ、気が荒れるのも無理はない。今度は食べるように」

 そのエルフは床に散らかった皿を片付け、新しい朝食の皿を置いて出ていった。

「……まだ気が付かれていないか。時間の問題だと思うけど」

 あたしはハンモックから下り、今度は微妙な味のエルフ料理の朝食を採った。

「さてと、本来ならこの里ごとぶっ飛ばしたいけど、それよりやる事があるしね」

 あたしはそっと外に出て、広場の荷車を確認したが、特に異常はなかった。

「誰も弄ってないか。よし、後は期を待て……」

 しばらくして日が昇ると、いきなり警鐘が鳴り響いて、里中が大騒ぎになった。

「よし!!」

 あたしは重たい荷馬車を筋力に任せて無理矢理引っ張り、森の外へと続く小道に飛び込んだ。

 周辺警備どころでもなくなったらしく、あたしは無事に車まで逃げ出て、二人の遺体をトラックのようになっている後部座席に移した。

 そのままエンジンを掛け、荷車を捨てて一気に草原を走り始めた。

「とにかく、追っ手が掛からないうちに遠くまで逃げよう。真っ先に疑われそうだけど、もう逃げたし関係ない!!」

 あたしは段差で跳ね上がる車を爆走させ、森が見えなくなった辺りで止めた。

「さて、ここからが大一番なんだよね。あたしはあたしを信じるのみ!!」

 あたしは浮遊の魔法で、車から二人の遺体を草原の上に寝かせた。

「……二人とも剣で何度も斬られてる。ますますムカつくな」

 あたしは大きくため息を吐き、心が収まるのを待った。

「さて、時間がないな。遅くなるほど、失敗率が上がるし。最大三人までいけるように改良したからこれでいいね」

 あたしは息を吐いた。

 呪文などとっくに覚えていたし、なんの問題もなかった。

 あたしが使うもの。それは、自分自身が邪法と決めて封印していた『疎生の法』だった。

「早く始めよう。このままでいいや……」

 あたしは草原に寝かせた二人の周りを、どこでも書ける特殊な魔法用チョークで取り囲み、複雑な図形と文字が組み合われた魔法陣を描いて、小さく息を吐いた。

「よし、準備は出来た。手早くいこう」

 私は魔法陣の外に出て、長い呪文の詠唱に入った。

 魔力光があたしの周りを取り囲み、時折制服のあちこちが小さく裂けて、少量の血が飛び散った。

 光り輝く魔法陣の輝度が上がり、光り輝いて弾けると、なにごともなかったかのように草原を風が渡った。

「……ふぅ、手応え十分だね。はぁ、さすがに魔力が」

 私は思わず草原にうつ伏せに倒れた。

「……すぐには効かない。五分かな」

 瞬間的な魔力切れでクラクラする視界の中、あたしは笑みを浮かべた。

 しばらくそうしていると、消費した魔力回復の副作用で眠気がやってきた。

「……眠いな。でも、このまま寝ちゃうとこれ長いぞ」

 あたしは地面に転がったまま、体を動かして眠気を堪えた。

 しばらくそうしていると、いきなり背中に重みが掛かった。

「ただいま、リズ!!」

 パトラの声が聞こえた時、あたしは立ち上がろうとしたが、パトラはどっかり背中に座って退いてくれなかった。

「あのね、魂でも外界は見えるし、音も聞こえるんだよ。ごめんね、最悪の仕事させちゃって」

 パトラが小さく息を吐くおとが聞こえた。

「パトラ、仕事などというものではありません。リズさんに失礼極まりないですよ」

 聞き覚えがあるパトラのお母さんの声が聞こえ、私の額にそっと手を当てた。

「どうなることかと、ヒヤヒヤしたのです。ですが、私たちを救って下さいました。この恩は一生忘れないでしょう。回復魔法でそっと体の疲労を抜いていますので、しばらくお待ちください」

