第2章『神隠し』①

 心地好ここちよくまどろんでいた瑠姫は、小気味良い包丁の音で目を覚ました。

 もう少しタオルケットに頬擦ほおずりしていたい気分だけれど、その誘惑を振り切ってベッドを降り、寝室と居間を仕切っているアコーディオン・カーテンを開く。

「……おはよ」

「うーす。そろそろ起こそうかと思ってたところだよ」

 そう応える伶人は、台所で味噌汁の仕上げにかかっていた。

 実のところ、寝相の悪い瑠姫の肘鉄エルボーを脇腹に食らって叩き起こされたのだが、鍋をのぞきに来た彼女の寝癖頭ねぐせあたまがおかしくて、文句を言う気は失せてしまう。

「頭、噴火してるぞ」

「ん……顔、洗ってくる。ふあ……!」

 あくびをして風呂場に向かう瑠姫を見送って、伶人はコンロの火を消した。

 味噌汁の具は大ぶりに刻んだ大根の葉。

 煮込まずに食感を楽しむのが伶人流である。

「──おお。朝から蒲焼かばやきとは、豪勢じゃの」

 濡らした前髪を撫でつけながら戻ってきた瑠姫は、座卓に並ぶ朝食に関心した。

 納豆、味付け海苔、柴漬け、缶詰のサンマの蒲焼き──ごく庶民的な出来合わせメニューだが、朝餉あさげといえば干物めざし漬物つけなという暮らしをしていた瑠姫には豪華に見えよう。

「では、いただきましょう」

「うむ。いただきます」

 二人は向かい合って座卓につくと、そろって合掌をし、そろって味噌汁に口をつけた。

「美味い。男にしておくのは惜しいな。いい嫁になれるぞ、お前」

「お誉めにあずかり、恐悦至極」

 いつの間にか〝お前〟よばわりされていることに苦笑する伶人だったが、どこか他人行儀な〝そち〟よりはいいか、と思った。



 居間のすみに据えられたテレビでは、朝のワイドショーが陰惨な殺人事件を報じている。

 伶人と瑠姫は並んでソファーにすわり、食後の番茶をすすりながら、それを眺めていた。

 やがて面白くもない芸能エンタメのコーナーになったので、別のワイドショーにかえてみると、レポーターがどこからか中継している映像が。

 画面の右上の『神隠し? 続発する少女失踪の怪』という表示テロップを見て、瑠姫は身を乗り出す。

「──ん? 神隠しとは、穏やかでないな」

「ああ。最近、多いんだよ。女の子がいきなり消えちまう事件。これで何件目かな」

 昨今、ここ月乃宮市では、若い女性が忽然こつぜんと姿を消す怪事件が相次いでいるのだった。

 どうやら、また一人、消えたらしい。

 しかも、伶人がよく知っている場所で。

「風見公園? 小春んのすぐ近くじゃないか」

 伶人はテレビのボリュームをあげた。

 事件が起こったのは昨晩。バイト先から帰宅途中だった十九歳の女子大生が、自宅近くの公園で同僚と別れた直後に消息を断ったのだという。

〈──発見された真里さんのバッグには財布やスマホなどが残されており、金品が奪われた形跡は無かった。警察は真里さんが何者かに連れ去られた可能性が高いとみて、一連の少女失踪事件との関連も視野に捜査をすすめている〉

 現場の公園の映像をバックに事件の概要あらましが説明され、画面はスタジオに切り替わった。

 スタジオの大型モニターに月乃宮市の簡単な地図が表示され、男性アナウンサーが解説をはじめる。

〈ご覧のように月乃宮市では、ここ二ヶ月で六件もの失踪事案が発生しています。失踪したのはいずれも二十歳前後の若い女性たちで、今のところ、それ以外の共通点は見当たりません〉

