第一幕

 黒幕とは、黒い幕のことである。私にとって黒幕は、とても思い出のあるものだ。演劇部にいた頃、随分と黒幕に携わったものである。演劇用語では、「暗幕」と表現されることが多い。まあ名前なんてどちらでもいいのだが、ここでは「黒幕」と表現させてもらう。


 黒幕は、舞台を隠すものだ。黒幕の向こうで舞台の関係者は、せっせと大道具を運んだり、照明を調節したり、役者は立ち位置を確認したりしている。これはお客の知らない、「裏側」の世界だ。そこで様々なドラマが生まれる。お客には決して見せない、舞台を創る者たちの「裏ストーリー」が密かに紡がれるのだ。


 私が演劇部にいた頃、こんなことがあった。秋大会の当日、部員一同舞台の準備で慌ただしくしていた時だ。本番十五分前、黒幕の向こうで事件は起きた。


「ねえ、突っ立ってないでさ、準備手伝ってよ」


 私の同級生の一人が、隅で佇む後輩たちに声をかけた。その声色は随分と機嫌が悪いことが伺えた。でも無理もない。私も後輩の態度の悪さに苛立っていた。この人が声を上げなかったら、部長として私が注意していた所だ。


「すみません」


 後輩の一人がそう言った。

 しかしその後輩たちは特に手伝うわけでもなく、私たちの準備が終わるのをうろうろしながら待っていた。準備の段取りは事前に教えている。だから何をすればいいのか、わからないはずはないのだ。それなのに何故、彼女たちは動かなかったか。答えは簡単だ。彼女たちは「私や他の人たちが言ったことを理解しきれていなかった」のである。


 これは何も、説明の仕方が悪かったわけではない。要はただ単に人の話を聞いていなかったか、理解出来る脳を持ち合わせていないのである。演劇部の後輩は皆こうだった。


 おまけにその後輩たちは、態度も悪い。塾だの病院だの、何かにつけてすぐ休む。だから本番間近だというのに、台詞の暗記もままならない。「まあなんとかなるでしょ」という、ふざけた心持ちで舞台に臨んでいる。こっちは真剣にやっているのに。


 大会は当然予選落ち。わかりきっていた結果だった。


 後日、大会の反省会。私は後輩たちを叱った。怒りをぶつけたい気持ちを抑えて、あくまでも冷静に。


「……だから私はそもそもの話、皆の態度が悪いと思う。それに演劇に対する姿勢も悪い。いい? 演劇っていうのは、やっている自分たちだけが楽しいのはダメなの。観ている『お客さん』が楽しくないと、それはただの自己満足の舞台になる。私たちは舞台を『提供』する側なんだから、お客さんを楽しませるような舞台にしなくちゃいけない……そんなんじゃあ、絶対県大会にも出れないよ」


 私の言葉に耳を傾けていた人は、どのくらいだろう。きっと誰にも届いてない。現に後輩の一人はこう反論した。


「自分たちが楽しくないと、意味がないじゃないですか」


 この手が空を舞う感じ。雲を掴むような感じ。結局どれだけこちらが何かを働きかけても、この人たちには通じないのだ。何を言っても虚しいだけ。そう考えると馬鹿馬鹿しくなってきた。

 同時に苛立ちも込み上げてきた。こんなふざけた態度で演劇に臨むのは、演劇に対する冒涜だ。あまりにも演劇に失礼だ。


 この人たちは、演劇をやるのに「ふさわしくない」。


 大会が終わった後、私たちは揃って引退した。まだ二年生の秋なのにも関わらず、揃って引退したのは、後輩が嫌だったからだろう。部長もこの時期に交替した。


 そういえば、この時からだ。私が演劇部を潰そうと思ったのは。


 今まで抑え込んできたどす黒い感情が、引退してから一気に噴き出してきた。「部長だから」という理由で、ずっと後輩の悪口を言うのを避けてたが、この時を境に「後輩が嫌だという気持ち」を隠さなくなった。最も、こんな私の感情を知る者はいないだろうが。


 私の計画はここからであるーーさあ、幕は上がった。


 第一幕、開演。


 演劇部を潰すには、手っ取り早く部員を減らすのがいいだろう。そこで考えたのは、新入生歓迎会だ。ここで一年生の入部を食い止める。

 そのために私は三月、演劇部の部室に赴きこう言った。


「まだ新歓何をやるのか決まってないんでしょ? 私に考えがあるんだけど……」


 あくまでも優しく、善意でやることを前面に出して。決して悟られぬように、あくまでも自然体に。後輩たちを騙す時、私はまるで舞台に立っているような感覚に襲われた。主役はもちろん私。これから自分を軸に物語が展開していくのだ。ならばこの舞台、完璧に「演じ」きってみせようではないか。それが役者の務めだ。台本のないこの舞台、観客のいないこの舞台、最後まで全力で臨もうではないか。その時、脇役である後輩たちは私をどう見ていたのだろう。


