第8話 ロロと謎の生物

 寮の屋上が月明かりに照らされている。とても綺麗な夜だ。

 汗がじんわりと背中のシャツを湿らす。じっとりと、額からも浮き出てくる。腕の筋肉が悲鳴を上げる。「712、713」と自分を奮い立たせるためにも呟く。さぼってた期間を取り返さないと。


「昨日もやってたな」


 音もなく、ポックが屋上にいた。声をかけられるまで全く気づかなかった。ポックの習性なのか、自分が素振りに集中していたからか。


「ああ。さ、最近さぼってたからな」


 手を止めずに、俺は答えた。


「ふーん」とポックは月を見上げ、「ここはこの街にしては空が奇麗だな」と寂しげに呟いた。

 中庭という名の、リーフ市唯一の大きな森が近くにあるからだろう。寮は学校のそばにあるのだ。

 あれ、今何回だっけ。だいたいでいいか。


「712、713」


「数字増えねえな」


 とのポックの指摘に、


「じ、自分に、厳しく、だ」


 と苦し紛れに返す。

 あれ、今何回だっけ。


「勇者さまも大変だな、っと、あいつは」


 ポックが屋上の柵から地上を見下ろしている。

 気になる。今日はもういいか。手を止め、ポックのもとへ向かう。


「なんかいたか、ポック」


「ああ。ロロだな」


 ポックは目を細める。


「は?どこだ?なにも見えねえが」


「あそこだよ、あ、学校の方へ向かったぞ」


 目を凝らしてポックが指差す方を見る。

 全然見えない。こいつの視力はどうなってんだ。


「おい、いくぞカイ。念のため剣ももってくか。もってってやるから一旦かせ」


「お、おお」


 と剣士の魂でもある剣をやすやすとポックに渡す。いいのかおれ。

 ポックはどこからか紐を取り出し、剣を片手にするすると地上へ降りていく。4階建ての屋上なんだが。

 地上にポックの影が見える。めっちゃ手招きしてるのが分かった。

 微かに腕が震えている。勇者を目指すもの、いや、真の勇者を捜しにいかんと志しているものが、このくらいのことで臆してはいかんな。いけ、俺!

 おそるおそる柵を超え、柵に結ばれたロープを持つ。なんか見たことない縛り方がなされている。確認のため、一、二度ロープを引っ張る。頑丈そうではある。意を決して、壁伝いに下りていく。腕の筋肉は持ちそうだ。明かりが目に入った。誰かの部屋だろう。うまいこと避けて通りたいが、ポックほどの身軽さはない。するすると真っすぐに下りていく。そのまま部屋の明かりに照らされる。誰も見ていませんように。あ、アルトの部屋か。パジャマ姿のアルトの背中。かわいらしい動物柄だ。アルトの隣にいる、ルームメイトの後ろ姿が気になった。大きな、隆々とした背中。よーくしっているあいつだ。40人目の同級生。ようやく学校についたのか。俺の地区からは俺とこいつがこの学校へ進学していた。俺が天才ではないとありありと分からせてくれたのは、この唐変木である。後ろ姿だけでもわかるぞこの野郎!っと、そんなことを言っている場合じゃない。するすると地上へと下りる。地上へ下りるとはこれいかに。


「何にやついてんだよ」


「いいや、いいんだ。急ぐか」


「こっちだ。後ろ姿が見えた」


 ポックを先頭に、ロロを追う。学校までやってくると、ポックが歩みを緩めた。


「どうした、いたのか?」


「ああ、中庭の方へ入っていくな」


 本当、よく見えるな。


「目的がわかるまで慎重に追おう」


 とポックはにやりと笑った。確かに、ワクワクはする。

 中庭までやってくると、さらに慎重に歩を進める。俺にはどこにいるかわからないが、「こっちだ」とポックが先導する。

 中庭の一般公開エリアから、学習エリアへ。

 比較的木々の開けた、月明かりの届く道である。

 学習エリアも随分奥まで来た。そろそろ危険エリアも近い気がするが。


「ここだ」


 ポックが立ち止まった。小川があった。その向こうに、月明かりに照らされたロロがいた。そして、ロロのそばには。


「あ、あれって!」


 やべ、声が出てしまった。ロロがこちらを振り向く。よりも早く、ロロのそばにいた生き物が、素早くこちらに反応した。大きな、充血した切れ長の二つの目が、ぎょろりとこちらを見た。顔の7割を占める大きく開いた口は、開きっぱなしである。大きな舌は常に口からでており、よだれが端から垂れている。まん丸と、満月のように丸い顔から、細い手足が伸びている。胴体はない。奇妙、奇天烈、珍妙、どれも当てはまる、都市伝説レベルの生き物。俺がその名前を言う前に、ポックが叫んだ。