 モニターに失踪した少女たちの名前と顔写真が表示され、失踪時の服装などが説明された。

 続いて、キャスターとコメンテーターが事件の印象を論じあう。

 もっともらしいだけで中身の無い見解コメントが出そろったところで、

〈実は、この事件に関連して興味深い話がありまして──こちらをご覧ください〉

 アナウンサーがモニターへの注目をうながし、そこに不鮮明な画像が表示された。

 夜の公園を撮った写真のようで、街灯の光が黒い人影を浮かびあがらせている。

〈これは、事件当夜に現場を通りかかった男性がスマホで撮影したものです。中央に写っている、この人影──まるで羽根が生えているように見えませんか?〉

 確かに、そう見えた。

 暗いうえに逆光なので分かりづらいが、頭部には大きなクチバシがあるように見えなくもない。

〈現地では、このような鳥型の〝怪人〟が、たびたび目撃されているそうです〉

〈怪人ねぇ。それと失踪事件と、どういう関係が?〉

 キャスターが、もっともな質問をした。

 台本うちあわせ通りのやりとりなのだろうが、アナウンサーは我が意を得たりといった調子で続ける。

〈この地方には『嫁盗よめとりガラス』という昔話がありまして。結婚前夜の花嫁がカラスの妖怪にさらわれるという、一種の神隠し伝説なんですが、この鳥型の怪人が目撃されはじめた時期と、失踪事件が起こりはじめた時期が一致することから、地元では「神隠しではないか」という噂が──〉

「……いつの間に、そんな都市伝説が?」

 伶人は反射的にツッコミを入れ、瑠姫の横顔に目をやった。


「神隠しねぇ」

 なにやら胡散臭うさんくさいが、狐仙きつね少女むすめの御主人様になってしまった彼なれば、その言葉を文字通りの意味に解釈したくもなるわけで……

「まさか、お前の知り合いの仕業なんてことはないよな?」

 軽い調子で水を向ける。

「娘をかどわかすような不埒ふらちな知り合いはおらんよ」

 瑠姫は笑って応えた。

 しかし、思うところがあるようで、いくらかけわしい顔になる。

「じゃが、ちと気になるな。あの怪人とやら、〝式〟かもしれぬ」

「式神? じゃあ、犯人は陰陽師だってのか? けど、今の時代に陰陽師なんて──」

 常識的な意見を言いかけて、伶人は気付く。

 その常識は、もはや通用しないのだと。

 瑠姫のような怪異あやかしがいるのなら、陰陽師がいても不思議はない。

 いや、きっと、いるのだろう。バラエティー番組で悪霊退治をやるような眉唾まゆつばじみたものではない〝本物〟の陰陽師が。

「悪事をはたらく方士とあらば、捨て置けぬな」

 瑠姫は番茶を飲み干し、腰をあげた。

「伶人、娘が消えた場所に案内してくれ。例の怪人とやらが式神なら、神気かみけ痕跡あとが残っておるやもしれん」

「ああ、いいよ。どうせ暇だし」

 伶人も神隠し事件には関心があったので、探偵ごっこには乗り気だった。

 けれど、

「──あ、でも、あの巫女さんみたいな格好じゃなぁ」

 そのことに気付いて、頭をかく。

 世間体には無頓着な伶人でも、巫女装束の女の子を連れだって街を歩くのは、さすがに気後きおくれする。

「悪いけど、出かけるのは後回しだ。服を買ってきてやるから、ちょっと待ってな」

「……わかった。いいじゃろう。わらわも当世の着物には興味があるでな」

 一瞬、釈然としない感じの瑠姫だったが、服を買ってもらうのは嬉しいようで、すぐ笑顔になった。

 一方、スマホのメモアプリで買物リストをつくりはじめた伶人は、ほどなく厄介な問題に突き当たる。

 下着も要る、ということだ。

(困ったな……)

 服や靴はともかく、ブラだのショーツだのを買うのはさすがに抵抗があるし、通販ネットで買うとしても、どんなものを選べばよいのか解らない。

瑠姫こいつに訊いたって解るわけないしな。……しかたない、あいつに頼むか)

