第5章『目覚めるモノたち』⑤
「──なっ!? なに? この感じ!?」
「鬼や! 鬼の気配やよ!」
あらぶる鬼神の瘴気は、八キロ以上も離れた場所にいる蛍と千花をも震えあがらせた。
「鬼の気? じゃあ、瑠姫は? 小春は? まさか──!?」
「大丈夫よ、伶くん。その束縛が解けていないということは、瑠姫が
蛍は
だが、あくまでも〝まだ〟であることを、蛍の
(くそ……! なにやってんだ、俺は。なにもできないのか? なにも……)
伶人は、ただ待つことしかできない自分に苛立ち、
もちろん自分ごときが
それどころか、かえって足手まといになるだけかもしれない。
そんなことは解っている。
解ってはいるけれど、少年マンガや特撮ヒーローから〝男気〟というものを刷りこまれて育った男子の
そこに
倫理観や正義感、あるいは使命感のようなものもあるにはあろうが、それらは
ただ、行きたいのだ。
今まさに
そうして、その衝動で意識が飽和したとき──
伶人の
胸の芯に火が
それが脈打つ〝波動〟となって、鬼の瘴気よりも強く、熱く、千花と蛍の霊感を揺さぶる。
「──んきゅ? 別の気配? 今度は、なんなん?」
「これは……
(
そうと知り、伶人は意志の限りをこめて
(だったら……俺に
その
そして、
「だから……解けろぉーっ!」
「伶くん!?」
「術が解けた!? いや、解いたん? すごい、すごい!」
蛍は驚いて伶人を見上げ、千花は興奮して跳ね回った。
「解いた? 俺が、瑠姫の術を」
しばし呆然と自分の手を見つめる伶人だったが、やがて我に返り、千花を
「教えてくれ、千花。お前には分かるんだろ? 瑠姫たちのいる場所が」
「──うん」
魅了の方術でもかけられたかのように、千花はこくりとうなずいた。
◆ ◆ ◆
「サテ、女狐ヨ。ドンナ死ニザマヲ
「ドウシタ? アノ巫女モドキノ姿ニ化ケンノカ? 貴様ノ
「ほざくな、鬼が。お前に指図される筋合いは無い」
「ソウカ。ナラバ、ソノママ
減らず口を叩いてみせた瑠姫に、皇雅は夜空よりも黒い炎の
その火炎弾を、士郎が咄嗟に
「慈悲ヲ
邪魔をされたにも関わらず、
あがく人間をいたぶるのも一興、とでも思っているのだろうか。
「誰も殺させはしない。僕の
「……サレバ、ナントスル?」
「
士郎は身構えもしない皇雅の
それらを介して大地に注がれた
御巫慶太郎の
その熊ほどもある勇猛な狼たちが、皇雅に牙を剥いて
「ソレガ
「いけ、計都!」
命を受けた計都たちは皇雅を取り囲み、巧みに連携をとりながら波状攻撃を仕掛けた。
その隙に、士郎は瑠姫に駆け寄る。
「──すまない。僕は浅はかだった」
「いまさら気付いても遅いわ」
「始末はつける、と言いたいけど、僕には時間稼ぎぐらいしか出来そうにない。出来るだけ奴を足止めするから、君は朔夜を連れて逃げてくれ」
「何を言うか。さっさと、この
「だめだ。その呪は僕には解けない。朔夜が目を覚ますまで、どこかに身を隠すんだ」
「じゃが、娘たちを──小春を見捨てるわけにはいかん」
「大丈夫。女の子たちは、僕が
「──わらわ、か」
「ああ。だから今は逃げて。頼む!」
「……ここは、お前の言う通りにするしかなさそうじゃな」
しぶしぶ了解した瑠姫は、託された朔夜を抱え、「死ぬでないぞ」と言いおいて駆けだした。
すぐさま士郎が土遁の
その僅かな時間のうちに皇雅は三体の計都を破壊し、四体目にを手にかけようとしていた。
士郎は新たな計都を召喚して数を補い、更なる増援のための霊符を手にする。
より戦闘力の高い
とはいえ、際限なく生み出せるわけではない。
続けて召喚できるのは、おそらく十数体が限度だろう。
試したことはないが、自分の限界は想像がつく。
そして、その限界は、士郎が考えていた以上に早くやってくるのだった。
