第5章『目覚めるモノたち』④

 明くる日の夜。

 伶人は瑠姫とともに蛍を訪ね、昨晩の出来事を伝えた。

「そんな……春ちゃんがさらわれるなんて」

 蛍は愕然とし、沈痛な表情おももちの伶人たちを見つめる。

「すまぬ。わらわが、つまらん策を思いついたばかりに……」

「お前のせいじゃないよ。あの作戦をやろうと決めたのは、俺なんだから」

「じゃが──」

「自分を責めても、何も解決しないわ。何ができるのかを考えましょ?」

 蛍が割って入り、話を建設的な方向に差し向けた。

 だが、そう都合よく打開策がひらめくはずもなく、しばらく沈黙が置かれる。

「──小春は、わらわが必ず助ける。他の娘たちもな」

 息苦しい静寂を破ったのは瑠姫だった。

「行くのか? だったら俺も」

「ならん。烏頭女うずめはともかく、朔夜という狐仙きつね知方珠しるべのたまの結界は通用せんのじゃぞ?」

「だけど、お前を一人で行かせるわけには──」

まかりならんと言っておる!」

「…………」

 思わず声を荒らげた瑠姫の哀願するような表情に、伶人は言葉を失った。

 それでも何かを言おうとする伶人の口を、瑠姫の小さなくちびるふさぐ。

 ほんの一瞬の、なだめるような接吻キス──

「なんだよ……いきなり」

 不意のことに目を閉じるいとまも無かった伶人は、離れてゆく瑠姫の顔を呆然と眺めた。

 いつ出現させたのか、瑠姫の手には一枚の霊符が。

 次の瞬間、その霊符が細長いひもに変化し、あっという間に伶人を雁字搦がんじがらめにしてしまう。

「なっ!? おい、なんだよ、これ。瑠姫?」

八門神機はちもんしんきの捕縛術、式索しきさくじゃ。こうでもせんと、ついてくるじゃろ」

「お前……最初から、こうするつもりだったな?」

「窮屈じゃろうが、わらわが戻ってくるまでの辛抱じゃ。おとなしく待っておれ」

「……わかったよ。どうせ俺じゃ足手まといだしな。無茶はするなよ」

「肝に銘じておく、と言いたいが、状況が状況じゃからの。約束はしかねるな」

 微苦笑して、瑠姫は蛍のほうに向き直った。

「蛍、悪いが場合ことによっては士郎をぞ。皇雅おうがの復活だけは、許すわけにいかんでな」

「ええ……。もし、彼が完全に魔道にちてしまったのなら、いずれ七星社に討伐されるでしょうし……覚悟はしているわ。でも、できることなら──」

「わかっておる。改心するならゆるしてもよかろう。士郎という男、根っからの悪人とも思えぬしな。討たずにすむなら、それにこしたことはない」

「ありがとう。帰ってきてね、必ず」

「ああ。帰ってきたら、伶──」

 瑠姫は、もう一度、伶人にキスをした。

 さっきよりも少し長く、いくらか甘く。

 そして微笑ほほえみを作って言う。

「──わらわを好きにしていいぞ」

「なに言ってんだよ、こんなときに」

 伶人は苦笑しようとした。が、引きつった顔しか作れない。

「こんなときだから、言えるのじゃがな。──では、行ってくる」

 深く深呼吸をして気合いを入れてから、瑠姫は士郎たちの待つ場所へと向かった。



 かくして午後十一時。

 白鳥公園のベンチに座っていた士郎と朔夜は、ピンクのシャツワンピースの裾を夜風に揺らしながらやってくる少女の姿をみとめ、立ちあがった。

「来てくれると信じてたよ」

「人質をとっておいて、ぬけぬけと」

 あいかわらず軽い調子の士郎に、瑠姫は冷たい視線を返す。

 それから三人は月乃宮湖へ向かい、湖畔のヨットハーバーに到着した。

 水際の砂地で膝を着いた士郎が「おん」と唱えると、地面の中からブルーシートに包まれた大きな物体がしてくる。

 それはゴムボートだった。

 オールは無く、小型の電動船外機モーターがついている。

「悪いけど、狐の姿になってくれないか。これ、二人乗りなんだ」

「うむ……」

 言われるまま狐モードになった瑠姫を朔夜が抱え、士郎に続いてボートに乗り込む。

 二十分ほどで、ボートは湖の中島に着いた。

 上陸後、瑠姫は少女の姿に戻り、士郎たちに前後から挟まれる格好で雑木林に入ってゆく。

 しばらく進むと、やや開けた草地があり、二本の石柱が立っていた。

 その石柱の間に士郎が出現させた〝門〟を通り、三人は異界へと足を踏み入れる。


「ここは……」

 目を見張る瑠姫だったが、すぐにその谷底のような空間の正体を見抜いた。

「隠れ里か。なるほど、紫苑はここに皇雅を──」

「ああ。皇雅は、あそこにいる」

 士郎は、二十メートルほど離れた場所にある球状の物体──〝ひつノ鏡〟を指さした。

 その手前には、寝袋に納められた八人の少女たちが放射線状に寝かされている。

「小春!」

 瑠姫は少女たちの中に小春を見つけ、駆け寄った。

