第七十二話 シンクロする二人

 

 

 

「それは……いくらなんでも不味いのでは?」


 麻里の言葉はつまり玲華と後輩達の面接の場に入るということである。


「何がでしょう? パートナーと契約する社員の面談をする場合、その場に社員を連れて来た営業が付き添っているのが殆どです。この場合、柳さんが営業の立場だと考えたら特に問題はないかと」

「それは……そうかもしれませんが、でも途中から物見遊山のように入るのもどうかと思いますが」

「そうですか? それに後輩達のこと気になりませんか? 柳さんが入られたら心強く感じられるのではないでしょうか。まあ、さっきも言いましたが、社長のことですから、彼らをリラックスさせているとは思いますが」

「それは……気にならないと言えば嘘になりますが」


 正直、中に入って見届けたい気持ちは強い。だが――


「あと、俺が入ると――なんですか、如月社長の……」


 どう言ったものかと悩んでいると、麻里がクッと口端を吊り上げた。


「ポンコツが後輩達に露見する――ですか?」


 そのどストレートな言葉に、大樹は目を丸くした。


「え、ええ、まあ……知ってるのなら、どうして?」

「知ってるというより、そうなるだろうなという簡単な予想です。それに、この際ですから、それがどれだけ抑えられるのかのテストという意味でも相応しいと存じますので」

「……テスト、ですか?」

「ええ。柳さんと社長の関係に関して、柳さんが懸念した通りに社内では暫くの間は黙っていた方がいいでしょう。その方が余計な軋轢を招かないで済むでしょうし」


 大樹が黙って頷くと、麻里は「ですが――」と続ける。


「だからと言って、それを社長が隠し通せるかは別問題です。仕事だけは完璧だった社長が柳さんと関係を持ってから、社内でもポンコツの雰囲気を漂わせるようになったんです」

「え」

「ああ、ご心配なく。仕事に関してはやはり完璧です。ただ、社内にいる時はキリッとしていた雰囲気がポワポワンとしたものが出るようになったりすることがあるだけです」

「……けっこうな大ごとのような……?」

「……男性社員を苦悩させたこと以外は大したことはありませんでしたよ」

「あ、あー……」


 大樹が思わず抱きしめてしまった玲華のあの雰囲気が少しでも会社にいる時に漏れていたら、確かに男性社員は色々と頭を抱えたくなるだろう。


「ですが、この際、社長が柳さんといない時にポンコツオーラが漏れるのは致し方ないと思うしかありません。柳さんとの関係を白紙になど出来ませんし、しろとも言えません」


 麻里のその言葉に大樹はホッとさせられた。


「そう言っていただけて助かります」

「ええ。仮にそうなったとしたら面白くありま――ゴホンッ――私は社長の幸せを願っていますし」

「今なんと?」


 いいことを言ったようなキリッとした顔をしていた麻里は首を振った。


「なんでもありません――なので、この場合の問題は柳さんとの関係を出来る限り露見させないことだけです――そうですね、柳さんが昇給と共に昇進するまでは隠したいところです」


 そこで大樹は目をパチパチと瞬かせた。


「昇給はともかく……昇進ですか?」

「はい。少なくとも何かしらリーダーシップをとっていただく位置に立つことになるかと」

「そう、ですか……」


 どうにも過大評価を受けてるような気がしてならない大樹であった。


「話を戻しますが、そこで今日の面接です。予定が付きますが社員の前で社長が柳さんを前に、社長としての態度を貫けるかを確認するのは今日がちょうどいいかと」

「……なるほど。ですが、失敗した場合は……?」

「ええ。後輩の彼らが柳さんと社長の関係を知るということになりますが、その場合は事情を話せば自ずと口を噤んでもらえるかと思って――予想しています。こちらが懸念している一番の問題は現社員に柳さんが能力も無しにコネだけで入社したと思われることです。ですが、柳さんの後輩達なら、そういう心配は無いと思っています――違いありませんよね?」

