十六夜天狗
たまき瑠璃
2作目
――神隠しにあったあの子は、幸せにしているのだろうか。
神前式が執り行われている厳かな雰囲気の中、親友の兄が祝詞をあげている。地元は砂利道がコンクリートで整備され、パーキングエリアやお土産屋なんかもできて、すっかり観光地らしくなっている。
しかし、青く高い秋空に鱗雲、秋めく桜紅葉は変わらずに私を迎え入れてくれた。
白無垢を着てしおらしくしてる自分に、ちょっと笑えちゃう。結婚式は地元の天穂神社で挙げると決めていた。
(穂乃花、どこかで見ていてくれてる?)
あの時の笑顔が引っかかっていた――。
別れが悲しいのに、どうしてそんな風に笑えるのか分からなかった。でも、ようやく私は花嫁の幸せを理解した。
(穂乃花もこんな気持ちだったんだ)
お互いの隣にいることが当たり前でこれからもずっとそうなんだろうと信じ切っていた。無邪気で、幸せで、何にも見えてなかった頃の自分。
――でも、穂乃花は知っていたんだろう。どれだけ背伸びしても雲には手が届かないこと、毎年色付く紅葉が少しずつ違うってこと、それが愛おしいということも。
穂乃花の楽しそうに笑う声が、どこかはにかんだ様な表情が、薄桃色に染まる頬が鮮明に思い出される。今でもフと、隣を見たらいるんじゃないかと思うほどに。
***
「ねえ、穂乃花。いい加減教えてよ。好きな人」
私の帯を締めてくれている幼馴染に話しかける。
「あたしの好きな人は天狗さんだよー」
姿見の中で群青と白の市松模様の浴衣に薄紫の帯が手際良くキュッキュと締まっていく。
「またそれ? もう天狗が好きなのはわかったから、名前を教えなさいって。私ばっかり教えてて、ズルイ」
穂乃花とは小学校の入学当初から仲良くなり、現在中学卒業を控えた秋に至るまでいつも一緒にいた。小さな村だから全員見知った顔ばかりだけど、特別私たちは仲が良く、友達と言うよりは姉妹の様な感覚だ。
昨日だって、お祭りの手伝いをした後に穂乃花の家に泊まって、これから一緒に十六夜の本祭りに行く。それなのに。
「もー。いつも正直に言ってるってばー。紫音ちゃんが信じてないだけだよ。――はいできた」
ありがと。と言って髪の毛はスッキリとアップにして簪を挿して飾った。
(うん、少しは大人っぽいかな?)
穂乃花が柔らかく笑いながら言うから、いつもこんな調子ではぐらかされる。
でも、私は来年から隣県のお婆ちゃんの家に居候し高校に通う事になる。だから卒業までにはどうしても知りたい。
自分で着付けている穂乃花は、背を向けて隙だらけ。こうなったら強行手段だ!
「意地っ張りめ。早く教えないと――こうだ!」
後ろから抱きついて思い切り脇腹を擽ってやる。驚いて小さくあがった悲鳴は直ぐに笑い声に変わった。
「紫音ちゃんっ! やめて、くすぐったいーっ!」
小柄な穂乃花は簡単に組み敷かれ、ケラケラ笑う姿が私の悪戯心を刺激する。
「本当に天狗がいるなら会わせてみせなって!」
「やめて、あーあー! 分かった、分かったからぁ!」
大笑いして涙を浮かべながら、穂乃花は観念した。息も絶え絶えに、起き上がりながらなんとか話し始める。
「会わせることは出来ないけど、天狗さんを呼べるナイショの方法があるんだ。それを教えるってことじゃダメ?」
「それってほんとなの?」
「天狗さんから教わったから、絶対ほんと!」
穂乃花が食い気味に答える。なんでアンタが得意げなんだ。
「ふーん。ちなみに穂乃花さん、お試しになったことは?」
「無いよ。どうしても困った時だけ使うようにって言われてるから。あ、紫音ちゃんも出来れば使わないほうがいいかも。罰が当たっちゃうかも。本当は他の人には教えちゃダメなんだって……」
おいおい、今更小声になって。大体その仲良しの天狗さんってだから誰なんだ。
そう話しながらも、淡い水色の浴衣と薄ピンクの帯を手早く着直した。白椿の柄や控えめな細めのカチューシャが彼女らしいチョイスだ。
「鏡に月を映してお祈りするの。でも天狗さんの気付きやすい様な高い場所でしなきゃダメだよ」
そう言って彼女はそばにあったコンパクトミラーを胸の手前で掲げる様な姿勢をとった。
(高い場所っていうと、神社の裏山とかかな?)
