解放されないダイス

 御銫みせねが言った手コ◯事件の真相を、一条に説明する会は終わった――


 意識が一条財閥の別荘へと戻ってくると、さっきまでそばで話を一緒に聞いていた御銫の姿はどこにもなかった。


 しかし、瑞希は気にした様子もなく、一条のあとに続いて中へ入ろうとした。


 細く神経質な手には鍵は握られていない。それなのに扉へとそれがかざされただけで、青白い光が水面のように手元だけで広がり、扉はすうっと手前へ開いた。


 超常現象がすぐ近くで起きているとは気づかず、瑞希は一条の逆三角形をした背中に続いて屋敷の中へ入った。


 目に飛び込んできた景色に、瑞希の感嘆が思わず口からもれ出る。


「うわ〜!」


 どこかの城かと勘違いするほど立派な玄関ホール。大きなシャンデリアが宝石のようにキラキラと輝く。招き入れるように大理石の上に敷かれた気品高い絨毯。瑞希はバカみたいに口を開けて、吹き抜けの天井を眺め始めた。


 瑞希の視界から姿を消した、一条の優雅な声が響く。


「ただいま戻りましたよ」

「問題はなかったか?」


 御銫とは明らかに違う男の声が聞こえてきたが、瑞希はまだまだ玄関ホールの素晴らしさに感動中だった。


「えぇ。気遣ってくださって、ありがとうございます」

「いい」


 その言い方がやけに愛おしさがにじんでいて、瑞希は視線を下へ戻さずにいられなかった。そこで見た光景は天変地異が起きたのかと思うほど衝撃的すぎて、彼女は思わず息を飲み、


「あぁっ!?!?」


 妄想世界へと連れ去られてしまった――


    *

 

 今宵は一条王子の誕生日パーティ。世界各国から招待された多くの人々。大きなシャンデリアがいくつも輝く大広間。


 王子のダンス披露の時間。色とりどりのドレスとタキシードは会場の両脇に避けて、中央で華やかに踊るふたりをうっとりと見つめる。


 宮廷楽団が奏でる軽快なワルツに乗り、ステップを優雅に踏むたび、一条の紺色をした長い髪は規則正しく上品に揺れる。


 繁栄の国とうたわれる、恵まれた王家に生まれた一条王子。さらなる発展をと願い、今夜伴侶を選ぶのではと噂され、人々の期待は高まっていた。


 王子のお眼鏡に叶ったえある相手は、冷静な水色の瞳の先で今同じように華麗にステップを踏む。まるで生まれる前から知っていたように、息もぴったりなパートナー。 


 微笑み合う視線がはずれることもなく、ステップは軽やかに踏まれ、エレガントにターンを繰り返す。


 王子の光沢がある瑠璃色のタキシードの前で、ドレスの裾はふわっと広がることもなく――いやドレスではなく、同じくタキシードを着た、他国の王子――がいた。


 時代の流れで、サイバー犯罪にけている国と婚姻関係を結ぶことにした。ハッカー王子と一条王子の視線は、相手の内側を求めるようにまっすぐに絡み合って、祝福する人々の中で踊り続ける。


