第2章『神隠し』②
伶人の愛車は軽トラックなので、定員は二名である。
三人乗るのは違法だし、そもそも物理的に難しい。
だが、その三人のうちの一人が瑠姫なら心配無用。
小春を助手席に座らせ、その膝に瑠姫を乗せればいいのだ。
もちろん〝狐モード〟になってもらって、である。
そうして、伶人たちはまず小春の家へと向かう。
二十歳の青年が軽トラを
一人暮らしをはじめるのを機に車を買おうと思いたち、いくつかの中古車販売店を物色したところ、この軽トラが一番安かった。
それだけの
「買ってからわかったんだけど、この車、元々は
「へぇ。それを伶ちゃんが買うなんて、なんだか運命的だね」
「軽トラに巡り会う運命って、ショボくない?」
そんな他愛のない
「じゃあね、瑠姫ちゃん」
「おう」
その姿を見届けてから、瑠姫は車内で〝少女モード〟に
「瑠姫、変身するときは
「わかっておる。
一応、彼女も自分の正体を隠す必要性は理解しているようだが、
(……さんざん言われたってことは、さんざんドジったってことだよな)
なにやら先が思いやられる伶人であった。
小春の家から目的地まで、車なら三分もかからない。
伶人たちがその風見公園に到着すると、ちょうど現場検証が終わったところだった。
思ったほどには多くない報道陣と野次馬が見守るなか、警官たちが公園を封鎖していた黄色いテープを剥がそうとしている。
「なにやら物々しい雰囲気じゃが……奴ら、何者じゃ?」
「警察だよ。昔風に言うと、奉行所の同心ってところかな」
「ふうん。十手持ちか」
「警察がいなくなるまで、ちょっと待つぞ」
「うむ」
伶人たちは、人だかりから少し離れた場所で待つことに。
ふらりと現れた〝白い髪の少女〟に好奇の目を向けてくる者もいたが、当の瑠姫はまったく意に介さず、伶人もつとめて気にしないようにした。
その風貌ゆえ、瑠姫はどうしても人目をひいてしまう。
ならば慣れるしかないし、もとより他人の視線に神経質な伶人でもない。
「──よし。終わったな。マスコミも撤収しはじめたみたいだし、行くか」
「ああ」
走り去る警察車両を見送って、伶人と瑠姫は公園に入った。
風見公園は、水遊びができる施設やテニスコートなどを備えた大きな広場で、
伶人たちは、まずその遊歩道から探索をはじめた。
ほどなく、石畳にチョークで書かれた丸印が見つかる。
「──たぶん、ここに消えた女の子の持ち物が落ちてたんだろうな」
「つまり、ここで
瑠姫は
「どうした? 何か見つけたのか?」
「うむ……微かにじゃが、地面に点々と
「足跡? 俺には何も見えないけど……?」
伶人の問いには応えず、瑠姫は〝
瘴気とは、いわば〝負〟の霊的エネルギーだ。
自然界の精気の
それらは必ずしも邪悪なわけではないが、存在自体が害悪と言わざるをえない。
瘴気は生きとし生ける者の生命活動を阻害し、ときに死に至らしめることもあるからだ。
そんな力を好んで駆使する方士は、少なくとも善良ではあるまい。
「──瘴気をまとった式神とはな。思った通り、この
瑠姫は立ち上がり、東の方角を見やった。
「追ってみるか。
呪文を唱えると、右手から青い炎が吹きあがり、一枚の霊符が出現する。
「──いざや、
瑠姫は霊符を投げ放った。
霊符は一瞬のうちに小鳥の姿となり、瑠姫の指に留まる。
