終章

「──生きておるようじゃの」

 ひざまずいて漫然ぼんやりと満月を見上げていた士郎は、そんな揶揄するような少女の声で我に返った。

 見ると、狐の姿の朔夜を抱いた瑠姫が歩いてくる。

 その傍らには、見覚えのある青年が。

 立ち上がって出迎えるべきなのだろうが、その気力が湧かず、士郎は座して待つ。

「安心せい。皇雅おうがめはたおした。わらわと伶がな」

 やってきた瑠姫は、特に誇るでもなく、淡々と告げた。

「ああ……ここにいてもわかったよ。君の神気かみけが皇雅の気配を消し去ったことが。その前に、別の凄まじい神気かみけを感じたけど、やっぱり君だったんだね──御巫伶人くん」

「……?」

 面識が無いはずの相手からフルネームで呼ばれたことを、伶人は一瞬、いぶかしく思った。が、士郎が祖父の弟子であったことを思いだし、なら知っていても不思議は無いかと合点する。

「とんだ尻拭いをさせてしまって、申し訳ない」

 膝をついたまま、士郎は頭をさげた。

 返す言葉が見つからない伶人に代わって、というわけではないだろうが、瑠姫が呆れたように言う。

「あの悪鬼を従えようとするなど、たわけたことを。命があるだけでも儲けものぞ」

「……そうだね」

 憔悴しょうすいしきった顔をしかめるように、士郎は自嘲した。

 その両腕がに鬱血しているのを見て、瑠姫も顔をしかめる。

「瘴気にかれたのか? 伶、こいつに知方珠しるべのたまをかけてやってくれ」

「え? ああ──」

 伶人は眉をひそめたものの、理由を訊きはせず、士郎の首に知方珠しるべのたまをかけてやった。

 すると、痛みも感じないほど麻痺していた士郎の両腕がジンジンとうずきだす。

「その勾玉には瘴気をはら効能ちからがある。それぐらいのけがれなら、一晩もあれば落ちよう」

「……すまない」

 士郎は疼痛とうつうに口許を歪めつつ、礼を言った。

 その打ちのめされた様子があわれにも思える伶人だったが、〝敵〟というイメージがあるだけに、

「小春は? あんたがさらった女の子たちは、どこだ? 無事なんだろうな?」

 問いただす口調には、普段の彼らしくないとげがある。

「大丈夫。みんな無事だよ。土遁どとん隠形術おんぎょうじゅつで地中に隠してある。僕と朔夜が術を使えるようになったら、すぐに解放するよ。……朔夜は?」

大事無だいじない。そのうち目を覚ますじゃろう。こやつ、譫言うわごとでお前の名を呼んでおったぞ。まったく、罪な奴だな」

「ああ……」

 士郎は安堵と悔恨が入り交じった微苦笑をにじませ、再び月を見上げる。

「皇雅に言われたんだ──僕の心には〝闇〟があると。僕は、その闇にみずから飛びこんだつもりでいたけど、溺れていたんだな。それを自分の意志だと思いこんで魔道に走った結果が、ただ朔夜を傷つけただけだったなんて……情けない」

「まったくじゃ」

 後悔臍こうかいほぞを噛む士郎の独白つぶやきを、瑠姫は一言で切り捨てた。

 しかし、細めた瞳に憤慨いかり嘲笑あざけりの色は無く、むしろ憐憫あわれみがうかがえる。

「……殴ってやろうと思っていたが、気ががれたわ。皇雅は討った、娘たちも無事。終わって見れば、何も失われてはおらんしの。お前の罪のさいたるは、士郎──この娘を傷つけたことぞ」

