第3話 最凶のサムライマスター


 〝大凶星〟って、…名前なのか?トキの背後から現れたその男は…確かに大いに凶を感じさせる容貌だけど。ボサボサの天パみたいなクセっ毛が天を衝く190はありそうな長身のそいつは、ゆらりゆらりとこちらに歩いてきた。


 「痛ぇ!」

 あ、転んだ。


 「うぉおおおおおお⁉」

 あ、ブッとんできたスクーターに轢かれた。


 「ぎぃやぁぁぁあああああああああああああああ‼」

 あ、ビルの落盤が降り注いだ。


 「大・凶・星!登場‼」

 「お前、いきなりボロボロだけどぉ⁉」


 ってか、傷がねぇ場所がない。


 …顔…いや、首にかけた数珠の影、着流しに隠れてるとこも…というか、襟から覗く首や袖から覗く手から察して…もう間違いなく、体中が傷だらけだぞ、こいつ⁉


 「体の傷は、…男の勲章よ」

 「勲章多すぎて押し潰されそうに見えるけどぉ‼」


 その傷に覆われた顔はというと…怖い。まぁ、傷だらけだからなのかもしれないが…いや!怖いよ⁉まぁ、元の作りは悪くな…すまん、傷のない顔が想像できねぇ…どうしても視線が傷に行っちゃう…ってか、あの右目の傷とか肉が…


 …っつーかさ、その右目…〝星石〟埋め込んでね?


 「オシャレだろ?」

 「オシャレアイテムなのぉ⁉」


 リョウマやキョウの様に、瞳が白く光っているのかとも思ったが、どうもあの完全に白色の球体は上から埋め込んだように見える気がする。瞳と言うか瞳孔と言うかが…いや、怖くて直視できんのだけども。

 

 そして、何より目を引くのが、抜き身で肩に担いでいる日本刀だった。


 「この刀は、毎日ヒトの血を啜っていてなぁ…今日はお前らの血をご所望だ」

 着流し姿だから違和感がないのだけど、ふつーに銃刀法違反…じゃなくてだ、あの長身に違和感がないって、とんでもねぇ長刀だぞ。おそらく、ゆうに刀身150㎝はある…まぁ、だから抜き身で持ち歩いているんだろうけど。

 「ぃいっでーーーーーーーーーーーーーーーーーーー⁉」

 あ、調子こいてクルクル回してたのが、足に刺さった。


 「…まぁ、主に俺の血を啜ってるんだけどな」

 「ただの事故じゃねーか‼」

 

 「何しに来たんだよ⁉キミは‼」

 トキ、お前を助けに来てくれたんじゃないの?…と思ったら違った。


 「俺は〝大凶星〟だぜぇ?人の不幸が集まった所に現れるのはとーぜんだろ?」

 笑みが凶悪すぎる‼


 リョウマもあのイカレ野郎を警戒して、近づく事を躊躇している。いや…違う。時が経てば経つほど、リョウマには有利になる。銃をブッ放しているし、騒ぎを聞きつけて警察が来るのも時間の問題だ。国家側の人間にとっては増援って事だ。

 …にもかかわらず、〝大凶星〟に、特に慌てた様子はなかった。


 「ほ~ら、さっさと逃げな、おにーちゃん。警官隊来る前にさ」

 「ダメだ!タマモを残しては…」

 「え?それだと、彼女、死んじゃうよ?」

 素っ頓狂な声で、とんでもない事を言った。


 「大凶星おれがいるんだからさ」

 なにその自信。


 「だって、どー考えても、この場で最悪の悲劇は『愛し合う恋人が、目の前でその相手を殺される』じゃね?お前がこの場に残ったら、彼女間違いなく死ぬよ?」

 トキは言いかけた言葉を失った。


 「俺は全てを不幸にする〝大凶星〟だぜぇ?」


 これほど根拠のない言葉は今まで聞いた事が無かった。ただ、これほど自信のある言葉も今まで聞いた事が無かった。簡単に口にする軽い言葉…なのに〝絶対〟がそこにはあり、それはとてつもない重さに誰もが口を塞がれる。


 「タマモ…ごめん。キミの為なんだ…!」

 「ま、待て!待つのじゃ、トキ‼」

 言い終えると同時に、タマモが胸を押さえて蹲った。トキが振り返って駆け寄ろうとした、まさに刹那、この路地裏に国家の犬が大挙押し寄せた。それも、普通の警察官じゃない。機動隊か特殊部隊か…明らかに過剰武装をした狂犬どもだ。