「眠っているだけだよ。命に別状は無い」

 問わず語りに教えてやりながら、士郎は朔夜に目配めくばせをする。

 朔夜は軽くうなずくと、瑠姫の胸に長いはりを打った。

「うっ! 何をした?」

 瑠姫はシャツワンピースのボタンをいくつか外し、はだけた胸元をのぞきこむ。

 鍼を打たれた場所に、赤黒い黒子ほくろのようなものができていた。

 それは不気味にうごめき、じわじわと大きくなっている。

しゅか」

経絡けいらくのひとつ、小陰しょういんかなめくさびを打ちました。これで、あなたは術を使えません」

「君が素直に言うことをきいてくれるとは思えないんでね。保険さ」と、士郎。

「ちっ。念の入ったことだな」

 瑠姫は舌打ちをして、毒づいた。

 密かに狐仙変化を試みるも、術を錬ろうとすると心臓むねを裂かれるような激痛いたみが走る。

「くっ……!」

「言ったはずです。術は封じたと。無理をすると命に関わりますよ」

「……お前たちこそ、鬼を手懐けようなどという野心は命取りになるぞ」

「そうならないよう、人事は尽くしたつもりだよ。あとは天命に委ねるのみさ。さて、月の位置もいい頃だし──はじめよう」

「神降ろしを、か?」

「ふぅん、お見通しってわけだ」

「他に封を破る方法はあるまいからな。じゃが、できるのか? お前に」

「ここでなら、できるさ。この異界は龍脈に直結してるから」

 龍脈とは、簡単に言うと大地の〝気〟の流れ。

 地球を一個ひとつ生命体いきものにたとえるなら、酸素や栄養を運ぶ動脈のようなものだ。

「この〝無間匣むけんのはこ〟という異界は、二枚の結界で空間を二次元的に圧縮したもの。左右の岩壁は、ここに入るときに見た石柱なんだよ。あれが龍脈の精気を汲みあげて、結界を維持してるのさ」

 士郎は、その精気を引き込んで、神降ろしに利用するつもりなのだった。

「皇雅の封印を解くには、八人の依代よりしろを使って八つの解封術を重ね、君を通して八門神機の術式に組み替えればいい。依代よりしろは神降ろしにも使えるから、一石二鳥というわけだ」

 説明しながら、士郎は依代よりしろの少女たちの中心に移動した。

 朔夜が瑠姫の手を引いて、士郎の前に立たせる。

「始めるよ、朔夜」

「はい」

 朔夜が見守るなか、士郎は依代よりしろの一人の額に手を当て、真言しんごんを唱えた。

おん 阿毘羅吽欠あびらうんけん 莎訶そわか──てんかん、開門」

 同様の処置を他の依代よりしろにも施していき、龍脈の精気を導く回路を組んでゆく。

 すると、八方から膨大な精気が流れ込み、依代よりしろを介して士郎にそそがれはじめた。

 神降ろしの発動である。

おん 謎多羅伽覇羅斗露奈破べいたらきゃはらとろなば 莎訶そわか──一切自在いっさいじざい一切成就いっさいじょうじゅ、かしこみ、かしこみ、こいねがいたてまつる!」

「うっ! く……!」

 士郎が仕上げの呪文を詠じると、瑠姫はけた鉄串で胸を貫かれるような痛みに襲われた。

 解封の方術プログラムが、瑠姫を通してふさわしい術式アルゴリズム変換コンバートされ、ひつノ鏡に流しこまれてゆく。

「ふ……封印が……!?」

 苦痛にあえぐ瑠姫の視線の先で、ひつノ鏡に亀裂が走った。

 そして、

「──フッ……ハハハハハハハハァーッ!!」

 野太い哄笑こうしょうとともに、ひつノ鏡は台座の球体ごと砕け散り、もうもうと立ちのぼる黒いもやの中に人影があらわれる!

「鬼めが……!」

 とうとう解き放たれてしまった仇敵に、瑠姫は侮蔑をこめた一言を吐きつけた。

 鬼神、紅蓮ぐれん皇雅おうが

 赤い翼を背負ったその屈強な体躯は、ゆうに二メートルを超えていよう。

 身につけているのは、裾が擦り切れた柿渋色かきしぶいろの短い袴と、黒い陣羽織。

 仁王像を思わせる彫りの深い顔貌つらがまえには一種の威厳すらあり、と逆立った真紅の総髪が凄まじい。


「──コノ時ヲ、ドレホド待チワビタコトカ!」

 永劫に続くかと思われた束縛から解放された鬼神は、闇色の空を仰いでえた。

 そして、ゆっくりと顎を引き、冷徹な視線を士郎にす。

「礼ヲ言ウゾ、小僧。ソノ憎キ女狐ヲ、我ヘノ供物トシテ捧ゲテクレタコトニモナ」

「悪いけど、そんなつもりは無いよ」

「……ム!?」

 士郎は、がくりと膝を落とした瑠姫の前に躍り出るや、〝ぬえの爪〟を投げ放った。

 その黒い勾玉は皇雅の胸に当たり、へばりつく。

 すかさず士郎は空中に縦四本、横五本の線を描き、呪文を唱えた。

のぞめるつわもの、闘いし者、みな陣烈じんやぶれて前にり! りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」

「九字ノ繋縛けいばくカ……!」

 わずらわしげに顔をしかめた皇雅の巨体が、わずかに揺らぐ。

 〝鵺の爪〟を通してそそがれた士郎の術が、鬼神の精神こころ肉体からだを縛りつけようとしているのだ。

 さらに士郎は束縛の術を重ねる。

おん 多羅多憾曼たらたかんまん 毘支毘支縛びしびしばく 莎訶そわか!」

 だが、

「──笑止!」

 皇雅が気を張るや、たったそれだけのことで、〝鵺の爪〟が真っ二つに割れた。

「我ヲ縛ル策ヲ呑ンデイルダロウト思ッテイタガ、コノ程度カ。ヌルイワ」

「なっ!? そんな……バカな!」

 黒い勾玉がボロボロと崩れ落ちてゆくのを見て、士郎の顔から血の気が失せた。

 神気かみけを瘴気に換える〝鵺の爪〟を通して調伏の術を仕掛け、皇雅の力の源である瘴気をじかに制御する。

 それが士郎の作戦であり、鬼神に対しては最も効果的な制圧手段のはずだった。

 神降ろしで増強ブーストされた霊験をもってすれば、可能だと踏んでいたのである。

 なのに──

「まるで……効かないのか!?」

「ハッ! おのうつわノ見極メモツカヌトハ、哀レナモノヨ。タトエ海ホドノ水ガアロウトモ、器ガ小サクバ、一時いっときミスクエル量ハたかガ知レテイル。ソンナコトモ解ラヌトハ──青イ!」

「器? そうか、そういうことか」

 不出来な弟子をいさめるかのように言われ、士郎は自分の失策あやまちに気付かされた。

 神降ろしをすれば、超人的な霊験を操れる──その解釈は決して間違いではない。が、得られるのは威力パワーではなく、持久力スタミナだった。

 皇雅の封印を解くことができたのは、方術の瞬間最大出力が上がったからではなく、容量が増えたから。一定量の神気かみけを一定時間、放ち続けることができたから、だったのである。

「僕は、神降ろしの本質を見誤みあやまっていたのか……」

「ソウイウコトダ。トハイエ、神降ロシハ凡庸ナ方士ニハ出来ヌコト……ソレヲヤリ遂ゲタコトハ褒メテヤロウ」

 皇雅は嘲笑を浮かべ、わななく士郎に拳を向けた。

 その、人の頭ほどもある鬼神の握り拳から、熱気が立ちのぼる。

「褒美ダ。遠慮ナク、受ケ取レ」

「──士郎!」

 皇雅の拳から黒い炎が放たれた瞬間、朔夜が士郎の前に滑り込んだ。

 彼女が生み出した〝防火壁〟──大気かぜを操って作った真空の断層が、皇雅の猛烈な炎と熱を阻む。

 十秒あまりの攻防の末、朔夜は士郎を守りきった。

 だが、ひどく神気かみけを消耗したために人型ひとがたを維持できなくなり、黒い狐の姿になってしまう。

 しかも、両方の前脚に酷い火傷を負っていた。

「朔夜!」

「……士郎……逃げて……くだ……」

 その一言すら最後まで言い切れずに、朔夜は気を失った。

 士郎は愛する狐仙を抱きかかえ、更に瑠姫をも守ろうとする意志を姿勢で示す。

「ホウ、耐エタカ。コノ場所デハ、思ウヨウニ瘴気ヲ練ラレンヨウダナ」

 皇雅は自分の拳を見つめ、と顔を歪ませた。白い犬歯きばがのぞく。

「イイダロウ。貴様ハ生カシテオイテヤル。見届ケルガイイ。我ニ虜囚のノ屈辱ヲ与エタ狐ノ死二様ヲ。ソシテ思イ知レ。鬼ノ力を手ニ入レヨウナドトくわだテタ、オノレノ愚カサヲ」

「──!? 何する気だ!」

 皇雅は翼を打って跳ね飛び、岩壁の間際に着地する。

 そして、無造作に岩壁を殴りつけた。

 みるみるうちに亀裂が走り、岩壁が崩れてゆく──

要石かなめいしが……!」

 士郎がうめくやいなや〝無間匣むけんのはこ〟は崩壊し、そこにあった全てのものが月乃宮湖の中島にあらわれた。

 は確かに、二本の石柱があった場所。

 けれど、乗用車二台分ほどの広さであったはずの空間は結界の消失によって本来の状態に戻り、直径五十メートルほどのまるい草地になっていた。



【つづく】


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