「……その程度には信頼されてると思います」


 大樹のその言葉に、麻里が珍しく苦笑を漏らした。


「もう少し自信持っていいと思いますよ」

「……肝に銘じておきます」

「はい。つまり今日社長が失敗したところでリスクが無いと判断したためにテストするのに相応しいと言ったんです」

「……なるほど」


 確かに試す意味ではいいかもしれない。元々、大樹だって似たようなことを考えていたのだ。

 大樹が反芻していると麻里はボソッと呟いた。


「……まあ、違った形で問題が発生する懸念がありますが、それはそれでしょう」

「はい? すみません、今なんと?」


 小声だったために聞き直した大樹に、麻里はしれっとした顔で首を横に振った。


「いえ、何でもありません」

「……そうですか」


 大樹が内心で首を傾げていると、麻里は「ゴホンッ」と咳払いをして問いかけてきた。


「ところで、柳さん、この件について何か賭けをしていると社長から聞いたのですが……?」


 そのことも聞いていたのかと、大樹は苦笑する。


「ええ、ちょっとからかってる内にそういう話になってしまって……」


 話すと麻里は徐に頷いた。


「はい、そんなとこだろうと思っていました。で、この賭けについて社長は必勝法を思いついたと今日口走っておりまして……」

「ふむ……とすると……?」


 賭けの条件は玲華がミスをしなければ、もしくは大樹がミスをすれば玲華の勝ち、である。このことから自ずと必勝法は浮かび上がってくる。

 大樹もそれに当然気づいていて、確認するように目で問うと麻里は頷いた。


「はい。社長は、この後の見送りに顔を出さなければ、柳さんと顔を合わせなければ勝ちは確定だと」


 やはりかと大樹はため息を吐いた。

 元々、大樹との関係以外に関して玲華は完璧のはずである――もちろん仕事においての話だ。

 なので大樹と顔を合わさずに過ごせば、ミスを起こしようがないという、下手れているが完璧とも言える作戦なのは確かである。


「それに気づかれましたか……ある意味、元も子もない話になるんですがね。まあ、その場合は、前提が前提なので賭けを無効にするか、期限を今日までとしていないという話にするつもりでしたが……」

「そうですね。流石にこれで勝利だと浮かれさせるのはダメでしょう……それに――」

「……それに?」


 大樹が促すと、麻里はクッと頬を吊り上げた。


「このままでは面白くありません。そう思いませんか、柳さん?」


 問われた大樹は、片頬を吊り上げてニヤッとした。


「まったくもってその通りですね」


 その瞬間、大樹は麻里とお互いの意識がシンクロしたのを感じ取った。


「同意いただけると思ってました。そこで、どうでしょう、柳さん。甘っちょろい方法で賭けに勝とうとしている社長の浅はかさを打ち砕くため、テストという理由と後輩を見守るため、隣の部屋へ私と入ってみるというのは……?」


 そんな麻里の提案に大樹は徐に頷いた。


「是非もありません――行きましょう」




◇◆◇◆◇◆◇




「あー、ちょっと緊張してきた……恵は?」

「私は……もう大丈夫かな」


 ソワソワしながらの夏木の言葉に、綾瀬は自分の調子を確かめながら答えた。

 綾瀬、夏木、工藤の三人は大樹と別れた後、案内された部屋で座って待っていると、すぐにここまで案内をしてくれた女性が入ってきて彼らにコーヒーを配膳し、対面に位置する席にもう一つコーヒーを置くと、出て行ったのである。

 今は三人がそれぞれコーヒーを口にして、一息吐いたところである。


「流石は綾瀬、ってとこっすね。で、綾瀬、さっきは何に気づいたんっすか?」


 それほど緊張しているようには見えない工藤からの問いに、綾瀬はどう答えたものかと悩んだ。


「えーっと、落ち着いて聞いてね。私達を面接する人なんだけど――」


 と話しているところで、背後に位置する扉が開く音がした。

 慌てて綾瀬が席を立つと、夏木と工藤も倣って立ち上がる。


「ごめんなさいね、遅くなって」


 妙なほど耳に心地よく通る声だと綾瀬は思った。

 室内などで複数人が喧々囂々としている中、この人の声だけは皆の耳にすんなり入ってくるのではと思うような、そんな声だった。

 振り返ると、以前、雑誌の写真で見た時の印象以上に美しい女性がにこやかな顔をして扉を閉めるところだった。


「えっ――」


 その女性が誰なのか気づいたのだろう、夏木と工藤が目を丸くして固まっている。


「はい、じゃあどうぞ座ってくれる?」

 入ってきた女性は、そう言いながら机を周って、綾瀬達の対面である上座の真ん中に腰を落とした。


「さあ、どうぞ? 座ってちょうだい」


 尚も固まって立ったままの三人は手で促されて、ぎこちなく会釈して腰を落とす。

 三人が座ったのを見ると、女性は笑顔で頷いた。


(なんか……すごいな……)