 しかしどうやら新歓については手を焼いていたらしく、私の提案はあっさり通った。あまりにも上手くいったので、自分の目を疑ったほどだ。こんなにも順調でいいのだろうか。普通、場を盛り上げるために一悶着ないだろうか。この舞台にはそれがない。スパイスのない舞台だ。刺激がない舞台は、ただただ観客を退屈させるだけだ。全くもって面白味がない。私は肩透かしを食らった気持ちになった。本当に、能天気な人たちである。


 新歓の台本はこんなものだった。後輩が新入部員に部活の説明をしている時に、剣を持った私が演劇部に乗り込む。怒鳴り散らし、演劇部を批判する。後輩はその批判に反論して剣を取り、殺陣のスタート。何回か剣を当て、最後に私は成敗される。そこで劇は終了だ。


 我ながら、なんて酷い話だと思う。こんなので新入部員が集まるはずがない。逆に怖がらせるだけだ。けれど、誰もこの台本に異議を唱えなかった。少し考えれば、この台本の真意に気付きそうなものなのに。つくづく後輩の無能さに呆れてしまう。それとも、私を恐れて反論出来なかったのだろうか。どちらにせよ、こちらにとっては都合がいい。


 しかし練習が始まった途端、私の意に反するように舞台は進行していったのである。


 後輩の一人が、私に異を唱えてきたのだ。自分にもっと出番がほしい、そういったものだった。

 彼女は新入部員を案内する役だ。つまり、私と殺陣をする相手である。出番がほしい、とはどういうことだろうか。いずれにせよ、台本の変更は認められない。


「今更台本に変更は出来ない。今回はちょっと諦めてくれる? ていうより、今のままでも十分目立ってるでしょ。何に不満があるの?」


 少し刺のある言い方だったかもしれない。でもここで下手に出ると、相手は調子に乗るだろう。私は、あくまでも強気の姿勢を貫いた。まあ、彼女がぶっちゃけ嫌いだったから、という理由もあるのだが。


 彼女は不満を隠さなかったが、渋々了承した。後から聞いた話によると、裏でどうやら荒れてたらしい。


 ここでもう一つ問題が浮上した。私は殺陣が滅茶苦茶下手だったのである。これはいけない。完璧な舞台を提供する側として、あるまじき事態だ。一年生の入部を食い止めるための劇だから、あえて下手な芝居をするのもありだろう。しかし、それは私のプライドが許さない。舞台に立つ以上、最高の演技をしなくてはならない。

 ここからは、私の戦いだった。後輩とか関係ない。どうにかして殺陣を仕上げなければ。そこからは無心で練習に打ち込んだ。脇役を置き去りにして。


 そうして本番の日を迎えた。


「なーにが演劇部だ! 腑抜けた面しやがって。堕ちたもんだなあ、演劇部も!」

「誰!?」

「私が今からこの演劇部を乗っ取る!」

 剣を持ち、威圧しながら舞台に立つ。観客は私から目が離せない。今は私が主役だ。私にだけ注目していればいい。


「独りよがりの芝居に価値はねえ! 各々が目標もなく、明後日の方向をただ向いて、自堕落な放課後を過ごしているだけじゃねえか!」


 どうか、このメッセージに気付きますように。

 私と彼女たちは、そもそもの志が違う。この時点でもう、舞台は破綻していた。私は呪いを込めて台詞を吐き散らす。その真意に気付いている人は、果たしてどれくらいいるだろうか。


「あなたの好きにはさせない、私がこの演劇部を守る!」


 何も知らない後輩は、ただ感情を乗せて台詞を言う。嗚呼嗚呼、立派な台詞だこと。どうせ守れやしないのに。


「面白え……受けて立つ!」


 剣と剣がぶつかり、互いに睨み合う。これがもし本物の剣だったら、火花が散っていたことだろう。ここで私は負けるのか。本音を言えば、彼女の脳天に剣を振り下ろしてやりたい。けど、ここで負けなくては。そうしてこの劇は完成する。


「私たちは秋の大会に向けて、一生懸命練習してる! そして県大会に行くんだあー!」


 彼女は剣を振り上げた。

 心にも思ってないことを。ただ台本に書かれているから、そう言っているだけでしょ?

 剣が弾かれた演技をする瞬間、私は心の中でひっそりそう呟いた。


 第一幕は、無事に幕を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る