もうじきに日付が変わる。

 ダイニングの静寂が煩くて、工房に逃げ込んでの今である。

 空腹に腹が鳴るものの、食事はまだしていない。

 夕飯時にマナが外出しているなんてこれまでなかったことだから、どこでどう踏ん切りをつけていいのかわからずに、待ち続けてしまっていた。

 使い道のない鎖を作っている。

 細く潰した線状の銀を適当な長さに切り取って、ひとつひとつ丸めていく。

 個々の輪の繋ぎ目を処理し、内側まで磨く工程を考えると、気が遠くなるほど地道な作業だ。

 そうした手のかかる遊びでもしていないと、どうにかなってしまいそうだった。

 心許ない寄る辺なさが胸を重く塞いでいて、だから酸素が妙に薄い。

 その感情に寂しさという名のあることを、タスクは知らない。

 マナがひとりになった日に、タスクは初めて『ふたり』を知った。

 拾われてからの時間には、たいていいつもマナがいて、だからひとりであることを、意識する機会はなかったのだ。

 苛立たしいような焦燥に波立つ理由のわからぬまま、小さな輪を作り続けた。

 時間は遅々と進まなかった。

 不意のことだ。

 ドアのノブが細く鳴る。

 弾かれたように見遣ったドアが、蝶番を軋ませながら細く開いた。

 冴えた冷気が無遠慮に忍び込んでくる。

 夜に紛れるよく知る形の細い影。

 出掛けと同じ淡々とした所作で、彼は静かに扉を閉めた。

 引き合うように視線が絡み、アイスブルーの冷たい瞳がタスクを映す。

 たったそれだけのことで、なにもかもがよくなった。

 よいことになってしまった。

 覚えずこもった力が抜ける。

 見知らぬ形のざわつきや、馴染みのない苛立ちや、耳障りな静けさなんかが、あっけなく霧散してしまう。

 暖かな暖炉の前で、雨の夜の冷たさを思い出したりしないように。

 席を立ってマナに近づく。

 彼もまたゆっくりとドアを離れた。

 冷たい夜の空気の匂い。

 遅かったねも、なにしてたのも、相応しくないような気がして。

「おかえり」

 結局そんなありきたりな台詞を口にした。

 マナがじっと見上げてくる。

 感情の乗らない冷めた目が、なぜか不思議がるようだった。

「どうかした?」

 返るのは、まばたきふたつ分の沈黙。

「おまえ、待ってたの」

 問いというより独白のニュアンスで、抑揚のない声が落ちる。

「待つでしょ、そりゃ」

「……そう」

 なにもかもを飲み込みたがるような頷きだった。

 すいと視線が逸らされて、夜気を連れた細い身体が傍らをすり抜ける。

 目指す先はルカを閉じ込めたからくり箱だ。

 カタンカタンと板を動かす音がする。

「飯、食う?」

 箱を見つめる横顔に問いかけた。

「チキンだっけ」

「そう。ワインじゃなくてトマトで煮たやつ」

「うん」

「りょーかい」

 マナが石を取り出して、首の後ろに腕を回した。

 その様を、何度でも美しいと思う。

 ルカのための特別な棺。

 丁寧な手仕事で繋がれた鎖。

 誰より綺麗に石を飾ることができるのに、傷のひとつも付けられず、結局大事に閉じ込めた。

 輪っかに棒を通すタイプの留め具なのは、その方が頑丈だからだ。

 爪で開閉するものは、バネが緩むことがあるから。

 そうまでしたその上で、外に持ち出すことすらできない。

 不器用な、マナだけの愛し方。

「飯の仕度、できたら呼ぶから」

 ダイニングに引っ込んで、冷めた料理に火を入れる。

 再び満ちた静寂は、けれどもう気にならなかった。

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