十分もかからずに、皇雅は十二体の計都を破壊してしまったのである。
「……くっ! ここまで……なのか」
かろうじて十三体目の計都を放ったところで、とうとう士郎の両腕は動かなくなった。
その肘から先は
極限まで
「
皇雅は最後の計都をへし折り、精魂尽き果てた士郎を冷ややかに見下ろした。
そのころ、瑠姫は中島の岸辺で立ち往生していた。
「ちっ……どうやって動かすのじゃ、この
ゴムボートを見つけたのはいいが、船外機の使い方が分からない。
ならばと両手をオールにして
「三十六計、逃げるに
瑠姫は中島からの脱出を諦め、抱えている朔夜を見た。
せめて彼女が意識を取り戻してくれれば──
「おい、朔夜とやら。おい」
「う……士郎……」
耳元で呼びかけても、軽く揺すっても、なかば昏睡状態の朔夜は
当然だろう。あの皇雅の邪気そのものともいえる炎を浴び、
幸い、命に別状は無さそうだが、ともすれば数日は眠り続けるのではないか。
「……だめか」
もとより期待はしていなかったが、瑠姫は溜息をつき、周囲を見回した。
とりあえず、そのへんの茂みにでも隠れるしかない。
手当たり次第に林を焼き払われたら逃げきれるものではないが、ここで突っ立っているよりはマシだろう。
そう
……きぃー……!
かすかに、聞き慣れた声が。
「伶……?」
まさかと思いながらも湖上の闇に目をこらすと、小さな光が揺れているのが見えた。
まもなく、それが白い
「──瑠姫! 無事だったか。よかった!」
桟橋に叩きつけるように接岸したプレジャーボートから飛び降りてきたのは、やはり伶人であった。
「お前、どうして……どうやって式索を解いたのじゃ?」
「さぁ。なんか、解けろって念じたら、解けた」
「念じたら解けた?」
要領をえない説明に、瑠姫は眉をしかめる。
その腕に抱かれている黒い狐をみて、伶人も同じ表情になった。
「そいつは?」
「朔夜じゃ。昨日、会ったろ」
「あの
「話はあとじゃ。わらわは術を封じられ、
「わ、わかった。乗れよ」
伶人は、まず朔夜を受け取ってボートに乗せた。
続いて瑠姫を乗せてやろうと、後ろから腋を掴む。
そうして持ち上げようとした刹那、妙に
「──!?」
一目で〝鬼〟とわかる、恐ろしげな大男の姿だった。
その体から立ちのぼる陽炎のような瘴気が、一歩進むごとに周囲の木肌を焦がしている。
「皇雅め、もう来おったか!」
「あれが、皇雅……!」
伶人は瑠姫の腋をつかんだまま、立ちすくんだ。
その手をふりほどいて、瑠姫は鬼の進路に立ちはだかる。
「待タセタナ、女狐。──ム?」
皇雅は立ち止まると、伶人を一瞥し、わずかに目を見張った。
「ホウ! コノ
「伶! 逃げろ!」
皇雅がゆっくりと拳を持ち上げるのを見て、瑠姫は叫んだ。が、伶人はそれを無視し、瑠姫の前に立つ。
「バカ! 死ぬ気か!?」
瑠姫がシャツの背中を引っ張っても、伶人は
ほとんど無意識の行動だ。
「イイ覚悟ダ。二人仲良ク、
「──うわっ!?」
突き出された皇雅の拳から、瘴気を含んだ黒い炎が放たれた。
即座に
結界そのものは目に見えないが、遮られた炎の動きから、その形状が直径二メートルほどのドーム型であることがわかる。
「ホウ、結界カ。我ガ炎ヲ
なぶり殺しにしようと、あえて威力を抑えていた皇雅は、さらに猛烈な火炎を放った。
無色透明だった結界が黒く
「伶! もういい! お前だけでも逃げてくれ! 頼む!」
瑠姫はポロポロと涙を落としながら訴えた。
やがて結界がドロリと
誰も予想だにしないことが起こったのは、その直後であった。
「──ムッ!?」
ついに結界が熔解した瞬間、反射的に突き出された伶人の両手から強烈な〝光〟がほとばしり、皇雅の炎をかき消したのだ!
「ナンノ光ダ!?」
「なんだ、これ!?」
「なんじゃと!?」
鬼神と青年と狐仙は、ほぼ同時に、ほぼ同じようなことを口走った。
見れば、皇雅と伶人たちとの間に、細長い菱形をした板状の結晶体めいたものがいくつも浮かんでいる。
薄紫色の
「光の板? バリアー……なのか?」
「まさか……
瑠姫は涙と鼻水を拭うことも忘れ、結晶体の群れに目をこらす。
「しんきりん?」
「伶! そいつを皇雅にぶつけろ!」
「ぶつけろ?」
「──ヌオッ!?」
直後、瑠姫が神気鱗と呼んだ結晶体が皇雅に叩きつけられ、その巨体を突き飛ばした。
伶人は何もしていない。
ただ、瑠姫に言われたことを無意識のうちにイメージしただけだ。
「こいつ、俺の思い通りに動くのか?」
「そうじゃ。神気鱗は、お前の
瑠姫は感動していた。
伶人の
だが、今は感慨に
まずは術を封じている呪をどうにかしなければ。
「伶、神気鱗を
「そんなこと言われても……お!?」
戸惑う伶人が、剣という言葉から瑠姫の
「……剣になった。自由に形を変えられるのか」
生来の察しの良さのおかげか、あるいは
いちいち
「軽いな。というか、まるで重さを感じない」
伶人は神気鱗の剣を掴み、構えてみた。
その横で瑠姫はシャツワンピースのボタンをいくつか外し、
白い三角ブラに包まれた、あどけない
よく見ると、電子回路にも似た緻密な文様が描かれている。
「おい……なんだよ、それ」
「
「貫けって、そんなことしたら──」
「案ずるな。神気鱗は、お前の
「……わかった」
状況も事情も飲みこめないが、問答している
伶人は瑠姫を信じ、神気鱗の剣を彼女の胸に突き刺した。
なんの抵抗もなく、豆腐に箸を刺すよりもスムーズに、剣は瑠姫を貫く。
瑠姫は「うっ」と息を詰まらせた。が、その顔に苦悶の色はなく、どこか官能的ですらある。
だけども不安げに見つめる伶人の前で、神気鱗の剣がゆっくりと瑠姫の体内に
それにつれて呪の印が薄れていき……消える。
神気鱗の
さらにその
「ああ……感じる……みなぎる……お前の
瑠姫は
「往生せい、皇雅! はぐれ式神の成れの果て! お前は
「吠エルナ、女狐。
皇雅は低く
「奈落に墜ちるのは、お前のほうじゃ。
瑠姫は
余裕の
「ヌウッ!」
予想以上の衝撃に
「ム……! 我ガ
皇雅はうろたえた。
かつて、この狐仙と闘ったときには、これほどの力は無かったはず。
なのに、なんなのだ。
我を
……脅かす?
