第5章『目覚めるモノたち』②

「ちーす」

 その日の夕方、小春が伶人のアパートにやってきた。

 陣中見舞いと称して、創作パンと飲み物を差し入れにきたのだ。

「……よう」

「……? どうしたの? なんか暗くない?」

「まぁ、ちょっとな──」

 珍しく元気の無い伶人の様子に首をかしげつつ、小春は勝手知ったる部屋にあがる。

「はあ~い」

「ん? ああ、小春か」

「……瑠姫ちゃんまで暗いね」

 パジャマ姿でソファーに寝そべっている瑠姫は、伶人よりもさらに暗澹どんよりとしていた。

 座布団の上で昼寝している千花を優しく撫でながら、「何かあったの?」と小春。

「お前、ニュース観てないのか?」

「うん。今日は朝からお店に出てたから」

「そっか。実はさ──」

 伶人は、七件目の神隠しが起こったことと、自分たちが敵の策にはまっていたことを伝えた。


「──厄介なのは、こっちに向けられた烏頭女うずめおとりだと分かっていても無視できないことなんだ。放っておくと、そいつが女の子をさらうかもしれないからな」

「だね。で、これからどうする気なの?」

「検討中。つーか、苦悩中」

 いくらか平生いつもの調子に戻って、伶人は冗談めかした。が、表情かお神妙シリアスなままだ。

「向こうは同時に複数の烏頭女うずめを操れるけど、こっちの戦力は瑠姫だけだからな。せめて相手の居場所が分かれば、作戦の立てようもあるんだけど──」

 こうした彼我ひが戦力差のある状況で勝機を見いだすには、敵主力への奇襲ふいうちしかあるまい。

 しかし、相手は神出鬼没。潜伏場所アジトはおろか、動向あしどりさえ掴めない。

 おまけに陽動までされては、持ち駒の足りないこちらは翻弄ふりまわされるばかりだ。

「──正直、打つ手が無いよ」

 伶人は〝お手上げ〟のポーズをした。

 それを見た瑠姫が、かなり迷いつつも、つぶやく。

「無くはない、がな」

「いい作戦があるの?」と、小春。

「いい、とは言えんがな」

「教えてくれよ」

 らしくもない持って回った言い方に眉根を寄せながら、伶人は尋ねた。

 瑠姫は起きあがり、ひとつ息をいてから語りはじめる。

「士郎めは、多少なりとも霊験のある若い娘を狙っておる。そういう娘を囮にすれば──」

おびき出せるってか? けど、都合良く士郎が出てくるとは限らないだろ。実際、誘拐は烏頭女うずめにやらせてるわけだし」

「じゃが、奴はすでに七人の依代よりしろを手に入れておる。あと一歩で大願成就となれば、が非でもと思うのが人情というもの。囮に食いついた烏頭女うずめを潰せば、みずから乗り出してくるやもしれん。まぁ、賭けじゃがの」