 自分では落ち着いていたと思っていた綾瀬は、入ってきた女性の存在感に圧倒されていたのだ。

 室内に入ってきた時から、目が離せず、挨拶する意識も飛んでしまったのである。

 更には室内の雰囲気である。三人は緊張してしまっているが、目の前の女性一人がいるだけで、この部屋の空気が一瞬で華やいだように思えた。身長など綾瀬とそう変わらないはずなのに、ずっと大きく見える。

 そして何と言っても、同じ女性として憧れを抱いてしまうほどの美人っぷりである。服の上からでもわかるスタイルの良さが拍車をかける。


「はい、今日は弊社まで面接にお越しいただきありがとう。『SMARK'S SKRIMS』代表取締役の如月玲華です。履歴書の方、預かってもいいかしら?」


 気づいてはいたが、そうやって名乗られて改めて意識したのだろう、夏木と工藤の喉が緊張を示すようにゴクリと鳴った。

 綾瀬は率先して動いた。履歴書を鞄から取り出し、差し出しながら挨拶をする。


「こちらこそお時間いただきありがとうございます。綾瀬恵と申します、今日はよろしくお願いします」

「はい、今日はよろしくね」


 相も変わらずニコニコとしている玲華が受け取るのを見て、夏木と工藤が慌ててそれに倣う。


「お、お時間いただきありがとうございます! 夏木穂香です。今日はよろしくお願いします!」

「はい、よろしくね」

「お、お時間いだだきありがとうございます、工藤天馬です。今日はよろしくお願いします」

「はい、よろしく」


 微笑ましいように玲華は二人から履歴書を受け取ると、机の上に並べ、それからサッと目を通し、最後に小首を傾げた。


(……そうなるわよね、そりゃ)


 どこを見て玲華が不思議がっているのか、綾瀬だけでなく工藤も夏木もわかっている。

 それから玲華は顔を上げ、三人の表情を見渡すと苦笑を浮かべた。


「無理もないとは思うけど、ちょっと緊張してるみたいね」

「は、はい……」


 ぎこちなく夏木が頷いてから、綾瀬は言った。


「あの、私達、面接をすると先ぱ――柳から聞いてはいましたが、それがこの会社だということも、面接をしてくれるのが如月社長だということも知らなかったんです」


 大樹の今までの言動と、玲華の雰囲気から、ここはぶちまけた方がいいと綾瀬は判断したのである。

 すると案の定だ。玲華は気を害した様子もなく目を丸くした。


「え、それ本当?」

「はい。今日ここに来て、御社を受けることを知り、今初めて、面接をしてくれるのが如月社長だと知ったんです」


 これを聞いた玲華はポカンとしたかと思えば、噴き出した。


「あっはは、だとするとそうなってしまうのも無理ないわね。あなた達も災難だったわね」


 コロコロと親しみを感じさせるように笑ってから同情するような声を向けられ、同期の二人も肩から力が抜けていくのを感じながら綾瀬達は揃って強く頷いた。


「ふふ、志望動機の欄が揃って空欄なのはそういう訳だったのね」

「はい。そこは思いの丈を当日口にしろとだけ言われて……」


 大樹から受ける会社を教えてもらえなかったために、指示を仰ぐとこうなった訳である。玲華が先ほど首を傾げていたのはこのためだ。


「あっはは。まったく……ひどい先輩ね? もしかして普段からこんな風なの?」


 悪戯っぽく笑いながらそう問われて、綾瀬達は苦笑を浮かべる。


「ええ、良くあります」

「真面目な顔をして私達のことからかってきます」

「最初の頃はからかわれてるのかそうでないのか判断がつかなかったです」


 綾瀬を皮切りに勢いよく夏木、工藤と続くと、玲華は噴き出し気味に笑う。


「ふふっ……うん。 緊張もけっこう抜けてきたみたいだし、面接始めましょうか」


 和やかにそう言われて、綾瀬は自身だけでなく同期の二人も、随分とリラックス出来ていることに気づいた。

 これは先ほどの大樹に関する話をした効果もあるだろうが、それ以上に、玲華の雰囲気に寄せられたためなのだろうと綾瀬は直感的にわかった。

(若き美人社長のカリスマ……!)

 不意に雑誌に書かれていた一文が脳裏に過ぎる。

 そして同時に、その雑誌を見ていた時の高揚、憧れが沸き上がる。

 まだ接して数分といったところなのに、目の前の女性にどんどんと惹きつけられている自分に気づく。


(この人の下で働けたら……)


 この思いを同期の二人が等しく抱いただろうと、綾瀬は不思議と信じて疑わなかった。

 何故なら――


「はい、お願いします――!」


 三人の声がそう揃ったからだ。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る