 少し悩んだ末、伶人は幼馴染みの少女に助けをうことにした。

 瑠姫の存在をどう説明するかは苦慮するところだが、下手に言いつくろって妙な誤解をされるのも困る。

 この際、事実ありのままを告げるしかあるまい。

 そうと決めると、伶人はさっそく電話をかけた。



 それから十五分も経たないうちに、インターホンの呼鈴チャイムが鳴った。

「なんじゃ? 今の音は」

「さっき話した奴が来た合図だよ」

 そうだろうと思いながらも、伶人は念のためドアスコープで相手を確認する。

 見えたのは、ショートカットの少女の笑顔。

「よう。早かったな」

「ちーっす」

 ドアを開けると、来訪者は右手で軽く敬礼をした。

 マオカラーの白いブラウスに、ワインレッドのジャンパースカート──そんな良家のお嬢さん風コーデがよく似合っている少女の名は、日向小春ひむかいこはる。十九歳。

 伶人にとっては、もっとも親密な異性といっていい。

 この二人、傍目はためには恋仲ラブラブにも見えるのだが、どういうわけか結ばれず、友達以上恋人未満というラブコメじみた関係が続いている。

「悪いな、いきなり呼びつけて」

「んーん、全然。ちょうど試作品が完成したとこだったし」

「てことは、また奇妙なパンを持ってきやがったな?」

 伶人は渋い表情かおを作り、小春が持っているトートバッグをのぞきこんだ。

 小春の家は、カフェが併設されたパン屋を営んでいる。

 その家業を手伝いながらパン職人を目指している小春は、しばしば奇抜な創作パンを発明しては、伶人に試食させているのだった。

 伶人いわく人体実験なのだが、けっこう楽しんでいたりもする。

「──で、頼みたいことって、なに?」

「うん……まぁ、あがれよ。色々と説明しなくちゃならないことがあるんだ」

「……? お邪魔しまーす」

 なんだろうと思いながら、小春は伶人に続いて居間に入った。

 そこで思いも寄らないものに遭遇し、「あ……」と立ち尽くす。

「お客さん、来てたんだ」

 小春は暗に説明を求めた。が、台所でコーヒーをいれはじめた伶人は「客ってわけじゃないんだけどな」と、なにやら歯切れが悪い。

「えっと……こんにちは」

 困ってしまいながらも、小春はひとまず先客に挨拶をした。

 瑠姫は座ったまま会釈を返す。

「わらわは瑠姫と申す。ゆえあって伶人の世話になっておる」

「世話? ……あ、わたしは小春っていうの。伶ちゃんの幼馴染み」

「らしいな。さっき聞いた」

「──とりあえず座れよ、小春。お前の疑問には、ちゃんと答えるからさ」

 微妙な距離感──といっても小春のほうが戸惑っているだけだが──のある少女たちに、伶人はマグカップを手渡した。

 中身はインスタントのカプチーノ。小春の好みに合わせた選択だ。

「ふむ。見た目は泥水のようじゃが、甘くて美味いな」

 カプチーノは初体験の瑠姫だったが、口に合うようだった。

 そんな様子をまじまじと見ていた小春が、独り言のように言う。

「可愛いなぁ。もしかして、ハーフ?」

 白い髪に、紫の瞳──なのに肌の色や顔立ちは和風で、ひどく時代錯誤だけれど流暢な日本語をしゃべっている。そんな少女を日系の混血ハーフだと思ったのは、ごもっともだろう。