「──なるほど。ダメ元で、やってみる価値はありそうだな。でも、囮にするをどうやって探すんだ? てゆーか、見つかったとして、どう頼む?」

「探す必要は無い。……ここにでな」

「……?」「……?」

 伶人と小春は、言いにくそうに言い切った瑠姫を間にはさんで顔を見合わせた。

「ここにおるって……おい、まさか」

「そう、小春じゃ」

「マジでか?」「わたし!?」

 二人は同時に驚きの声をあげた。再び顔を見合わせ、その視線をそろって瑠姫に向ける。

「ああ。小春には霊験がある」

 瑠姫は自分の考えを説明しはじめた。

「前々から感じていたのじゃが、小春の手料理を食べると、不思議と神気かみけの滋養が満たされるのじゃ。思うに、小春には錬丹れんたんの才があるのじゃろう。

 錬丹とは、文字通り丹をる──すなわち癒しの方術を込めた霊妙な丸薬を作ることじゃ。小春の場合は料理に霊験が宿るわけじゃが、それも一種の錬丹術と言えよう」

「れんたんじゅつ……わたしに、そんな能力が?」

「ある。と思う」

 断言こそ避けたものの、瑠姫には確信があるようだった。

 思いも寄らない話に小春は目をまるくし、黙考している伶人を見る。

「だとしても、小春を囮に使うのはな……」

 伶人の独り言は否定的な調子トーンではあるものの、明らかに迷いがこもっていた。

 それを汲み取った小春は、おもむろに姿勢をただして申し出る。

「よく分からないけど、わたしに手伝えることがあるなら、やらせてよ。役に立てるなら嬉しいし。……わたしだけ蚊帳かやの外ってのは、なんか寂しいし」

 照れくさそうに言い添えた理由のほうが、どうやら本音らしい。

「別に、蚊帳の外にしてるわけじゃ……」

「──伶、ここは小春の厚意に甘えよう。すまんが、頼む」

 瑠姫は小春に頭をさげた。

 小春は黙ってうなずき、視線まなざしで伶人に決断をうながす。

 それで伶人もはらを決めるのだった。

「……下手すりゃ敵に塩を送ることになりかねない作戦だから、慎重にいかないとな」

「うむ。確かに賭けじゃ。が、策は考えてある」

「お前、俺に黙ってそんなこと考えてたのかよ」

「ん……すまん」

 伶人は責めるような語気ではなかったが、瑠姫は思わず縮こまった。

「ま、いいけどさ。で、その策ってのは?」

知方珠しるべのたまじゃ。あれには瘴気除しょうきよけの結界が仕込まれておる。身につけておれば、瘴気を帯びた烏頭女うずめは近付けんじゃろう。つまり──」

「──俺が小春の盾になるんだな?」

「ああ。知方珠しるべのたまは御巫家の者にしか使えぬからな」

「わかった。本当に、いいんだな? 小春」

「うん。頼りにしてるよ、伶ちゃん」

 小春は笑顔で応えた。

 そして、やおら立ち上がり、腰に手を当てて言う。

「そうと決まれば──よし! 瑠姫ちゃん、お風呂入ろ?」

「はぁ?」

 なんでそうなるのじゃ、と気の抜けた声を上げる瑠姫だったが、やがて笑いがこみあげてきて、

「そうじゃな。女子おなご同士、裸の付き合いといこうか。そこの男、覗くでないぞ」

 そんな冗談で、重くれていた空気を拭った。



「はぁ~♥ 極楽ぅ」

 小春はエメラルド色の湯に体をひたし、うっとりと天井を見上げた。

「おまけに絶景かな」

 などと笑って目を向けた洗い場では、髪をタオルでくるんだ瑠姫が体を洗っている。

 瑠姫はどちらかといえば骨太な体つきで、二の腕やももなどは適度にふっくらしているものの、それが贅肉ぜいにくには見えない。

 おそらく体脂肪率は理想的な値だろう。

「瑠姫ちゃんて、ほんと綺麗だよねぇ。羨ましい」

「そうか? わらわは小春が羨ましいがな」

「どうして?」

「よう実っておる」

 瑠姫はシャワーで体の泡を流しながら、小春の胸元をのぞきこんだ。

「あはは! そう? 自慢できるほどのサイズじゃないけどね」

 中年親父のセクハラじみた発言に吹き出して、小春は我が身を見下ろす。

 ちなみに彼女はDに近いCカップ。

 日本人女性としては充分な実りといっていいいだろう。

「瑠姫ちゃんは、まだまだ成長期そだちざかりなんだし、わたしなんかより巨乳になるかもよ?」

「いや。残念ながら、それは無い」

「なんで?」

「わらわは、これ以上育たんのじゃよ。生涯、このままじゃ」

「不老不死ってこと?」

「不死ではない。老いないだけじゃ」

「へぇ。じゃあ、いつまでも可愛いままなんだ。いいなぁ」

「わらわとしては、もう少し色気というものが欲しいがの。ではな」

 言いながら、瑠姫は自分の胸を両手ですくい上げた。

 その少女らしい弾むような丸みは目をひく造形ではあるものの、物量サイズとしては辛うじてのBカップ。寄せ集めても、魅惑の谷間を作り出すには少々足りない。

「ふーん。色っぽくなりたいんだ。……伶ちゃんのため?」

「な……! なにを言う。そんな意味ではない」

「じゃあ、どういう意味なのかなぁ?」

「むー。意外と意地が悪いのだな。伶みたいじゃ」

 瑠姫は拗ねた顔をして、頭のタオルを巻き直した。

 その、あまり意味の無い行動は、明らかに照れ隠し。

 わかりやすいリアクションである。

 しかし、それよりも小春を微笑ませたのは、「伶みたいじゃ」という台詞だった。

 思わず彼を引き合いに出したのは、乙女心の機微きびというものか。

 そんな気がした小春は、ふと訊いてみたくなる。

「ねぇ? 瑠姫ちゃんにとって、伶ちゃんはどういう存在なのかな」

 これは牽制かまかけにも聞こえようが、そんな挑戦的な意図は無く、瑠姫もそういう解釈はしなかった。

「そうじゃな……言うなれば、わらわのるべき場所、かの」

「在るべき場所?」

 なにやら哲学めいた表現に、小春は首をかしげる。

「──いや、それは詭弁か。わらわは、ただ居場所が欲しいだけなのかもしれん」

 気恥ずかしい告白と感じてか、瑠姫は他人事のように言った。

 小春は黙って見つめ、瑠姫の思いを言葉につむがせる。

「わらわに縁故ゆかりのある者は、みんなとっくに墓の下じゃからの。天涯孤独も気楽でよいが、ふと人恋しくなることもある。じゃから伶にすがっておるのかもな。今のわらわには、頼れる者は伶しかおらんし」

