第1章『月華の瑠姫』①
五月にしては強い陽射しが
それを追うように、伶人は真っ赤な軽トラックを走らせていた。
服装は、今朝もみた不可思議な夢の中の自分と同じ。
もちろん勾玉のペンダントもしている。
ために向かうは子守山。
市街の西のほとりにある、標高三百メートルほどの里山である。
その北東──すなわち鬼門の方角にあるのが
二百五十年ほど前に当地の
地神の霊地とされる子守山を
やがて、その貫木神社に到着した伶人は、駐車場に車を置き、
(神の
そんなことを考えながら、境内へと導く細長い参道を歩き始めるのだった。
◆ ◆ ◆
ここは
御巫伶人は、この人口十五万人ほどの
三ヶ月前までは大学生だったが、今は無職も同然。それでいて気ままな一人暮らしを満喫しているさまは、
といっても親の脛をかじっているわけではない。
かじっているのは、亡き祖父の脛。
思いがけず頂戴した遺産が、生活費を稼いでくれるのだ。
御巫家といえば、地元では知る人ぞ知る旧家で、いくつものビルやアパートなどを所有する資産家一族でもある。
その当主たる伶人の祖父の遺産は当然、かなりの額であった。
これが二時間ドラマなら、相続をめぐる骨肉の争いになるのだろうが──そんな醜い
おかげで伶人が
そいつの管理を親族の会社に
それをよいことに大学をやめ、自他ともに認める〝高等遊民〟となったのは、
中学生のころから、ひそかにそんな想いを抱いていたのだ。
俗に〝作家は読者のなれの果て〟などといわれるが、伶人なぞはまさにその予備軍で、手当たり次第の
様々な学問や
ふと興味をひかれた
そんな
それが自身の〝血〟に仕組まれていた
◆ ◆ ◆
「奮発したんだから、それなりの御利益はありますように……と」
伶人は賽銭箱に五百円硬貨を放って参拝すると、振り返って境内を見回した。
この貫木神社は、子守山を取り巻く雑木林をくりぬくようにして建てられている。簡素な
本殿が無いのは子守山そのものが神体だからで、その
「さて、行きますか」
誰にともなく宣言し、伶人は境内の
参道を正面にすえて左右に目をやると、どちらにも子守山の裾野をめぐる林道の入口が。
「こっち、だよな」
夢の中の小道は時計回りだったので、ここは当然、子守山を右手に置くルートを選ぶ。
とくに自然を
「──道の雰囲気は夢と似てるな。やっぱり、ここなんだろうか」
右に
「
ふと、その勾玉の名が脳裏をよぎり、思いをめぐらす。
(にしても、爺ちゃんはどうしてこんなものを俺にくれたんだろうな……)
御巫家には、『
七歳になった子供に勾玉を授けて縁起を祝うという、一般の七五三に類する通過儀礼だ。
通常、男児には水晶の、女児には
どうやら祖父の意向で、そういうことになったらしい。が、
(お前が真実を知るべき人間なら、いずれ分かるときがくるだろう、とか言ってたけど……)
その予言めいた言葉の真意は謎。
訊きたくとも、祖父は半年前に逝ってしまった。
気になって調べてみたところ、〝
確かに、あの奇妙な夢は、こいつが何かを
「──夢のお告げ、なんて発想はオカルトだよなぁ」
伶人は失笑すると、らしくもない方向に
歩きはじめてから十分はたっている。そろそろ捜し物が見つかってもいい頃合いだ。
そう思ってから更に数分、いくらか湿った土を踏みしめて歩いてゆくと、
(──ん?)
