第二十三話 っぽい

 

 

 

「さて、最初はやっぱり角煮の下処理から始めるか……」


 夕方頃になって、大樹は調理を開始した。


「ご飯は任せてくれていいからね!」


 隣では玲華が米を張り切って研いでいる。


「ええ、白米それは任せますね」


 苦笑しながら大樹が答えると、玲華がふふんと大きな胸を張る。

 今日は玲華も大樹と一緒に、大樹がつけているのと同じメーカーっぽい色違いのエプロンをつけている。飯炊きしかしない予定で、つけている意味が少ないが、エプロン姿の玲華もまた麗しかった。大樹は撮影させてもらおうか悩んだほどである。


 ともあれ、ご機嫌に米を研いでいる玲華から目を離して、大樹は冷蔵庫から取り出した豚のバラ肉のブロックを一口サイズに切り揃える。

 切ったバラ肉をフライパンで軽く焦げ目がつく程度に焼く。すると出る出る豚の油。その油がパチパチと音を鳴らしていく。


「うわー、すっごい油出るのね……」


 炊飯器にセットしてヒマになった玲華がキッチンカウンター越しに、その様子を呆然と見ている。


「ええ。これを余分な脂と見て、こうやって出すか出さないかは割と分かれるんですよ」

「えっ、そうなの……?」

「ええ」

「柳くんはどうする派なの?」

「俺はこの油は角煮には使わない派ですね」

「ふうん? じゃあ、この出た油は捨てちゃうの?」

「まさか。そんな勿体ないこと出来ませんよ」

「え? でも、角煮に使わないって、さっき……」

「ええ。角煮には使わないんですよ」

「……他に使うってこと?」

「ええ――こんなところか」


 大樹は火を止め、あらかじめ水を入れていた圧力鍋に、油を切った豚肉を入れていく。最後にフライパンに残った油は耐熱容器に垂らして置いておく。言った通り、後で使うのだ。

 調理器具に自信のある玲華の家だけに、圧力鍋はあった。恐らく未使用のままだ。それはともかくとして、圧力鍋があることは前日に聞いていたからこそ、この時間からの調理なのである。

 そして肉を入れ終えると蓋をして火にかける。加圧込みで豚肉を茹でている間に、ゆで卵を作り始める。小さめの鍋に水を満たし、塩を軽く振って茹でる。塩は卵にヒビが入った時に中身が漏れるのを防いでくれるためだ。そして茹だってから卵を入れ、タイマーを六分でセットする。これで半熟で出来るはずだ。


「――そうだ、如月さん。頼み事していいですか?」

「え? 私? 私に出来ることならいいけど……」


 キッチンカウンターに頬杖をついて、ニコニコと大樹の作業の様子を見ていた玲華が、不安そうにする。


「そんな難しいことじゃないですよ。タイマー鳴ってゆで卵が出来たら、水で冷やして殻をむいて欲しいだけです」

「あ、それなら大丈夫ね。まっかせなさい!」


 一転して自信満々の顔になり、胸を叩いて請け負う玲華に大樹は頷く。

 次に角煮に入れる大根である。まずは桂剥きでスルスルと皮を剥く。


「わ! すごい! 料理人みたい!!」


 玲華が目を丸くして頓珍漢なことを言っている。


「あの、如月さん、今でこそ仕事にしていませんが、一応俺は料理人の端くれのつもりなんですが……」


 子供の頃から仕込まれ、家を出る前まで包丁を握って客に料理を供していた大樹なりのプライドとして、言わずにいれなかったのである。


「あ! そ、そうだったわね! ごめんなさい! その、あんまりに見事だったから……」

「いえ、まあ、そういう訳ですので、一応覚えていただけると……」

「あ、はい。気を付けます……」


 ペコペコとする玲華に、大樹は頬を掻く。


「いや、怒ってないですので、そこまでしなくていいですよ」

「あ、うん。ごめんね――?」


 しおらしく謝ってくる玲華に、どうにも調子を狂わされて苦笑するしかなかった。


「はい、もう十分ですよ」


 告げてから大樹は作業を再開すると、玲華はホッとしてからまたニコニコと料理する大樹を眺め始めた。

 大根は二種の形に切る。一つは角煮用に、一口サイズにだ。もう一つは短冊と千切りの中間みたいに切る。

 包丁をカカカカッと鳴らして、手早く終わらせると二つのボウルに分けておく。後者の方は氷水にさらしておく。ちなみに、その様子を玲華は目を輝かせて見ていた。

 そしてネギを切る。用途としては青い部分を臭み取りとして使うのがメインなのだが、大樹は角煮と一緒にネギを煮込んでこれもトロトロにして食べるのを好んでいるので二本ほど丸々使う。