「──わたしも、いるよ?」

 恩着せがましいかな、と思いながらも、小春はそう言わずにいられなかった。

 はたして、膝を抱えている瑠姫の苦笑が微笑に変わる。

「そうか……そうじゃったな」

「おいでよ。一緒にあったまろ?」

「うん」

 差し伸べられた手をとって、瑠姫は湯船に入った。

 小春は脚の間に瑠姫を座らせると、細い腰に腕をまわし、そっと抱き寄せる。

「こうやってベタベタされるの、鬱陶しくない?」

「いや……落ち着く。人の温もりはいものじゃ」

「そう? よかった」

「……小春こそ、わらわはうとましくはないのか?」

「え……? なんで?」

「……邪魔かと……思っての」

「ああ……そういうこと」

 小春は少し驚き、一呼吸の間をおいて、笑った。

「まぁ、実際、ちょっとけちゃうってのは、あるかな。瑠姫ちゃんと伶ちゃんには、わたしには立ち入れない特別な絆があるみたいだから」

 伶人と瑠姫をつなぐ、運命とでもいうべき絆。

 瑠姫にとってのには、恋に似た成分が含まれているようだと、小春はみている。

 そんな二人の関係は微笑ましいけれど、まったく嫉妬しないわけではない。

 聞けば瑠姫は永遠に少女こどものままらしいが、だとしても男性を受けれることは可能だろうし、なにしろ美少女だ。

 同性の目から見ても可愛い彼女が日に日に伶人に馴染んでゆくのは、やはり気が気ではない。

 だが、それでも瑠姫を排撃するという発想に至らず、

「けどね、わたし──瑠姫ちゃんのこと、好きだよ」

 ごく自然にそう言えた瞬間、小春の心理の片隅でくすぶっていた対抗意識ジェラシーは消化され、彼女らしい想いへと昇華してゆくのだった。

「もちろん伶ちゃんのことも好きだし、二人だけの絆もあると思ってる。それはわたしにとって一番大切なものだし、瑠姫ちゃんにとっても伶ちゃんは一番大切な人でしょ? だから、さ──」

 小春は説き伏すように言い、瑠姫の肩に顎を乗せた。

 そうして、ささやく。

「──三人で幸せになれたらいいなって、思うの」

「三人で……?」

「うん。三人で」

 それが小春の選んだ結論だった。

 瑠姫との絆が御巫伶人という男の一部分であるのなら、それもひっくるめて愛したい。

 それは事なかれ主義の綺麗事かもしれないし、一人の男を共有しようという発想は、女としての自分たちをおとしめるものかもしれない。

 けれども小春にとっては、自分の気持ちに素直に従った思考の帰結。

 一番、心地好ここちよいと思える選択をしただけなのだった。

 もっとも、実は可愛い女の子が大好きという、密かな嗜好もあったりするのだが。



 一方そのころ、伶人は目を覚ました千花と一緒に頭を悩ませていた。

 テーブルには月乃宮市の地図が広げられ、その七ヶ所に丸印がつけられている。

 これまでの神隠しの発生状況から、士郎の行動パターンをあぶり出そうというのだ。

 ──が、しょせんは門外漢しろうと行動心理学プロファイリングもどき。

 そう、うまくゆくものではない。

「住宅地の公園、防風林、湖のそば──見事にバラバラだな」

 神隠しの発生場所は市内各所に分散していて、特定の法則性パターンがあるようには思えなかった。

 どこも夜は人気ひとけが無くなる場所だが、もとより誘拐事件ひとさらいはそういう場所で起こるものだろうから、特徴的な要素とは言えない。

「人間の行動には、無意識のうちにやっちゃうクセみたいなのがあると思うんだけどなぁ……」

 しかし、士郎のそれを解析するのは困難なようだ。

 そこで伶人は視点を変え、ただ単純に次の神隠しが起こりそうな場所を絞り込むことにした。

「誰でも入れて、夜は人目につきにくい場所となると──」

「やっぱ、公園とかやない?」

「だよな。条件としては、市街地にある、わりと大きな公園か」

 その検索条件を念頭に地図を眺めていると、ある場所が目にとまった。

 白鳥しらとり公園。

 月乃宮湖にそそぐ川の河川敷に作られた、いわゆる親水公園だ。

「ここなら条件にピッタリだな。よし。ここで仕掛けてみるか」

「白鳥公園、やね?」

 千花は両手まえあしで器用にマーカーをつかみ、伶人が指し示した地図上の場所に丸印を描いた。



【つづく】

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