終章
「──生きておるようじゃの」
ひざまずいて
見ると、狐の姿の朔夜を抱いた瑠姫が歩いてくる。
その傍らには、見覚えのある青年が。
立ち上がって出迎えるべきなのだろうが、その気力が湧かず、士郎は座して待つ。
「安心せい。
やってきた瑠姫は、特に誇るでもなく、淡々と告げた。
「ああ……ここにいてもわかったよ。君の
「……?」
面識が無いはずの相手からフルネームで呼ばれたことを、伶人は一瞬、
「とんだ尻拭いをさせてしまって、申し訳ない」
膝をついたまま、士郎は頭をさげた。
返す言葉が見つからない伶人に代わって、というわけではないだろうが、瑠姫が呆れたように言う。
「あの悪鬼を従えようとするなど、
「……そうだね」
その両腕が
「瘴気に
「え? ああ──」
伶人は眉をひそめたものの、理由を訊きはせず、士郎の首に
すると、痛みも感じないほど麻痺していた士郎の両腕がジンジンと
「その勾玉には瘴気を
「……すまない」
士郎は
その打ちのめされた様子が
「小春は? あんたがさらった女の子たちは、どこだ? 無事なんだろうな?」
問いただす口調には、普段の彼らしくない
「大丈夫。みんな無事だよ。
「
「ああ……」
士郎は安堵と悔恨が入り交じった微苦笑をにじませ、再び月を見上げる。
「皇雅に言われたんだ──僕の心には〝闇〟があると。僕は、その闇にみずから飛びこんだつもりでいたけど、溺れていたんだな。それを自分の意志だと思いこんで魔道に走った結果が、ただ朔夜を傷つけただけだったなんて……情けない」
「まったくじゃ」
しかし、細めた瞳に
「……殴ってやろうと思っていたが、気が
瑠姫は朔夜の背を撫でながら言った。
その手を見つめる士郎の表情はひたすら沈痛で、真摯に朔夜を想う気持ちが見てとれる。
「されば、お前の
「ああ……まだ痺れてるけど、多少は」
士郎はあぐらを組み、腿に置いた両手を握ってみせた。
「なら、お前が抱いておれ」と、瑠姫は士郎の腕に朔夜を寝かせる。
より深い眠りに落ちたらしい朔夜の寝顔は苦しそうではなかったが、
士郎はあらためて自責の念に駆られ、思わず朔夜を抱きしめようとした。
だが、ついさっきまで萎えていた腕にはまだ力が入らず、もどかしく震えるばかり。
「……情けないな。本当に、僕は──」
月明かりに
かくして翌々日の夜。
失踪した七人の少女たちが月乃宮湖の中島で保護されたことにより、世間を騒がせた『神隠し』事件は一応の終結となった。
被害者が全員無事に帰って来たのだから、誰もが予想しながらも口に出すことを避けていた〝最悪の結末〟ではなかったわけだが、だからこそ余計に
ために様々な
とかく移り気な大衆の関心は、早くも失われつつある。
一週間もたてば、そんな事件があったこと自体、忘れ去られてしまうのだろう。
◆ ◆ ◆
「なんじゃ、その屁っ
「わかってるって。──このっ!」
瑠姫に叱咤された伶人は、ほとんどヤケクソ気味に
ここは、亡き御巫慶太郎が
その裏庭で、伶人は
といっても、士郎が再び善からぬことをはじめたわけではない。
「相手の間合いでやりあって、どうする。懐に飛び込め」
「簡単に言うな……よっ!」
伶人は大上段からの
神気鱗で創られた剣──瑠姫の
しかし、
「……見てはおれん。徹底的にしごかんと、使い物にならんな」
瑠姫は肩をすくめ、隣にいる士郎に苦笑いをみせた。
士郎が鬼神を手に入れようとした
父の仇討ちという動機には情状酌量の余地があろうし、なんにせよ仇敵を成敗できたのだから、瑠姫にしてみれば結果オーライということらしい。
伶人と小春も似たようなもので、二人とも士郎の謝罪を受け入れ、
それどころか、小春はすぐに朔夜と仲良くなってしまったし、伶人もまた士郎と打ち解け、方士の先輩として頼りにしてもいる。
おのれの不始末で伶人たちを死なせかけた士郎としては、この予想外の歓待に恐縮しきりだったが、仲間として迎え入れられたことは素直に嬉しかった。
こうして伶人に稽古をつけているのは、そのささやかな恩返しのつもりもあるのだろう。
「伶、打ち込む場所にいちいち目をくれるな。視線が先走っておるから、太刀筋を読まれるのじゃ」
「太刀筋を読まれる? なるほど。なら、これでどうだ」
その
それらを
「飛び道具か。そんな使い方もできるんだね」
「まぁ、付け焼き刃にしては上出来じゃの」
どういうわけか伶人に剣術を仕込みたがっている瑠姫は不満げだったが、早くも神気鱗を使いこなしつつある伶人の才能には感心していた。
そこへ、
「一休みして、
そう言う蛍は瑠姫似、小春は伶人似、朔夜は士郎に、おにぎりが乗った皿を見せた。