緩やかな右カーブを描いている小道の先に、期待していたものが現れた。
山のほうへと向かう、細い枝道だ。
「これか? 夢のは、もう少し太い道だった気もするけど……行ってみるか」
いぶかしく思いながらも、伶人はその道をたどってゆく。
すると、百メートルほど進んだところで、
「鳥居……!」
木々の群れに潜むようにして立つ、小さな石造りの鳥居が見えてきた。
(てことは、この上に──)
逸る気持ちを押さえきれず、伶人は百段はありそうな石段を駆けあがる。
「──!」
息を切らして登りついた先に待っていたのは、かの夢の風景だった。
山桜に囲われた広場、その奥へと導く
あるべきモノは、すべてある。
あえて不足を指摘するなら、桜が咲いていないことだけだ。
「……間違いない。ここだ」
伶人は額の汗を拭いつつ、あらためて辺りを観察した。
「やっぱり、俺はこの場所に来たことがあるんだな」
その体験が夢としてあらわれている、という仮説は
幼いころ、祖父に連れられて、この場所を訪れた。おそらくは女の子と一緒に──
きっと、そういうことなのだろう。
あの夢に祖父は出てこないが、形見とも思える知方珠を祖父の象徴と解釈すれば、ちょっと強引だけれど
そして、一緒にいた女の子が〝光の少女〟の正体というわけだ。
してみると気になるのは、その女の子である。
幼いころに身近にいた女の子といえば、思い当たるのは二人。
自分を弟のように可愛がってくれている
(……違うな)
どちらも、いまいちピンとこなかった。
二人とも家族のように
彼女たちが夢に出てくるとしたら、光の少女などという
なら、いったい誰なんだ?
「…………ダメだ。わからん!」
いくら記憶をまさぐっても、それらしき人物は浮かんでこず、伶人は
「まぁ、昔のことを何もかも憶えてるわけじゃないしな」
実も蓋も無い言いざまだが、行き詰まった思考では堂々巡りになるだけだろうから、ひとまず疑問を棚上げし、別の物へと関心を移す。
でかい神棚といった
夢の内容からすると、これもまた
社号や祭神を示すものは見あたらないが、おそらく貫木神社に付属する末社か何かなのだろう。この街には
いずれにしろ、一般的な注連縄ではなく輪注連が張られているあたり、何か特別な
それを探るためにも中を見てみたいところだけれど、扉を開けることはできそうになかった。
扉には四つの
いくらなんでも、輪注連を断ち切るわけにはいくまい。
「やっぱ無理だな。何の神様か知らないけど、挨拶くらいはしておくか」
伶人は
(あの夢みたいな出来事が起こったりしないもんかな)
そんなことを考えてしまう自分がおかしくて、軽く吹き出しながら柏手をうつ。
だが、その音が妙に大きく
それは起こった。
「なっ……!?」
知方珠が脈を打つように輝きはじめたのだ!
「光ってる!? うそだろ、おい!」
たじろぐ伶人の周囲に風が巻き、木の葉が舞う。と同時に知方珠から細い光が放たれ、それに射抜かれた社の輪注連が焼失。おのずと扉が開き、中から白い輝きがほとばしる。
「マジかよ、こんなことって──うわっ!」
強烈な光の奔流に突き倒されるように、伶人は尻餅をついた。
その頭上に光が集まり、凝縮され、音もなく炸裂する。
反射的に目を閉じてもなおまぶしいほどの閃光が飛び散り……風がピタリと止んだ。
一瞬の静寂のあと、我に返ったように木々がざわめく。
「……いってぇ……何だったんだ? 今のは」
転んだはずみでぶつけた右肘をさすりつつ、伶人は瞼をこじあけた。
すると、目の前になにやら白い塊が──
(……?)
まだ光の残効が残っている目をこすって見ると、それは一匹の動物だった。
中型犬ほどの大きさの、純白の四足獣だ。
「──犬?」
「む……犬とは失敬な。
ガラス細工のような紫色の瞳を細めて、その獣が言った。
「狐?」
伶人は無意識に問い返し、見つめる。
よく見れば、その雪色の獣は犬よりも
真っ白とは珍しいが、言われてみれば確かに狐のようだ。
「なんで、こんなところに狐が……あ? 誰だ?」
ここでようやく会話していることに気づき、伶人は驚いて周囲を見回した。
──が、誰もいない。
いるのは、澄まし顔でお座りしている、この白狐だけ。
「お前さ、今……しゃべった?」
無論、それは
なのに──
「ん? わらわの他に誰ぞおるのか?」
あろうことか、そいつはさも当然といった顔で口を利くではないか。
「……ははっ! しゃべってるよ。狐が」
あまりにもふざけた出来事に、伶人は笑ってしまった。が、すぐさま持ち前の好奇心が起動し、この不思議の解析にとりかかる。
とりあえず思いついた仮説は三つ。
あるいは、やけにリアルな
それとも──
(現実……か)
常識的に考えるなら、そんな選択肢を用意すること自体、馬鹿げているだろう。
けれども伶人の直感は、そのナンセンスな可能性を排除させなかった。
ありえないと決めつけることをためらわせる何かが、
たとえるなら、旧知の人の名前を度忘れしてしまって焦れったいような……そんな感覚に近い。
「……なんなんだ? お前」
「おお、それは知方珠ではないか」
困惑しきりの伶人をよそに、狐は彼の胸元の勾玉に鼻を寄せた。
「この
「一族? うん、まぁ、そうだけど……?」
「そうか。よく来てくれた。逢えて嬉しいぞ」
狐は伸びあがって、伶人の口元をぺろりと舐めた。
「うわ……! よせよ。よく来てくれたって、どういうことだ? てゆーか、お前……なに?」
「──? 御巫の一族のくせに、わらわを
「そう言われても、狐の知り合いはいないなぁ」
いかにも彼らしい物言いで、伶人は首をひねった。
その様子に、狐もまた首をひねる。
「どうやら本当に識らぬようじゃの。ま、よいわ。こうしてわらわを起こしたからには、そちが新たな
「
まったく理解できない話だった。
まさしく狐につままれたような心地である。
「あのさ、ワケがわからないんだけど……」
「話はあとじゃ。まず、やらねばならんことがある。それを貸してくれ」
「それって、これ?」
伶人はあぐらを組み、狐が鼻先で指し示した知方珠をつまみあげた。
「ああ、
「へんげ?」
「さぁ、その勾玉をここに置いてたも」
「……これで、いいのか?」
要求の意図がつかめないまま、伶人は狐の前に知方珠を置いてやる。
すると、狐は前脚で空中に文字を書くような仕草をし、なにやらつぶやきはじめた。
「
その
この世の森羅万象を『天』『地』『人』という三つの属性の相関関係になぞらえ、その各属性に『陰』と『陽』の極性があるとすると、あわせて八種類の
それが八卦。易の哲理にもとづく、世界の
漢代末期に記された『
それは現在の科学では説明できない、霊的なエネルギーの
狐は今、その〝八門〟をめぐる霊験の流れを読み、知方珠を触媒として汲み上げているのだった。
言うまでもなく、それは魔法とでも呼ぶべき技にほかならない。
「いざ解かん、
短歌のような呪文で方術が完成すると、狐の全身から青みがかった光が噴きあがった。
燃えさかる炎のようにも見えるが、熱気は感じられない。
「な……!?」
目の前の
青白い炎の繭の中で、狐の体が別のかたちに変わりはじめたのである。
そして数秒後──白い狐は、生まれたままの姿の少女になった。
小柄ながらも女性らしい
その端正な顔立ちや肌の色は日本人的だが、しっとりとした長い髪は純白で、つぶらな瞳は透き通るような紫。知方珠と同じ色だ。
「ふむ……
ついさっきまで狐だった美少女は、ぺたんと座ったまま、満足げに自分の手足を見回した。
素裸だというのに、初々しい胸の
だからといってガン見するのはデリカシーに欠ける行為だろうが、伶人はつい、コーラルピンクの小粒が乗った丸っこい
その
「なんじゃ? 吸いたいのか?」
「は? あ、いや……ごめん」
「ふふっ!
