第5章『目覚めるモノたち』③

 その夜。

 さっそくくだんの白鳥公園にやってきた伶人たちは、二組ふたてに別れて岸辺のサイクリング・ロードを〝散策〟しはじめた。

 先をゆくのは伶人と小春。

 その後方、五十メートルほどの距離をおいて瑠姫と千花が続く。

 時刻は午後八時。

 空にあるはずの満月は厚い雲に隠され、辺りには闇が垂れこめている。

 居並ぶ街灯がオレンジ色の光をそそいでいるけれど、道をくまなく照らすには足りない。

「──離れるなよ、小春。いつ敵が出てくるか、わからないからな」

 胸元の知方珠しるべのたまに触れつつ、伶人は声をかけた。

「うん。でも、いいの? ボディーガードが一緒にいたら、わたし、おとりにならなくない?」

「お前を一人で歩かせるのは、さすがに危なすぎるよ。七件目の神隠しではカップルが襲われてるから、俺が一緒でも問題無いだろうさ」

「カップルか。どうせなら、それっぽくみせる?」

 楽しげに、小春は伶人の左腕を抱えこんだ。

「別に、そこまでしなくても……」

「だめ?」

「いや、まぁ……いいけど」

 小春のこうした懐っこさには慣れているはずの伶人だったが、どことなく普段いつもと違う雰囲気ムードに戸惑い、沈黙の気まずさを避けるための話題を探す。

「そういや、お前、何時までに帰ればいいんだ?」

「何時でもいいよ。うちは特に門限とか無いし。というか……帰らなくてもいいし」

「は?」

「伶ちゃんに泊まるかもって、お母さんには言ってあるから」

「泊まるって、それオーケーなわけ?」

「うん。どうやら、そういう関係だと思われているようです」

「はぁ……困ったものですな」

「困りますか」

「困りませんか?」

「んー……困らないかも。困ったことに」

「……なら、いいか。とりあえず、なすがままってことで」

「了解」

 とぼけた会話だが、これはこれで意志の疎通はとれている。

 二人は今、自分たちの曖昧な関係が変化する可能性を確かめあったのだ。

 その微妙な進展のきざしを小春の密着度の高さで実感しながら、伶人は背後を見やった。

 夜陰の中にぼんやりと、並んで歩く二匹の白い獣の姿が浮かびあがっている。

 瑠姫は〝狐モード〟になっているのだ。

「なんか親子みたいだな、あいつら」

「だね」

「保健所に通報されたりして。野良犬の親子が公園をウロウロしてますって」

「あはは。野良犬なんて言ったら、瑠姫ちゃん、怒るよ?」

 そんな会話は声をひそめてのものだったが、しっかりと瑠姫たちの耳に届いていた。



「……誰が野良犬じゃ。帰ったら、念入りに咬んでやる」

 言っていることは物騒だが、瑠姫の口調は愉快げだった。

 狐モードになっているのは、その鋭敏な聴覚で飛来する烏頭女うずめの羽音をキャッチするためであって、伶人たちの会話を盗み聞きするつもりは無いのだが──聞こえてしまうと気になる。