 シャンデリアの下でくるくると回り、王子と王子の気品高いワルツは手に手を取り合い――


    *


 止める人は誰もおらず、瑞希は自力で現実へと戻ってきた。そうして、妄想の起爆剤ともなった、まだ続いている光景を見つけた。


 一条と男は玄関ホールのシャンデリアの下で、黙ったまま見つめ合って、両手を胸の前で大切そうに握り合って、キラキラと輝く光の渦の中で幸せそうに微笑み合っている。


 どこからどう見ても男にしか見えないふたり。彼らが手をつなぐ――。衝撃的すぎて、瑞希はまだぼんやりしていたが、我に返って大きい声で突っ込んだ。


「――っていうか、どうして手をつないでるんですか?」


 三十四の女が男たちに問いかけても返事はなかった。ふたりきりの世界で振り向きもしない。完全にお邪魔虫である。


 平常を取り戻し始めた瑞希は、男の顔を見つけて指差した。


「っていうか、どうしてここにいるんですか?」


 男ふたりの手はそっと離れて、いいところだったのにと言うように、男の顔が怒りで歪んで、


「っ!」


 今にも刺し殺しそうなほど鋭い視線でにらみつけられた。瑞希は両腕を組んで、右足をパタパタと床に叩きつけ、首を左右に傾ける。


「どうやってもおかしいよね? 今頃ここにいるなんて……。どういうこと?」


 この男が一条の別荘にいるのは、物理的に成立不可能だったが、男からこんな言葉が放たれた。


貴様きさま、余計なことを言っていると、またベッドに拘束――してやる」


 瑞希は噛みつくように言い返した。


「やめてくださいよ! ベッドに放置――するのは」


 そうして、ふたりの間に立って話を聞いていた、一条の優雅な声がこんな解釈を飛ばしてきた。


「どのようなプレイをしたのですか?」


 一気に夜色になってしまった。瑞希は慌てて両手を顔の前に上げて、横に大きく揺らした。


「いやいや! 一条さん、誤解です。これにはきちんとした訳があるんです!」


 冷静な水色の瞳は瑞希から男へと向かったが、


「ふたりで何をしたのですか?」


 視線は先の尖った氷柱――氷の刃のように鋭く冷たく、優雅な声も猛吹雪が逆巻くほど冷酷無情だった。瑞希のノリという熱も一瞬にして消し去られ、


「え……?」


 男と一条は至近距離で見つめ合ったまま、小声でもめ始めた。


「貴様がなぜ、ここで怒る必要がある?」


 殺気立っている御曹司の前で、瑞希は落ち着きなくウロウロする。仲裁したほうがいいのかと迷いながら。


「一条さんが怒ってる? どうして?」


 まるで浮気を問い詰めるような、瞬間凍結させるくらい、一条の声はどこまでも氷河期だった。


「隠し事はしないと、約束したではありませんか?」


 一条と男を交互に見ながら、瑞希はふたりの関係性を考える。


「隠し事、約束……? ずいぶん仲がいいみたいだ……。友情のあかしってやつかな?」


 男は何かを言い返そうとしたが、一条にしてやられるのは目に見えていた。悔しそうに唇をかみしめて、気を取り直し、「んんっ!」と咳払いをして、瑞希に矛先を向けた。


「貴様が自身で招いたことだ、貴様が説明しろ。許可してやる、ありがたく思え」


 態度デカデカな男の前で、瑞希が今度怒りで唇をかみしめた。


「かちんと来るな」


 瑞希と男で火花を散らしそうな勢いだったが、


「何があったのですか?」


 一条の冷静な声を聞いて、瑞希は呪縛から抜け出せ、パパッとひらめき、


「こうしてやる! こんなことをされたんです!」


 わざと受け身にして、多大なる被害をこうむったことを大いに訴えかけた――――


    *


 御銫の部屋の冷房――頬をよぎる風は生ぬるく、湿り気のある重たいものに不意に変わった。真っ暗闇。


 キキーッと空を突き刺すような悲鳴。それはいつも聞き慣れているもので、瑞希は視界がきかなくてもわかった。


 自転車のブレーキ。小さな地鳴りのような靴音。ガタンガタンと電車が通る鉄の歪み。瑞希はいつの間にか閉じていたまぶたを開けた。


「ん?」


 あの大きな駅の西口前へと戻ってきていた。


 タワーマンションの最上階。ふたりきりの御銫の部屋で、幻想的な月明かりが照らし出す夜。時計は見ていないが、どう考えても深夜近くになっていると、瑞希は思った。


 しかし、見上げた空は、夕暮れのオレンジがまだうっすらとにじんでいた。


「え、戻ってきた……? それとも……」


 さっきのことは夢、もしくは幻だったのかと思うほど、何もかもが平和に動いていた。一日進んでしまったのか。ひょっとすると、まったく別の日に来たのか。


 斜めがけしているアウトレットのバッグから携帯電話を取り出した。事実を確認しようと、落ち着きのない瑞希は二重がけしているペンダントの前で、上下にぶんぶんと激しく振って、荒波に飲まれたように点滅する機会を逃していた。


 しかし、学習能力を使って、ちょうどいい場所――バックライトがついた。


 ――十七時五十八分。

 八月十八日、金曜日。


 狐にでもかされたみたいな気持ちになって、携帯電話を持つ腕を力なく落とした。


「戻ってきてる?」


 御銫に会う前が何時だったのかがわからない。往来する人混みを目で追ってみるが、人の顔などいちいち覚えているはずもなく、瑞希は隆武と別れたショッピングストリートの入り口へ振り返った。