 トキは、そのまま逃げ去った。


 「リョウマ様。警官隊の配備、および付近住民の避難。完了いたしました」

 PCとリョウマに目を伏せてアンさんが告げる。どうも影が薄いと思っていたら、陰に隠れてこんな事を完了させてたとは…感心の余り見つめてしまった俺と目が合うと、アンさんは150%の営業スマイルを向けた。


 警官達のどこが普通じゃないかと言えば、…サブマシンガン持ってるよね。さすがにアレをピストルとは見間違えない…着用しているのも、見るからに厚手のアサルトスーツ。ヘルメットには反射して顔が見えない何かシールドがついている。

 その中の一人、隊長らしき男が一歩前に出た。


 「そこの銃刀法違反者!」

 「呼んだか?」

 リョウマーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 「お前のそれも、銃刀法違反なのぉ⁉」

 「免許を取った覚えはない」

 おい、…ほら、なんか隊長さん、困らせちゃってんぞ、お前…


 「そ、そっちのお前だ‼」

 「あれぇ?そいつには言わないのぉ?俺、銃刀法違反以外、だけだよねぇ?」

 「か、『顔が凶悪罪』だ‼」

 ポリ、むちゃくちゃゆーな‼


 「…とにかく!今すぐ、武器を捨てて、投降しなさい‼」

 「〝サムライマスター〟が、刀捨てるわけないでしょぉ?」


 …この余裕…なんだ?なんでこの状況でニタニタ笑ってるんだ?


 むしろ、俺らのが緊張の極みにいたと言っていい。サブマシンガンは俺らには向いていないのだけど、アンさんやケイさんに至っては味方なのだけど、当たったらまず確実に死ぬだろう、その殺人の為だけの鉄の塊を前にして。

 「降伏しなさい、大凶星‼この世に悪は栄えないのです‼」

 「…お前はちょっと緊張しろ」

 

 この状況で不用意に動く人間などい…た。


 「トキ!また、わしを置いていくのか⁉」

 「隠れろって!とりあえず‼」

 「放さぬか‼せっかく見つけたあやつを逃がす訳にはいかんのじゃ‼」

 タマモはそう怒鳴りながらも俺を見ていないし、俺が押さえつける力を少しでも緩めれば飛び出しそうな勢いだ。この状況で飛び出せば反射的に撃たれるかもしれないし、威嚇射撃は当てないように打つのであって、当たらない訳ではない。


 トキ、と言うか、逃げる真紅のドクロを追いかけたいのは、リョウマも同じだろう。しかし、そこに〝大凶星〟が立ち塞がり、リョウマを見下ろしていた。


 「どけ」

 「いやだよ~ん」

 「銃刀法違反者だ。捕えろ」

 お前が言うなーーーーーーーーーーーーーー‼


 明らかにその場の全員が心の中でツッコんだ、けども、リョウマの言う通り明らかな銃刀法違反者で、しかもマフィアの関係者だ。何より、この絶対不利な状況でニタニタ笑っているのが癇に障る。警官達にが止まる理由はなかった。

 まずは機動隊員がテレビでよく見る透明のシールドを並べて立ち塞がる。ただのたった一人の刀剣所持者なので、セオリー通りの対応なのだろうか。

 絶体絶命にしか見えない状況の中、大凶星の右眼が強烈に輝いた。


 「どぉらぁぁぁああああああああああああ‼」

 一閃。


 大凶星が隙ありまくりの大振りで右に薙ぎ払った刀は、まるで豆腐か何かの様に機動隊の盾を切り裂いた。相当な重量のあるあの盾を…しかも、4人連続で。…何より、その切り口は余りにも綺麗な一直線だった。


 「サムライマスターに斬れぬモノはこの世に無し…ってな」


 「…うそ…」

 当然、刀は盾で止まるだろうと思い、その衝撃に身構えていた警官達だったが、実際に襲ってきたのは、拍子抜けするほど軽い衝撃。力づくではなかったから。じゃあ、何づくなのか?綺麗過ぎる断面を何度見ても、答えは出なかった。

 

 「動き止めると死ぬぜぇ⁉」

 その通り。全ての警官の動きは完全に止まっていた。その、ありえない光景に。そこに今度は大凶星の素手の薙ぎ払いが襲い掛かる。

 相変わらず無造作で大雑把な右ストレートが、待っ正面からジュラルミンの盾を打つ。筋骨隆々なその腕からその威力は想像できた…が、現実はその想像の余りにも上だった。…ジュラルミンの盾が粉みじんになってブッ飛ばされたのだ。


 「鎧袖一触、ってなぁ」


 「うそぉぉぉぉおおおおおおおお⁉」

 殴られて、壁に叩き付けられる。その衝撃は予測の範囲内だったかもしれない。しかし、ジュラルミンの盾が粉みじんになる勢いで殴られた衝撃ではなかった。生きているから。血まみれの肉片になっていないから。

 じゃあ、なんでジュラルミンの盾は粉みじんになったのか。勿論、破片は答えてくれない。物理的な力ではない何か…何だ?


