たとえ愚かでも…… (終)
――1921年7月23日。ドーランド邸、居間。
「……お坊っちゃまは、長い間引きこもってらっしゃいました」
居間のソファーに一人座り込むウォルダに、あるメイドがそう告げた。勿論の事、ウォルダはその言葉を聞き逃さなかった。
「一体、どういう事でしょうか?」
メイドは溜息を漏らしつつも、ゆっくりと、その口を開いた。
「……お坊っちゃまは芸術に対して、類いまれなる才能を持っておられました。しかし、その才能をひけらかす事もございませんでした。ただお坊っちゃまが行った事と言えば、才能を引き出せない者達に、才能を引き出すための『光』を与えるということだけです」
「光……ですか?」
「はい。光でございます」
メイドは暖炉の上にある棚から、一つの写真立てを手に取った。そして、その写真立てをウォルダに手渡す。その写真の中には、一人の小さな男の子と、ベレー帽を被り筆を持った、大きな男性が写っていた。
「この写真は?」
「お坊っちゃまと、旦那様でございます。お坊ちゃまは家族と共に過ごす時間というものを、非常に好んでおられました。中でも、旦那様と過ごす時間は、ずっと目を輝かせておられました」
メイドは写真を懐かしそうに眺め、話を続ける。
「……お坊ちゃまは大きくなられると、周りの子供達とは孤立していきました。この町で生きていくには、『個性』がなければいけないのです。ですが、お坊ちゃまは自身の個性を見出すことが出来ずに悩んでおり、孤立していたのです。そんなお坊ちゃまに『光』を与えたのが、旦那様だったのです」
――1912年4月13日。モーリデットル町、ピンカーパーク。
沢山の桜が舞い散る中、ある絵師とその息子が居た。息子は父の描く公園の風景を、ただじっと見つめていた。そして父が筆を置くと、息子は不思議そうに首を傾げ、父に問いかけた。
「本物と全然違う絵になっちゃってるよ? これで完成なの?」
父は微笑んで、息子の頭を撫でた。そして、穏やかな口調でこう告げる。
「ブラウニア。目に見えるものを完璧に描くことも、一つの個性だ。だが、目に見えない心の風景を描くことも、一つの個性なんだよ。父さんには、この綺麗な公園が、この絵の様に、カラフルで、幻想的に見えたんだ」
――描きたいものを、描きたいように描く。それが、個性だ。
――現在。
「旦那様は、お坊ちゃまにそう仰りました。その時、お坊ちゃまは初めて『光』を手に入れ、『個性』を見出す事が出来ました。人は『光』がなければ『個性』を見出す事が出来ません。だから、お坊ちゃまはそんな人の為に、『光』を与える事を選んだのです。しかし……」
メイドは再び溜息を漏らし、俯く。
「その『光』を、良く思わない者達がおりました。お坊ちゃまの与えた光を、拒絶する者達がおりました。そんな彼らは、自分に無い個性や光を持つお坊ちゃまを、攻撃し始めました。それも、かなり卑劣な手を使って」
そうメイドは言い、他の部屋に行って何かの大きな箱を持ってきた。そして、その大きな箱を開けると、中には大量の手紙が入っていた。試しにウォルダが一通の手紙を取り、中身を読んでみると、そこには綺麗な言葉で飾られた、鋭い批判の文章が淡々と書かれていた。
「全て、差出人は同じです。書かれている文章も、多少違いはあるものの、傷つく言葉が淡々と並べられています。ですが、なによりもお坊ちゃまを傷つける事となったのは――」
メイドはウォルダの読む手紙を覗き込み、差出人の名前を指さした。
――ナーラ・ケプラー。
そう差出人の名前は書かれていた。メイドは再び暖炉の上の棚へと足を進め、今度は伏せられている写真立てを手に取った。そして、メイドはウォルダにその写真立てを手渡す。そこに写っていたのは、さらさらの長いブロンズの髪に、エメラルドの瞳を持った清楚な女性と、ブラウニアだった。
「……ここに写っている女性が、ナーラ・ケプラー様です。ナーラ様はお坊ちゃまと非常に親しき仲でした。お互いが惹かれあう程に……。もうお分かりだと思いますが、この手紙の本当の差出人はナーラ様ではありません。お坊ちゃまを妬む者達の手紙です。彼らが、お坊ちゃまの最も親しい仲の人物を利用して書いた、偽りの手紙なのです。それは恐らく、お坊ちゃまも分かっておられたでしょう。ですが……きっと、それ以上に、その文面と名前が、お坊ちゃまの心を傷つけ、お坊ちゃまの個性を形作っていた『光』を尽きさせたのでしょう」