それはツバメのような形をしていた。全身ほぼ真っ白で、喉元と額に朱色の
「この瘴気をたどり、
白いツバメは「お任せを」とでも応えるように短くさえずり、飛び去っていった。
「……すごいな。あれ、式神なのか?」
「ああ、わらわが打てる唯一の式じゃ。さて、あとは『
「賑やかな場所?」
「うん。紫苑と旅していたころは、行く先々で
「ふーん。いつの時代も、女の子はウインドーショッピングが好きなんだな」
そういうことなら、駅前の商店街がいいだろう。
伶人は、とりあえずそこに連れて行ってやることにした。
その様子を遠巻きに注視している者がいることに、二人ともまったく気付いていなかった。
◆ ◆ ◆
駅前の
通称、駅前通り。月乃宮市のメインストリートだ。
その横手には
シャッターを閉ざしたままの空き店舗もあるが、寂れた雰囲気ではない。
「この街で賑やかな場所といえば、ここだな。どうだ?」
「確かに賑やかじゃの。いささかケバケバしいが、活気があってよい」
どこにでもある、どちらかといえば地味な商店街が、瑠姫には華美に思えるようだった。
江戸時代の町並みしか知らない彼女にしてみれば、様々な色彩があふれる現代の都市空間は、さながら〝お祭り〟のように見えることだろう。
それが楽しくて、小鳥のようにキョロキョロしていた瑠姫は、
「──お? あれは
近くにペットショップを見つけるや、駆け寄ってショーウインドーに張り付いた。
子犬や子猫には目もくれず、なぜかウサギにばかり注目している。
「ふふっ。こやつら、よく肥えておるのう」
「好きなのか? ウサギ」
「ああ。一番の好物は
「……好物?」
一瞬、伶人には意味がわからなかった。が、すぐに悟る。
瑠姫は狐──食肉目イヌ科の獣なのだ。
野生であったころの彼女にとって、ウサギは滅多に
それはいいのだが、もし
なかなか
「……ウサギって、美味いの?」
「美味いぞ。味噌仕立ての鍋にしてもいいし、醤油を馴染ませて焼くのもまた捨てがたい」
「へぇ。そう聞くと、なんか美味そうだな」
「一応、言っておくけど、その辺の小学校のウサギとか
「盗み食いなどせんよ。ウサギなど、そこらの野山でいくらでも
「野生動物を勝手に狩るのは、まずいんじゃないかな……」
「狩りは禁じられておるのか? それは残念。美味いのに」
なにげに不穏なことを言い、瑠姫はまたウサギを見つめた。
まごまごしていると「買ってくれ」と言われそうな気がして、伶人は「行くぞ」と歩き出す。
すると瑠姫は跳ねるように追いすがり、伶人の左腕に絡みついた。
「……なんだよ。いきなり」
「男と女が連れだって歩くときは、こうするのじゃろ?
「絵草紙って、マンガのことか?」
「お前たちが出かけている間に読ませてもらった。おかげで当世の文化を知ることができたし、面白かったぞ。……えらく
瑠姫は意味ありげに目を細めた。
どうやら成年コミックまで読みあさったようだ。
「女子がそんなもん読むなよ」
失笑と苦笑を織り交ぜつつ、伶人は小柄な瑠姫に歩調を合わせてやる。
そうして密着すると、肘のあたりに水風船のような弾力感が──
男子としては
ともあれ、小生意気な少女が不意に懐いてくると、やけに可愛げがあったりするもので、
(これが世に言うクーデレってやつか?)
