⑤
もうじきに日付が変わる。
ダイニングの静寂が煩くて、工房に逃げ込んでの今である。
空腹に腹が鳴るものの、食事はまだしていない。
夕飯時にマナが外出しているなんてこれまでなかったことだから、どこでどう踏ん切りをつけていいのかわからずに、待ち続けてしまっていた。
使い道のない鎖を作っている。
細く潰した線状の銀を適当な長さに切り取って、ひとつひとつ丸めていく。
個々の輪の繋ぎ目を処理し、内側まで磨く工程を考えると、気が遠くなるほど地道な作業だ。
そうした手のかかる遊びでもしていないと、どうにかなってしまいそうだった。
心許ない寄る辺なさが胸を重く塞いでいて、だから酸素が妙に薄い。
その感情に寂しさという名のあることを、タスクは知らない。
マナがひとりになった日に、タスクは初めて『ふたり』を知った。
拾われてからの時間には、たいていいつもマナがいて、だからひとりであることを、意識する機会はなかったのだ。
苛立たしいような焦燥に波立つ理由のわからぬまま、小さな輪を作り続けた。
時間は遅々と進まなかった。
不意のことだ。
ドアのノブが細く鳴る。
弾かれたように見遣ったドアが、蝶番を軋ませながら細く開いた。
冴えた冷気が無遠慮に忍び込んでくる。
夜に紛れるよく知る形の細い影。
出掛けと同じ淡々とした所作で、彼は静かに扉を閉めた。
引き合うように視線が絡み、アイスブルーの冷たい瞳がタスクを映す。
たったそれだけのことで、なにもかもがよくなった。
よいことになってしまった。
覚えずこもった力が抜ける。
見知らぬ形のざわつきや、馴染みのない苛立ちや、耳障りな静けさなんかが、あっけなく霧散してしまう。
暖かな暖炉の前で、雨の夜の冷たさを思い出したりしないように。
席を立ってマナに近づく。
彼もまたゆっくりとドアを離れた。
冷たい夜の空気の匂い。
遅かったねも、なにしてたのも、相応しくないような気がして。
「おかえり」
結局そんなありきたりな台詞を口にした。
マナがじっと見上げてくる。
感情の乗らない冷めた目が、なぜか不思議がるようだった。
「どうかした?」
返るのは、まばたきふたつ分の沈黙。
「おまえ、待ってたの」
問いというより独白のニュアンスで、抑揚のない声が落ちる。
「待つでしょ、そりゃ」
「……そう」
なにもかもを飲み込みたがるような頷きだった。
すいと視線が逸らされて、夜気を連れた細い身体が傍らをすり抜ける。
目指す先はルカを閉じ込めたからくり箱だ。
カタンカタンと板を動かす音がする。
「飯、食う?」
箱を見つめる横顔に問いかけた。
「チキンだっけ」
「そう。ワインじゃなくてトマトで煮たやつ」
「うん」
「りょーかい」
マナが石を取り出して、首の後ろに腕を回した。
その様を、何度でも美しいと思う。
ルカのための特別な棺。
丁寧な手仕事で繋がれた鎖。
誰より綺麗に石を飾ることができるのに、傷のひとつも付けられず、結局大事に閉じ込めた。
輪っかに棒を通すタイプの留め具なのは、その方が頑丈だからだ。
爪で開閉するものは、バネが緩むことがあるから。
そうまでしたその上で、外に持ち出すことすらできない。
不器用な、マナだけの愛し方。
「飯の仕度、できたら呼ぶから」
ダイニングに引っ込んで、冷めた料理に火を入れる。
再び満ちた静寂は、けれどもう気にならなかった。
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