第29話 リン・ソヒョン

          リン・ソヒョン



 リンは、伸びてしまったキムを見て、しゃがみこんで手を差し伸べようとする。


「あ~、リンさん、今はまだ寝かせておいたほうがいいっすよ。起きたら、さっきの繰り返しっす。そういう意味で起こすのなら、あたいも止めないっすけど」


 サヤの忠告に、彼女は慌てて手を引っ込める。


「だな。俺も、殺されかけたクチなんで、これくらいは当然だと思うが、貴女はどうしたい? 謝らせたいのならこのままだ。ここで許してやるなら、先程の命令を解除するけど?」


 彼女は俺を見上げ、またあの、泣きそうな顔をする。


 う~ん、その顔はもう見たくないのですが。

 先程までは睨みつけていたので、彼女も殺してやりたいくらいに恨んでいると思っていたのだが、これは少し意外だな。

 もっとも、この男の命令じゃなかったってのが大きいのだろうが、彼女の忠誠心はかなりのようだ。


 ちなみに、クリスはその場で完全に固まっており、ビデオカメラをぶら下げて、立ち尽くすのみだ。モーリスは、ある程度予想済みだったのだろう。彼が先に口を開いた。


「では、質問を変えるでござる。リン殿は、これからどうしたいでござるか? あの国に帰って、その男と、お国の為に尽くすのもありでござろう。アマンダ陛下かシン殿が命令すれば、貴殿の安全も保障されるでござる。でも、それだとその服装では些か不味いでござるな。クリス!」

「あ、え、ええ、そうよね。ちょっと待ってね。あたしので良ければ……」


 クリスがやっと正気に戻り、慌てて仮設住宅に走ろうとすると、リンが答えた。


「そ、それは、私が此処に残ってもいいという事なのでございますですか?」


 それにはアマンダが答えた。


「ええ、そうですわ。但し、残るならば、我が国に亡命するという事になります。今まで仕えていた王と、国家を裏切るという事になりますが、それでも構わないのですか?」


 ふむ、モーリスとクリスにしたのと同じ質問だな。


 彼女は、暫くキムを見下ろしてから立ち上がり。なんと、俺を見上げた!


「わ、私が決めていいのなら、答えは一つでございますです。わ、私はその竜様に仕えるです!」


 ぶはっ!

 何故そうなる?


「ちょ、ちょっとリンさん待ってください! 貴女を殺そうとした国に帰りたくないってのは分かる! でも、何故メリューではなく、この俺?」

「強い者に従うのは、当たり前でございますです。竜様は、この将軍閣下に勝ったです。それに、竜様は私の命を助けて下さったです。私は、これから一生竜様に尽くしたいでございますです!」


 ぐはっ!


「い、いや、勝ったのは、俺個人じゃなくて、メリューです! こいつを捕まえたのだって、サヤとアマンダだ! それも、裏方のモーリスさんとクリスさん抜きじゃ無理だっただろう。それに、確かに俺は貴方の命を助けたが、あの場でなら、誰だってそうしました! 俺は、あれがリンさんじゃなくても同じことをしてましたよ。あと、竜様ってのは勘弁して下さい。俺はシンです!」


 しかし、リンは引かないようだ。

 俺を見上げながら、更に懇願する。


「私はこのまま帰っても、居場所は無いのでございますです。如何に将軍閣下が取り成して下さっても、任務を遂行できなかった事実は、否定できないのでございますです。どうか、シン竜様、ここに居させやがれです!」


 ぶはっ!

 シン竜って! どこぞのアニメと混同しそうだな。


 しかし、彼女の言い分はもっともだろう。

 いくらこの男がお咎めなしと言ったところで、周りはそうは取らない。

 逆に、この人だけを特別扱いにすると、寧ろ嫉妬とかされてしまいそうだ。

 また、将軍様とやらの権威にも関わる可能性が高い。


 なるほど。アマンダもモーリスも、それに気付いているからこその提案か。

 そして、俺としても、こんな美人に慕って貰えるのであれば、悪い気はしない。


「う~ん、助けてしまった以上、最後まで責任を取れって事になるのか? ただ、俺だけじゃなく、此処に居る皆の為にも、一緒に頑張ってくれるのなら、俺は拒否する理由が無いかな。後、シン竜様ってのも、却下で」 


 それには、彼女はアマンダとサヤを見回してから、意外な返答をする。


「それは当然でございますです。この国の真のあるじは、シン様でございますです。なので、シン様に尽くす事が、この国に尽くすという事で、間違いはないはずなのでございますです」


 え?

 彼女からはそう見えるのか。

 俺としては、ここはメリュー。アマンダの国って認識だったのだが。


 俺が困惑していると、モーリスはうんうんと頷き、アマンダは少し顔を伏せる。そして、サヤが彼女と俺の間に割って入ってきた。


「あたいも、シンさんに尽くすってことなら、歓迎するっす! で、でも、シンさんはあたいの恋人っす! そこをちゃんと分ってくれるなら、問題ないっす!」


 ぐはっ!

 俺も確かにサヤを愛してはいるが、そもそも種族が違うのですが?

 まあ、恋人と言われて悪い気はしないし、リンも、今までの言い方からすると、単純に強者の下に居たいだけのようだし、そんな感情はなかろう。


 もっとも、俺が本当に強者かと問われれば、答えはノーだ。

 俺は、単に身体的に人間よりも勝っているだけで、中身はただの、年相応の人間だと思う。

 人としての強さならば、俺はこの国では最低だろう。それは、この前の一件で思い知らされた。


「そ、そうですわね。そして、サヤちゃん、シンさんはサヤちゃんだけのものじゃありませんわ! 二人共、そこは勘違いしてはいけませんわ! そして、貴女の事情は私も理解できます。なので、この国に亡命することを許可しますわ!」


 ぶはっ!

 まあ、アマンダの感情はともかく、これはこれでいいのだろう。


 モーリスは大きく頷き、クリスは、にやにやしながら俺にカメラを向けてやがる。


「ま、まあ、じゃあ、これからはリンさんも俺と同じ、このメリューの国民だ。なので、俺に対して様付けは止めて欲しいな。後、俺とか、この国に尽くすとかも勘弁してくれ。尽くすと言うなら、この国に居る全員が、お互いにだろう。最後に、この国のトップは、俺ではなくアマンダだ。それだけは絶対に譲れないな」

「ええ、流石はシンさんですわ。でも、私はこの国の女王という役職を担っているだけの女。なので、リンさん、私の事もアマンダでいいですわ」

「そ、それが命令なら、仕方無いでございますです。で、では、シンさん、アマンダさん、そして皆さん、宜しくお願いするでございますです」


 リンは、皆が差し出した手を、順番に握り、最後に俺の指を、両腕で力強く抱きしめてくれた。



 その後、俺はリンに、キムに謝って貰いたいかと聞くと、彼女はもはやこの男には何の興味も無いようで、好きにしてくれとのことだった。


 なので、すぐにサヤがキムを叩き起こす!

 そして、俺は先程の命令を解除し、別の命令を下す。


「キムさん、リンさんにはもう謝らなくてもいい。そして、彼女はメリューに亡命する。なので、この女性ひとの親族とかには、絶対に手を出させるな。これは命令だ!」


 まだ戸惑っているキムだが、すぐに返事をする。


「わ、分かった! ソヒョンは名誉の戦死を遂げた! 彼女の親族には厚遇を約束する! こ、これでいいだろう!」


 うん、この件もこれで良かろう。

 更にアマンダも念押しする。


「それと、帰ってからは、先程も申しましたように、メリューと和解したとだけ、発表しなさい。余計な事を言う必要はありません。私も、今の所はこれ以上の命令を下しません。但し、分かっていますわね?」

「と、当然だ! 核ミサイルも絶対に撃たないし、他国にも売らない! そ、それさえ守ればいいんだな? じゃあ、早く僕を帰してくれ!」

「ええ、そうですわ。では、シンさん、サヤちゃん、お願いしますわ。私はここで待ちますわ」


 ふむ、良く見ると、アマンダは少し疲れた顔をしている。

 これは、魔力が底を尽きかけていると見ていいだろう。


「分かった。じゃあ、サヤ、そいつを連れて頼む」

「了解っす! キムさん、ちょっと失礼するっす!」


 ぶっ!

 俺が地面に伏せると、サヤはそう言うや否や、キムを俺の背中に投げ飛ばした!


 う~ん、気持ちは分かるが、もう少しマシな扱いをしてやれよ。

 これでも、一国の指導者なんだし。

 そして、今までの気丈な態度はどこへやら。可哀想に、俺の背中にしがみつき、完全に怯えてやがる。


 すると、クリスが何かあるようだ。

 ビデオカメラを持ったまま、俺の側に駆けてくる。


「あ、シン・ドラゴンさん、帰りでいいわ。羽田まで送ってくれない? このビデオの編集もだけど、リンさんの着替えとかも用意しなくちゃだし」


 あ~、さっきリンに対して、『俺はシンだ』って言ったので変化したのだろうが、その呼び方も勘弁して欲しい。これじゃ、どこぞの特撮映画だ。


「あの~、送るのはいいんですが、クリスさんも、出来ればその、ドラゴンってのは無しでお願いしたいんですが?」

「あら、じゃあ、シンちゃんでいいかしら? 中身はあたしより年下みたいだし」


 ぬお?

 それはもっと嫌だ!

 その呼び方だけは、どこぞのアニメの関係上、絶対にやめて欲しい!


「あ、いえ、ドラゴンでいいです」

「そう、じゃあ、ドラゴンさん、飛んで行くの? それとも魔法?」


 あ、それは考えてなかったな。

 魔力にはまだ余裕がありそうだし、どっちでもいいのだが、どうするべきか?


 しかし、それにはモーリスが答えてくれた。


「シン殿、往きは時間も惜しいので、転移魔法がいいでござろう。でも、帰りは凱旋でござる。堂々と飛んで帰ったほうが効果的でござる。空港には、松井殿を通して言っておくでござる」

「分かりました。じゃあ、リンさんもクリスさんも乗って下さい」

「なら、リンさんはこれを着てね。流石にその自衛官の服だと変に思われるわ。じゃあ、ドラゴンさん、お願いね」

「ありがとうございますです。そして、お邪魔するでございますです」


 リンは、制服の上着を脱ぎ、その上からクリスが持ってきたコートを羽織り、サヤに手を引かれて、クリスと一緒に尻尾から俺によじ登る。

 俺は、全員が俺に乗ったのを確認して唱える。


「テレポート!」

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