なんだかオカルトだなあと思いつつも、穂乃花は神社の末っ子だし、その手の事には多少詳しかった為、私は半信半疑ながら聴き入れた。
「意外と簡単に出来るんだ。機会があれば試してみるかー」
「もー、どうしてもって時だけだってば! 内緒にしてね!」
ダメだと分かっていても、穂乃花の反応が見たくて、ついつい意地悪を言ってしまう。穂乃花は、いつも反応が良くて面白い。
「はいはい。それよりうちの屋台の串団子、どれ食べるか決めた?」
「うーん、あたしはやっぱり、餡子のお団子かな」
「オッケー。じゃあ私は、ごま団子!」
足早に玄関に行き、二人並んで下駄を履く。
「今年は食べ過ぎないでね」
「わ、わかってるってば!」
私の返事を聞いて穂乃花がクスクスと笑った。
外に出るとまだ夕焼け空だった。紅葉の下に赤提灯も灯され、綿飴やカキ氷などの屋台の間を浴衣を着た子供が駆け回っている。
「ねえ、なんか昨日より人増えてない?」
「今日もお手伝いしてたら大変だったね」
道沿いには『月燈ノ里祭り』と書いた旗がいくつも立ててある。これは昨日二人で一緒に運んだものだ。
「昨日もめちゃくちゃ働かされたけどね。まあ、それが今夜のお小遣いになったわけだけど」
「先にお参り済ませないとダメだよ?」
穂乃花の言葉に従って参拝する為に本殿に向かっていると、篠笛と太鼓の音が聴こえた。見ると毎年恒例の里神楽が行われていた。月燈ノ里祭りの神楽の舞は激しく、最近はそれを見る為か観光客が増えてきている。
「ね、あの天狗がお兄さんで、瓢箪持ってるのがお姉さん?」
「そうだよ」
音楽に合わせて三人の巫女が舞い、大天狗のお面をかけた穂乃花のお兄さんは、瓢箪から注いだ酒を呑み、上機嫌な様子で扇子をヒラヒラさせている。昨日は穂乃花も巫女として頑張ってたなあなんて思い出す。
毎年見てた筈なのにもう簡単には来れない距離に行くと思うと、なぜか急に大切なものに感じて、目に焼き付けた。
「稽古って穂乃花のお母さんが指導するんだよね? やっぱり厳しい?」
「うん。厳しかった。でも楽しかったよ」
太鼓の音が空気を振動させ胸に響く。穂乃花と始めてあった頃の事を思い返した。
最初は塞ぎ込んでいて暗い子だと思った。けど、話してみると素直で思い遣りのある子だなあと感じ、私から月燈ノ里祭りを一緒に回ろうと誘った。
月がすごく綺麗な夜で穂乃花と別れた帰り道も月明かりが眩しかったのを覚えている。その日を境に穂乃花は笑う様になり、明るくなっていった。
後から知ったけど、あの時は天野家の養子になって、こっちに来たばかりだったみたい。それで最初に友達になったのが私。
「はぁ、お姉さん素敵だねー」
人混みの隙間から神楽がみえるのを横目に歩く。幼い頃から穂乃花と遊ぶたびに会っていたお姉さんは、いつも優しくて綺麗で私の憧れだ。
「頑張って練習してたから、それ聞いたらきっとお姉ちゃん喜ぶと思う」
「よしよし。あんたも昨日頑張ってたじゃん。あーあ、もっと近くで観たかったな」
「冷やかさないでよー! 早くお供えしに行こう」
ポンポンと頭を撫でると照れ隠しなのか、穂乃花はさっと踵を返して先に歩き出す。
このお祭りは、豊作を感謝するための祭で、産土神である大天狗を祀っている。穂乃花の家である天穂神社を中心にお供え物を持ち寄って、三つあるお社を順に回っていく。
お社を繋ぐ道に提灯が赤や橙に灯って、こうして照らし出された紅葉が向かいの山から見ると、天狗の顔のように真っ赤に染まっているんだよと、お婆ちゃんがよく言っていることを思い出す。
