④
貧民窟がごみ溜めと疎まれるように、その隣に位置する四番街も腐臭がすると等しく蔑まれる界隈だ。
中でもマナの工房は貧民窟からほど近い区画にあって、ゆえに寄りつく者もない。
寂れきった静寂を、静かでいいでしょとマナは言う。
異を唱える気はさらさらなく、そうねと応じたのが遠い昔だ。
錆びてくすんだ街並みと、灰色の石畳。
空気の淀んだほの暗い路地の隙間で、浮浪者が膝を抱えて眠っていた。
そのみじめな有り様を、蔑むことがタスクにはできない。
マナが気まぐれを起こさなければ、あれはそのまま己の姿だ。
慣れた道筋。いくつかの角を折れ、大通りに出る。
三番街が近付くと、街に漂う倦んだ気配が次第に薄くなっていく。
代わりに辺りに満ちるのは、クリスマスを祝う浮かれた空気だ。
マーケットの中央に、大きなツリーが飾られている。
根本に積まれたリボンまみれの空の箱。
カラフルなオーナメントがきらきら光を弾いている。
そんな陽気な光景に、なんとはなしに思い出すのが、いつかの雨の夜だった。
あんな場所に迷い込んできたマナは、死ぬつもりでもあったのだろうか。
だとすれば、死にそこねたのはタスクより、むしろマナの方だろう。
余計な拾いものをしたせいで、今日まで永らえてしまっている。
ひとでごった返す路地。身体の向きを変えながら、タスクは器用に雑踏を抜ける。
目当ての店も、効率のいい周り方も、頭にちゃんと入っている。
チキンとトマトの缶詰に、大入りのパスタ。朝食用のミルクと林檎、ディナーに添えるためのバケット。
予定の食材に加え、ワインを仕入れた。マナ好みの軽い赤。
せっかくのクリスマスだし。珍しくワインなんか、欲しがってたし。
滅多にされないリクエストをつれなく振った罪悪感を口実に、アルコールの瓶を荷物に加える。
街のお祭り騒ぎに乗じることを考えなくもないけれど、せいぜいアルコールまでだろう。
甘いケーキやリボンの飛び出すクラッカー、時間をかけて大事に選んだプレゼント。
そうしたものが自分たちにそぐう気は欠片もせず、タスクはそこで買い物を切り上げた。
今日は双子のための特別な一日だから、拾われたかつての子どもには、舞台の隅がちょうどいい。
予定より重たくなった荷物を抱え、家路を辿る。
暮れしなの朱、空の端の藍。灯り始めた街路灯。
三番街から四番街へ、来た道を引き返す。
汚れた路地の浮浪者は、冷たい石になっていた。
日が暮れて、気温が下がったせいだろう。
壁に凭れた形のまま、着ていた衣服がたぐまっている。
ひとの厚みはどこにもなく、探せば布の束の中に石の粒があるはずだ。
その瞬間のあっけなさを知っている。
ひとだったものがさらりと崩れ、ひと欠片の石になる。
細かい粒子は風にさらわれ、石だけが残るのだ。
おめでとうを唱えるのは、酷薄に過ぎるだろうか。
だとしても、終わりはある種の救いに思えて、名も知らぬ誰かをそっと祝った。
角を折れ、辿り着いた彼らの家は、しんと夜に沈んでいた。
鍵を開け、手探りで明かりを点す。
まだほのかに空気がぬくい。出掛けに消した暖炉の名残。
「ただいま」
工房は無人で、当然応える声はない。
足元に食材で膨れた紙袋を下ろし、まずは暖炉に火をくべた。
寒さに弱い同居人が、いつ帰ってきてもいいように。
ぱちぱちと薪のはぜる音がするのに、妙に静かだと思う。
普段であればマナが銀をいじっている。
削るにも伸ばすにも硬い金属の音がするから、優しいばかりの火の音はかえってタスクを落ち着かなくさせた。
部屋が暖まる頃にはマナも帰ってくるはずだ。彼はあまり家を空けていたがらない。
タスクは食事の仕度を始めた。
チキンをトマトで煮込みながら、ヨーグルトに林檎を浮かべただけの簡単なデザートを作る。
色合いがケーキとイチゴに似てるから。
無茶な理屈をこねくり回し、望まれてもいないのに、食卓に華を添えてみる。
バケットを切り分けて温めるのは、マナが帰ってきてからだ。
くつくつと湯気を立てるフライパンの番をしながら、外の音に聞き耳を立てる。
表を通り過ぎる足音はするくせに、ドアの開く軋んだ音は聞こえてこない。
午後七時。
料理をすっかり作り終えてしまっても、マナは戻ってこなかった。
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