第5話  大凶と、戦う運命


 〝大凶星アレ〟は爆炎とともに現れた。


 「あちーーーーーー熱い!熱いよ‼」

 ただの被災者‼


 火炎地獄を何とか走り抜け、傷だらけの顔面を緩めて凶悪に笑った。空っぽの眼球痕に埋め込まれた白い星石が、その笑みと同じく淀んでドス白く輝く。


 「その喧嘩、俺も混ぜろよ」

 「…火ぃ消してから言おうか」

 お前、火だるまだからな?


 ああ、髪が燃えてチリチリアフロになった…わけじゃない、元々天パ気味のボサボサ長髪で床をはき散らすように転げまわってんな…黒い着流しも砂だらけ。

 ようやく火を消し止めると、ハンニャと眼帯目掛けて指さした。


 「『サムライマスター最強決定戦』に、俺がいなきゃ始まんねぇだろ!」

 そんな催しをしてた覚えはねぇ。


 その手に握られるのは、あの黒い魔剣と同じく150㎝はあろうかという長刀。すでに鞘から抜き放たれており、文字通りの白刃を光らせる。


 …っつか、銃刀法違反者こいつなんで思いっきりポリのど真ん中に現れんの?

 

 「いや、ふつーに道空けてくれたけど」

 ポリーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 思いっきり呪詛を込めて向けられた俺の瞳に入ってきたのは、隣の同僚を指さして責任をたらい回しにする警官の群れ。アリの這い出る隙間もなく数十人の警察官が輪になって、数百人の警察官が半径1㎞を封鎖していた筈だよねぇ‼


 溺れる者は藁をもつかむ。俺に残された藁は…


 「リョウマーーーーーーーーーーーーーーーーー‼」

 『おかけになった番号は、お客様のご都合により使用できません』

 着信拒否すんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 行き場のない絶望を絶叫したい俺とは対照的に、大凶星は鼻歌でも歌いそうなくらいご機嫌だった。目が合うと、まるで長年の友人のように手を振って、笑顔で歩み寄ってくる。…うん、とりあえず、無視しよう。無視無視。


 「ああ、サムライが語り合うのは…やっぱ刀で、だよな?」

 「違ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう‼」


 大凶星が、刀を鞘から抜き放つ。言っちゃ悪いが、小汚いなりの奴には似つかわしくない太陽の光を全て反射するような輝く刀身だった。多分、特に伝説の名刀なのではなく、あいつが持った刀は全てそうなる。あれ、星石の光だ。


 「ど~れ~に~し~よ~お~か~な~」

 「俺を入れんなーーーーーーーーーーーーーー‼」

 楽し気に指差し数える側とは裏腹に、数えられる側に笑顔はない。…まぁ、ハンニャのサムライマスターには、そもそも表情が無いけど。しかし、確実に大凶星からは距離を取ろうとしていた。黒い長刀…十咫の剣を初めて前方に向けて構える。


 一方、もう一人には明らかな表情があった。


 「…大凶星ぇ」

 内側の疼きを和らげようとするかのように、右目の眼帯を掴み抑える。そして、左目の星石眼は真っ白く燃え上がる様に…とんでもない怒気を発していた。

 こいつは、明らかに大凶星を知っているな…何とか、それを黒いコートの内側へと抑え込もうとしているようだけど、無駄な努力。うちから溢れ出すそれは、隠しようが無かった。…いや、隠しきれるものではなかった。


 「う~んめ~い~の~ゆ~と~り~ぃ…っとぉおおおおおお‼」

 同時に、3人が地面を蹴った。


 「大凶星とは私が戦います‼」

 ハンニャに飛びかかろうとした大凶星、その大凶星の横から斬りかかろうとした眼帯のサムライ、そして、その眼帯のサムライの前にはキョウが立っていた。


 「あなたはそのままハンニャを‼」

 有無を言わせずに言い放つ、キョウはすでに足元に星石鎖を配している。苦痛を抑え込む様に眼帯を握りこんでいたサムライは、一瞬「どけ」と言いかけて、黒いコートを翻して真っ赤な忍者に背を向けて駆け出した。