 それはさておき、この状況、小春としてはやはり心中穏やかではいられないものがあった。

 一人暮らしの男の部屋で寝間着みたいな格好をした少女がくつろいでいたら、邪推するなというほうが無理だろう。

 けれども直接的ストレートに問いただす勇気は持てず、小春は軽口に偽装して探りをいれる。

「伶ちゃん? こんな萌え萌えの美少女を、どこからさらってきたのさ」

「……いや、さらってきたわけじゃないし」

「まさか、いま流行りの少女誘拐? でもって拉致監禁?」

「物騒な四字熟語を並べるな」

「うわー、極悪非道。懲役十年だわ」

 小春はさらに不穏な四字熟語を並べ、これみよがしに肩をすくめた。

 無論、本気で誘拐などと思っているわけではないけれど、恋人にするには若すぎる少女が連れこまれているというシチュエーションは、どうにも怪しげでならない。

「だから、違うんだって。こいつは──」

「あ~あ。長い付き合いなのに、伶ちゃんがロリコンだったなんて知らなかったなー」

「人の話、聞く気ある? つーか聞け」

「うん。聞いてあげるから、素直に白状なさい」

 小春は正座をし、姿勢を正した。

 その視線を真正面から受け止めつつ、伶人は灰色の脳細胞を総動員して考える。

 しかし、人並み以上に豊かな伶人のボキャブラリーをもってしても、あまりに現実離れした現実に説得力のある講釈はつけられず、

「こいつ、狐なんだよ」

 いきなり核心を告げるしかなかった。

 当然、小春は速攻で問い返す。

「狐って、動物の?」

「そう」

「油揚げが大好きな?」

「うん」

「襟巻きになったりする?」

「狐イコール襟巻きって発想はどうかと思うけど……ま、いいか」

「……どう見ても、美少女なんですけど」

「妖怪なんだよ、狐の。それが人間に化けてるの」

「はぁ?」

 さすがに小春は当惑した。

 冗談でしょ? と言いたいが、ギャグにしてはつまらないし、嘘をつくなら、もっと真実味のある設定を考えるだろうとも思う。

 でも──

「妖怪、ですか……」

 やはり鵜呑みにはできず、「うーん」と考え込んでしまうのだった。

 そこで伶人は一計を案じ、瑠姫にほのめかす。

「なぁ。お前さ、狐の姿に戻れないのか?」

「戻れるが……? ああ、なるほど。そういうことか」

 意をくんで、瑠姫は立ち上がった。

 その体が青白い炎を放ちながらしぼんでいき──真っ白な狐となる。

 それを見て、小春は「あ……?」と固まった。

 思考回路がフリーズしたようで、何故か呼吸まで止まっている。

「な? 狐だろ?」

「うん。狐だね」

 伶人の問いに応えはするも、小春に会話をしているという意識はなさそうだった。

 しかし、やがて目の前の現実を認知すると、とたんに興味がわいてきたようで、

「嘘みたい。本当に狐さんなんだ。触ってもいい?」

 お座りしている瑠姫に手を延ばし、そっと頬のあたりを撫でた。

 瑠姫はされるがまま、気持ちよさそうにしている。

 狐は警戒心の強い動物だが、ひとたび人に慣れれば愛玩犬のようになつっこいところがある。瑠姫も例外ではないようだ。

「あは、可愛い。真っ白で、もふもふで、ぬいぐるみみたい」

「……なんか冷静だね、お前。もっと大騒ぎするかと思ったけど。つーか驚くだろ、普通」

「驚いてるよ。でも、どっちかというと感激って感じかな。だって狐さんだよ? すごくない?」

「まぁ、すごいというか、なんというか……」

 よくわからない感想に苦笑いしながら、伶人はカプチーノを口にした。

 つられてか、小春もマグカップに手を伸ばす。

 そんな二人を横目に、瑠姫は手刀てがたなを切るような動作をはじめた。

 なにしてるの? と小春が訊ねようとするや、瑠姫は揺らめく炎と化し、すらりとした少女の姿になる。

「わお!」

 小春は歓声をあげ、手を叩いた。……が、どういうわけか瑠姫が全裸であることが、その感動を瞬時に吹き飛ばしてしまう。

