尽きた光

「こちらです、マリーさん」


 そうマリーがブラウニアに案内された部屋は、筆やキャンバス、楽器などが散乱し、カーテンを閉め切って日の射し込まない、薄暗い部屋だった。


「ここは僕の自室だ。散らかっていて申し訳ないね」


 マリーは小さな足で何とか足の踏み場を探しつつ進むが、ブラウニアは気にすることなく部屋の奥へと進んで行った。そして部屋の奥まで辿り着いたブラウニアは、横にあるベッドに座って、マリーに話しかける。


「この部屋に散らかる物、恐らく全てが証拠品だ。君の力が本物である事は先のテストで証明済みだ。だから、どの物に触れて、どの過去を覗こうとも問題ない。ただし、一つだけ条件がある。それは――」


――君の覗く過去に、僕も連れて行くことだ。


「出来るかい?」


「はい。出来ますとも、ブラウニア様」


 マリーは表情一つ動かすことなく、すぐにそう答えた。そうすると、次にマリーは部屋の中を探り始め、一枚の楽譜をまず手に取った。


「まずはこの楽譜から覗くことに致しましょう。よろしいですね?  ブラウニア様」


「あぁ、勿論だとも」


「ではお手を」


 そう言うと、マリーはブラウニアに向けて手を差し出した。ブラウニアは一度は手を取る事を躊躇ったものの、すぐに意を決した様に手を取った。


 ブラウニアが自身の手を取った事を確認すると、マリーはゆっくりと目を瞑り、『タイム』と小さな声で呟いた。すると次の瞬間、マリーとブラウニアの身体を青い光が包み込み、辺り一面を青一色に染めた。そしてゆっくりとその光が消えていくと、次に現れた光景は、学校だった。


「――1919年6月8日。モーリデットル町、アーテクス中学校。ブラウニア様、貴方の通っている学校ですね?」


「その通りだ。僕が通っていた芸術学校だ」


「通っていた? では……」


  その時、マリーの声を遮るように、音楽の授業が始まった。授業内容は曲の演奏。ただし、楽譜に書かれた音をただ演奏するだけでは駄目らしく、その演奏に『自分らしさ』を含めないといけないらしい。音楽を知らない、苦手としている人にとっては、非常に難しい授業内容だろう。


 だが、少しすると、それぞれの生徒が独自に演奏練習を始めた。不思議な事に、同じ楽譜で同じ曲を演奏しているにも関わらず、それぞれが別の音を、別の色を放っていた。


 そんな中、一人だけ全く演奏を始めない女子生徒がいた。女子生徒は楽譜を見るなり、何か恐ろしいものでも見たかの様に固まっていた。何もしない、何も出来ない女子生徒の元に、一人の男子生徒が近寄る。


「どうしたんだい? さっきから全く練習してないみたいだけど……」


 その男子生徒の正体は、整った顔立ちに青空の様な髪をもった、ブラウニア本人であった。ブラウニアは戸惑う女子生徒の隣に椅子を持ってきて座った。


「どこか分からない部分でもあるのかな?」


  女子生徒は口をもごもごと動かした末、遂に口を開いた。


「……演奏することは出来るの。でも、『自分らしさ』の出し方が分からないの……」


 女子生徒は俯いた状態で、そう答えた。対して、その言葉を聞いたブラウニアは、静かにトランペットを取り、楽譜を見ることなく、目を瞑って演奏を始めた。その音色は、優しく、温かく、そして、どこか切ないものだった。


 ブラウニアが途中まで演奏を終えると、演奏に魅了されていた女子生徒は途端に我に返り、ブラウニアに向けて拍手を送っていた。ブラウニアは照れながらもトランペットを慎重に机の上に置き、女子生徒と向き合う形に座り直した。


「君は、この演奏を聴いて、どう感じたかい?」


「私は……何だか母親の温もりの様なものを感じました」


「そうか……なら、それをイメージして演奏すれば良いんだよ」


「イメージして……」


「そう。君がどう演奏したいか、君がこの曲で何を伝えたいか。そういった事をイメージして、音に乗せるんだ。そうして出した音は、君にしか出せない、君らしい音になるんだ」