 「おらおらおらおら!どーしたどーしたぁ⁉」

 「ひ、ひぃぃぃいいいいいいいいいいいいい‼」

 …警官隊とはいえパニックに陥っても無理はない。目の前で次々と薙ぎ倒される同僚を見て、一人の警官が背中を見せ柱の影へと逃げ出した。無慈悲にも大凶星はそれ目がけて駆け出し、柱もろとも刀を振り下ろす。


 「言ったろ?サムライマスターに斬れぬモノなし、だ」

 次の瞬間、直径1mはあろう柱は両断されて警官の背中をも斬られた。


 「何だありゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー⁉」


 ようやく硬直が解けて、俺が叫んだ。その前でまた、石の柱が、鉄の車が、合金の盾が、まるで豆腐でも斬る様に易々と両断されて行く。常識とか物理とか科学とか、全てを無視して、その前ではすべてが無価値。

 隣では、さっきまで「トキ、トキ」とそれだけで頭が一杯だったタマモが、もはや男の事など全く頭になく顔を青ざめさせている。


 「あ、あれも〝偶然〟なのか⁉」

 「わ、わしにも分からぬ‼」


 あの〝大凶星〟は白い瞳からも刀剣と最も愛称の良い〝金気〟の運の持ち主で、あの数珠に見える星石も同様。なにより、あの光る刀身自体が金気の塊の様だから、〝偶然〟物質の繋ぎ目に刃を入れるように両断する可能性はあるそうだ。


 「運が〝悪い所〟に当ってんの⁉それだけぇ⁉」

 「分からぬと言っておろう‼あ、あんなデタラメな…」


 リョウマも似た事を言っていたが、それだけの〝偶然〟が起きるには、大凶の方角から大凶の命理を突くだけではなく、天地や星の運行も関わるので、いつでもはできない…ってか、どーみても大凶星は考えなしに、刀を振るってるだけだぞ…

 「…まるで、全てが大凶…」


 だから〝大凶星〟か。


 「撃つな!撃つな‼撃つなぁぁぁああああああああ⁉」

 必死で静止の怒声が飛び交った。この狭い路地裏で密集した乱戦状態で銃を撃ちあうのは、大凶星よりも警官隊にとって危険すぎる。冷静な状況ですらそうなのに、今は完全なパニック状態…実際、数名が流れ弾に当たりかけていた。


 と言って、大凶星に弾が当たらない訳ではなかった。


 「…嘘だ…弾が…腹を…撃ったのに…」

 涙と鼻水を垂らして銃を握る手を震わせた、その譫言の様な呟きに、大凶星は自分の腹部に目を落とした。なるほど、まさに銃弾が自分の腹を穿ってそこから血が噴き出している。…すでに全身が血まみれの大凶星には、今さらだった。


 「…悪ぃな。俺は〝大凶星〟なんだ」

 「え?え?ええ?」

 「この程度の〝凶〟では、死んでやれんのよ」

 意外にも、ちょっと照れ臭そうに心からの謝罪を残して、大凶星は戦意のない者に向けて刀を振り上げる。死を予想して赤子の様なざまで泣きじゃくる警官に、いつまでたっても刀は振り下ろされなかったけど。


 「まさか…〝大凶星〟だから死なねーのか⁉むしろ‼」

 …体中のあのケガ、間違いなく、相当な苦痛だろう。そして〝その苦しみを感じ続ける為に死なずに戦い続ける〟というムチャクチャな存在がそこにいた。


 攻撃の当たらないニンジャと、攻撃が当たっても意味の無いサムライ…か。


 この間、リョウマ達は何をしていたかと言うと…安全な後方から傍観していた。それはもう…本当に十分すぎるほど距離をとった、安全な後方に。っつか、せめて負傷者のみなさんよりは前にいてくんねぇかな⁉