 すでに、キョウの『忍術』が発動状態にあったからだ。足元に配された5色の星石は光を放ち、それが空の星の光へと届きそうだった。


 「雷遁〝タケミカヅチ〟‼」

 いきなり空が暗くなった、…と見上げた刹那、稲光に目が眩む。猛獣の唸り声の様な轟音が響き渡り、衝撃は地鳴りとなって大地を震わせた。俺達の全身を電気が走ったかのような衝撃…雷が落ちたのは、すぐ真上、ビルの上の給水塔だった。

 …いや、かつては給水塔だった、と言うべきか…落雷の衝撃で焼きコゲた大穴が開き、煙を吹いて水を溢れさすそれは、…ただの鉄くずとなって降りそそいだ。


 眼帯のサムライマスターの上に。


 「あれ?」

 「味方を潰すなぁぁぁぁああああああああああああああああああ‼」

 最悪じゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 いきなり降ってきたそれを、しかも前だけ見て走っていた男に避けられる筈もなく、眼帯のサムライは鉄骨やら鉄パイプやら鉄板やらに埋もれた。その、とんでもない重量の衝撃は落雷と遜色なく、巻き上がった土煙は周囲を灰色一色にする。


 その、煙が晴れた時、ハンニャはすでに姿を消していた。


 「…ありゃ。もう、お前と戦うしかねーじゃん」

 最悪じゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 俺が一縷の望みを託して凝視していた、最後の煙の一欠けらが晴れて、もうハンニャのサムライマスターがここにはいない事が確定する。ならばと60度斜めのガレキの山を凝視してみるも。…いつまで待ってもピクリとも動かなかった。

 空を見上げた。が、…やっぱり、正義のヒーローが助けに来る気配はない。


 その間、大凶星は待ってくれていた。…俺の、絶望を味わうかのように。


 そして、…このままいつまでも振り返らずにいよう。と俺が決断する1瞬前に歩き始める。この期に及んで振り向かない訳に行かず、恐る恐る向けた瞳に…大凶星の最っ高の笑顔が入ってくる。思ず眼を逸らして左を向いた、そこにいたのは、


 「一緒に戦いましょう‼」

 間違った。


 右を向いた、そこにいたのはポリスメン達。俺が助けを求めて見渡しても…無駄だった。むしろ求められたから。ケイも全く同じだし、アンさんの目はパソコンから上がって来ない。絶望しかけて、気づく…一人だけ例外がいた。


 「この、キョウがいるじゃないですか‼」

 お前じゃねぇ。


 たった一人、銀色の瞳にポジティブな炎を燃やすそいつは、銀髪を左右に振るう力強い足取りで俺の前に立つと、どすんと重そうなリュックを俺の前へと置いた。そして、そのリュックの中から取り出したアイテムを俺に突き付ける。

 「これを使ってくだサーイ‼」

 「…これ?」

 それを、どういい表わせばいいか、すぐには分からなかった。


 「〝銭剣〟デース」

 うん。まぁ、そらそーだべな。


 5円玉が繋ぎ合わされたそれを〝銭剣〟と言われれば、それはその通りだった。柄の部分は横に百枚くらいが数珠つなぎになっていて、十文字の剣と鍔の部分は縦に十数枚が並ぶ。一見、ヒモで全て縛られているようだけど…

 …いや、ちょっと待て。改めてみたシルバの顔は…自信満々だった。右に束ねた銀髪を左へと跳ね、ふんぞり返って上を向き、メガネをクイッと上げる。えー…

 これが『夏休みの自由研究』でないとすると…なんだっけ?見た事あんな…


 「キョンシー映画からの着想デース‼」

 「あー…」

 「アンさんの」

 アンさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん⁉


 「アユムさまも〝仙人〟ですから、使えますよね?」

 もげそうな勢いで首を振って…つった。苦痛に歪めつつ、見上げたアンさんの微笑みは…あえて言えば『慈母』だった。全てを慈しみ、全てを愛し、全てを許してくれそうな微笑みで、…この5円ソードを俺に渡そうとしているよねぇ?