 瑠姫は朔夜の背を撫でながら言った。

 その手を見つめる士郎の表情はひたすら沈痛で、真摯に朔夜を想う気持ちが見てとれる。

「されば、お前の審判さばきは朔夜に委ねるとしよう。腕はどうじゃ? 動くか?」

「ああ……まだ痺れてるけど、多少は」

 士郎はあぐらを組み、腿に置いた両手を握ってみせた。

「なら、お前が抱いておれ」と、瑠姫は士郎の腕に朔夜を寝かせる。

 より深い眠りに落ちたらしい朔夜の寝顔は苦しそうではなかったが、ただれた前脚が痛々しい。

 士郎はあらためて自責の念に駆られ、思わず朔夜を抱きしめようとした。

 だが、ついさっきまで萎えていた腕にはまだ力が入らず、もどかしく震えるばかり。

「……情けないな。本当に、僕は──」

 月明かりにえる漆黒の狐仙きつねの背に、ひとつ、ふたつ、小さな水滴しずくが落ちた。



 かくして翌々日の夜。

 失踪した七人の少女たちが月乃宮湖の中島で保護されたことにより、世間を騒がせた『神隠し』事件は一応の終結となった。

 被害者が全員無事に帰って来たのだから、誰もが予想しながらも口に出すことを避けていた〝最悪の結末〟ではなかったわけだが、だからこそ余計に奇々怪々あやしげでもある。

 ために様々な憶測うわさが飛び交い、あるワイドショーのコメンテーターが口走った〝狂言誘拐説〟が物議をかもしたりしているのだが──

 とかく移り気な大衆の関心は、早くも失われつつある。

 一週間もたてば、そんな事件があったこと自体、忘れ去られてしまうのだろう。


   ◆   ◆   ◆


「なんじゃ、その屁っり腰は。もっとしっかり踏み込まんか」

「わかってるって。──このっ!」

 瑠姫に叱咤された伶人は、ほとんどヤケクソ気味に神気鱗しんきりんの剣を振り回した。

 ここは、亡き御巫慶太郎がつい住処すみかとしていた湖畔の別荘。

 その裏庭で、伶人は薙刀なぎなたを持った烏頭女うずめと闘っている。

 といっても、士郎が再び善からぬことをはじめたわけではない。

「相手の間合いでやりあって、どうする。懐に飛び込め」

「簡単に言うな……よっ!」

 伶人は大上段からの袈裟斬けさぎりを浴びせ、返す刀で烏頭女うずめの右肩を狙った。

 かたもなにもあったものではない太刀捌たちさばきだが、動きだけは速い。

 神気鱗で創られた剣──瑠姫の月華方剣げっかほうけんしている──には重さというものがなく、しかも意のままにからだ。

 しかし、烏頭女うずめは軽やかに斬撃をすかし、勢い余ってよろけた伶人の尻を薙刀の柄で叩く。

「……見てはおれん。徹底的にしごかんと、使い物にならんな」

 瑠姫は肩をすくめ、隣にいる士郎に苦笑いをみせた。

 士郎が鬼神を手に入れようとした理由わけを知った瑠姫は、彼を責める気にはなれなかった。

 父の仇討ちという動機には情状酌量の余地があろうし、なんにせよ仇敵を成敗できたのだから、瑠姫にしてみれば結果オーライということらしい。

 伶人と小春も似たようなもので、二人とも士郎の謝罪を受け入れ、遺恨わだかまりを抱きはしなかった。

 それどころか、小春はすぐに朔夜と仲良くなってしまったし、伶人もまた士郎と打ち解け、方士の先輩として頼りにしてもいる。

 おのれの不始末で伶人たちを死なせかけた士郎としては、この予想外の歓待に恐縮しきりだったが、仲間として迎え入れられたことは素直に嬉しかった。

 こうして伶人に稽古をつけているのは、そのささやかな恩返しのつもりもあるのだろう。

「伶、打ち込む場所にいちいち目をくれるな。視線が先走っておるから、太刀筋を読まれるのじゃ」

「太刀筋を読まれる? なるほど。なら、これでどうだ」

 烏頭女うずめに遊ばれっぱなしの伶人は、何をか思いつき、神気鱗の剣をした。

 その断片かけらが三本の“投槍ジャベリン”に再構築リメイクされ、空中に並ぶ。

 それらを烏頭女うずめにぶつけると、二本目までは回避かわされたが、最後の一本は見事に命中した。

 烏頭女うずめは崩れ落ち、士郎が拍手を送る。

「飛び道具か。そんな使い方もできるんだね」

「まぁ、付け焼き刃にしては上出来じゃの」

 どういうわけか伶人に剣術を仕込みたがっている瑠姫は不満げだったが、早くも神気鱗を使いこなしつつある伶人の才能には感心していた。

 そこへ、屋内やないで昼食の準備をしていた女性陣ふぁやってくる。

「一休みして、昼食おひるにしましょ。いい天気だし、外で食べない?」

 そう言う蛍は瑠姫似、小春は伶人似、朔夜は士郎に、おにぎりが乗った皿を見せた。



「──ところで士郎さん。調伏師ってやつになるには、どうすればいいんですか?」

 テラスで昼食をとり、デザートのスイカが配られたところで、伶人は尋ねた。

「なるつもりなのかい?」

「正直、まだ迷ってるんですけど……なれるなら、それもいいかな、とは思ってます」

「なら、とりあえず渡しておくわね。はい、これ。七星社のメアドと、私のID」

 かたわらで話を聞いていた蛍が、伶人にメモ用紙を手渡した。

「私の紹介だと書き添えてメールすれば、向こうからコンタクトしてくるはずよ」

「そして『四門しもんの試し』を受けるわけだね」と、士郎。

「四門の試し?」

「七星社に入るための儀式──というか実力テストだよ。タイプの異なる四体の式神と闘って、その全てに勝つことができれば、晴れて調伏師の一員というわけさ」

「テストか。なんか難しそうですね」

 手加減してくれる烏頭女うずめに手こずっているようでは無理だろうな。

 そう思う伶人だったが、

「君なら、きっとクリアできるよ。もちろん努力は必要だろうけど、君の霊験は僕以上だと思うし、なんたって頼もしい相棒がいるからね」

 士郎はそう言い、その〝相棒〟に視線を送る。

「よくわからんが、わらわの助けが要るなら、いつでも手を貸すぞ」

 瑠姫は笑って応え、スイカの種をテラスの外に吐き飛ばした。

「それはそうと、士郎。そちは、これからどうする気じゃ? やはり〝魔人〟を追うのか?」

「いや……時を待つことにしたよ」

「と、いうと?」

「魔人が邪悪な方士なら、七星社が放ってはおかないはず。なら、調伏師として怪事に関わることが、魔人にたどりつく一番の近道だと思うんだ。その日のために、もっと腕を磨く必要もあるしね」