 染み一つない純白…血と泥と涙にまみれる数m先の警官達からすれば、憎らしいほどの…いつもの美しさでそこに立っていた。


 「に、ニンジャマスター‼あ、あのサムライ、何とかしてくれ‼あんたなら…」

 「断る」

 「えええええええええええええええ⁉」

 「俺は絶対に勝てる戦いしかしない」

 ただのクソじゃねーか。


 「で、でもでもでも、このままじゃとんでもない被害が…」

 「かまわん」

 「ふざけんなぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ‼」

 完全に音割れしてキーンと耳を突きさしてくる絶叫が響き渡った。


 「…警察庁長官から、通信が入ってます」

 相変わらずの無表情でアンさんがパソコンの画面をリョウマに向ける。テレビ電話か何かなんだろうか?ディスプレイの向こうでは、警察っぽい制服を着たバーコードヘアーの細身のオッサンが脂汗で顔を埋めていた。


 「元長官が何の用だ」

 「〝元〟言うなぁ‼」


 「これだけ重軽傷者を多数出したんだ。責任を取って失職だろうが」

 「そ、それは、そうだが…」


 「つまり、これ以上、何をやっても変わらない、何をやってもいいという事だ」

 「んな訳あるかぁぁぁあああああああああああああああ‼」

 …メチャクチャゆーな、おい。


 「これ以上被害を増やしたら失職後のポストがどんどん悪くなって、死者なんて出たら無くなるだろうが‼警官隊は全員引き揚げさせるぞ‼俺の再就職の為にもこれ以上は許さん‼ニンジャマスター!お前の仕事なんだから、何とかしろ‼」

 …世の中、正直なクズばっかだな…


 それは罵声であると共に命令でもあった。パソコンに向けて敬礼をして見せた隊長は、すぐさま撤退を告げた。反対者などいる訳もなく、それどころか、一気に…糸が切れた凧の様に、我も我もと警官達は散り散りに逃げ去った。

 

 「トキーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 握っていた俺も忘れていたけど、俺の手を振り解いてタマモも走り出した。かなり前にトキが去っていった錆びた階段へと。その先にトキは…いないだろうけど。


 「何で手を離した。…この、無能が」

 …えー。

 

 リョウマは俺に理不尽すぎる暴言を吐き捨てると、目の端で彼女を捕えて舌打ちをする。そして、タマモが視界から消えるより先に、溜息を吐いた。


 「逃げるぞ」

 …あっさりと、逃げを選択するんだ。いや、この判断は正解なのだけど。トキもタマモもいなくなった今、大凶星と戦う危険を冒す理由が全くないから。


 「おいおいお~い、最強はニンジャかサムライか…ケリつけよーぜぇ?」

 「キョウ、行け」

 「はい!」

 絶対、大凶星が言った〝ニンジャ〟この赤いちんちくりんじゃねーーーーーー‼


 「この、キョウが殿しんがりを務めます!皆さんは行ってください‼」

 ってか、言われるまでもなく、すでにリョウマとアンさんは何事もなくこの場を去ろうとしていた。ケイさんだけはオロオロとその両者を視線で追いかけていたが、アンさんに一言名前を呼ばれると、慌ててその後を追い始めた。


 そして、俺達が残された。


 静かすぎる…あれ以降、警官がこの路地裏に入ってくる気配はない。一般人も入って来ない所を見ると、ここに至る路地の封鎖だけは未だ徹底しているんだろうな。…何か、周囲が『ビル裏』より『世紀末の廃墟』に見えてきたよ…


 …いや、だから、俺を見んな。気持ちは分かるんだが、大凶星がめっちゃ俺に何かを求めて視線を投げてくる。お前の言いたい事分かるけどさ、俺にどーしろっつーんだ?俺達の視線の先では、ちんちくりんがシャドウボクシングをしていた。


 「さぁ、かかってきなさい‼」

 「…あー、さすがにガキんちょはなぁ」

 「失礼な!私は立派な成人です‼」

 「は?」

 「運転免許証だってあるんです!ほら‼」

 キョウが大威張りで掲げた運転免許所をひったくり、そこに大凶星も顔を覗き込ませてくる。3度確認した俺と大凶星は、どちらからともなく顔を見合わせた。


 「ふふん、どーですか!私はオトナの女なんです‼」

 今日一番の衝撃だけどぉ‼


 …まぁ、そー言われてもこのちんちくりんに俺達の士気は上がらないのだけど。対照的に、鼻息を荒々しく吹き出し、キョウは何やらカンフーアクションの様な動きをしている。…あいつのあの自信、どっから出てくんの?