「二人でこの祭りくるのも、もう恒例だよね」
「なぁにー? 毎年同じ人と来るのはイヤになったー?」
「そんなこと言ってないってばー、もう紫音ちゃんのいじわる!」
「穂乃花からかうと面白いから。高校になってもお祭りには帰ってくるし、仮にイヤになっても付き合ってよ?」
「紫音ちゃん……。うん、待ってるね」
お参りをすませ、人気の無い神社裏の軒下に座り込んで、お母さんが用意してくれた団子を食べて一息付いていた。うちは代々続く団子屋で、味が美味しいのは勿論、一口サイズで食べやすく、ついつい食べ過ぎて去年は動けなくなって穂乃花に怒られたな。
「ねえ。穂乃花」
お団子を頬張りながらこっちを見た穂乃花と目が合い、わざと少し口角を上げてみせると、不安そうに眉が下がっていき困り顔のハムスターみたいになっている。
「中学最後のお祭りだからさ、なんか思い出作ろうよ」
「たとえば?」
「たとえば……神社の裏にある森に入ってみるとか?」
「え! やめようよ。危ないよ?」
「一回くらい大丈夫でしょ。思い出作りと若気の至りじゃん?」
穂乃花は悩んでいる時、首が少し傾いて目線を逸らす。今もそう――もう後一押しっぽいかな?
「穂乃花がいつも見ている景色が見たいなあー」
「うーん……。一回だけ、特別だからね?」
神社の裏手の山道は古来より神社の関係者以外立ち入り禁止の場所だ。実は曰く付きの場所で天狗の集会所なんて怪談もあるところ。
山道を履きなれない下駄で少しずつ進む。もう三十分くらい進んだだろうか。夜の山道は真っ暗で私は穂乃花だけを頼りに歩く。だんだんと人の声やお囃子の音も遠ざかっていき、鈴虫の音と、風で木の葉が擦れる音と、動物の鳴き声ばかりが聴こえてきて、不安になってきた。
「ねえ穂乃花、本当にこっちであってるのー?」
「紫音ちゃん、こわい? 大丈夫だよ。もうちょっとだから」
そう言われてまた歩いていると、なにやら途中から空気が冷たくなり、虫や動物の声も聞こえなくなった。
森を抜けた先は開けた場所で、銀色の月が差し込みススキの穂が金色に輝いている。そして真ん中には赤い鳥居と石畳の小さな祠が一つあるだけだった。ここが山の頂上なんだと私は感覚的に理解した。
「こんな場所あったんだ……」
目の前の幻想的な光景に口からは溜め息が溢れた。
「綺麗でしょ? あたしのお気に入りの場所なの」
「うん。こんな景色、他の人は知らないんじゃない? いつも一人でここに来てるの?」
「時々ね。お月様が綺麗な夜はあの人に会いにくるの」
――また『あの人』の話?
「十五夜より十六夜が好きなんだー。そしたら天狗さんも好きだって言ってくれたの」
「ふーん」
「二人でね、まだかなーって月が出てくるのを待ちながらお話するんだ」
そう言って目を細め少し顔を赤らめて笑った穂乃花の、その表情はいつも私が見ているものとは違っていた。
「この神社に来たばっかりのときは、毎日夜が怖くて寂しくてしかたがなかったの。でも、天狗さんと出会ってからは全然怖くなくなったし、むしろ夜が好きになっちゃった」
穂乃花の言葉に胸がチクリと痛む。私は穂乃花のお兄さんやお姉さんよりも、もっと傍にいたつもりだった。勝手なエゴかもしれないけど、亡くなったご両親の分も近くに寄り添っていたつもりなのに、それでも天狗の方がいいだなんて誤魔化しだとしても聴きたくなかった。
(今、一番近くにいるのは、私なのに。そう思ってるのは私だけなの……?)