「──ところで士郎さん。調伏師ってやつになるには、どうすればいいんですか?」
テラスで昼食をとり、デザートのスイカが配られたところで、伶人は尋ねた。
「なるつもりなのかい?」
「正直、まだ迷ってるんですけど……なれるなら、それもいいかな、とは思ってます」
「なら、とりあえず渡しておくわね。はい、これ。七星社のメアドと、私のID」
かたわらで話を聞いていた蛍が、伶人にメモ用紙を手渡した。
「私の紹介だと書き添えてメールすれば、向こうからコンタクトしてくるはずよ」
「そして『
「四門の試し?」
「七星社に入るための儀式──というか実力テストだよ。タイプの異なる四体の式神と闘って、その全てに勝つことができれば、晴れて調伏師の一員というわけさ」
「テストか。なんか難しそうですね」
手加減してくれる
そう思う伶人だったが、
「君なら、きっとクリアできるよ。もちろん努力は必要だろうけど、君の霊験は僕以上だと思うし、なんたって頼もしい相棒がいるからね」
士郎はそう言い、その〝相棒〟に視線を送る。
「よくわからんが、わらわの助けが要るなら、いつでも手を貸すぞ」
瑠姫は笑って応え、スイカの種をテラスの外に吐き飛ばした。
「それはそうと、士郎。そちは、これからどうする気じゃ? やはり〝魔人〟を追うのか?」
「いや……時を待つことにしたよ」
「と、いうと?」
「魔人が邪悪な方士なら、七星社が放ってはおかないはず。なら、調伏師として怪事に関わることが、魔人にたどりつく一番の近道だと思うんだ。その日のために、もっと腕を磨く必要もあるしね」
「そうか。うん、それがいいじゃろう。しかし、いったい何者なのじゃろうな、その魔人とかいう奴は」
「さぁ。御巫先生は、鬼かもしれないと言ってたけど……」
「それが事実なら、瘴気に憑かれた人間の成れの果てなのでしょうね」と、朔夜。
「成れの果てか。僕も、そうなりかけたんだよな。そのせいで君を失うところだった」
つぶやいて、士郎は朔夜の腕を見た。
その白い腕には、まだうっすらと
「我ながら、馬鹿なことをしたもんさ……」
「まったくじゃ。しかし、そう
「お気楽だよな、お前、ま、根に持つよりはいいけどさ。さて──」
フォローのつもりらしい瑠姫の台詞に笑みをくれて、伶人は庭に降りた。
腹ごなしに、もう一戦、士郎に願い出ようと思ったのだ。
けれど、
「──そりゃっ!」
「うわっ!?」
何を思ってか、いきなり瑠姫が背中に飛びついて、コアラのごとくしがみつく。
「おい……お前、いつから子泣き
「誰が爺じゃ。いいから、ほれ、わらわを
「これじゃ、かえって膝とか
とは言いつつも、伶人は瑠姫がずり落ちないよう
「つれないのう。
「……はぁ?」
耳元で甘ったるくささやかれたフレーズに、伶人は不覚にも動機をおぼえてしまった。
そんな自分に失笑しかけるも、ここでニヤつこうものなら小春に遊ばれそうなので、思い切り嫌そうな顔を作る。
「なんで、お兄ちゃんなんだよ」
「そう呼べば、きっと喜ぶじゃろうと、小春がの」
「おい、変な入れ知恵すんなよ。小春」
伶人は笑いをこらえている幼馴染みを睨んだ。が、小春はあっけらかんと言ってのける。
「素直に萌えとけば? おにーちゃん。どうせ今だって密かに背中の感触とか満喫しちゃってるんでしょ?」
「感触?」
言われて、伶人はその意味に気付いた。
瑠姫も気付いたようで、わずかにはにかむような表情をみせたものの、かといって伶人の背に押し当てている
「物足りない、とか言ってみろ。咬み殺すぞ」
「…………」
「…………何故、黙るか」
「痛い痛い痛い痛い! 痛いっての!」
とぼけて絶句する伶人の首筋に、すかさず瑠姫の
一切容赦なく、ガブリと。
「なんだよ! 何も言ってないだろ!?」
「いや、てっきり咬み殺されたいのかと思うての」
そんな即妙の掛け合い漫才が
そして、あらためて思うのだった。
この尋常ならざる日常は、とても愉快だと。
なら、迷う必要は無い。
思うにまかせて、進めばいいじゃないか。
危険もあるだろうが、きっと面白いに違いない、とびきり
「──決めたよ、瑠姫。俺は調伏師になる。だから、手伝ってくれるか?」
「愚問じゃな。わらわは、お前の式神ぞ?
「そっか。じゃ、とりあえず、ご主人様をかじるのはやめれ」
「それは承伏しかねるな」
「なんでだよ……」
「……ふふっ」「……ふっ!」
まるで台本でもあるかのような
『狐仙奇譚~目覚めるモノたち』──完
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