第2章『神隠し』③

 若い女が一人、子守山の雑木林を歩いていた。

 七分袖のカットソーにガウチョパンツという格好で、ジャカード織りのポンチョをまとっている。

 それらはほぼ黒づくめなのに、少しも重々しい印象を抱かせない、楚々そそとした美女だ。

「いい風……」

 草木と土の匂いを運んでくる風に、女は目を細めた。

 無機質な街に囲まれた小さな自然であっても、その瑞々しい精気は心をすすいでくれるものだ。

 けれど、ふとこぼれた笑みも束の間、女は憂いをおびた表情に戻ってしまう。

 昨日から感じている、妙な胸騒ぎ。

 その言い知れない焦燥に導かれるまま、この雑木林にやってきたのである。

「これは──!?」

 やがて終着地についた女は、そこにある小さなやしろを見て、しばらく呆然と立ち尽くした。

「──結界が、解けている」

 社の風化を防ぐために施されていた結界は、もはや存在していなかった。

 ならば無意味なことと知りつつ、女は社の扉に手をかける。

 強固な封印術で施錠されていたはずの扉は、あっさりと開いてしまった。

 見れば、社の中には小さな木箱があり、触れるとかすかな神気かみけを感じた。が、それは木箱自体のものではなく、そこに納められていた何かの神気が染みついたもののようだ。

「目覚めたのね、〝彼女〟が。──でも、どうして?」

 女は木箱を社に戻し、扉を閉めた。

 理由はどうあれ、ここに眠っていたモノが目覚めたとあらば一大事。

 それを一刻も早く最愛の人にらせるべく、女は駆けだした。

 この可憐な女の名は、朔夜さくや

 人間ヒトではない。



 青年が一人、湖畔の散策路を歩いていた。

 灰色のチノパンをはき、淡い青系のツートーンカラーのブルゾンを着ている。

 流行はやりとは無縁の地味な格好なのに田舎臭さを感じさせないのは、なかなかの美形イケメンだからか。

内海うちうみや、玉なす月の宮となりけり……か」

 青年は右手にたたずむ月乃宮湖を横目に、その名の由来とされる俳句をそらんじた。

 しばらく歩いてゆくと、件のうたが刻まれた記念碑モニュメントが見えてくる。

 青年は足を止め、記念碑を解説する看板を眺めた。

 それによると、かつてこの地には『月読命つくよみのみこと』をまつる氏族がいて、月をうつす湖を神宮かむみやに見立てていたのだという。

 ゆえに『月乃宮』というわけだ。

太古むかしの人たちは知ってたのかもな。この湖が、ある種の霊的特異点パワースポットだってことを」

 つぶやいて、青年は近くのベンチに座った。

 さりげなく視線を上げると、ほぼ快晴の空に一羽の小鳥が。

 弓形ゆみなりの翼に二股ふたまた尾羽おばね──形状かたちこそツバメだが、それにしては白すぎる。

(追っ手のお出まし、みたいだな)

 その奇妙なツバメを見つめて薄笑う青年の名は、八嶋士郎。

 普通ただの人間ではない。


   ◆   ◆   ◆


「──士郎!」

「やぁ、早かったね」

 士郎は、約束の時間よりも早くあらわれた待ち人を笑顔で迎えた。

 待ち人とは、朔夜である。

「走ってきたの? ……何か、あったみたいだね」

「はい。思わぬことになったようで──」

「ごめん。ちょっと待って。チャンスだ」

「チャンス?」

 いきなり話を遮られたので、気がはやっていた朔夜は思わず眉をひそめた。

 近くに人がいないことを確かめて、士郎はやおら右手を空に差しのべる。

 それにつられた朔夜が天を仰ぐのと同時に、士郎の指先から細い稲妻が放たれ、上空を旋回していた白い小鳥を貫いた。


 狙撃された小鳥が、螺旋を描きながら墜ちてくる。

「──式神!?」

 朔夜は驚きの声をあげ、士郎と同じように右手を掲げた。

 その手から発せられた気流かぜが小鳥を包み、朔夜の手元へと運んでくる。

 小鳥をつかみ取るや、朔夜は事態を察した。

「いよいよ追っ手があらわれたようですね」

「ああ。たぶん『烏頭女うずめ』の瘴気の痕跡をたどって来たんだろう。君の存在に気付かれると厄介だから、来る前に始末しようと思ってたんだけど、なかなか人通りが途切れなくてね」