 「…表が出たら、あいつを見捨てる。裏が出たら、あいつを助ける」

 10円玉は乾ききった空気の中、澄んだ音を立てて指に弾かれた。

 「裏か。…はぁ」

 

 「…そうか。そうだったな…」

 しゃあないな。と、俺が大凶星と戦う覚悟を決めたちょうどその時、右手で天パぎみの頭をかき、天を仰いだ大凶星が小さく息を吐き出した。


 「ガキんちょだから、どーした?無垢な赤子だろーが、死の間際の老人だろーが、俺は全てを不幸にしかできない大凶星。相手が誰だ、なんて考えるだけ無意味だった…どーせみんな不幸になるんだからなぁ‼」


 改めて、凶悪な笑顔で俺達を見下ろした大凶星は首から下げた数珠を自らの足元に配した。それは、タマモやリョウマがやったのと同じ動作である。

 「八門遁甲、四凶の陣…〝饕餮とうてつ〟‼」


 「何ですか⁉その陣は!バカにしているんですか‼」

 キョウの説明によると、自分の周りに吉門から順に並べただけ。生門→開門→景門→休門→驚門→傷門→杜門→死門と本当に順番に並べているだけの陣らしい。しかも、ご丁寧に四方に開門を作っていらっしゃいませして。

 …それが本当だとすると、自分の周りは殆ど無防備じゃねーか。隙だらけの陣…っつーか、陣と呼ぶのもおこがましい。何一つ、守っていない、守ろうとしていない。…何かもう、ここまで来ると逆に責めづらい…普通の人間ならば。

 しかし、さすがはキョウである。考えなしに入口の開門に足を踏み入れ…


 つるっ


 …ようとした足が、バナナを踏んで滑った。

 「え?え?え?え?えええええええええええええ⁉」

 そして、隣の〝死門〟へと踏み込む。


 ぐきぃ

 「あ、足、捻ったぁ⁉」


 がんっ

 「う、植木鉢が空から落ちてきたぁ⁉」


 どげし

 「強風で看板が飛んできたぁ⁉」


 キョウは次々に凶格へと足を滑らせ、その度に災難を全身に浴びつつ地面を転げまわった。…十数秒後、ようやく止まったキョウは、片足を突き、血を流しながら息も絶え絶え…しかし、不屈の闘志で立ち上がる。


 「やりますね!」

 何にもやってねぇよ‼


 「しかし、痛くも痒くもありませんよ!」

 血まみれじゃねーか‼


 「私はこのくらいではヘコたれませんよ‼」

 反省しろぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼


 キョウがおもむろに両手を顔の前で交叉させる。この動きは…トキのあの動きと同じ…おそらくは袖口に鎖と〝星石〟を仕込んでいるのだろう。そして、とても俺には真似できない早業で〝星石〟を選んで鎖に配置し、陣を描き出すのだ。


 と思ったんだけど、キョウの動きはそこでピタリと止まっていた。


 「星石落としちゃったぁ…」

 …俺、もう帰っていいっすか?


 全く色気無く服をはだけて、シャツとスパッツ姿になって、キョウは星石を探す。ポケットを漁り、地面に這いつくばり、服をバサバサする。しかし、どれだけ探しても見つかる気配もなかった。…だから涙目になってこっち見んな‼


 自分を覆う影に気づいてキョウが見上げると、大凶星が刀を振り上げていた。

 「…じゃーな」


 俺はポケットに手を突っ込み、10円玉を弾いた。

 「表が出たら助けられる!裏が出たら助けられない‼」


 10円玉を空へと弾き様に飛び出し、危機感皆無の呆けたキョウを突き飛ばす…まさにそこに〝刀〟が振り下ろされた。盾や壁や柱や鉄棒までを、豆腐か何かの様に易々と切り裂く…この世に斬れぬモノは無し〝サムライマスター〟の日本刀が。


 ど、どうする⁉受けるか、逃げるか…ってか、そんな考えしてる時間がねーーー‼考えている間にどんどん近づいて来るしぃ‼でも、逃げながら戦うとか困難‼っつーかもう目の前ぇ⁉俺、頭ん中グルグルしてるだけで指一本動かしてねーーー‼


 10円玉が地面に落ちた。


 「死んだぁ‼」

 同時に、大凶星の刀が俺の頭に命中する。


 「何ぃぃぃいいいい⁉」

 そして、刀が折れた。


 「…あれ?」

 結局、何もできずにオロオロするだけだった俺の脳天目がけて振り下ろされた刀は、頭を切り裂くどころか、その刀身の方が真っ二つに折れ飛んだ。そして、折れ飛んだ刀はクルクルと回転して大凶星の右足へと刺さった。