 もっとも千花のほうは、ちゃっかり聞き耳を立てていたようだが。

「なんか、ええ雰囲気やねぇ。あの二人。急接近って感じ?」

「もともと幼馴染みじゃからな。互いに気心は知れておろう」

「やきもち、焼かへんの?」

「どうして、わらわが……」

「きゅっきゅきゅ~♪ なんでやろなー♪」

 にらまれても、まるでひるまず、千花は目を細めて見つめ返す。

「隠してもバレバレやけどね」

「ふっ……! 勝手に言っておれ」

 瑠姫は怒る気にもならず、むしろ吹き出した。

 千花の言わんとしていることは、わかっている。

 なんとなく、自覚しているからだ。

 伶人への様々な感情きもちを一言にまとめるなら、「好き」ということになろう。

 式神としての忠義や、孤独を恐れるがゆえの依存心とは別の、ほのかに甘い慕情は確かにある。

 それを恋と呼んでよいものかは、よく解らないのだけれど──

「ねぇ、好きなんと違うん? 伶人さんのこと」

 そう訊かれれば否定はできないし、しようとも思わない。

「さての。そう見えるのなら、そのなのかもな」

「やっぱりなぁ。きっと小春ちゃんも気付いとるやろね。となるとぉ……修羅場やなぁ」

「ふっ……!」

 すっかり面白がっている千花に、瑠姫はまた吹き出した。

「残念じゃが、修羅場になどならんよ。三人で幸せになりたいと、小春は言ってくれておるでな」

「そうなん? ふーん。優しい人やね」

「ああ。わらわも、そう思う」

「そやけど、二人の女の子を平等に満足させるとなると、伶人さん、大変やなぁ。ま、若いうちは頑張れるやろうけど」

「頑張る? 何を」

「んふふっ。わからんの? 意外とさんなんやね」

「むー……」

 仔狐のような千花に笑われ、瑠姫はむくれた。

 そんな際どいガールズトークも束の間──

 千花が急に立ち止まり、鼻をヒクつかせる。

「──瑠姫さん!」

「ああ、来おったな」

 瑠姫も足を止め、耳をピンと立てた。

 そして叫ぶ。

「伶!」

「──ん? 来たのか!? こっちだ小春!」

 前もって打ち合わせていた通り、伶人は小春の手をとって近くの樹に身を寄せた。

 その側に瑠姫たちが駆けつけるのと同時に、十文字槍を持った烏頭女うずめが悠然と舞い降りてくる。

「薙刀の次は槍か。長物が好きなようじゃの」

 瑠姫は少女モードに変化へんげし、さらに狐仙変化こせんへんげの構えをとった。

 しかし──

 予想外の出来事が、その動きをおさえることに。

〈──はじめまして、と言うべきかな? 月華の瑠姫〉

 だらけるように十文字槍を肩に担いだ烏頭女うずめが、甲高い濁声だみごえで語りかけてきたのだ。

「ほう、今度のカラスは口が利けるのか。いや……きか?」

 驚きながらも、瑠姫は冷静に分析する。

 どうやら、この烏頭女うずめには方士の意識が憑依ひょういしているようだ。

 ならば両者を結ぶ神気かみけ導線いとがあるはずだが、それをたどって方士の居場所を探るには、瞑想に近い高度な精神集中を要する。この状況で、そんな余裕は無い。

「八嶋士郎……だな?」

〈僕を知ってるのか。蛍さんから聞いたんだね? だったら自己紹介は必要無いな〉

 一瞬、烏頭女うずめが微笑したように見えた。

「何故に皇雅おうがを解き放とうとしておる? 悪鬼なのだぞ、あやつは」

〈知ってるよ。〝紅蓮ぐれんの皇雅〟。かつて多くの人をあやめた鬼だそうだね〉

「知っていて、どうして──!?」

〈力が欲しい。それだけさ〉

「皇雅を手懐てなづけようとでも? 正気の沙汰とは思えんな」

〈ああ。確かに、僕は狂ってしまったのかもしれない〉

「……妙な奴」

 烏頭女うずめを介して感じられる士郎の気配に、瑠姫は当惑していた。

 悪鬼を使役しようとする人間など悪漢に違いないだろうに、どういうわけか〝悪意〟を感じない。

 瘴気を帯びた気配にも関わらず、どこかしら伶人に似ているとさえ思えるのである。

 人を食ったような一癖ひとくせある物言いが、そう感じさせるのだろうか?