「そうして、ブラウニアさんは引きこもるようになった……と」
メイドは何も言わずに頷いた。ウォルダも何も言わず、その写真をただじっと見つめていた。そんな時、ウォルダの頭の中に複数の声が鳴り響いた。
――君達を呼んだのは他でもない。このことについて調査して欲しいんだ。人が死んだ事について。
――まだ死んだかどうかは分からない。でも、死んだも同然だと思うのだよ。被害者は僕のよく知る人。最近は全く外に出ず、外部との接触も極力絶っているようだ。それがもう二年だ。
――光は有限だ。いつかは供給しないと、尽きてしまう。
――この町は芸術の町と呼ばれている。そんな狭い世界で生きるには、誰にもない個性が必要だ。個性の素となる『光』を与え過ぎても、それは自身を破滅へと導くだけだ。
――注意して物事を見ておいて下さい。
その瞬間、ウォルダは何かを思い立ったかの様に、嫌がらせの手紙が沢山入った箱を探り始め、手紙を一通一通乱雑に開けていく。
「これじゃない……これじゃない……急がないと、取り返しのつかない事に……」
その時、ウォルダがある手紙を開け、手を止めた。そして、じっくりとその手紙に目を通す。読み終わると、勢いよく立ち上がり、居間を出て階段を駆け上がり始めた。
――その数十分前。
「これが、君の知りたかった答えだよ」
ブラウニアはそう言うと、隠し持っていたナイフを自身に向けた。マリーはその状況に驚くこと無く、ゆっくりと近づく。が、ふと、足元に散らばる紙切れを手に取り、目を瞑って誰にも聞こえない様な小さな声で、何かを呟いた。そしてすぐ、ブラウニアの方へと視線を向けた。
「貴方の持つ『光』が奪われ、尽きてしまったから、ここで命を絶とうと言うのですか?」
「……この狭い世界で生きるためには、誰にも無い『個性』が必要だ。そうして何者にもなれない者には、誰かが『光』を与えてやらねばならない。だが、人々は『光』を与えられた事に気が付かずに、何気なく日々を過ごす。そこに、名も無き支援者が居るにも関わらず……。『光』を与えられても、そのありがたみに気付かぬ愚か者は、弱き者を攻撃する。そうして、『光』を奪っていく。また、ある者は支援者の『光』が尽きようとしている所を、ただ傍観する。いや、気付かずに日々を過ごす。そうして、我が身を削ってまで与えた『光』は、どこかへと消え、決して供給されることなく尽きていくのだ!」
ブラウニアの瞳には涙が溢れだし、ナイフを握る手は震え始めた。
「僕は……父上に……父さんから、一生大切にしなくてはいけない『光』を貰い、自身を見出した。けれど、幼かった僕は、父さんや母さんに、何もすることが出来なかった。何もすることが出来ずに、ただ、世間から見放され、光が尽きていく様を見ている事しか出来なかった! だから、僕は、何者にもなれなかった者達に、『光』を与えようと思ったのに……アイツらはその『光』を踏み潰し、奪い去った! 一番信頼してた……彼女にも……見捨てられた……。見返りを求める訳じゃない……だが、僕の持っていた『光』は……尽きてしまった……」
マリーはゆっくりとブラウニアに近づく。が、ブラウニアは近づくマリーに対して、ナイフの刃を向ける。
「貴方は、この部屋にずっと引きこもり、町の姿を眺めていた。何気なく日々を過ごしている、貴方の言う愚か者達や、『光』を失って、町の風景の中に消えていく者達を」
「あぁ……そうだよ。全てを見てきたさ」
「だから、貴方は私たちを呼んだ」
「っえ?」
「誰にも気付かれること無く死んでいくのが嫌だったから、怖かったから、せめて最後は誰かに知ってもらおうと、私たちを呼んだ。時間を覗くことの出来る私たちを」
マリーは足を止め、ブラウニアの瞳をじっと見つめながら、静かに語り続ける。
「誰が、何故死んだのか。貴方はそれを調査して欲しいと仰いました。私は、その答えに辿り着きました。死んだのは、『光』を失ってしまった、尽きてしまった『貴方自身』ですね? そして、貴方はそれを最後に誰かに気付いてほしかった。”そこに”自分が居て、行ってきた全ての事を、誰かに気付いてほしかった」
マリーはナイフを握るブラウニアの手をそっと掴み、機械や人形とは違う、とても優しい声で、ブラウニアに語りかける。