 そこまで終えると、体感的に鍋の中身の煮込みが終わったので、蓋を開けて肉を取り出し煮汁は捨てる。そして空いた鍋にまた肉を戻し、玲華が「アチチ」と苦戦しながら剥いたゆで卵と大根、ネギを入れ、水で浸す。そして醤油、砂糖、みりん、酒、チューブのにんにく、チューブの生姜を入れていく。生姜は気持ち多めにしておく。その方が味がくどくなくなり、いつまでも食べられるようになるのだ。最後に落し蓋をすると蓋をして火にかける。


「――よし、これで角煮は終わりだな」


 実際にはまた開けて、味の調整をして煮込んだりとするが、大きな工程は終わったと言っていいので、大樹は一息吐きながらそう宣言した。


「え!? これで終わりなの!?」

「ええ。まあ、ちょこちょこ味を見たりはしますが、後は大体火にかけるだけなので、終わったようなもんです」

「へえー……実はけっこう簡単だったりする……?」


 玲華の呆けたような問いに、大樹は苦笑を浮かべる。


「味付けさえ間違えなければ、簡単ですよ」

「うっ……あ、味付けかあ……」


 玲華が遠い目になった。大樹の予想通り、味付けには特に自信が無いのだろう。


「ははっ、レシピ通りにやればやっぱり簡単なんですよ。レシピの分量通りで十分に美味いのが作れますよ」

「……」


 慰めのつもりで言ったら玲華がどんよりしている。


(……まさか、レシピ通りにしても失敗するのか……? どうやったらそんな失敗が出来るってんだ……?)


 慄いてしまった大樹だが「ゴホンッ」と咳払いし、もう触れないようにして、冷蔵庫からモヤシとレタスを取り出した。

 モヤシは耐熱容器に入れ、水で浸してからレンジで加熱する。

 レタスは使う量を切って水で洗ってから、適当にちぎってボウルに入れると、これも氷水でさらしておく。前と同じようにサラダで使うためだ。

 加熱が終わったレンジからモヤシを取り出すと、水を切って軽く絞って水を出しておく。最後にキッチンペーパーで水気を吸い取っておく。

 そしてボウルにモヤシを入れ、ごま油と前来た時にも使った昆布茶の粉をパラパラかける。


「……モヤシにその粉入れるの?」

「ええ。キュウリにかけた時、美味かったでしょ?」

「美味しかった!……モヤシにも合うものなの?」

「それは……まあ、完成を楽しみにしたらいいじゃないですか」

「んー、そうするしかないかあ……」


 もじもじと如何にも気になる様子の玲華に苦笑すると、ふと大樹は聞いた。


「そうだ如月さん、このモヤシはナムルにするんですが、ピリ辛とそうでないのとどっちがいいですか?」

「んー……ピリ辛で!」

「了解」


 大樹はラー油を出して、それもモヤシにかけて箸で混ぜた。終えると、大樹は一口小皿にとって味見をする。シャキシャキとした食感が心地よく、ごま油の香りと昆布茶による旨味が上手い具合にマッチし、最後にピリッとくる。


「――うむ、美味い」


 上出来である。大樹がうんうんと頷いていると、玲華が目を丸くして、物欲しそうにこちらを見ている。


「え、ちょ、ちょっと柳くん!」

「……何ですか?」


 大樹が惚けながら聞くと、玲華が地団駄を踏む。


「わ、私も一口!」

「いやいや、さっき完成を楽しみにすると言ってたじゃないですか」

「もう出来てるじゃない!? 柳くんだけズルい!!」

「何言ってるんですか、これはまだ完成ではありませんよ」

「何で!? 出来たんじゃないの!?」


 玲華のそんな反論に、大樹は長く息を吐きながら首を横に振ってやれやれとする。


「いいですか、料理人にとって完成とは皿に盛ってからのことを言うんです。なので、こんなボウルに入ってる状態では未完成です」

「え、えー!? そんな!? 私も食べてみたい!!」

「ダメです。料理人として未完成のものを出すなんて……とんでもない」


 大樹は深刻ぶった顔で、無念そうに頭を振る。


「あ、味見! 私も味見!」

「味見は料理人の特権です」

「うう……! 柳くんの意地悪!!」


 若干涙目になった玲華に、またからかい過ぎたかと大樹は苦笑する。


「仕方ないですね……一口だけですよ」

「! やった……!」


 一転して顔を輝かせる玲華に大樹は苦笑を深くして、モヤシを一口とって小皿と箸を渡そうとした。が――


「あー――」


 玲華は口を開けて待機していた。

 一瞬フリーズしかけた大樹であったが、機械的に動いて玲華の口に入れてやった。


「んー……! 美味しい! これもすごく簡単そうなのに美味しいわね!」


 幸せそうに顔を蕩けさせ唇をペロと舐めて、嬉しそうに感想を述べる玲華。


「そ、そうですね……簡単で美味いですよね」

「? どうしたの?」

「い、いえ……なんでもないです」

「? そう?」


 小首を傾げる玲華に「ええ」と返事をしながら、大樹はモヤシのナムルを皿に盛り付けて冷蔵庫に入れておく。多少冷えた方が大樹は好みだからだ。味も染みて良くなる。

 後はサラダの仕上げが残っているが、これは食事直前にやる。そして玲華のリクエストのチャーハンだ。が、これは角煮が出来上がってから取り掛かる。作るタイミングというのもあるが、折角だから角煮をチャーハンの具材に使おうと思ったからだ。