天狗なんているわけない。それを証明してみせれば、穂乃花だって――。
自然体を装い穂乃花に背を向け、祠を見てるフリをしながら距離を取る。そして、帯に忍ばせていたコンパクトミラーを取り出し、その真ん中に月を映した。
(本当にいるなら、出てきなさいっての!)
覗き込んだ鏡の中は特に変わった様子はない。ほら、何にも起きないじゃん。そう思う反面少しホッとする。
「ほら、やっぱり! 怖がらせたって無駄だからね」
そう言いながら振り返ると、さっきまで後ろにいたはずの姿がなかった。
「……穂乃花?」
私は必死で金色の穂を掻き分けながら穂乃花を呼んだが、返事は聞こえない。辺りを見回しても、深く生い茂ったススキが揺れるばかりで、水色の浴衣は見当たらない。
「穂乃花? ちょっと、出てきてよ穂乃花ー!」
(私が約束を破ったから罰が当たったの? やっぱり天狗が……?)
沈んだ気持ちを払うように首を振った。そんなのいるわけない。暗い森に入るのは躊躇われたため、祠の周囲をグルグルと何度も周りながら必死で名前を呼んだ。胸がギュッと詰まり息苦しくなる。
――額から汗が流れ落ちてハッとする。声が掠れてきて喉が痛い。もうどれだけ探しているんだろう。これだけ探してもいないってことは、きっと先に帰っているんだ。……帰らなきゃ。
来た道を必死に思い出しながら歩いたが、暗い森で足元もよく見えない。どこからか聴こえる野鳥や獣の声から走って逃げたい気持ちを抑えながら、転ばないように慎重に歩いた。歩く度に散った紅葉が足下でカサカサと音を立てる。
不安感のせいか、はたまた遠回りをしてしまっているのか、行きよりも倍以上の時間が経ったように感じる。泣きたい気持ちを堪えひたすら歩いた先に、うっすらと提灯の灯が見えた。
(帰ってこれた……!)
無事に帰れた安堵感からドッと疲れがのしかかる。早く穂乃花の顔をみて安心したい。
天穂神社の境内へ向かい足早に歩く。もうどの屋台も店仕舞いを始めていた。結構時間経っちゃったんだな……。参拝客も殆ど帰ってしまい、人はチラホラいる程度なのに、肝心の穂乃花の姿がない。外にいないとしたらもう家しかないよね……? インターホンを押そうか迷っていると、本殿の前で片付けをしていたお姉さんを見つけた。
「お姉さん、穂乃花帰ってきてますか?」
「まだだけど。紫音ちゃん、一緒じゃなかったの?」
「えっ、あ、途中ではぐれて……」
私は正直に話すことができなかった。自分たちが立ち入り禁止の場所に入っていったことがバレたら、一番責められるのは穂乃花だろう。私が好奇心で入ろうなんて軽い気持ちで言ったから。穂乃花は止めていたのに。
「今年は参拝客も多かったしね。でも、もう終わりがけなのに帰って来ないの。おかしいなあ」
お父さんに一度伝えてくるね、と言いながらお姉さんは社務所の方へ歩いて行った。
穂乃花、先に帰ってきているんじゃなかったのかな? でも、もしかしたらまだその辺をブラブラしているかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら――。
参拝客が帰った後も穂乃花は帰って来ず、警察と村の人達で探した。しかし深夜になっても見つからず、捜索は一時中断となった。
あの時穂乃花に背を向けなければ、こんなことにはならなかったのかな――。
家に帰りヨロヨロとベッドに潜り込んだ。穂乃花が居なくなったのは私のせいだ。頭まで布団を被って目を閉じるけど、脳裏には、あのススキの風景が焼き付いている。私は直ぐに目を開けた。
(きっと、穂乃花はまだ、あそこにいるんだ……。なんとかしなくちゃ。全然寝れない、寝れるわけない)
みんなが寝静まったのを確認し家を出る。まだ外は暗く、ヒンヤリとした空気の中、草を掻き分け裏手に入り、ひたすら走る。髪が汗で張り付く不快感が私を急かす。暗い森の中で紅葉の隙間から僅かに差し込む月明かりを頼りに、ただ山頂だと思う方へ止まらずに進んだ。
次第に、葉の赤が分かるくらいに薄明るくなってくる。
(時間がない。月はまだ出てるよね。あと少しだけ、もう少しだけ沈まないで)
ようやく神社に辿り着いた時には空の端が薄明るくなっており濃淡のグラデーションを作っていた。まだ月は出ている。鳥居が見えた。間に合え――。
「祠! ――あっ」
祠を目の前に気が緩んだのか、つま先を小石に取られた。身体が前のめりに倒れた拍子に、手の中にあった鏡が落ちてススキの原の中に消えてしまった。
(どこ、どこにいったの。お願い見つかって! 私と穂乃花を繋ぐ大切なものなの)
打ち付けた膝の痛みも放っておいて、鏡を探した。
「お願いします、神様! 私が悪いんです。穂乃花のせいじゃないんです! だからっ――」
帰って来て穂乃花、心の中でそう叫んだ時、ススキの原の中にキラリと光りが走った。
(見つけた……!)