そんな秋葉系の発想をする伶人なのだった。
(──あらあら。仲良しなのね。見たところ、彼女のほうが積極的みたいだけど)
商店街を歩く青年と少女を密かに
その身を包む藤色のサマーセーターは見事な膨らみをみせ、フェミニンなベージュのロングスカートとあいまって、二十四歳という年齢に見合った
彼女の名は、御巫蛍。伶人の
(それにしても、この巡り合わせ……偶然とは思えないわね)
今朝のワイドショーで神隠し事件の報道を観たとき、蛍は愕然としたものだった。
報じられた〝怪人〟に、心当たりがあったからだ。
場合によっては、それにまつわる秘密を伶人に明かすべきかも──と考えていた蛍にとって、先ほど風見公園で彼を見つけたことは、運命に思えてならなかった。
もし、伶人が一人だったなら、あるいは一緒にいるのが小春だったなら、そんな感慨をもよおすことはなかったろう。
蛍に運命を感じさせたのは、伶人が〝白い髪の少女〟を連れていたこと、なのだ。
その正体を探るべく、こうして観察していたのである
(この気配……確かに
にわかには信じがたいが、状況からみて、そう判断すべきだろう。
してみれば、ついに伶人の
気になるが、その前にどうしても確かめておきたいことがある。
(私の推理が正しければ、〝彼〟は瑠姫を警戒しているはず。うまくすれば誘い出せるかもしれないわね。伶くんを利用するのは気が引けるけど──)
クレープ屋の前で立ち止まる伶人と瑠姫を見つめ、蛍は密かに思案をめぐらせはじめた。
「美味いな、これ」
初めて味わうクレープに、瑠姫は御満悦だった。
「あそこに座るか」
三種類のべリーと生クリームがたっぷり入ったクレープを頬張る少女の背中を押して、伶人は近くのベンチに向かう。
そこに並んで腰をおろす二人をみて、蛍は声をかけることにした。
「──伶くん」
「あ、蛍さん」
不意に呼ばれた伶人は、やや驚いた様子で応えた。
そんな彼と現れた女性とを交互に見て、「知り合いか?」と瑠姫。
「ああ。この人は蛍さん。俺の
「瑠姫と申す。縁あって、伶人の世話になっておる」
瑠姫は小春と対面したときと同じような自己紹介をした。
(こんなとこで蛍さんに会っちゃうなんて、まいったな。
困ってしまう伶人だったが、すでに瑠姫の正体を悟っていた蛍は、あえてそのあたりには触れず、
「つい声かけちゃったけど、野暮だったわね。デートの邪魔して、ごめんなさい」
言外に偶然の出会いを演出しつつ、あたりさわりのない冗談を言った。
「いや、全然。そもそもデートじゃないし」と、伶人。
「そうなの? じゃ、そういうことにしておいてあげる。──あ、ところで伶くん、今度の土曜は暇?」
唐突かとも思ったが、蛍はさも思い出したような
「土曜? まぁ、無職も同然だから、いつでも暇は作れるけど──なんで?」
「
辻神楽というのは月乃宮市の郷土芸能で、鈴振り巫女に扮した少女たちが踊りながら街をねり歩く
御巫家はその最大の
「もちろん、こちらの可愛いガールフレンドも大歓迎よ」
「バーベキューか。行きたいけど、知らない奴が混ざるのは迷惑じゃない?」
「それなら大丈夫。子供たちには、親戚の男の子を誘うかもって言ってあるから」
これは嘘。バーベキュー
だが、そんなこととは
「そういうことなら、お邪魔しようかな」
「じゃあ、土曜の十二時ごろ、うちに来てくれる?」
「土曜の十二時ね。了解」
「……人の恋路をどうこう言うつもりはないけど、女の子を泣かせちゃだめよ?」
最後にそんな耳打ちをして、蛍は去っていった。
(恋路ねぇ。なんか、誤解されてるみたいだな)
とほほ、という感じの微苦笑を作って、伶人は隣を見る。
瑠姫はクレープの最後の一口を頬張りながら、指についたクリームを舐めとっていた。
「話の腰を折るのは悪いと思い、黙っていたが、
「外で肉や野菜を焼いて食べる宴会、ってとこかな」
「宴が。楽しそうじゃの。ところで、お前の
「そうだよ」
「やはりな。どことなく紫苑の面影がある。しかし──」
「……?」
「華奢なわりに、えらく乳が大きいのう。あれでは
「確かに。よかったな、お前は足下がよく見えて」
「…………うるさいわ」
「いてっ」
瑠姫は自分の胸を五秒ほど見下ろしてから、思い切り伶人の足を踏みつけた。
【つづく】
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