「デ、デメガマ口!」


 誰がつけたか、ひねりのないネーミングである。


「だ、大丈夫、デメガマ、あの人たちは悪い人じゃないから、落ち着いて!」


 となにやら震えているデメガマ口をなだめるロロ。


「ふ、二人とも、なんでここに」


「お前を追って来たんだよ」


 さっきまでデメガマ口に驚いていたポックだったか、もうあっけらかんとなっており、さっさとロロとデメガマ口に近づいていく。俺はそんな大胆ではないぞ。


「ロロ、そいつは大丈夫なのか?」


 デメガマ口といえば、その大きな口は異界につながっているとも言われている。


「だ、大丈夫だよ、カイくん。デメガマはとっても臆病で優しい生き物なんだ」


 世間的には動物というよりモンスター扱いされているが、そもそも見た人がいないしな。まあ、現に目の前にいるんだが。ポックに続き、俺もロロの方へと向かう。


「お、お願い。絶対にデメガマがここにいることは内緒にしてほしいんだ」


 ロロは、嘆願するような目で俺たちを見た。こんなん公にするわけがない。あ、でも公表したら一攫千金はもらえそうだな、なんてげすい考えはかき消した。とにもかくにも、事情を聞いた。 

 ロロは召還士の一族の出で、もれなくロロもそうである。いろんな生き物と触れ合ってきたが、ある日、7年に一度現れるという謎の商人(ロロの一族は古くから付き合いがあるらしい)が落とした召還魔法を発動させる巻物を拾い、それを隠れて発動させてしまう。すると、現れたのがデメガマ口だった。すでに商人は去っており、すぐにことの重大さに気づいたロロは、デメガマ口を近くの森に隠した。街でその珍妙な生き物について調べると、都市伝説上の生物で誰も見たことがない、とされながらも、討伐されるべきモンスターということになっていた。しかし、どう考えても無害なデメガマ口。また、目は充血気味であるが、図鑑の絵や説明とは異なり、モンスターの特徴である赤い瘴気を発していない。ロロは、内緒でデメガマ口を飼うことを決めたのである。商人が再びやってくるときまで。そもそも飼うという表現があっているのかどうかもわからないが。


「それが、去年のことなんだ。故郷においててもデメガマは見つかっちゃうと思って」


 ロロはデメガマと召還の儀式を行い、一昨日こっそりと中庭に召還し、今日に至るらしい。


「一昨日か。じゃあ俺が知らないはずだな。いや、まあ誰にも言う気はねえけど、いつかばれるぜ?」


 ポックの正論に、ロロは困った顔をする。そのロロの背中をデメガマがさすり、心配そうな目でみつめている。信頼関係はありそうだが、そもそもの悩みの原因がお前なんだが、とは言わなかった。


「でも、とにかく、デメガマを見つからないように」


 うーむ。どうすれば。

 頭を掻きながら、ポックが言う


「ったく、まあ、ここよりはましなところを知ってる。行くぞ」


 へい、とポック隊長に従う。

 ついた先に、小さな洞窟があった。


「臆病なんだろ?俺たちが来る時以外はここの中にいとけばいい。声の判別はつくのか?」


「う、うん。ごはんも一日一回ぐらい」


「俺とお前と、カイの声を覚えさせればいい。日替わりで飯をもっていけば、誰か一人が疑われることもねえだろ」


「お、俺も?」


「乗りかかった船だ、いいだろ」


「おお」


 もうお前が勇者でいいよ、ポック。

 寂しげに洞窟へ入っていくデメガマ。また明日な。じゃんけんで負けて、早速明日俺がご飯持ってくるからさ。

 道覚えないといけねえな、と辺りを見渡しながら帰路についていると、お腹が鳴った。


「なんだカイ、腹減ってんのか?俺がきのこ料理でも振る舞ってやるよ」


「そりゃ嬉しいな」



 寮には共同キッチンがあるのだ。なんでもできるポックのことだ。料理もうまかろう。

 翌日、腹を壊した。


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