③
マナは自宅を兼ねるこの工房で細工屋を営んでいる。
依頼人から石を預かり装飾品に仕立てる仕事だ。
銀細工が一番の得意で、遠方からも客が来る。
とはいえ単に物品を商うタイプの店とは違い、常に客が絶えないような仕事でもない。
特に冬場はマナの手が鈍るから、納期は長く取ることにしていて、その分せわしさもやや落ち着きをみせていた。
石の在り方を変えるための手続きは、弔いの手順でもあるから、急かす客はまずいない。
今手掛けるのは品のいい老婆が持ち込んだ、鮮やかなローズレッドの石だった。
たいていの石と同じく二分の一インチほどの滑らかな粒で、透明度が低い分発色がいい。
他人に興味のないマナは、客の相手をさせておくと逆にこちらが戸惑うほど言葉少なで愛想がない。
見るに見かねて会話に割って入って以来、接客はタスクに任されている。
だから今回もいつものように話をした。
細工屋への依頼に慣れている人間は滅多におらず、だからその意思や希望を引き出すために時間をかける。
こちらは丁寧な仕事をなさるとうかがって参りましたのでと、楚々とした淑女は穏やかに告げた。
可能な限り石を砕かないでほしいというのが、彼女の唯一の希望だった。
誰のものとは聞かなかったが、大事な相手なのだろう。
大きな塊はネックレスに、台座に形を合わせるため、どうしても切り落とさねばならない部分は耳飾りにと告げたところで、リングにするよと、静かな呟きが割って入った。
抽斗から紙とペンを出したマナはツルバラの指輪を描き起こし、老女の前に滑らせた。
葉とツルを模した螺旋に花として石をあしらう。
その分石は小さな粒になるけれど、指輪であれば時間を選ばずつけていられる。
耳飾りよりいいでしょうと、客相手でも変わらない低空飛行で、彼はそんな説明をした。
彼女は結局リングを選び、よろしくお願い致しますと、ごく丁寧に頭を下げて帰っていった。
タスクには到底できない提案だ。
技術や知識の問題ではない。
大事なものを長く身につけていたいという感覚は、タスクの理解の外にある。
客の相手だけであればマナより上手くこなすことができるけれど、器用さが取り落とす何事かの存在を感じることはままあった。
自身に与えられた彫金机で、マナが細工を施したシルバーを磨く。
手慰みに作ったというシンプルなリングの曲線は優美で、いつまででも眺めていられた。
あらかた曇りが取れたところで磨きの作業に区切りをつけ、凝り固まった身体をほぐす。
頭上に向けて腕を伸ばすと肩甲骨がぱきぱき軽い音を立てた。
隣の様子をうかがえば、マナは件の依頼のために、地金を固めたところだった。
溶かした銀をアケ型に流し込み、冷ましただけの柱状の塊。
「ねぇそれ、ピンクにするって言ってなかった?」
覚えた違和を口にすれば、マナの手がはたと止まる。
叩いて締める前の地金は鈍く光を返す銀で、想像していた赤味はない。
華のあるローズレッドの石だから、ピンクシルバーとあわせるのだと言っていた。
磨いた銀とは喧嘩するから、色調を寄せた方がいいだろうと。
「あぁ」
そうだったねと、作りたての地金を脇に避け、マナは椅子に深く凭れた。
常と変らぬように見えてもやはり調子は出ないらしい。
「地金、俺が作っとこうか?」
「そうね」
吐息を含んだ声が頷く。
そうしてしばらくぼんやりしたあと、不意に出掛けるとマナは言った。
おそらくいつもの思い出探しだ。
この時期に、あてどなく街をさ迷う癖が彼にはある。
「そしたら鍵持って出て。俺もその内買い物行くから」
浅い首肯。
マナの華奢な指先が首の後ろに回される。
ペンダントを外すためだった。
輪っかに棒を通すタイプの武骨な留め具に、ひとつひとつ緻密に繋げた二重のチェーン。
その先の、レモンのような紡錘形の柵の中、小指の先ほどの石粒が大事に閉じ込められている。
ルカがマナに遺した石だ。
透明に澄み切った、奇跡みたいに深い青。
マナは鎖を丁寧に畳み、机の隅のからくり箱にそっと収めた。
開け方はマナしか知らない。
探れば開けられるようになるのかもしれなかったが、マナの自由にしかならないそれが彼の聖域だとしたら、侵していいものではないだろう。
「いってらっしゃい」
チャコールグレーのコートを羽織り、マフラーに鼻まで埋もれた寒がりは、普段通りの淡々とした顔つきで家を出た。
細い背中を見送って、引き受けた作業に取りかかる。
シルバーと、銅と金とパラジウム。
教えられたやり方で、必要な分量を計り取る。
熱して溶かして混ぜ合わせれば、柔らかに光るピンクシルバーになるけれど、実際は口でいうほど単純ではない。
この数年で一通りのことは習ったものの、マナの手際と正確さにはいまだ遠く及ばない。
必要量の地金を固め終える頃には、午後の四時をすぎていた。
「やっべ」
慌てて道具を片付ける。
夕食の材料を買い揃え、帰って料理を始めたら、いい時間になってしまう。
暖炉の火を消し上着を羽織る。
「いってきます」
音のないひとりの部屋に声を放ることに慣れない。
マナはひどい出不精で、たいてい工房に閉じこもっているからだ。
いってらっしゃいが贈られることはないけれど、ちらと視線を投げることぐらいはしてくれる。
外に出ると、吹く風に温度を奪われた。
鍵をかけ、灰色の石畳を歩き出す。
目指すのは、三番街のマーケット。
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