そう思うや否や、ゴウという音と共に突風が私の周りを渦巻いた。木の葉が旋風と共に舞い散り、黒い影が私の視界を遮った。
(何が起きてるの――!?)
あまりの強烈な風に思わず強く瞬きすると、沈みかけていた筈の月が、落ちてきそうなほどに大きく銀色に輝き、朝焼けよりも主張している。ススキの穂もそれ自体が光っているのかと思うほどに煌めき、美しいを通り越して不気味に感じた。
(これって、もしかして……)
生暖かい風が私の頬を、髪をゆっくりと撫でる。帰れなくなるんじゃないか……。恐い気持ちを抑えるように震える指先を包み込んだ。心臓の音がうるさいくらい聴こえる。
「紫音ちゃん」
鳥居の向こう側に探していた姿。
「穂乃花っ!」
私は駆け寄って、その存在を確かめるように穂乃花を抱きしめた。
「ごめん、ごめんね。私のせいで……。見つかって良かった。ね、一緒に帰ろう」
そう言って腕を緩め、覗き込んだ穂乃花は困った顔をしている。どうして、頷いてくれないの?
「聞いて、紫音ちゃん。あたしね、好きな人がいるの」
この近さじゃないと聞き逃してしまいそうな小さな声だったが、その言葉は今迄以上に現実味を帯びて、私に突き刺さった。
「――っ、知ってるよ」
ずっと否定され続けてもめげずに、私だけには教えてくれていたのに。知っているのは私だけだったのに。
「ずっと、苦しかったの。叶わない夢だと思ってた。でもね、紫音ちゃんがきっかけをくれたんだよ」
穂乃花は、明るい調子で話し出した。
「穂乃花?」
「紫音ちゃんが、生きてる世界が違ってた、あたしとあの人を繋いでくれたから」
そう言って穏やかに笑う彼女の頬は紅潮しており、大きく丸い目はキラキラと輝いている。
「あれは、私が約束を破ったから! だから、あんたが神隠しに遭って――なんで、なんで怒ってないの! 私に言いたいこともっと、あるでしょ!」
(どうしてそんな嬉しそうな顔するの……)
最初から信じてあげられたら、これからもずっと一緒にいれたのに。どうして、自分の理解できないことは無いものとして決め付けてしまったんだろう。
――もう、遅かった。
穂乃花の肩に手を置きゆっくりと引き離して、目を見ると、彼女は何か言いかけて口を閉じた。
「一緒には、帰れないんだね」
穂乃花はコクンと小さく頷き、目線を伏せて俯いた。
「高校生になっても、一緒にお祭り行こうって、言ってたのに」
「あたしも約束、破っちゃったね」
穂乃花の声も落ちていき、短い沈黙が気まずい。
「あーあ! あんたに先越されちゃうなんて、まだまだ子供だと思ってたのになー!」
ポンポンと穂乃花の肩を叩き明るい調子で言うと、彼女の顔に笑顔が戻りホッとする。
「もー、その言い方はヒドイよー」
フワリと笑う顔をみて心が軽くなった。これからも、その笑顔でいてくれるなら、それでいい。穂乃花の存在に自分がどれだけ癒されていたか、私が支えているつもりだったのに、いつしかこんなにも支えられていたんだ……今更になって気づいた。
「――おめでとう、穂乃花。大人になっても、ずっとずっと一緒に、いたかった」
これは強がりだ。本当は行って欲しくない。でも穂乃花がそう言って欲しいんだろうと分かったから……。涙が溢れそうになったのを堪えきれず、次々とこぼれ落ちる。言葉がつまる。
「紫音、ちゃん。……ありがとう! ずっとあたしと一緒にいてくれて、ありがとう。ごめん、ね」
そう言うと穂乃花まで泣き始めた。自然と私たちは抱き合って思いっきり声を出して泣いた。