 もうずいぶん暗くなっていて、背の高い親友も見つけることはできなかった。連絡するという手もあったが、心配させてはと思い、瑞希は他の方法で自力で探そうとした。


 そうして、頭の中で電球がピカンとつく。


「あ、そうだ! あれを見ればわかる!」


 携帯電話でインターネットのブラウザを立ち上げ、慣れない指先で文字を打ち込んでゆく。検索結果をタッチして、あり得ないが現実は現実として受け入れるしかなかった。


「……山ノ足線の遅延? ……甘谷駅で車両故障。同じだ。やっぱり戻ってる」


 何がどうなっているのか、タイムループしていた。


 御銫に手をつながれたまま、自分も眠りこけて、今ここにいる。単なる通過点。尻切れとんぼみたいな幕切れ。説明してくれる人も、確かめるすべもなく、瑞希はぐるっと西口の景色を見渡す。


「あれ? これ消化したのかな? バッドエンディングだった? というか、何のためなんだろう?」


 振り返れなくなり、勢いよく真正面へ顔を戻そうとすると、もう景色は黄色とピンクのメルヘンティック仕様へとメタモルフォーゼだった。


 シャボン玉が七色の光を放ちながら、ふわふわと飛んでゆく。そこへ、意気揚々とした少しかすれ気味のチビっ子ボイスが降ってきた。


「よし! 次だ!」


 御銫と話したが、やはり続きがあることがはっきりとして、瑞希は携帯電話をポケットにしまいながら、小さくため息をついた。


「やっぱり、あと三人はいるんだ……」


 色々と疑問が浮かぶところだが、チビっ子がサクサクっと先に進めた。


「サイコロ振っかんな。ほらよ!」


 静かな空間に、また地味にコロコロと小さなものが転がる音がかすかに聞こえ、それが消え去ると、人生の分岐点が決まった。


「おう? 二番だ!」


 ノリノリの声を聞いて、瑞希は想像してみる。次に会う人を。どんな出会いかを。


「どんな人が出てくるんだろう?」


 できれば、痴漢はもう遠慮したいと思い悩んでいると、チビっ子の驚き声がとどろいた。


「あぁっ!?!? 二番はあとだ! サイコロもう一回振んぞ」


 くつがえされた分岐点。瑞希は両手を空へ向けて、大きく横へ振った。


「いやいや! やり直したら、じゃないです!」

「いやいや! 瑞希のことを考えて、二番はあとなんだって!」


 同じようなテンションの高さで、同じ文字数で、チビッ子に猛抗議されてしまった。


 天の声にも色々と都合があるようで、瑞希は順番を入れ替えた理由を彼女なりに考えてみる。


「え……? どういう人なの? 二番って……」


 思いつくはずもない。御銫にしか会っていないのだから。やり直しは勝手に進む。


「よし! お〜らよっ!」


 袖口を引っ掛けたのか、食器がぶつかるようなカチャンという音が聞こえたが、天の人は大雑把な性格なのか気にすることもなく、出てきた目を読んだ。


「一番な」

「一番の人……」


 化粧品の入った紙袋をのぞき込み、瑞希は想像しようとするが、とにかく何の情報もなく、男とも限らないわけで、それでもぼうっと考えようとすると、チビっ子の驚き声が少しかすれ気味に響き渡った。


「あぁっ!?!?」


 声の大きさと再びの出来事に驚いて、瑞希は紙袋を思わず落としそうになった。


「えぇっ!? これも後回し?」


 カサカサと紙がかすれる音が頭上から慌てた感じで聞こえてくる。手に負えないというように、チビッ子のテンションは大幅ダウン。


「これってよ……。先着順じゃねぇのか?」

「先着順?」


 何をきそってきたのかと、瑞希は不思議そうな顔をした。カサカサという響きに、チビっ子のつぶやきが混じる。


「普通に考えたら、二番が一番になんだろ?」


 目に見えないところで、勝手にシャッフルされている分岐点。瑞希は声を大にした。


「いやいや! ややこしくなってます!」


 彼女は放置されて、天の声がブツブツ言う。


「かよ、さっきの四番――御銫だろ? 一番最初になんのはよ。あれ、動きはいぇ――っつうか軽いかんな」


 そこで、瑞希はピンとひらめいて、


「何だか干支えとみたいだ。一番がねずみ、二番がうし、三番がとら……」


 まだ先を言いそうだった彼女に、かすれ気味のチビっ子ボイスが同意を求めた。


「瑞希、やられただろ? 御銫の無意識の策略に」

「あぁ、それはボコボコに……」


 あの月影が入り込む幻想的な部屋なのに、話している内容はミラクルだらけで、話が撹乱されっぱなしだった。しかし、チビッ子が言ってきた次の言葉は衝撃的。


「御銫は気をつけといたほうがいいぞ。無意識の策略だけじゃねぇかんな」


 あの十八歳の少年が持つ、皇帝で天使で猥褻で純真で大人で子供で矛盾だらけのまだら模様の声。宝石のように異様にキラキラと輝く黄緑色の瞳。


 スーパーハイテンションかと思えば、寂しそうに膝を抱えた子供みたいな表情を見せる御銫。思い出せるだけ、思い出してみる。


「え? 何か他にあった?」


 しかし、見当たらなかった。チビッ子は御銫のしんの怖さを語る。


「だろ? 気づけねぇからやばいんだって」

「あぁ〜、そういうことか。いつも罠が二重になってるのか。しかも、無意識のうちに……」


 罠だと本人が申請してこない――いやできないのだ。つまりは普通に会話は流れてゆき、御銫だけがあとで情報をがっちりゲットしているということである。


 しかし、これだけで話は終わらなかった。チビっ子は怪談話でも語るように、おどろおどろしくさらに言葉を続ける。


「似たので、他にもっと強力なやついっけどな――」


 ミラクル少年を上回る人物がまだいるのかと思い、瑞希は唇に手を当てて深刻な顔をした。


「え? どんだけ個性的なんだろう?」


 話は済んだというように、紙がカサカサとすれる音がまた響く。


「あ〜っと、この表は何の順番で並んでんだ? あいつらどうやって、これ出してきたんだよ?」

「あれ!? みんなは一枚岩じゃないのっ?!?!」


 組織ぐるみの話だと思い込んでいた瑞希はびっくりした。いじっていたミニスカートの裾が膝の上に落ちる。


 五里霧中。暗中模索。そんな中で話は進んでゆく。


「とにかく一番な。行く場所だ、よく聞けよ」


 瑞希が耳をすますと、


「CDショップに寄っていこう――」


 また、ひどく棒読みだった。瑞希の反論がシャボン玉を壊すような勢いで炸裂した。


「え〜っ!? CD屋は駅のほぼ反対側です!」


 この大きな駅をぐるっと回るのかを思うと、げっそりするのだった。しかし、チビっ子の声は少し笑っているように、


「どこ行く気だよ? 新南口のデパートの中じゃねぇって。西口にもあんだろ?」

「あったかな?」


 今は見えなくなっている駅のロータリーを見渡そうとする。チビっ子の下調べはやはりバッチリだった。


「すぐそばのデパートに電気屋入ってんだろ? そこにCDあるって」


 新しいお店を教わった。修道院に行く前の貴重な時間。瑞希は今の気持ちを万歳で表した。


「知らなかった! 新しい発見だ」


 そうして、チビっ子からまた説教がやって来る。


「瑞希、たまには寄り道しろって。人生まっすぐだけが近道じゃねぇぞ」

「いいこと言うなぁ〜。よし、これからは他も見てみよう」


 人生の学びを得て、大いに感心している瑞希に頭上に、ニヤニヤしているような声が降り注いだ。


「気をつけねぇと、大変な目に遭うかもしんねぇな」

「どういうこと?」


 瑞希は真顔に戻り、二重がけしたペンダントのチェーンがチャラチャラと歪んだ。見上げたそこは、シャボン玉が浮かぶだけで何もない。鼻でバカにしたように笑う声がして、


「へっ! ノーコメント……」


 そうして、知恵があるような話流れになり、


「っつうか、にわざと言い直してやんぞ!」


 そう言い残して、黄色とピンクの乙女チックワールドは光の粒子が飛び散るように消え去った――


 変なヒントを残された瑞希はいつの間にか、歩道の柵に座っていた。引っ掛けていた白いサンダルがずるっと石畳にずり落ちる。ガクッと視界が揺れて、


「はぁ? 反応がない? どんな人?」


 人の往来をぼんやり眺めて、考え続ける。


「どうやって会話するんだろう?」


 しばらく、ない頭をひねってみたが、答えは見つからなかった。瑞希はさっと立ち上がり、


「とにかく行こう!」


 人の流れになれた感じで乗り、デパートに――CDショップに向かい出した。

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