 ブラウニアの言葉を聞いた女子生徒は、大きく息を吸って、目を瞑った。そして少しすると目を開き、楽譜を見て、楽器を構える。


 ~~~♪ ~~~♪


 その音は、大きな温もりを持っていた。全てを包み込んでくれるような、母親の様な温もり。彼女の演奏に誰もが魅了され、演奏練習を止めてしまった。しかし、彼女は気にすることなく、最後まで曲を演奏しきった。そうして演奏が終わると、少しの沈黙の後に、大きな拍手が部屋中を包み込んだ。


 ようやく自分の置かれた状況を理解した女子生徒は、恥ずかしそうに楽器を置き、俯いた。だが、少しすると、顔を上げ、ブラウニアの方へと振り向いた。


「……ありがとう。私に、自分らしさの出し方を教えてくれて……」


「おやすいご用さ」


 ブラウニアがそう言い残し、去ろうとした瞬間、ブラウニアの袖を女子生徒が掴んだ。


「……お名前を……お名前を、聞かせて頂けませんか?」


「ブラウニアだよ。ブラウニア・ドーランド」


「ブラウニアさん……私は、ナーラと言います。ナーラ・ケプラー」


 二人の自己紹介を最後に、マリーとブラウニアの身体は、再び青い光に包まれ、元の部屋へと戻された。そして、二人を沈黙が包み込む。


「何故、貴方は今学校へ行ってないのですか?」


 ブラウニアは黙り混む。しかし、マリーは相変わらず機械の様に、口調と声色を変えずにブラウニアを問い詰める。


「不思議だと思っていたのです。メイド達があそこまで動き回っていた事について。仮に、貴方があまり人を招くような人でなかったとしても、あんなに忙しそうに、あんなに人の顔色を窺うようになるのでしょうか? 貴方の部屋、貴方の髪型、貴方のメイド達の動き。考えられる事は一つ。貴方は今、邸宅に引きこもってらっしゃる」


「……そこまではっきりと言う必要はあるかい? 流石に……痛いよ」


 その言葉を聞くなり、マリーはブラウニアに向かってお辞儀をした。


「申し訳ございません。私は、非常に人の気持ちというものに関しては疎いものでして」


「本当に人形みたいだね、君は」


 苦笑いしつつ、ブラウニアは足元に散らばる紙切れを手に取った。


「これを覗いてごらん? ここに、君の求める答えと、誰が死んだのか、何故死んだのかという答えがあるはずだ」


 マリーはブラウニアの持つ紙切れと一緒にブラウニアの手を取り、小さな声で再び『タイム』と呟いた。そうして現れた場所は、ドーランド邸の居間だった。


  ――1919年7月19日。ドーランド邸、居間。


『ブラウニアさんへ。

 貴方の偽善者ぶりにはもううんざりです。貴方は個性のない者に個性を与えているふりをして、自身の個性をひけらかしているだけの偽善者。貴方が与えているのは、ただの虚しさだけ。自分が劣っているという事を自覚させるだけ。そんな貴方には、もううんざりです。

 もう、来ないで下さい。 ナーラ・ケプラー』


 そんな手紙が送られ、ブラウニアは、ただじっと、居間でその手紙を読むことしか出来なかった。ただ、涙を流すことしか出来なかった。


 ……ブラウニアは駆け足で階段を上がっていく。階段を上がり、自分の部屋の扉を開ける。扉を開けて部屋に入ると、手紙を握る力が自然と強くなっていく。そして……。


 ――勢いよく手紙を破った。


 手紙を破るうちに、ブラウニアの整った顔立ちも、青空の様に青い髪も、見る影がなくなっていった。そして手紙を破り終えると、部屋のカーテンを閉め、部屋の中の物を、見る影もなく散らかし始めた。異様な音を察知したメイド達も、急いでブラウニアに近寄るものの――。


「来るな! 来るな来るな来るな!!!!」


 メイド達がどれだけその身体を押さえようとも、ブラウニアの怒りや悲しみ、どれとも言い難いその感情を抑え込む事は出来なかった。


 涙ぐんだブラウニアの姿を最後に、マリー達は元の時代へと戻された。


「これが、君の知りたかった答えだよ」


 ブラウニアはそう言うと、隠し持っていたナイフを自身に向けた。

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