 パトラのお母さんが、笑みを浮かべた。

「あ、ありがとう。どうにも、しんどくて……」

 私は苦笑した。

「……リズ、バレたら極刑の黒魔法まで使ったでしょ。まあ、そんなヘマするとは思わないけど、もしバレたら私が守るよ。約束する。もう、私の家族みたいなものだから」

 パトラがそっといった。

「そりゃね、追い詰められたらなんでもするのは、もう知ってるでしょ。あたしって、いじめられっ子だから」

 あたしは小さく笑った。

「リズさん、私はようやく里の縛りから抜け出す事が出来ました。これだけでも、語り尽くせない程の恩義を感じます。図々しいのは承知ですが、どこか人間の街まで送って頂けないでしょうか。人間社会に溶け込むのは大変でしょうが、私はそこでなんとかしてみます」

 パトラのお母さんが頷いた。

「もちろん、そのつもりだったよ。今からだと、時間的にシリーガルの街しかないけど、ただの田舎だから上手くやれると思うよ」

 あたしは小さく笑みを浮かべた。

「だから、じゃあねっていわなかったんだよ。きっと、リズがなんとかしてくれるって信じてたから。重かったよね、ごめんなさい」

 パトラがわたしの背中に座ったまま、小さく息を漏らした。

「重いなんてもんじゃないよ。困った友人だよ」

 あたしは苦笑した。


 小一時間ほどであたしは動けるようになり、パトラを助手席に座らせ、乗り心地は悪いけど、我慢してねという気持ちで後部座席に座ってもらい、あたしは車のエンジンを掛けた。