 そこで圧力鍋が蒸気を噴き出しながら、ピュー! ピュー! と、なかなかの音を出し始める。


「ちょ、ちょっと、柳くん、これ大丈夫なの……?」


 腰が引けた様子の玲華の訴えに、大樹は肩を竦める。


「圧力鍋なんですから仕方ないでしょ」

「こ、こういうものなの、圧力鍋って……?」

「こういうものって……如月さんの鍋でしょうに」


 未使用なのはわかっていたが、言わずにいれなかった。

 呆れた顔をする大樹に、玲華は気まずげに視線を逸らした。

 首を振りつつ大樹は、圧力鍋への加熱を止める。蓋を開けられるようなるまでの間に、チャーハンで使うネギを切ることにする。

 と言ってもすぐに終わる、冷蔵庫から出す。水で洗う。包丁を持ち、まな板に抑えて、カカカカッ――で終わりである。


「はー、すごいわよね、それ。リズミカルで正確で……なんかいつまでも見てられそう」


 玲華が感嘆して言うのを、大樹は大げさなと苦笑する。


「いつまでも見てられそうと言えば……如月さん、頼みがあるんですが」


 大樹が真顔を向けると、玲華は小首を傾げた。


「え、何かしら……?」

「はい、写真を撮らせてください――その如月さんのエプロン姿を……!」

「え、ええ……? わ、私の……?」


 困惑を露わにする玲華に、大樹は頭を下げて勢い込んで頼む。


「はい、すごく似合ってるので、是非――!」

「えっと……べ、別にいいけど……」


 顔を赤くして了承しながら、玲華は手早く髪を整えている。ちなみにエプロン装着時に玲華は今日は背中に垂らしていた髪を、ポニーテールにしていた。うなじが素晴らしかった。

 大樹は玲華の気が変わらない内に、スマホのカメラを素早く起動して構えた。


「では、撮りますよ」

「あ、うん……」


 ちょっと緊張しているように見えたが、カメラを構えていざ撮る段階になると、条件反射が働いたように、玲華は素晴らしい笑顔になってくれた。撮れた写真を大樹は早速確認する。


「おお……」


 思わず唸ってしまった大樹である。

 これこそ、いつまでも眺めていられるものだ。余計なもの(大樹)も映っていないし。


「あはは……じゃあ、私も柳くんを撮らせてもらおっかな」

「は……?」


 自分なんか撮ってどうするんだと、大樹は本気で戸惑いの声を出した。


「はいはい、柳くんも構える!」

「ああ、はい……」


 と言われても、大樹は写真用のポーズなどピースサインぐらいしか碌に知らず、かといって今それをすると非常に間抜けっぽく感じたので、カメラに目を送るだけにした。

 そして苦笑した玲華がスマホをカシャッと鳴らして撮り終え、確認している。


「ふんふん、相変わらず固いわね……ふふっ」

「と言われても……」

「ふふっ、ねえ、どうせだから二人でのも撮りましょう? さ、柳くんが持って?」


 と、また例によって大樹がカメラを持って自撮りの形を作る。すると、玲華はまたも大樹の腕を抱えてきたが、多少は予想していたので、大樹は僅かな動揺をするだけで、焦ることなく撮影を終えることが出来た。

 そして大樹からスマホを受け取って確認を始めた玲華は、頬を染め悩ましげに眉を寄せてから苦笑を浮かべていた。


「うーん……これは……」

「どうしたんですか……?」


 覗き込むと、大樹も眉を寄せてしまった。

 写真を見て思ったのは、色違いのエプロンである。こうやって並んで見るとまるで――


(ペアルックっぽいな……それに――)


 チラと玲華に目を向けると、玲華もこっちを見ていたようで、目が合ったところで、二人して目を逸らした。


「……」

「……」


 なんとなく、大樹は玲華の考えていることがわかった。大樹も同じようなことを思ってしまったからだろう。


(夫婦っぽく見えるなんて……そんな大それたこと言えるか)


 気まずく感じて大樹は頭を掻き、視線を巡らせたところで、圧力鍋の蓋が開けられるようになっているのに気づき、ホッとしながらこれ幸いと鍋に近寄った。

 蓋を開けると爆発的にいい匂いが漂ってきて、玲華も顔を輝かせて寄ってくる。


「ああ、すごくいい匂い!」

「ええ、もうこの時点で美味いって感じてしまいそうですね」

「わかるわかる!」


 笑い合う中でお互い、さっき頭に浮かんだことは触れないようにしようと考えたのが伝わり合ったのであった。

 

 

 

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