 

 多分、遠くから聞こえるのは、その大凶星の悲鳴だろう。…いや、遠くないのか?俺は今、考える事ができない。違う、無意識に思考をし過ぎて、その処理が全く追いつけないのか。考えているんだけど、考えられない放心状態… 


 「無事…だよね?」

 …何度も何度も額をさすってみるが、血は付いてこなかった。見えないけど、痺れるけど、痛いけど、実は脳天割られてるという事は無いみたいだ。絶対に真っ二つかと思ったけど…あの、全てを切り裂いたサムライマスターの刀だもの。


 何で、俺、助かったんだろ…偶然、額の当たり所が良かったとか?逆に、刀の方の当たり所が悪かったとか?…いや…それ〝サムライマスター〟が全てを切り裂く理由だろ?あいつの前ではすべてが大凶になるんじゃないのか?

 …うーん、いったん深呼吸して落ち着こう。何か冷たいしな。


 ぴちゃり


 ふと自分のパンツの中に手を入れてみる。

 「………」

 だいじょーーーーーーーーーーーーーーーーーーぶ‼


 「本当かぁ?」

 「ほ、ほほほ、本当に決まってんだ何言って君は証拠ありんだったらうなよ‼」

 「…何を言ってるか分からんぞ」

 大丈夫なのぉ‼


 大凶星はその場に腰を落としている。折れた刀が突き刺さったのは右足の脛の辺り。それが重傷なのかは分からない…体中が傷だらけ血だらけだから。その表情は苦痛に歪んではいるが、その大半は笑顔だ。屈託のない心の底からの大笑い。


 「っはっはっは‼…ん?ああ、違う違う。チビったのを笑ってるんじゃねぇ」

 「チビってませんが⁉人聞きの悪い‼」

 「俺と一緒って事さ」

 「…え?じゃあ、お前もチビったの?」

 「チビってんじゃねーか」

 俺のバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ‼


 「俺が嬉しいのは、あそこで飛び込んだ事だ。…何でだ?」

 「それは…」

 ハッと気づいて、俺は地面に這いつくばって見回した。それは非常に小さく、また地面と同じ色をしていて、さらに転がり易い形状をしていたからすぐには見つからない…が、なんとか探し当てた。見事に平等院鳳凰堂の描かれた10円硬貨を。

 「こいつで〝見捨てない〟って出たからな」


 サイコロの目とコインの裏表は天のご意志ですよ?


 「そう!それだ‼」

 最っ高の笑顔で、大凶星は俺を指さした。

 「嬉しいぜぇ…さぁ!そ~となりゃぁ戦い直しだぁ‼待ってろ、今、足を」

 「いや、その隙に逃げるわ‼」

 「ちょ…ま、待てよ!お前はせっかく会えた、せ」

 せ?


 ばきぃ

 「いったぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああ⁉」

 さすがは大凶星、無理やり足を立たそうとして、…足があらぬ方に曲がっていた。余りの激痛に大凶星は右足首を左手で抑えて蹲るようにして震えている。その痛みを予想して鳥肌を立たせた俺は、申し訳なさそうに彼に背を向ける。


 …あ、そーいえば、キョウのこと忘れてた。

 俺に突き飛ばされたキョウは、その拍子で頭を打って気絶してしまったようだ…ってか、寝てるよね⁉ヨダレ垂らして寝言言って幸せそうに寝てるよね⁉

 ようやく訪れた安堵に大きく息を吐き出して、俺は街の明かりへと歩…


 「………」


 いや、

 俺はぐるりと辺りを見回して、3つ先の屋根にその建物を見つけた。鍵もかかっておらず、まんまと侵入した俺は、手近な小部屋を3つほど探して回る…工場ならきっと…お、ここは従業員がつかってた部屋…ロッカーあるし…あ~る~か~な?


 『〝ツナギのずぼん〟をみつけた!ちゃらららっちゃら~』


 さすがに、このまま帰りたくない。冷たいし、電車乗れないし…

 「…よいしょ…っと」

 俺はぎこちない動きで、ズボンとパンツを下した。


 ばんっ


 「トキぃ⁉トキはどこじゃ⁉」

 「あ」

 ドアを開けて現れたのは…タマモだった。


 ばきぃ


 「ななななななななななななななななな、何をしておるのじゃ⁉おぬしは‼」

 俺はきっと世界一不幸な男に違いない‼


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