「やはり、七星社しちせいしゃでしょうか?」

「うん。少なくとも、誰かが〝神隠し〟の真相を探ってることだけは確かだね。けど、対抗手段は用意してあるし、こっちには地の利もある。焦ることはないさ」

 不安げな朔夜とは対照的に、士郎は冷静だった。

龍脈りゅうみゃくの影響か、この辺りは気の流れが不規則に変化してる。方士や式神にとってはレーダーが利かない磁気嵐の中みたいなもので、視覚に頼るしかない。そう簡単に『無間匣むけんのはこ』を見つけることはできないさ」

「ですが、七星社が動き始めたとなると、見つかるのは時間の問題では?」

 問いかけながら、朔夜は士郎の隣に座った。

「本当に七星社なのかな?」

「……どういう意味です?」

「やり方が素人っぽいと思わない? 仮にも七星社の調伏師ちょうぶくしともあろうものが、こんなバレバレの追跡をするだろうか。僕なら、式神の気配を隠すくらいの工作はするよ」

「……確かに。でも、七星社の手の者でないなら誰が……まさか」

「……?」

「この式を打ったのは、子守山の狐仙きつねかもしれません」

「子守山の?」

「はい。社の封印が解かれていたのです。中には何もありませんでした。瑠姫が目覚めたとみて間違いないと思います」

「──! それは、たしかに思わぬことだね」

 予想外の事態に、士郎は驚いた。

 しかし動揺はみられず、どこか嬉しそうですらある。

御巫みかなぎ先生が亡くなった今、御巫家に瑠姫を召喚できるような方士はいないはず……とすると、僕らが無間匣を開いたせいかもしれないな」

「それをきっかけに目覚めるよう、仕組まれていたと?」

「あくまでも想像だけどね。ま、事情はともあれ、こっちとしては好都合さ。瑠姫を起こす方法が分からないという難題が、勝手に解決されたんだから。おかげで当初の計画に戻せる」

「……そうですね」

「もう一つの難題だった〝依代よりしろ〟の調達も、予想以上に順調だし──残る問題は、僕がを使いこなせるかどうかだな」

 士郎はブルゾンのポケットから黒い勾玉を取り出した。

 それを見るなり、朔夜の表情が曇る。

「できるだけ、それを使わずに事をなすわけにはいきませんか? その『ぬえの爪』を使うたびに、あなたは瘴気に侵されてしまうのですから……」

「ああ。でも、いざというときにうまく使えないと困るからね。慣れておきたいんだよ。瘴気の浸食は君の術で抑えられるようだし、大丈夫さ。そうだろ?」

「…………はい」

 朔夜は、いくらか頬を赤らめた。

 士郎の言った〝術〟とは、男女の情交まぐわいによってなされる秘術だからだ。

 ひとつに繋がることで精神こころ肉体からだ調和シンクロさせ、士郎を侵す瘴気を朔夜に移して中和する。

 そういう方術儀式なのである。

「もしかして、毎晩求められるのは迷惑?」

「……言わせる気ですか? そんなこと」

 なお赤くなって、朔夜は肩をすくめた。

 士郎は〝鵺の爪〟をポケットに戻し、空を見上げる。

「僕は私怨しえんをはらすために君を利用してる。我ながら、あくどいと思うよ。でも、他の方法が思いつかないんだ。今更だけど、ごめんね、朔夜」

「気に病まないでください。私は、私の意志で、あなたのそばにいるのですから」

「ありがとう。どうすれば、それに報いることができるかな」

「もう充分に報いてくれていますよ。それこそ毎晩」

「はは! 珍しいね、君が下ネタを言うなんて」

「あなたの影響です」

 朔夜は笑って、士郎にもたれかかった。

 美男美女だけに、絵になる光景である。

 けれど、交わされる会話はロマンチックとはほど遠い。

「これからは忙しくなりますね。瑠姫と御巫家に対する警戒も必要ですし」

「準備が整うまでは、烏頭女をぶつけて時間を稼ぐ。君の出番は、依代よりしろがそろってからだよ。切り札は、最後の最後までとっておくものだからね」

 そう言うと、士郎は朔夜に右手を差し出した。

 朔夜は黙ってうなずき、白いツバメを手渡す。

「ちょっと可哀想だけど……」

 士郎は白いツバメを軽く握ってから放り投げた。

 白いツバメは燃えあがり──灰となって散った。



【つづく】

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