 

 えー…これ、どう使うの?

 それは大凶星も同感だったらしい。この5円ソードで俺が一体何をするのか、わくわくして見守っていた。…が、悪いけど俺には何一つ答えがねーぞ。


 答えがない時どうするか、言うまでもないよな?


 「表が出たらコレで戦う。裏が出たら戦わない」

 指に弾かれた10円玉。いきなりのそれは、観客たちから言葉奪った。そして、全ての衆目を集めるそれが地面に落ちて止まった。表だ。

 「…しゃーねぇ。試してみるか」

 

 俺は〝銭剣〟を大きく弧を描いて、大凶星へと向けた。

 「銭剣ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーム‼」

 「………」

 しかし、何も起こらなかった。


 「…まぁ、そらそーだべな」

 「バカみたいですよ?」

 お前にだけは言われたくねーーーーーーーーーーーー‼


 …逆に言えば、キョウ以外にはバカと言われても仕方がない。…振り向かなくても分かる。自分が笑われている事が。いっそ気のせいかと思えるほどクスクス笑ってくれればいいものの、声を上げて否定しようがなく笑っていたから。


 「…畜生、何で、俺が、一人で、」

 『一人じゃない』

 インカムから聞こえる男の声は、耳の奥から聞こえて心の奥へと染み込んだ。

 「…リョウマ」


 『俺は貴様を見守っているぞ』

 「…どっからだよ」

 『2㎞先の鉄塔の上からだ』

 遠ざかってんじゃねぇかコノヤロウ‼


 他人に幾ら笑われようがどーでもいい事だ。別に、こいつらを守る為に前に立った訳じゃねーからな。コインの裏表は天のご意志。その目が「これで戦う」と出た以上、それ以外の選択肢は俺にはない。銭剣を色んな角度から眺めてみる。


 ええと、映画とかでは確かこれで…

 「チャンバラしてマシタ!キョンシーと‼」

 …いや、それ、むり。


 「五円の剣で大凶星とチャンバラ、とか、ギャグでしかないぞ⁉」

 「あんたにピッタリじゃねーっすか」

 ボケで死ぬんじゃーーーーーーーーー‼このギャグは‼


 「心配はいりません」

 振り向いた先に、アンさんのこの微笑みが無かったら、ケイを怒鳴り飛ばしていたかもしれない。一瞬、本当に心配がどっかにぶっ飛んで行った。パニックに陥った市民に向ける、シスターの…天使の微笑み。

 ケイも同感だったようで、身構えた姿勢のまま俺と目と目で会釈する。


 「もしもの時は、銅像を建てます」

 嬉しくねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 「結局、『チャンバラ』でOK?」

 「ちょ、ちょ、待て‼」

 待ってくれる筈が無かった。というか、すでに刀は大きく振り上げられている。むしろ、他のサムライマスターなら、3回は一刀両断にできたのではなかろうか。しかし、大凶星はそれをしない。…一秒でも、一瞬でも長く楽しみたいから。

 その、眼前に、俺は5円の剣を向けた。


 「はっはー‼お前、本気でそれで止めれると思ってんのかぁ⁉」

 思ってなかった。


 腰が引けまくった情けないポーズで、泣きそうな顔をしわくちゃに歪めながら、銭剣を震える手で何とか…できる限り頭より放してかざす今の姿が、俺の本心を余す事無く表わしていただろう。そこに、全てを斬り割く刀は振り下ろされた。