「アリエヌ!」
おのれの動揺に、皇雅は憤慨した。
その
だが、鬼神のプライドは断じてそれを認めず、怒りをして塗り潰そうとする。
「ツクヅク目障リナ女狐メガ! 焼キ尽クシテクレル!」
皇雅は背の翼を広げ、虚空を叩くように
巻き起こった突風に黒い炎がからみつき、地表を焦がしながら瑠姫に迫る。
「なんの!」
瑠姫は瞬時に生成した月華方剣を振りおろし、炎の激流を斬り裂いた。
左右に分断されて湖面に達した炎が水蒸気爆発を引き起こす。
それほどの熱量だったにも関わらず、瑠姫はまったくの無傷だった。
皇雅はその事実に舌打ちをし、次の一手を繰り出しにかかる。
「──
その威力を三百年前の闘いで痛感している瑠姫は、
が、それでは駄目だと思い直す。
今の自分が使える最大限の結界なら、皇雅の火焔を
しかし、それで自分の身は守れても、伶人までは守れない。
皇雅の術を打ち返して、仕取めねば。
「伶、作れるだけの神気鱗を作って、わらわに注いでくれ!」
「わ、わかった! お前に打ちこめばいいんだな?」
言われるまま、伶人は大量の神気鱗が瑠姫に打ちこまれるさまをイメージした。
「解八門禁!」
呪文を唱え、瑠姫は月華方剣を天にかざした。
刀身が白く輝き、
対する皇雅もまた、必殺の気迫をみなぎらせ、右拳に怨念と瘴気を
そして、その全力をもって襲い来る!
「
「その言葉、
凄まじい皇雅の正拳を、瑠姫は月華方剣の
黒い瘴気と白い
互いの全身全霊をこめた、真っ向勝負だ。
「ヌウゥゥゥゥゥゥン!」
「くっ……! まだだ! 神機発動!」
瑠姫はあらん限りの
それは彼女だけの霊験ではない。
伶人から注がれた膨大な
「受けてみよ、
「ナニ!? コノ
「
「──グハッ!!」
攻め勝ったのは、瑠姫であった。
巨大な光の刃と化した月華方剣が皇雅の拳を断ち割り、分厚い胸板を真一文字に斬り裂く!
「グウオオオオオオアアアアアァァァーッ!!」
皇雅は血の代わりに真っ黒な瘴気を噴き散らし、ぐらりと
「バ……カナ……コノ皇雅ガ
「──わかるまい。式神として生まれながら、人との絆を忘れて悪鬼に
「人トノ、絆? ……ソウカ……我ハ〝人〟ニヤブレタノカ……フッ……!」
その
「……
気化するように、消えていった。
その残滓の黒い
「是非もない? 人に討たれるが
瑠姫は黒い羽根を拾いあげ、指先から発した炎で
「……やったな」
「……ああ」
瑠姫は歩み寄ってくる伶人に笑みをみせた。
狐仙変化を解除し、髪をかきあげる。
「お前のおかげで、紫苑との約束を果たすことができた。礼を言う。ありがとう、伶人」
「ははっ。珍しく素直だな」
「たまにはな──」
瑠姫は、あらためて微笑んだ。かと思いきや、
「──この、馬鹿が!」
いきなり罵声を浴びせ、伶人に飛びつく。
「無茶をしおってからに。死んでしまうかと思ったではないか! この馬鹿め……大馬鹿者じゃ、お前は……」
「バカバカ言うなよ」
伶人は瑠姫を抱きとめ、胸に涙を擦り付けてくる彼女の頭を撫でてやった。
ややしばらく、その温もりに甘えて、瑠姫は抱擁を解く。
「しかし、驚いたわ。お前が神気鱗を使うとはな」
「俺だって驚いてるよ」
「せっかく術を使えるようになったのじゃから、その腕、鍛えねばな。お前なら立派な方士になれるじゃろう。──さて、小春たちを迎えにゆくか」
「そうだ、忘れてた。無事なんだな?」
「ああ。士郎が土遁の術で守ってくれたはずじゃ。奴も無事ならいいが──」
言いながら、瑠姫は桟橋のプレジャーボートに向かって歩きだした。
あの朔夜とかいう狐仙を連れて行くつもりらしい。
そう察した伶人が追いつくと、瑠姫は不意に足を止め、クスクスと吹き出す。
「忘れてた、なんて台詞、小春が聞いたら嘆くじゃろうな」
「……言うなよ?」
「さぁ、どうしてくれようか」
「おいおい……頼むよ」
「ふふっ! いいじゃろう。内緒にしてやる。この貸し、高くつくぞ?」
瑠姫は伶人の左腕にからみつき、初めて出逢ったときのように悪戯っぽく笑った。
ふと空を見ると、月と星とを隠していた無粋な雲は、いつの間にやら消えていた。
【第5章・了】
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