この家の一階は工房が大半を占めていて、残りの余白にダイニングキッチンとバスルームが詰め込まれている。

 だから狭いダイニングは、テーブルひとつでほとんどいっぱいになってしまう。

 入口のドアから見て正面がタスクの席で、左手がマナの定位置。その向かいがルカのものと決まっている。

 マナと着いた一番初めの食卓で、そこは駄目と咎められた。

『そこはルカの席だから』

 自分のものにはひとつも頓着しないくせに、ルカのものには近付くことすら嫌がった。

 淡々と重ねられる要求は、マナにとっての片割れが、絶対なのだとタスクに教えた。

 使われることのない食器、持ち主のいない本棚、カーテンの外された窓、寝室に置かれない時計、マナが無意識に空けている、ソファーやベッドの隣の空白。

 この家のそこここに、ルカのための場所や決まりが存在していて、それが自然だったから、当たり前にふたりとひとりで生活している感じだった。

 マナの中には昔も今も、ルカのための場所しかない。

 そのことを、タスクはよく知っている。

 食後の紅茶をすすっていると、横手から皿が押しやられた。

 マナのごちそうさまの合図だった。

 プレートの上にはトーストが半分と、手つかずのベーコン。

 マッシュポテトが三口分残されている。

 マナが食べきれなかった分の食事を引き受けるのが、いつからかタスクの仕事になっていた。

「マナ、スープは飲んで。嫌でしょ、去年みたいに倒れるの。また俺に運ばれたいなら止めないけど」

 彼にとっても不名誉だろう前科を盾に促せば、眉根を寄せた渋面で、しぶしぶスプーンに手が伸びる。

 彼はあまり食事自体が好きではないのだ。

 寄越された皿のフォークを取り上げ、ベーコン、ポテト、トーストと、順繰りに口に放り込む。

 タスクが皿を空けるのと、マナが食器をテーブルに戻すのがほぼ同時。

 大儀そうなため息をつくマナへ労いの意味も込め、カップに紅茶を注ぎ足してやる。

 瑞々しく甘い香りが立ち上る。

 タスク手製のアップルティーはマナの気に入りの品だった。

「ディナーのリクエスト、あれば聞くけど」

 嫌々する食事なら、せめて多少は気の向くものをと思わないわけでもない。

 日課となった問いを投げると、白い両手でカップを包んだ養い親が、珍しく悩む素振りを見せた。

「牛の煮たやつ」

 タスクは首を傾げつつ、相手の横顔を見る。

「煮るってなにで?」

「赤ワイン」

「……それって美味いの?」

「美味いよ」

 アルコールで煮込んだ肉の味が、タスクにはさっぱり想像がつかない。

「悪いけど、他当たってくれる?」

 作れそうもないからさと、あっさり手のひらを返して見せれば、食にさしたる興味もこだわりもない男は、小さく肩をすくめて見せた。

 そもそもそれがタスクのレパートリーにないことを、彼は当然知っている。

「もしかして、ルカの得意料理だったりした?」

「さぁ。作ってもらったことはないけど」

 なんだと肩の荷を下ろしたような心地になって、替わりのメニューを思案する。

「じゃあさ、チキンのトマト煮なんかどう? チキンもビーフも変わらないでしょ。色も同じ赤だしさ」

「いいんじゃない」

 おざなりな同意にじゃあ決まりと席を立つ。

 使った食器を泡まみれにする間に、背後でカタンと椅子が鳴った。

 かすかなドアの開閉音。

 無人のテーブルから空のカップを回収し、それもスポンジで泡立てる。

 ドア一枚を隔てた向こうは工房で、マナはすでに仕事を始めているだろう。

 祖父から譲り受けたという年季の入った彫金机で、彼は日の大半を過ごす。

 最後の皿を水切り籠に伏せたタスクは、工房に続くドアに手をかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る