 「え?」

 5円の銭剣は、本当に〝大凶星〟の刀を止めていた。


 「…ほぉ」

 それは、奴の今日初めての真顔だった。その表情のまま、大凶星は刀を真横一文字に振り切った。ひぃ!と小さく悲鳴を上げた俺は、腰が引け切った情けないポーズのまま、何とかそれに合わせて銭剣を頭の上に掲げる。


 「ええ⁉」

 今度はブッた斬られた。


 腰が引け切っていた事が幸いしたのか、そもそも長身の大凶星の横の一振りは高すぎたのか…斬撃は俺の頭上を越えていった。2秒ほど、柄だけになった5円ソードを握りしめていた俺は、尻餅をついたそのまま、ゴキブリの様にそこから離れる。


 「…何で止められたんだ?」

 「な、何で止められなかったの?」


 逆の事を言っているようで、俺と大凶星は同じ事を言っていた。…何だ?この法則性は…何で最初のは止められて、何で二撃目は止められないんだ?見つめてみても、柄だけになった5円ソードは力を抜くとバラバラと崩れ去った。

 …そもそも、何で俺はこんなもんで戦ったんだっけ?


 「10円の目が〝表〟…コレで戦うと出たからだ」

 コインの裏表は天のご意志ですから。…あ。


 「裏表、か」

 コインにあるのは裏表だけ。当たれば止められて、外れれば止められないのか。

 そんなもんで完全納得できたのが、きっと俺が〝仙人〟である所以であり、そんなもんで完全納得できるから、こうして〝仙具パオベイ〟を産みだせるのだ。


 「シルバ!予備はねぇのか⁉」

 しかし、返事は返ってこなかった。

 開いた口が塞がらない。…と言っていた。シルバだけじゃなく、ケイも、警官達も、意志もなく口を開くマヌケ面で、同じく意志もなく動かせない瞳を俺に集中させる。さっき笑っていた、自分達をもはや見つけられずに。

 …相変わらず、パソコンしか見ないアンさんにはちょっとこっち向いて欲しい。

 

 「ある‼あるあるあるあるあるあるある!ありマスヨーーーーーーーー‼」

 急に我に返って、シルバがリュックの中を漁る漁る漁る…四次元ポケットかよ、とツッコミたくなるほどガラクタを放り投げた後、それを勢いよく右手に掲げた。

 「5円ベルト、デース‼」

 …つけたくねぇなぁ。それ。


 ガンベルトの、予備の弾を入れておく所に、代わりに5円の棒金が入っていた。外からは見えないので、一見すると分厚い皮ベルト。…ただ、名前…

 受け取った皮ベルトを腰に巻き付けて、弾入れに入っている五円棒金の一本…と言っても、ビニールではなくヒモ巻きにされているのだけど、それをを手に取り、空振りしてみる。…おお、鞭みたいに伸びたと思ったら、剣の形に固定した。


 いつもの事だが、この間、大凶星は襲いかかって来なかった。遠足前日の小学生の様なワクワク顔だ。その、視線の真正面をジュラルミンの盾で塞ぐ。

 そして、無造作に銭剣を一閃した。


 「表だったら斬れる。裏だったら斬れない」


 何の衝撃もなかった。その前から斬れていた、その断面を追いかけていく…かの様に、銭剣の一振りでジュラルミンの盾は真っ二つになる。


 何でかと問われれば〝偶然〟です。


 …目をこれ以上なく括目する、静まり返った観客たちの前で、乾いた音を立ててジュラルミンの盾は転がった。人々の目はその断面へと向かい、最後に俺の顔を見る。…恐怖と驚愕と敬遠が入り混じった、歪んだ表情を。

 この銭剣…ただのイヤガラセかと思ったけど、ちゃんと仙具だったんだなぁ。


 「…チッ」

 え?