「はぁ、ハードな連休だったよ。明日は、カリーナ名物鉄球回しか……」

 鉄球回しとは、魔力コントロールの練習だ。

 カリーナの場合、なぜか巨大な鉄球を魔法で浮かせ、それをひたすら上空でブンブン振り回すという、謎の授業だった。

「あれか、意味あるのかな。まあ、いいけど」

 パトラが小さく笑った。

「よし、時間がないから急ごう。車出すよ」

 あたしは車のギアを入れ、草原貫く道を目指した。

「適当に走ったからなぁ。方角はあってるはずだけど……」

 草原をひた走り、まるで獣道のような細道を発見すると、あたしはそれに合流して車をゴトゴト走らせた。

 程なくカリーナの正門が見え、その前を通り過ぎると、シリーガルの街を目指して道を走った。

「まず、私はどこかに家を借ります。そこを拠点に、簡単な魔法薬の販売をやって生計を立てようかと思います」

 パトラのお母さんが笑った。

「うん、あたしはまだ子供だからいえないけど、シリーガルの街は田舎だから、簡単に解け込めると思うよ」

 私は笑って、やがて半端に建設途中の街道に入ると、アクセルを床まで踏み込み、車の速度を限界まで上げた。

 前面ガラスしかないゴツい軍用車が風を切る音が激しくなり、傷だらけの頬に流れる風が気持ち良かった。

「リズ、速度出しすぎじゃない?」

 パトラが笑った。

「パトラ、街道は自己責任において、速度無制限だよ。急げ!!」

 軍用車なので速度はさほどではなかったが、あたしが操る車は街道を疾走していった。


 通常よりやや早くシリーガルの街に到着すると、田舎なので誰もいない入街審査を簡単にパスして中に入った。

 カリーナに入学してから、暇な時に何度も訪れているので、さして広くもない街の作りは分かっていた。

「すぐに家なんて見つからないだろうし、宿まで案内するよ。パトラ、この前久々の高額バイトで稼いだでしょ。当然、宿賃は出すよね?」

 私は笑った。

「当たり前だよ。お母さん、これ財布。全部あげるから、持っておいて損はないよ」

 パトラがお母さんに財布を持たせた。

「ありがとう。これで、当面はしのげるでしょう。リズさんもたまにはきて下さいね。まずは、ここに根を下ろす事にします」

 お母さんは笑った。

 町中を走り、あたしは車を一番安い宿の前に駐めた。

「はい、ここの割引クーポン。カリーナから外出した学生の定宿だから、たくさん持っているんだよ!!」

 あたしは、財布から大量のクーポン券を取り出した。

「あら、ありがとうございます。なにもお礼出来ませんが、また近いうちにお会いしましょう」

 パトラのお母さんが笑みを浮かべ、車を降りて宿に入っていった。

 しばらく待って、お母さんが出てこないので無事に部屋を借りられたと判断して、あたしは車を出した。

「さて、カリーナに帰るよ。門限が近い!!」

 あたしは笑い、アクセルを踏み込んだのだった。



 カリーナにあるあたしの研究室は、早朝から誰の迷惑も顧みず、パトラがどっかでパクってきた巨大な削岩機で、なぜか床のコンクリートをガンガン削っていた。

「こら、うるさい!!」

 私が怒鳴って手に持っていた鉛入り子リズ縫い包みをぶん投げると、パトラは凄まじい体勢で避けた。

「ちょっとした科学の実験だよ。助手にだって、研究する権利はあるよ!!」

 真っ白になった制服の袖で額の汗を拭き、ちゃっかり黄色ヘルメットと防塵眼鏡、マスクまで完備のパトラがまた騒音を立てはじめた。

「ったく、なんの科学よ。クレームきても知らないよ!!」

 元々窓全開ではあったが、猛烈に白塵が舞う室内の空気に辟易しながらも、ため息を吐いてノートパソコンを開いた。

「ったく、仕事にならん。ここは、いつからどっかの現場になったのよ!!」

 私は苦笑して、先ほど届いて自分の机においた一通の封筒を眺めて笑みを浮かべた。

「パトラ宛てのこれ、いつみせてやろうかな。お前の母ちゃんでべそってね!!」

 私が小さく笑みを浮かべると、一際デカい音がしてパトラが苦笑した。

「あの……下の階まで抜けちゃったよ。階下の研究室が丸見え!!」

「馬鹿野郎!!」

 私のマッハパンチが、パトラのみぞおちにめり込んだ。

「イテテ……。階下の部屋って、確か噂のあの子が使うところだったよね。やっちゃった!!」

「あ、あのね。あたしが、どれだけマジで資料集めしたと思ってるの。どうすんのこれ!!」

 あたしは、床にあった特大鉄アレイをぶん投げた。

 それすらパトラはさっと避け、今度はあたしの研究室の壁に穴が開いた。

「ああ、また始末書だ。そ、そんな事より、この穴を直さないとダメ。ほら、仕事早い用務員のボルボだったかゴルビーだったがいたでしょ。いつもジャージ着てるおじさん。早く修繕させて!!」

 あたしは内線電話の受話器を取り、用務員室を呼び出した。

「あの、研究室の穴を直して!!」

「……分かった、引き受けよう」

 その声聞いて受話器を叩き付けるように置き、あたしは椅子に座って大きく息を吐いた。

「あ、あのさ、王都の研究室からくるんだよ。実際には逃げてくるんだけど、それでいきなり研究室が使えないって、普通はブチ切れるよ。どうすんの!!」

「だって、やっちゃったもん。これがカリーナだ!! って教えるにはちょうどいいんじゃない」

「あ、あのね、これ一日じゃ直らないよ。どうすんの!!」

 あたしが怒鳴ると、研究室の扉が開いて、小さな笑みを浮かべた先生が入ってきた。

「……」

「……」

 あたしとパトラは、黙って床に正座した。

「相変わらずリズ坊は元気がいいですね。今度は床と壁ですか。騒音の苦情もたくさんきています。とりあえず、場所を変えましょうか。地下一階のお仕置き部屋に」

 クイッと直した先生の眼鏡のレンズが、キラッと光った。

「……はい」

 あたしは小さくため息をした。

「パトラさんは助手なのでいいですよ。では、いきましょうか」

 先生が柔和な笑みを浮かべたのだった。


「閑話 完」

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