「私も、この世界は非常に狭く、愚かだと思います。誰かと一緒じゃないと自身を見出す事が出来なかったり、『個性』を持っていないと存在する事が出来なかったり。かと言って、『個性』を持つと周りから攻撃されたり、私には、よくこの世界の事が分かりません。人の気持ちというものにも、私は疎いです。ですが、あくまで私の考えでしかないのですが、たとえ愚かでも、私は、そこにある『光』を信じて生きようと思うのです。信じて、待ち続けようと思うのです。たとえその『光』が返って来なかったとしても……愚かですよね。でも、何故だか、待つことが出来る様な気がするのです。貴方にも、そういう経験はおありでしょう?」
ブラウニアはマリーのその温かい瞳を見るなり、その場に泣き崩れてしまった。
「貴方がこの場で命を絶とうと言うのでしたら、それを私が止める事は出来ません。それが貴方の決断ですから。ですが、もし、命を絶つのでしたら、少しだけ、私と一緒に、『光』を待ってみませんか?」
その瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。マリーとブラウニアがその扉の方へと視線を向けると、そこには息を切らしているウォルダが、一通の手紙を持って立っていた。ウォルダは息を整え、ゆっくりと二人の方へ近づいて行く。そして。
「はい、ブラウニアさん。これは、本物の、あなたへの手紙です」
ブラウニアはその手紙を恐る恐る受け取り、ゆっくりとした手つきで開く。そして手紙の内容をじっくりと読むなり、勢いよく立ち上がり、邸宅を飛び出した。
『ブラウニアさんへ。
最近、学校で貴方の姿を見かけません。理由は、何となく分かっています。ごめんなさい、私が何もしてあげられなくて。貴方が私にくれたものを、返すことが出来なくて。
私は、ずっと独りぼっちで、自分が何者で、何がしたいのか、全く分かりませんでした。でも、そんな私に道しるべとなる光を与えてくれたのは、貴方でした。あの日、あの音楽の時間、自分がどうあるべきか教えてくれたのは、貴方でした。自分の思う通りにやっていい。貴方は、私にそう教えてくれました。その言葉があるから、今の私があります。
貴方の抱える痛みや苦しみを、私が全て癒す事は出来ないかもしれない。それでも、私は、私の思う通りの、最大限の光をお返ししたいと思います。
いつもの教室で、貴方を待っています。 ナーラ・ケプラー』
――1921年7月23日。モーリデットル町、アーテクス中学校。
ブラウニアは階段を駆け上がり、ピアノの美しい音色が鳴り響く場所へと向かっていた。そして、ブラウニアはその場所の扉の前で足を止めた。ブラウニアは大きく息を吸い、ドアノブに手を掛ける。そしてゆっくりと扉を開いた先には――。
「ブラウニア……?」
ピアノ椅子に座って静かにピアノを弾く、長いブラウンの髪の生徒は、ブラウニアの姿を見るなり、そう呟いた。
「ナーラ……」
ブラウニアはそう呟き、再び大きく息を吸う。そして、そのままゆっくりとピアノの方へと足を進める。ブラウニアの担当楽器は決してピアノでは無い。だから、ピアノはあまり得意ではない。でも、この時ばかりは、ブラウニアはピアノの鍵盤に手を添えていた。そして置いてある楽譜をじっと見ると――ピアノを弾き始めた。その演奏は決して上手とは言えない。プロの奏者が聞けば、鼻で笑うレベルだろう。
だが、その演奏は、確かに彼のものだった。不器用ながらも、温かく、そして優しい、彼だけの、彼だけが持っている音色だった。
演奏が終わると、ナーラはブラウニアに抱きついた。
「ごめんなさい。何もしてあげられなくて」
「良いよ。待っててくれただけで、十分だ」
「…………おかえり、ブラウニア」
「ただいま、ナーラ」
一方マリーとウォルダは、もう既に邸宅を出た後だった。
「ねぇ、マリー。自殺をしようとしていたブラウニアさんを、どうやって止めたんだい?」
「……手紙が、悪意のある偽物だと気付いたので、後は――」
――信じて待ったのですよ。
この世界は実に愚かだ。個性を持つことでしか生きられない、愚かな世界だ。光を与えても、その光に気付く人は数少ない。
それでも、そこに僕の与えた光があるのならば、
たとえ愚かでも、
――僕はその光を信じて待ちたい。
不思議な探偵さんと『満ち溢れる光たち』END
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