「一つ、問いたい」

〈なんだい?〉

退けぬか? さらった娘たちを無事に返すなら、その罪、不問にせんでもないぞ」

〈愚問だね。すでに悪事に手を染めてしまった僕に、退路は無いよ。進むだけさ〉

「そうか……残念じゃ」

〈それにしても、君はずいぶんと大胆だね〉

「……?」

〈僕を誘い出すために、わざわざ依代よりしろに使える女の子を用意したんだろ? せっかくだから、ありがたく使わせてもらうよ〉

 烏頭女うずめ、いや士郎は不敵に告げ、夜空を見上げた。

 それを合図に、闇にまぎれて待機していた別の烏頭女うずめが急降下してくる。

「ちっ! もう一羽おったか。伶!」

 瑠姫は〝士郎〟を無視し、伶人のもとへ走ろうとした。

 そこへ、どこからともなく黒髪の女があらわれ、立ちふさがる。

「邪魔!」

 不意に現れた伏兵が何者なのかを考えることもなく、瑠姫は神気かみけを込めた拳を振るった。

 だが、その一撃は簡単に受け止められてしまう。

 衝撃波を生む拳の神気かみけを中和されてしまったのだ。

 そうなっては非力な少女のパンチでしかない。

「なに!? わらわの術を、かき消したのか? 貴様、何者ぞ!」

「……風招かざおきの朔夜。あなたと同じ、狐仙です」

 名乗るや、女──朔夜は瑠姫の拳を握り、動きを封じた。

 その間に新手の烏頭女うずめが伶人たちに迫る。

「小春、俺の後ろに隠れろ。──うわっ!?」

 知方珠しるべのたまの結界が発動し、伶人を組み伏せようとした烏頭女うずめは不可視の障壁バリアに弾かれた。

 もう一度、襲いかかるも、結果は同じ。

 それを見た〝士郎〟が叫ぶ。

「破魔の結界か! 朔夜、頼む!」

「はい。王命祈願おうめいきがん──ファー!」

 瑠姫の目の前で朔夜の体が赤い炎に覆われ、姿が変じた。

 金色の刺繍が施されたチャイナドレス風の黒い衣襟イーチンに、くすんだ朱色のレギンス。

 頭には狐の耳、尻には尾。

 瑠姫の狐仙変化と同じ、半人半獣の形態だ。

 ならばと瑠姫も狐仙変化の構えをとるが、

「させません──風戈フォンコ!」

「うおっ!?」

 朔夜の手から発せられた突風に飛ばされ、したたかに背中を打った。

 息が詰まって立ち上がれない瑠姫を後目しりめに、朔夜は伶人に駆け寄る。

「くっ!」

 伶人は無意識のうちに知方珠しるべのたまを握りしめ、身構えた。

 だが、瘴気を帯びていない朔夜に対して結界は発動せず、朔夜の右手が伶人の腹に触れる。

「……ごめんなさい」

「がはっ!」

 軽く拳を押し当てられただけなのに、まるでヘビー級ボクサーのボディーブローを食らったような衝撃を受け、伶人は昏倒こんとうした。

 朔夜は崩れ落ちる伶人を抱きとめ、頭を打たないよう気遣いつつ横たえる。

「伶ちゃん!?」

「大丈夫。気を失っているだけです」

 今にも泣き出しそうな小春の悲鳴に、朔夜もまた悲しげな笑みで応えた。

 そして、いつの間にか右手に忍ばせていたはりを小春の胸に打つ。

 咒睡チォウシェイの鍼だ。

 かすかな痛みに驚く間も無く、小春は意識を失った。

 その体を烏頭女うずめかかえ、はねつ。

「しまった! 小春!」

 ようやく立ち上がった瑠姫が叫ぶのと同時に、小春を抱いた烏頭女うずめが飛び立った。

「逃がすか! 解八門禁かいはちもんきん!」

 瑠姫は即座に狐仙変化し、天衝弓てんしょうきゅうを構えて狙いをつける。

 しかし、

としたら、あの子も無事ただではすまないよ〉

「くっ……」

 言われるまでもなく、悠々と飛び去る烏頭女うずめを射ることはできなかった。

 その代わりとばかりに、瑠姫は〝士郎〟にやじりを向ける。

〈できれば撃たないで欲しいな。憑依していると痛みも共有してしまうから〉

「知ったことか。小春を返せ!」

「──そこまでです」

 にらみ合う二人の間に、朔夜の抑制された声が割りこんだ。

 見ると、朔夜は横たわる伶人の喉元に手刀を向けている。

 いつでもれる、と言わんばかりに。

「降参してください。わたしとて、むやみに人を傷つけたくはありません」

「くっ……! 卑怯な」

〈そうだね。でも、だからこそ有効な手段でもある〉

「……わらわなら、煮るなり焼くなり好きにしろ。だから伶には手を出すでない」

 瑠姫は天衝弓を消し去り、さらに狐仙変化を解いた。

 ひとまず降伏したかたちだが、〝士郎〟をす視線は鋭いままだ。

〈別に、煮たり焼いたりするつもりは無いよ。ちょっと手伝って欲しいことがあるだけさ〉

「……何を言っている?」

〈明日の夜、十一時に、またここで会おう。君が素直に言うことをきいてくれるなら、女の子たちに危害を加えるつもりはない。用が済んだら解放するよ〉

 口調こそ穏やかだが、その台詞は人質の存在を強調するものでもある。

〈いいかい? 夜の十一時だ。必ず来てくれよ。当然、一人でね〉

「おい、待て! 話はまだ──」

 勝手な約束を言い残し、士郎の精神を内包する烏頭女うずめは飛翔した。

 続いて、朔夜の姿が闇に溶けてゆく。

 光波ひかり音波おと、さらには神気かみけをも遮蔽して身を隠す術である。

遁伏とんぷくか……!」

 瑠姫は歯軋はぎりりをして、朔夜が立っていた場所を睨んだ。

 伶人が目を覚ましたのは、その直後であった。



【つづく】


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