「──って、なんで裸!?」

「あう? ……しまった、術をしくじったか」

 足下に霊符が落ちているのを見て、瑠姫は顔をしかめた。

 霊体たまらみ化していた浴衣を実体化すべきところを、あやまって霊符にしてしまったのだ。

「わらわとしたことが、勘が鈍っておるのかの」

 惜しげもなく肌をさらしながらも、瑠姫は平然としていた。

 むしろ小春のほうが大慌てで、

「こら! 見るな! エッチ!」

「──んぶっ!?」

 座布団代わりのクッションをひったくり、伶人の顔面に命中させる。

 ひっくり返った伶人が溜息をついて起きあがると、瑠姫はすでに浴衣をまとっていた。

 その変身を見て、小春は感嘆の息をつく。

「魔法少女かぁ。すごいね。けど、なんで着物なの? 伶ちゃんの趣味?」

「違うよ。こいつ、着物しか持ってないんだ。それじゃ困るから、服を買ってやろうと思って、お前を呼んだわけ。下着とかも要るからさ」

「なるほどね。いいよ、任せて。最高に可愛い服、選んであげる」

「んじゃ、さっそくで悪いけど、買い物、付き合ってくれや」

 伶人は立ち上がり、ズボンの尻ポケットに財布が入っていることを確認した。

 小春も「うん」と腰をあげるも、膝立ちになったところで静止する。

「待って、伶ちゃん。サイズ、わかってるの?」

「百四十五センチってとこだろ? 計っちゃいないけど」

「ちゃんと計らなきゃダメだよ。ブラのサイズとかもあるんだから。メジャーある?」

「ああ。確か裁縫箱に──」

 伶人は寝室から裁縫箱を持ってきた。中学時代に家庭科の授業で使っていたものだ。

その中からメジャーを取り出し、小春に投げてやる。

 小春はメジャーを受け取ると、何故かトートバッグの中身を出しはじめた。

「瑠姫ちゃん、ちょっと立ってくれる? でもって伶ちゃんは──」

「──は?」

 小春は伶人の頭にトートバッグを被せた。

 そのまま微動だにせず、「これは何の罰ゲーム?」と伶人。

「スリーサイズは乙女の秘密でしょ? いいって言うまで、そうしてなさい」

「……了解。さっさと、やっちゃって」

「じゃあ、瑠姫ちゃん。前を開いてくれる? 寸法、計るから」

「うむ。──さん!」

「わあっ!?」

 帯を解こうとする瑠姫だったが、面倒だとばかりに浴衣を消し去ってしまった。

 いきなりのセミヌード(下帯は着けている)に面食らうも、小春は「まぁ、計りやすくていいか」と採寸にとりかかる。

「んーと……トップが75だから、サイズはBの65だね。でもってウエストは──」

 そうして、いちいち読み上げていたら、乙女の秘密も何もあったものではないのだが……

 伶人はツッコミを入れたい衝動を抑え、沈黙を守った。



 その後、伶人と小春は近くのイオンで瑠姫の衣類を買いそろえた。

 帰りの車中、伶人は事態こと経緯いきさつを小春に説明する。

 奇妙な夢のこと、知方珠しるべのたまのこと、子守山での遭遇のこと、瑠姫が狐仙であり式神でもあること、自分が瑠姫を式神にした巫女の子孫らしいこと──

「ふーん。不思議なことって、あるんだねぇ」

 それが、すべてを知った小春の感想だった。

 その不思議をすんなり受け入れているのは、脳天気だからではない。

 実はさとい少女だからこそ、頭ごなしに「ありえない」と否定することなく、事実を事実として認知できるのである。

 もっとも、その目で瑠姫の変化へんげを見ていなければ、到底信じられる話ではなかったろうが。

「にしても、まさか妖怪を居候させることになるなんてなぁ」

「ふふっ。伶ちゃん、密かに嬉しいとか思ってない?」

「別に。面白いとは思ってるけど」

「またまたぁ。可愛いじゃん? あの子。実は伶ちゃんの好みのタイプだったりして」

「そういう趣味は、いかがなものかと」

「ふーん。あんな美少女のヌードを見ちゃっても、君は紳士でいられるのですか?」

「いられないと大問題だろ。だいいち、あんなチビッコに何をしろと?」

