②
この家の一階は工房が大半を占めていて、残りの余白にダイニングキッチンとバスルームが詰め込まれている。
だから狭いダイニングは、テーブルひとつでほとんどいっぱいになってしまう。
入口のドアから見て正面がタスクの席で、左手がマナの定位置。その向かいがルカのものと決まっている。
マナと着いた一番初めの食卓で、そこは駄目と咎められた。
『そこはルカの席だから』
自分のものにはひとつも頓着しないくせに、ルカのものには近付くことすら嫌がった。
淡々と重ねられる要求は、マナにとっての片割れが、絶対なのだとタスクに教えた。
使われることのない食器、持ち主のいない本棚、カーテンの外された窓、寝室に置かれない時計、マナが無意識に空けている、ソファーやベッドの隣の空白。
この家のそこここに、ルカのための場所や決まりが存在していて、それが自然だったから、当たり前にふたりとひとりで生活している感じだった。
マナの中には昔も今も、ルカのための場所しかない。
そのことを、タスクはよく知っている。
食後の紅茶をすすっていると、横手から皿が押しやられた。
マナのごちそうさまの合図だった。
プレートの上にはトーストが半分と、手つかずのベーコン。
マッシュポテトが三口分残されている。
マナが食べきれなかった分の食事を引き受けるのが、いつからかタスクの仕事になっていた。
「マナ、スープは飲んで。嫌でしょ、去年みたいに倒れるの。また俺に運ばれたいなら止めないけど」
彼にとっても不名誉だろう前科を盾に促せば、眉根を寄せた渋面で、しぶしぶスプーンに手が伸びる。
彼はあまり食事自体が好きではないのだ。
寄越された皿のフォークを取り上げ、ベーコン、ポテト、トーストと、順繰りに口に放り込む。
タスクが皿を空けるのと、マナが食器をテーブルに戻すのがほぼ同時。
大儀そうなため息をつくマナへ労いの意味も込め、カップに紅茶を注ぎ足してやる。
瑞々しく甘い香りが立ち上る。
タスク手製のアップルティーはマナの気に入りの品だった。
「ディナーのリクエスト、あれば聞くけど」
嫌々する食事なら、せめて多少は気の向くものをと思わないわけでもない。
日課となった問いを投げると、白い両手でカップを包んだ養い親が、珍しく悩む素振りを見せた。
「牛の煮たやつ」
タスクは首を傾げつつ、相手の横顔を見る。
「煮るってなにで?」
「赤ワイン」
「……それって美味いの?」
「美味いよ」
アルコールで煮込んだ肉の味が、タスクにはさっぱり想像がつかない。
「悪いけど、他当たってくれる?」
作れそうもないからさと、あっさり手のひらを返して見せれば、食にさしたる興味もこだわりもない男は、小さく肩をすくめて見せた。
そもそもそれがタスクのレパートリーにないことを、彼は当然知っている。
「もしかして、ルカの得意料理だったりした?」
「さぁ。作ってもらったことはないけど」
なんだと肩の荷を下ろしたような心地になって、替わりのメニューを思案する。
「じゃあさ、チキンのトマト煮なんかどう? チキンもビーフも変わらないでしょ。色も同じ赤だしさ」
「いいんじゃない」
おざなりな同意にじゃあ決まりと席を立つ。
使った食器を泡まみれにする間に、背後でカタンと椅子が鳴った。
かすかなドアの開閉音。
無人のテーブルから空のカップを回収し、それもスポンジで泡立てる。
ドア一枚を隔てた向こうは工房で、マナはすでに仕事を始めているだろう。
祖父から譲り受けたという年季の入った彫金机で、彼は日の大半を過ごす。
最後の皿を水切り籠に伏せたタスクは、工房に続くドアに手をかけた。
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