「そうか。うん、それがいいじゃろう。しかし、いったい何者なのじゃろうな、その魔人とかいう奴は」

「さぁ。御巫先生は、鬼かもしれないと言ってたけど……」

「それが事実なら、瘴気に憑かれた人間の成れの果てなのでしょうね」と、朔夜。

「成れの果てか。僕も、そうなりかけたんだよな。そのせいで君を失うところだった」

 つぶやいて、士郎は朔夜の腕を見た。

 重傷ふかでを負って丸二日あまり眠り続けた朔夜だったが、すでに快復し、美女ひとの姿をとっている。

 その白い腕には、まだうっすらと火傷やけどの痕が残っているものの、驚異的な治癒力を持つ狐仙のこと、じきに消えるだろう。

「我ながら、馬鹿なことをしたもんさ……」

「まったくじゃ。しかし、そうこともなかろう。終わりよければ全てよし、じゃよ」

「お気楽だよな、お前、ま、根に持つよりはいいけどさ。さて──」

 フォローのつもりらしい瑠姫の台詞に笑みをくれて、伶人は庭に降りた。

 腹ごなしに、もう一戦、士郎に願い出ようと思ったのだ。

 けれど、

「──そりゃっ!」

「うわっ!?」

 何を思ってか、いきなり瑠姫が背中に飛びついて、コアラのごとくしがみつく。

「おい……お前、いつから子泣きじじいになった?」

「誰が爺じゃ。いいから、ほれ、わらわを背負しょって駆け足でもせい。お前の太刀捌きがなっとらんのは足腰が弱いからじゃ。まずは鍛えんとな」

「これじゃ、かえって膝とかいためそうだけどな」

 とは言いつつも、伶人は瑠姫がずり落ちないようあしを抱えてやる。

「つれないのう。女子おなごがこうして懐いておるのに。たのしくないのか? ──お兄ちゃん」

「……はぁ?」

 耳元で甘ったるくささやかれたフレーズに、伶人は不覚にも動機をおぼえてしまった。

 そんな自分に失笑しかけるも、ここでニヤつこうものなら小春に遊ばれそうなので、思い切り嫌そうな顔を作る。

「なんで、お兄ちゃんなんだよ」

「そう呼べば、きっと喜ぶじゃろうと、小春がの」

「おい、変な入れ知恵すんなよ。小春」

 伶人は笑いをこらえている幼馴染みを睨んだ。が、小春はあっけらかんと言ってのける。

「素直に萌えとけば? おにーちゃん。どうせ今だって密かに背中の感触とか満喫しちゃってるんでしょ?」

「感触?」

 言われて、伶人はその意味に気付いた。

 瑠姫も気付いたようで、わずかにはにかむような表情をみせたものの、かといって伶人の背に押し当てているまろやかな部分ものを引き剥がそうとはせず、にこやかに脅す。

「物足りない、とか言ってみろ。咬み殺すぞ」

「…………」

「…………何故、黙るか」

「痛い痛い痛い痛い! 痛いっての!」

 とぼけて絶句する伶人の首筋に、すかさず瑠姫の懲罰おしおきが処された。

 一切容赦なく、ガブリと。

「なんだよ! 何も言ってないだろ!?」

「いや、てっきり咬み殺されたいのかと思うての」

 そんな即妙の掛け合い漫才が一同みなの笑いを誘い、つられて伶人も吹き出す。

 そして、あらためて思うのだった。

 この尋常ならざる日常は、とても愉快だと。

 なら、迷う必要は無い。

 思うにまかせて、進めばいいじゃないか。

 危険もあるだろうが、きっと面白いに違いない、とびきり稀有レアな人生を。

「──決めたよ、瑠姫。俺は調伏師になる。だから、手伝ってくれるか?」

「愚問じゃな。わらわは、お前の式神ぞ? 主人あるじめいとあらば尽くす。なんなりと言ってたも?」

「そっか。じゃ、とりあえず、ご主人様をかじるのはやめれ」

「それは承伏しかねるな」

「なんでだよ……」

「……ふふっ」「……ふっ!」

 まるで台本でもあるかのような小気味好こきみよ会話やりとりに、二人はそろって笑いあった。


 事程左様ことほどさよう仲睦なかむつまじい青年と狐仙が『四門の試し』に挑むのは、この日から二ヶ月ふたつきほどあとのことであった。




『狐仙奇譚~目覚めるモノたち』──完

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