「あら、やだ。レディーにそういうこと訊きます?」

「レディー? そういや女子だったな、お前。忘れてたわ」

「それ酷すぎ。屈辱だ」

 小春は怒ってみせ、伶人の肩を小突いた。

 二人はいつもこんな調子で、つかず離れずの絶妙な関係を維持している。

 といっても、プラトニック・ラブとかいう純文学的な愛を信望しているわけではない。

 妙に居心地がよい今の距離感に安住してしまい、どちらも踏み込めずにいるのだ。

 そんなもどかしい男女の前に現れた瑠姫という存在が、やがて小春に彼女らしい決断をさせることになるのだが──

 それは、もう少し先の話である。


   ◆   ◆   ◆


 伶人たちがアパートに戻ると、瑠姫はマンガを読んで暇を潰していた。

 小春はさっそく瑠姫の手をひいて寝室に連れていき、「のぞくなよ」と言いおいてアコーディオン・カーテンを閉める。

 もとより、のぞく気などは無かった伶人だけれど、


「──パンツ、どれがいい?」

「それは下帯なのか? わらわには、ちと小さすぎるように見えるが」

「伸びるから大丈夫だよ。穿いてごらん」

「……おお、本当じゃ。伸びるな」


 そんな会話が漏れ聞こえてくれば、気にはなる。

 

「次はブラね。カップのと、ハーフトップと、どっちがいい?」

「むー……よく分からんから、そなたに任せる」

「そっか。昔は、こういうの無かったんだもんね。ということは初ブラなわけだから、スポブラがいいかな。じゃ、これ、着けてみて」

「これは……どうやって着るのじゃ?」

「頭から被るの。そうそう。で、上から手を入れて、脇のお肉を前に寄せてあげるの。ブラは正しく着けないと、おっぱいの形が悪くなっちゃうから、気をつけてね」

「うむ。これでいいか?」

「もうちょい、しっかり寄せたほうがいいかも。やってあげようか?」

「うん。頼む」

「では、失礼して──痛くない?」

「痛くはないが……なぜ、そんなにねる? そうするものなのか?」

「あはは! ごめんね。なんか、たまんなくて、この感触。弾力ありすぎなんだもん」


「──小春のやつ、なにやってんだか」

 ちゃっかり聞き耳を立てていた伶人は、軽く吹き出しつつ、小春が持ってきた創作パンを手にとった。

 見た目からしてカレーパンかと思いきや、中身はなんと回鍋肉ホイコーロー

 しかし、これが意外にも美味かった。

 最近の〝作品〟の中では、まともな部類だろう。

 そいつを味わいながら、待つこと数分──

「じゃーん!」

 小春の効果音ファンファーレとともにアコーディオン・カーテンが開かれ、初めての洋服に身を包んだ瑠姫が登場した。

 グレーのジップアップパーカー、黒いサブリナパンツ、ピンクのハイソックスという格好だ。パーカーの胸元はあえて開き、ピンクのカットソーを差し色アクセントとして見せている。

「どうじゃ? 似合うか?」

「まぁ、悪くはないかと」

 彼なりの表現で賛辞を送る伶人に気をよくし、瑠姫はくるりと一回転ターンしてみせた。

「当世の着物は動きやすくていいな。この格好なら、出歩いてもよかろう?」

「ああ」

「では、行くとしようか」

「──お? さっそくデートですか? お二人さん」

「まぁな」

 すかさず茶化してきた小春を軽くいなし、伶人は立ち上がる。

「こいつがさ、失踪事件のあった公園を見たいって言うもんで」

「それって例の神隠し?」

「うん。お前も来るか?」

「んー……興味はあるけど、やめとく。午後から店番だし」

「そっか。なら、ついでに送ってやるよ。車で行くから」

「ついでに、ですか」

「なにかご不満でも?」

「いえいえ。滅相もない」

「──ほれ、お前たち。じゃれておらんで、行くぞ」

 さっさと玄関に出ていた瑠姫に急かされ、伶人と小春は苦笑いを見せ合った。



【つづく】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る