気が付くと自分の部屋だった。次の日も、その次の日も、警察や村の人達と探したが、やっぱり穂乃花はいない。しかし、日を追うごとに、捜索する人数は徐々に減っていき、神隠しにあったと噂が流れ出した。捜索隊が私の家族と穂乃花の家族をいれ十名を切ったところで、穂乃花のお父さんが頭を下げて、捜査は警察に任す事にした。
捜索している間、もしかしたら穂乃花が出てきてくれるかも知れないと期待を抱きつつも、家に帰るたびにやっぱりあの夜の事は現実なんだと思い知らされた。
本当のことを知っているのは私だけ、皆は神隠しだ、人柱だと勝手なことを噂する。
でも今度こそ私だけは穂乃花が選んだ幸せを信じて――。
***
式が無事に終わり、披露宴会場に移動するため境内を歩いていると、穂乃花のお姉さんが歩み寄ってきた。
「紫音ちゃん、とっても素敵よ。すっかり大人の女性ね。うちで遊んでたのが、ついこの間のことみたい」
そう言って目尻を下げるお姉さんは、以前より柔らかい雰囲気になっていた。
「ありがとうございます。そうですね、あの頃はまだ子供でしたから」
あの頃の私は、穂乃花とくだらない事で笑ったり、たわいも無いことを話したりすることが幸せで、その平穏な日々が続く事を強く願った。でもそれは叶わなかった。
「こんなに綺麗な姿みたら、きっとあの子もびっくりしたでしょうね」
お姉さんの言葉に私は笑って返した。
中学を卒業後、他県で高校、大学と進学し、そのまま外資系企業に就職した。家族と離れて寂しい時や、仕事で上手くいかない時には月を見上げ、あの夜の事を思い出す。どこかで穂乃花が応援してくれている気がして頑張れた。
そんな事を思い返していたら突然、凩の様な強い風が吹き、木の葉が舞った。
「すごい風だったね、大丈夫?」
私の顔を覗き込みながら差し伸べられた彼の手に、自分の手を重ねた。
「大丈夫だよ。なんだかこの山にお祝いされてるみたい」
「山にお祝いってなんだよ?」
不思議そうに首を傾げる彼とは、同僚の友達として知り合った。
「実は、この山には天狗がいるの」
ナイショ話をするように、そっと耳打ちしてみる。
「……なるほど天狗が、って! またそうやって俺をからかう気だな」
朗らかに笑う彼に対し、どうでしょうー。と含みを込めて笑い返した。彼もまた、反応が面白い。
初デートは、私にとっては十年ぶりの月燈ノ里祭りだった。最初は乗り気では無かったけれど、彼のはにかむような表情に僅かだけど穂乃花が重なった。当時のままの、幸せそうで穏やかな笑顔は、弦のように張っていた心の糸を震わせ、そして緩めてくれた。はい。と彼にハンカチを差し出され、初めて自分が泣いていたんだと気づいた。
私は今まで蓋をしていた気持ちが胸の中で混ぜこぜになり、言葉で伝えきれずにその顔を見つめた。すると彼はポンポンと私の頭を撫で、泣き止むまでずっと傍で寄り添ってくれた――。
「好きな人と同じ道を歩くのっていいもんだね」
なんとなく一人呟いてみた。
今なら心から、おめでとうと言ってあげられる。
満ちては欠け、少しずつ変わっていく。見え方は違うけれど、欠けたと思っていた幸せは見えないだけで確かにそこにあった。
たとえ変わってしまっても目を背けないようにしよう、今度こそ大切な人の全てを受け止めたい。そしてこの想いは変わらないままで。
十六夜天狗 たまき瑠璃 @kuruliokai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます