#3

 ノインの左手を取って丁寧に包帯を解いていく。

 いつも通りの笑みを浮かべたジェビンは塞がりかけた二の腕の傷を確認したあと、手首の枷の痕を見てふむと考え込む。

「これが消えるのにはもうしばらくかかりそうか」

 それから、ノインの右目の眼帯に視線を向けたジェビンが手を止める。

「……?」

 ノインが首をかしげると「なんでもないよ」と微笑んだ。

 その目が少しだけ悲しそうに伏せられていたように感じて、胸の奥に何かがつかえたような、もやが広がるような気がした。こんな感情は知らない。

 内心で訝しむノインには気づかず、「ああ、そうだ」と言ってジェビンは錠剤が入った小瓶を渡してきた。

「これからこの治療薬を飲んでもらうことになるけど、ちょっと注意があってね」

 ベッドに腰かけたまま、無機質な瞳でノインは手の中に収まる透明な小瓶を眺める。

 これが麻痺した感覚機能を戻すとかいう薬。ジェビン自身が被験者になったという治療薬。

「今まで『感じなかった』ものを『感じる』ようになるってことは、その分、脳への負荷も増えるってこと。特に、感覚が戻り始めた時期は、興奮状態のときのそれを処理しきれなくなって脳が一時的にパンクしちゃうこともあるから、なるべく安静でいること」

 くれぐれも無茶はだめだよ、と傍らに置いた鞄からもうふたつ小瓶を取り出しながらジェビンは言う。その瞳にちらりと心配するような色がよぎった。頭の高い位置で結んだ長い髪が光を吸い込んで白く流れる。

 ――壊れかけた自分の体など興味ない。

 まだ動くのであれば、自分の思うように最後まで動いてくれればそれでいい。

 ノインは無表情のまま手の中で小瓶を傾けた。

「今、自分の体のことなんて興味ないとか思ったでしょ?」

 思考を読んだかのような言葉にぎくっとして顔をあげれば、ジェビンが得意げに笑みを浮かべていた。

「君は目で物を言うタイプだね」

 にこにことしているジェビンに無性に胸の奥がもやもやした。同じもやもやでも、さっきのとは別の類の感情。

 医者の胡散臭い笑顔からも、自分にもわからない感情からも、ふいっと顔を背ければ面白がるような笑い声が聞こえた。

 ひとしきり笑ったジェビンが、まあ、とセピア色の瞳を細めた。

「ノインがどう思っていようと俺は君を治すし、生かす」

 医者はそういうものだからね。

 そう言ったジェビンはとても眩しく感じて長い前髪の下でそっと目を細める。

 こういうときに目元を隠す前髪は便利だ。

 相手に自分の思考を読まれないために。ノイン自身が自分の目を見ないために。

 ついでにこれも飲んで、と赤いラベルのものと青いラベルの小瓶を押し付けてくる。それぞれ安定剤と睡眠薬だという。

「ノインの体のことを考えるとあんまり薬に頼りたくはないんだけどね」

 特に睡眠薬のほうは、とジェビンが息を吐いたとき、軽いノックの音がしてひょこりと黒髪の少女が顔を覗かせた。

「先生、予約の患者さんが来てます」

「今行くよ」

 片手をあげて答えたジェビンは手早く薬の用法と用量を説明し、部屋を出ていった。最後に「薬、ちゃんと飲んでね」ときっちり釘を刺していくことを忘れない。

 ひとりになったノインはふっと息をつき、窓から差す光に小瓶を掲げた。

 ざら、と中の白い錠剤が崩れる。

 すでにノインの体はつぎはぎだらけだ。今さらところで新たな存在証明いたみを刻むことになるだけなのに。

 ノインは、ぱき、と透明のものと赤いラベルが張られた小瓶の蓋を開けて、手のひらに錠剤を一粒ずつ転がすと、無造作に口の中に放り込んだ。


 ころりと出てきた最後の薬を眺め、ノインはかすかに自嘲した。

 一日三回、七日分。それをすべて呑み切ったということはすでに七日――ジェビンに拾われたあの雨の日から数えると十日以上――が経過していることになる。

 体の傷はほぼ塞がっているし、早々にこの医院を出て行ってもいいはずなのにジェビンの言うことを守っているのは、あの医者から自分と同じ匂いを感じたからかもしれない。

 ノインの煙草も含めてに飲まされていた薬物を作ったのがジェビンなら、と何か関係があるのだろう。

 ――誰の手も届かないところへ行きたかったはずなのに。

 ジェビンとユンの笑顔をどこか居心地良く感じているのはなぜだろう。

 窓際に置いた青いラベルの小瓶は手つかずのままだった。

 扉の向こうの診察室での話し声が途絶えたのを見計らって部屋を出ると、書類の整理をしているユンがいた。長い髪の医者の姿は見えない。

 きれいに積んだ紙束を抱え、ユンがぱたぱた駆けて行く。ひら、と書類の間から小さな四角い紙が落ちた。

 ノインは何気なくそれを拾い上げる。

 それは少し色あせた写真だった。

 背景は医院の前だろうか。無機質な壁と十字が描かれた扉の前で、まだ年端もいかぬユンと彼女と同じまっすぐな黒い髪をうなじのあたりで結った白衣の男性、そして、今よりも年若いジェビンが並んで映っていた。

 しかし、ジェビンと思しき人物の目に宿る光は鋭く、短い髪は今の彼の毛先に残るのと同じ暗褐色。前髪のひと房だけが不自然に白く、毛先に向かって色を濃くしていった。

「あ、ノインさん。先生なら二階に――」

 気づいたユンが振り返り、ノインが手にしている写真に目を止めた。

 ユンに写真を渡すついでに彼女の抱えていた書類を引き受けた。「あ、ちょっと」と言いかけたユンは手渡された写真を見て、そっと頰をほころばせる。

「こんなところにあったんですね」

「……それは?」

「私の七歳のお祝いに撮ったんです。お父さんが映っている写真、これしかなくて」

 写真の黒髪の男性を指して、

「この人が私のお父さん。先生のお師匠様ですね」

 と、少し嬉しそうに笑う。

 切れ長の瞳は厳しくも見えるが、白衣の裾にすがる幼子に向ける視線は心なしか柔らかい。

 そして、つ、と指を横にずらして、濃い茶髪のまだ青年と言ってもいい男を指す。ユンがかみしめるように言った。

「その隣が、先生」

「あいつの髪って――」

 遠い記憶のように毛先にセピア色が残ってはいるが一本一本が透けるような白い色。加齢に伴う色ならば、写真に写っているジェビンの白い髪は生え方が不自然だった。

 書類を言われた場所に置いたノインのつぶやきに、ユンがこくりとうなずいた。

「はじめはこの色だったんです」

 でも、と丸眼鏡の奥の瞳が揺れた。

「味や痛みを感じるようになるのと同時期に、根本から白くなっていって……」

 ユンの前では平静でいたが、何か薬のようなものを飲んだり、注射をした日はベッドから動けないほどの苦しみ様だった、と。そうして徐々に髪から色が抜けていったのだという。ジェビン本人が言うには「髪の色素自体がなくなってしまった」らしい。くわしい理由はユンには教えられていない。

 きっと、私は知らなくていいことなんでしょうけど、と写真を持つ手に力を込めたユンの横顔に少しだけ影が差す。

「あんな先生はもう見たくないし、お父さんがあんなに焦っていたのも初めてでした」

 ――薬の実験の関係か。

 感覚機能を取り戻すまでに五年かかったと言っていたから、実験中の薬の副作用か何かで髪が白くなったとも考えられる。

 そっと自分のアッシュブロンドに触れたノインに気づかず、ユンは気分を切り替えるように明るく言った。

「先生、お父さんをまねて髪を伸ばし始めたって言ってました」

 結構手触りがいいですよ、と笑うユンの青い瞳がきらきらと輝いている。ノインはかすかに目を細めた。

「髪触るの、好きなのか?」

「はい」

 可愛らしくうなずいたユンだったが、はっとして頰を赤らめる。

 うつむいた彼女が何か言いたげに見上げてくる視線がこそばゆくて、ノインは顔を隠すふりをして前髪のひと房をにじった。

「あの、ノインさん――」

 思い切って顔をあげたユンがそう呼びかけたとき、医院の出入口の扉が叩かれた。

 ぱっと振り返った少女は写真をスカートのポケットに大事そうに入れ、

「すみません、出てきますね」

 と、はにかむように言って小走りで駆けて行く。

 黒い髪がさらさらと肩の上で揺れるのを黙って見送る。ユンが言いかけた先が気になりはするが、彼女なら機を見て話してくれるだろう。

 それまでノインがこの医院にいれば、の話ではあるが。

 無意識に愛刀を探して視線を巡らせたとき。

「も、もう来ないでって言ったじゃないですか……!」

 精一杯の虚勢を張ったようなユンの声。その語尾はかすかに震えていた。

 無意識のうちにそちらに足を向けたノインの肩に軽く手が置かれた。そのまま白衣と長い髪がひらりと横を通り過ぎた。

 突き飛ばされたらしく「きゃっ」と悲鳴を上げてよろめいたユンを支えて、ジェビンが口元にだけ軽薄な笑みを浮かべた。

「あまりうちの看護師を困らせないでくれるかな」

 医者と看護師と対峙しているのは、三人の粗野な男だった。

 それぞれ筋骨隆々な大男、浅黒いスキンヘッド、すり切れたジャンパーに三対のピアス。一様に下品に嗤っている。

「センセーを呼びに行ってもらおうとしただけさ」

 盛り上がる筋肉を見せつけるように一歩前に出た屈強な男がそう言った。

「腕のいい医者がこんなボロいところでやってんのはもったいないって。俺たちの組に来いよ。相応の金は用意するさ」

 その後ろから、スキンヘッドの男がにやつきながら言う。そうだそうだ、とジャンパーの男も声をあげる。

「何度言われても、ここが気に入っているんだ。どこにも行く気はない」

 話が通じないというように肩をすくめ、さりげなくユンを背中に隠したジェビンに大男が額に青筋を浮かべた。

「立場がわかってねェようだな、センセーよォ!」

 男が医者の白衣に無骨な手を伸ばした。びくっとユンが白い裾にすがる。

 が、それがジェビンの襟もとに届くことはなかった。

「な、何だお前!」

 音も気配もなく割って入ったノインがその太い手首をつかんでいた。

 前髪の下の冷たい光を帯びた瞳に、頰を引きつらせた大男は舌打ちをして振り払おうとするが、一回り以上も太さが違う腕はぴくりとも動かなかった。

 獣のようにうめいた男が再び腕に力を込めたのと同時にノインは手を離す。拘束を失った腕がそのままの勢いで振り抜かれて大男がたたらを踏んだ。

 さしものジェビンも、ノインの介入は予期していなかったらしく目を瞬かせた。呼びかけようとした声が野太い雄叫びにかき消された。

 気迫の乗った拳が振り抜かれた瞬間、ノインは地を蹴る。瘦身がかき消えたのと岩のような拳が地面にめり込んだのはほぼ同時。

 軽々と大男を飛び越えたノインは、ぽかんと口を開けていたスキンヘッドの男の顔面に着地する。鼻先から鈍い音を響かせたスキンヘッドの男がのけぞった。それに合わせてまた瘦身が跳ぶ。アッシュブロンドがさらさら揺れる。

 何事かをわめく男たちを後目に地面に降り立った瞬間、ふいに視界がかすむ。

 それに疑問を抱く間もなく、一瞬、意識が遠のきかけた。

「ノインさん!」

 ユンの焦った声にはっとして顔をあげれば、ジャンパーの下に隠していたらしいナイフが目の前に迫っていた。

 思考より先に体が回避に動く。耳のすぐ上を鋭利な銀色が過ぎていった。髪の数本と眼帯の紐が断ち切られる。反射的に地を蹴って距離を取った。

 その反動で眼帯が外れたのか急に視界が開ける。

 すると、同時に右目に『情報』がなだれ込んでくる。

 駆け寄って来ようとする少女の気の逸り。それを押しとどめる医者の焦燥。

 雄叫びをあげる大男の怒りと唸り。鼻を押さえたスキンヘッドの男の痛みと屈辱。ナイフを握りしめたピアスの男の次の行動。

 その場にいる者たちの感情、思考――心を、右目が読み取る。

 かちん、とノインのどこかで音がして神経が切り替わった気がした。

 害意とともに再び迫ってきたナイフを半歩横にずれるだけで避け、そのまま無防備な腹部に蹴りを叩き込むと、ごき、という湿った音が男の体の中から響く。その思考が苦痛に塗りつぶされ、ナイフを取り落とした。

 ノインがその柄を空中でつかみ、一直線に突っ込んできた怒気の塊に向かって振り抜こうとした瞬間。

「やめろ、ノイン」

 ひどく静かで、抗いがたい声。

 同時に、無理やり元の世界に引き戻される感覚がした。

 脳自体を揺さぶられるような気持ち悪さを必死にかみ殺しながら、ノインは凍りついたように動きを止めた。

 ナイフもまた大男の喉元を切り裂く寸前でぴたりと静止する。

 少しだけ食い込んだ刃の下でうっすらと赤い筋が浮かび、大男は滂沱のごとく冷や汗を浮かべてへたり込んだ。

「あ、赤い、右目……?」

 その心中は得体の知れない化け物に出会ったかのような恐怖でいっぱいだった。

 ノインがそちらに視線を向けると、ひっ、と悲鳴にならない悲鳴をあげてくるりと背を向けた。他のふたりも口々に何かをわめきながらそれを追っていく。

 ほうほうの体で遁走した男たちの背中が、ふいにぐらりと歪んだ。

 力の抜けた手からすべり落ちたナイフが地面に当たる音も、悲鳴のようにノインを呼ぶユンの声もひどく遠い。

 くずおれかけた瘦身をジェビンが慌てて支えた。

 脳と体をつなぐ神経が遮断されたかのように指の一本すら動かせない。右目とその奥がじくじくと熱い。ぼんやりとした視界の片隅で白い髪が揺れていた。

「無茶するなって言っただろ……!」

 糸の切れた人形のようにぐったりと身を預けるノインにジェビンは苦々しさが滲む声で言うが、素早く顔をあげた。

「とにかくノインを休ませる。ユン、準備して」

「はい!」

 意識が闇に沈む前に右目が見たジェビンの心は様々な感情が入り混じっていて。ただ、一番強く感じたのは。

 『ごめんね』

 深い罪悪感を擁した謝罪だった。


 *  *  *


 ノインにとって、眠ることは気を失うことと同義だった。

 激しい訓練の末に。大量の血を失ったがゆえに。あるいは、右目から得られる『情報』――感情、思考、果ては記憶まで。およそ相手の心に浮かんだすべてのものを処理しきれなくて。

 眠りは嫌いだ。

 目を閉じると嫌な記憶ばかりが浮かんできてよく眠れない。うまく意識を失えたとしても、ひどくうなされてすぐに目が覚めてしまう。

 眠りに落ちるときの、底なしの闇に沈んでいくような感覚もたまらなく心地が悪い。

 しかし、死ぬということがあの闇に永遠に囚われることならば、まぶたが二度と開かなくなるのは嫌だなと思う。

 そうしているうちに、ごく短い睡眠しか取らなくても平気な体になってしまった。

 いつ死んでもいい。今もそう思っている。

 自分がどうしようもない化け物であることは痛いほど自覚してはいるけれど。

 死ぬのなら、人間として死にたい。

 人形ではないと叫びながら生きたい。

 ――人間でありたいと望むのか。殺戮のための人形の分際で。


 *  *  *


 気を失っていたのは十分か十五分かそこらだろうか。

 おもむろに目を開ければ、診察室の一角に置かれたソファに寝かされていた。診察室とは白いカーテンが引かれて仕切られている。

 まだ熱を帯びている右目を押さえながら上体を起こす。

 あのぐらぐらとした気持ち悪さはいくらか治まっていた。

 ジェビンが言っていたように、必要以上に過敏になっていた五感を処理しきれなくなった脳が一時的に意識を切り離したらしい。おそらく右目の能力を使ったこともそれに拍車をかけたのだろう。

 ふと気づくと、ベッドの端で突っ伏したユンがすぅすぅと寝息を立てていた。かけたままの丸眼鏡が少し邪魔そうだがその表情は穏やかで、まだ幼さを残す温かい手がきゅっとノインの手を握っている。

 ノインは細い手をそうっと払う。そして、自身にかけられていた毛布をユンの肩に引っかけ、眼鏡を外してやった。

 すると、カーテンの向こうからひょこりとジェビンが顔を覗かせた。身を起こしているノインと眠っているユンを見て柔らかく微笑む。

「気分はどう? 落ち着いた?」

 こくりとうなずくノインに安堵したように息をついたジェビンは、笑顔をたたえたまま青年の額をぺしっと叩いた。

 痛みはないが思いがけぬ衝撃に小さく声が漏れた。

「でっ」

「死にたいのか生きたいのか、わからないな君は」

 そう言ったジェビンの目は笑っていなかった。

 咎めてくるような視線からふいっと顔を背け、ぼそりとつぶやく。

「……追い払えたからいいじゃないか」

「まあ、そうだけどさ」と笑ったジェビンは、安らかに眠る少女の黒い髪をガラス細工に触れるように撫でた。

「ユンのことも気にかけてくれてありがとね」

 まっすぐな感謝になんとなく居心地が悪くて「成り行きだ」とユンの眼鏡を静かに彼女の横に置き、話題を変えるように尋ねてみた。

「……どうして止めた?」

 屈強な男の首にナイフを突き立てようとした、あのとき。

 ふたりの口ぶりからすると、あの男たちは過去にも数度この医院にちょっかいをかけていたようだし、痛い目を見ればもう寄りつかなくなるだろうに。

「ほら、壁が汚れたら困るしさ」

 しれっとした顔で言う医者を横目でめつければ、ジェビンは「冗談だよ」と肩をすくめた。

 ふっとノインに向き直ったセピア色の目に真剣な光が宿る。

「俺の前では誰も死なせたくない。味方でも、敵でも」

 思いがけずノインの口元に小さく苦々しい笑みが浮かんだ。

「綺麗事だな」

「うん、知ってる」

 にかりと胡散臭く笑って見せるこの医者はいっそ恥ずかしいくらいに潔白で。

 自分が薄汚れていたのだと――ノインの手はどうしようもなく血まみれなのだと、否が応でも自覚させられる。

 無意識に右手で前髪をぐしゃりとつかんでいたノインの頭に不意にぽんと重さが乗った。視線をあげようとすると、そのまま乱暴に髪をかき回された。

「子どもがそんな顔するもんじゃないよ」

「え……?」

 ノインが怪訝に眉を寄せたとき、小さく身じろぎをした少女がふっと目を開けた。ぼんやりとした顔のまま、眠そうにまぶたをこする。

「おはよう、ユン」

 ノインの頭から手を離したジェビンが優しさを含んだ目で言う。それにユンがはっと身を起こした。

「ごっ、ごめんなさい、私、寝ちゃってて……!」

 わたわたと眼鏡を取り上げてかけ直すと、そこでやっと乱れた髪を直しているノインに気づく。

「よかった、目が覚めたんですね」

 ほっと胸を撫で下ろすユンは、落ち着いたかと尋ねてきたジェビンと同じ表情をしていた。

 その笑顔から反射的に目を背けそうになる。

 ――ああ、どうして。

 どうして、このふたりはこんなにも眩しいんだろう。

「ノインさん?」

 不安そうに覗き込んできたユンに、なんでもない、とかすれた声でなんとか返した。

 ジェビンはしばらく何も言わなかったが、唐突にひとつ手を打った。

「さて、ふたりともお腹すいただろ」

 あっと声をあげたユンの腹がくぅと鳴る。少女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、勢いよく立ち上がった。

「よ、用意してきますっ!」

 そのまま走り去ってしまった少女の背中を見送ったジェビンがこちらを見ずに言う。

「あとでその右目のこと、ちゃんと訊かせてね」

 有無を言わせぬその言葉にノインは肩をすくめるしかなかった。

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