 視界の隅の隅の隅っこにそれを見つけ、首がもげそうな勢いで後ろを振り返る。そこでは、アンさんが変わらぬ笑顔で俺を迎えていた。…隣で、ケイが顔を真っ青にしてドン引きの余り尻餅をついているけど、…きっと気のせいだな。


 「…やっぱ、お前はサイッコーだよ」

 情熱的な台詞とは裏腹に、大凶星は慎重に距離を測りながら刀を握り直す。如何に大凶星とはいえ、所詮は『人為』。仙人である俺の完全なる偶然『天為』には勝てないからな。それは〝運命〟だからだ。当たれば50%の確率で真っ二つです。

 改めて銭剣を握り直し、俺は大凶星へと向き直った。


 「と見せかけて『賽卦五行殺』~」

 「うそーーーーーーーーーーーーーーーーーーん‼」


 弾かれて転がるサイコロの目は…『4』

 「熱ぃぃぃぃいぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい⁉」

 いきなり、大凶星の肩口に火が付いた。そして、それを叩いた刹那、全身の衣服に燃え広がった。その熱さに、と言うよりは、それから連想された体の焼ける恐怖に、怯え、パニックになったのだろう。…その経験、ありまくる奴だからな。

 勿論、俺はその隙を斬るのだけど。


 「表だったら斬れる、裏だったら斬れない!」

 振り下ろされた5円ソードは、…大凶星の刀に跳ね返された。ハズレか…うん、まぁ、しゃーない。火に巻かれていた大凶星は、それで我に返って俺を睨んだ。そこに2撃目が振り下ろされるも、また鋼鉄に真鍮はあっさりと跳ね返される。


 すでに狙いが刀だと気付いていた大凶星だが、纏わりつく炎に顔を歪めて目を細めたそこに、両手握りで渾身の力を込めた俺の3撃目が襲いかかるも弾かれ、ようやく刀を構えたその刀に振り下ろされた4撃目も、大凶星の刀は食い止める。

 そして、5撃目も止められた。


 「何で5回振って斬れないのぉ⁉確率50%だよねぇ⁉」

 「…確率、50%だからだろ?」

 うん、そう。


 「…さっきのって、偶然なんじゃね?」

 偶然だよ‼

 余りにも核心を突いた、…的外れな外野の指摘に、ツッコミを入れる暇はなかった。もはや大凶星は完全に戦闘態勢を整えてしまっていたから。奇襲失敗‼


 咄嗟に3歩後ろへ飛ぶ。さっきのサムライマスター達なら、次の瞬間には目の前にいるだろうが、大凶星の刀の間合いからは十分に外れた筈…根拠ないけど。俺には間合いなんて計れないから。チャンバラで最も大事なのが間合いなのに…


 …間合い?


 「これか‼」

 俺は銭剣をブン投げた。


 大凶星は咄嗟にそれを刀で弾こうとして、踏み止まり、首だけを動かしてかわす。50%の確率で刀がぶっ壊れるからだ。咄嗟のその反射神経はさすがだったが、体勢を崩して右斜めに体が沈む。その隙をついて、俺は飛び込んでいた。

 ただ、大凶星の目は、完全に俺の目と合っている。


 「そー来ると思ったぜぇ‼」

 「ところがどっこい‼」


 遥か間合いの外から、俺が銭剣を振ろうとしていた。これは「そー来ると思っていなかった」大凶星は硬直する。その位置で銭剣を振っても、届かない事は明らかだったからだ。むしろ自分が進んで間合いを詰めてはいけない。


 ところがどっこい、銭剣は届いた。


 ベルトから抜かれた5円の棒金は、抜き放たれると同時にバネの様に急激に開放されて、鞭のように伸びる。そして、銭剣の形に固定するのだけど、今回はその一番長い状態で大凶星の刀に届いていたのだ。

 「コインの目はー」


 大凶星の刀が折れ飛んだ。


 「表だ‼」

 「…じゃあ殴る」


 自分の刀身が弾け飛んだ瞬間、それを手放して、大凶星は拳を握り締め、右足で大地を踏みしめる。刀が折れたのを見て、これで終わった…そう胸をなで下ろしたのは警官達だけであり、その望みは一瞬で消えた。


 その、絶望の空に、10円玉が舞っていた。


 「表が出たら右が正解。裏が出たら左が正解。…どっちから殴ってくる?」


 10円を弾いたその手が描いていく構えに、さすがに大凶星も警戒を隠せない。


 「その、二重丸を書いて真ん中に棒を一本ひく手の動きは…」

 「………」

 「おま」

 「陰陽二元の陣だよ‼」


 叫んだ直後、俺と大凶星の間に10円が落ちた。それが表ならば右から撃てば勝てるし、裏ならばその逆だ。無論、答えはちょっと下を見れば分かる。

 …見たらイカサマで負けなのだけど。


 「このまま〝右〟だぁぁぁああああああああああ‼」

 足元を見るなんて考えもせず、大凶星は踏み込んだ足で地面を蹴った。合わせて俺も右拳を振りかぶる。二匹のオスが、雄叫びを上げた口を閉じ、歯を食いしばって、相手の顔面目がけて殴りかかった。


 「…残念、やっぱり〝表〟だったなぁ‼」

 大凶星の右拳が俺の頬にクリーンヒットしていた。一方、俺の拳は大凶星の耳を掠めてく後ろに消えた。〝偶然〟クロスカウンターが綺麗に入った状態。それが脳裏に浮かんだ時、すでに俺は背後にいた観客の人だかりまで殴り飛ばされていた。


 ぱふっ


 あれ?柔らかい…

 「な、なななななな、何してんだよ、お前ぇえええええ‼」

 …この声は、ケイか?すると、この柔らかい膨らみはケイの…見上げた鼻先5㎝に女の顔があった。前髪や睫毛の末端まで、全てが完璧に整っていた女性が。今は、俺に押し倒されて、髪も、襟元も、乱れてしまっていたけども。

 ただ、表情だけは変わらず整ったままだ。

 

 「…大丈夫ですか?仙人さま」

 「すんませんすませんすんませんすんませんすんませんすんませんすんません」

 土下座百万回。


 恐る恐る見上げると、すでにアンさんは俺の事など見ていなかった。すぐさま立ち上がって着衣を整え、何事もなかったよーにパソコンに視線を落としていた。

 …ちょっと待てよ?

 「俺にラッキースケベが発動したって事は…」


 振り向いた、その目の前で、大凶星がトラックに轢き潰された。


 「なああああああああああああああああああああああああああああああ⁉」

 まさに突然の出来事。とんでもないスピードで突っ込んできたトラックが、大凶星を轢き潰しざまに向かいの博物館に突っ込んだ。運転席はメチャクチャに潰れて壁にめり込み、その下…を見ようとする前に、爆炎が車体を飲み込んだ。


 恐る恐る地面を見ると…10円は〝裏〟だった。


 こ、これが『陰陽二元の陣』による〝本当の不幸〟って事か。コインの裏表は天のご意志。それは絶対に回避不能な〝運命〟…大凶星とて、例外ではない。


 「…ちょっと待て」

 10円が落ちた瞬間、トラックがテレポートでもしてきたってか?


 隣が高速道路ってならともかく、公園の、博物館の敷地内だぞ?明らかにそのトラックは、俺達がチャンバラしてた頃から博物館の中を暴走しているぞ。俺が助かった理由はともかく、トラックが現れた理由は違うだろ。


 『トラックは大凶星に命中したか?』

 「はい。リョウマ様。命中いたしました」

 お前かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼


 一瞬で謎が解けたよ‼インカムから聞こえるこの無表情な声で‼そーいやこいつ、以前全く同じ理由で貨物機を俺達もろとも大凶星に落としやがったよ‼


 『よくトラックをこの場所であの速度で走らせ命中させたな。見事だ、アン』

 「あ、ありがとうございます!リョウマ様‼」

 アンさーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん⁉


 リョウマにド直球で称賛されて、アンさんは顔を真っ赤にして心の底から喜んでいた。確かに凄いよ?トラックを自動操縦で命中させるだけでも難しいだろうに、それを公道でもないどころか、博物館の敷地中でやったんだから。あの速度でな。


 …狙いに俺が入って無きゃな。


 明らかに、アンさんは俺を巻き込んで大凶星を轢き殺すよう、トラックをコントロールしていた。…時系列から言って、俺を前面に出して、警官を下がらせた理由がこれだ。発案はリョウマかもしらんけど、実行者は間違いなくアンさんだった。


 その心が思いっきり出まくった俺の顔を見て、アンさんはにっこり微笑んだ。

 「無事だったでしょ?」

 それ結果論‼


 「では、さっきのアレとでおあいこという事にしましょう」

 あいこになんねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼

 …っつか、さっきのアレ、って、俺、何一つ悪くないよねぇ?殴られて飛ばされた場所がそこだっただけだし、コインの目は〝偶然〟だし、仙人の能力としたって大凶星との戦闘中だ。これ、トラックで引き潰そうとすると、…あいこなの?


 俺は俯いて、右の掌をじっと見つめた。

 「ま、いっか‼」

 俺はチョロかった。


 さっきまでとは一転、警官達が忙しく動き回っていた。どうやらあのトラックに轢き殺された警官はいないので、…アンさんが事前に散開させたのだろう。

 そこでは、もはや普通の警察官のお仕事が始まっていた。

 レッカー車やクレーン車の手配を携帯に語り掛ける者、同じく携帯で連携してこの付近に人が近づかないようにする者、飛び散ったガラス片や金属片を慎重に回収する者、そして潰された人間を救出しようとする者。


 大凶星は見つからなかった。


 一番大きな人だかりが激突したトラックの周りにできていたが、トラックの下に引き裂かれた大凶星の遺体はなく、トラックと博物館の間にも押し潰された大凶星の遺体はなく、トラックの車体にも燃えて灰になった大凶星の遺体は無かった。

 「…まぁ、アレは死んでないけどな」


 問題はこっちだな…


 「…いや…コレは死んでるだろ」

 もう一つの集団が…キョウが忍術で落とした給水塔の残骸…この鉄製の廃材の下からの、眼帯の救出を試みる集団だ。…救出?いや、遺体の回収でしょ。体が鋼鉄ででもできていない限り、その下敷きになって生きてるとは思えないけど…


 「…あ~…死ぬかと思った」

 ピンピンしてた。


 クレーン車が到着して、ぶっとい鉄骨がどけられた事で、ちょうどその隙間に挟まれていた眼帯のサムライマスターは這い出れた。一方では、そのぶっとい鉄骨がその他の落下物を防いでくれたからこそ、ピンピンしていたようだけども。

 トランクの中くらいのお一人様スペースに閉じ込められていたからか、眼帯のサムライマスターは渾身の伸びを大空に向けて放っていた。その背中を人々は、…疑惑の目で見ていた。本人もすぐにそれに気づいて、バツが悪そうに視線を逸らす。


 「いや、まぁ、これでも〝サムライマスター〟だからな。何とか…〝偶然〟傷つかない場所を選べたよ。いや、本当ギリギリだったけどな…」

 …〝偶然〟ってすげぇなぁ。


 その説明で納得した警官はいなかった。が、警官達はもう思考を放棄していたので、あえてツッコまなかった。不思議現象てんこ盛りだから。その一因である真っ赤な忍者だけが、意外にも納得してなさそうに口を尖らせて首をかしげている。


 「…それにしたって、無傷っておかしくないですか?」

 「お前がゆーな‼」

 ボケで死人出す訳にいかんやろが‼

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