伶人が慌てて目をそらすと、少女は笑って
しかし、見せまいとしたわけではないようで、すぐにその手ブラを外して立ちあがる。
気配が離れてゆくのを感じた伶人がためらいがちに視線をやると、少女は
その丸い
こいつ、いったい何物なんだ──?
(……妖怪?)
真っ先に浮かんできたのは、やはり、その単語であった。
狐は稲荷の
となれば、
だとすれば、それは、
「やっぱ、妖怪だよな。
が、それは根本的な
今、欲しいのは、そんなものがここにいるという事実を学術的に説明してくれる知識なのである。
しかし、博学強記たる伶人の脳内データベースにも、そんな情報は見あたらず、
「なんだかなぁ……」
あきらめて思考を打ち切り、知方珠を拾いあげた。
そこに少女が戻ってきて、首をかしげる。
「何をブツブツ言っておる?」
「ん? ──!?」
反射的に顔をあげた伶人は、そのまま硬直した。
ちょうど目の高さに、まったく
心ならずも
結果、見つめ合う格好になり、少女は「ん?」と微笑みを傾ける。
見ると、その手には社から持ち出したDVDほどの大きさの手鏡と、数枚の短冊のような紙片が。
それらが気になる伶人だったが、
(少しは隠せよ……)
いかんせん、目の前に
まだ〝毛〟も生えていない
事実、彼の男子たる部分は正直な反応を示しているのだから……
もっとも、それは若さゆえの不可抗力というもので、別に邪念は無いのだけれど、
「あー……とりあえず、これ、着なよ」
とにかく、このままでは居心地が悪いので、伶人は自分のシャツを提供しようとした。
しかし少女は、
「いや、よい。着物ならある」
紙片には
「着物って、どこに?」
「まぁ、見ておれ。
戸惑う伶人に笑みをくれつつ、少女は短い呪文を唱えた。
途端に紙片が燃えあがり、青白い〝炎〟が少女にまとわりついたかと思いきや、衣服が出現する。
赤い
「どうじゃ?」
「……魔法、だよなぁ。どう考えても。もう、なんでもありって気がしてきたよ」
得意げに袖を広げてみせる少女に、伶人は
紙片から着物が生成されたのは驚くべき現象だが、なにせ
「さて、これはもう用済みじゃが、かといって捨てるのももったいないの。影にしまっておくとするか」
少女は手鏡の縁を撫でながら言った。
そうして「
消滅したのではない。いわば霊的な状態に変換され、少女にとりこまれたのだ。
「今の鏡、あの社の中にあったのか?」
「ああ。あれは
「眠ってた? もしかして封印されてた、とか?」
「いや、そうではない。
「つまり、閉じこめられてたわけじゃなく、閉じこもってたってことか」
「うむ。──それにしても、そちはえらく珍奇な
少女は唐突に話題を変え、値踏みするように伶人の全身を眺めた。
「そうか? まぁ、多少は特徴的かもしれないけど、珍奇ってほどじゃないだろ」
「ふーん」
伶人のミリタリー系のファッションが、少女にはひどく奇抜に見えるらしい。
その様子から、彼女が今という時代を知らないことがうかがえる。
「どうやら、お前、かなり長いこと眠ってたみたいだな」
「……さてな。わらわにとっては
「百年ねぇ。どっかのお姫様みたいな口調からして、もっと昔の人間……じゃなくて狐か……だと思うんだけどな。お前が眠りについたのって、いつのことなんだ?」
「享保の三年……いや、四年じゃったかな。はっきりとは解らぬ」
「元号で言われてもピンとこないな。えーっと、享保の改革は吉宗のころだから、江戸時代の中頃か。てことは、お前、三百年ぐらい眠ってたんだな」
「三百年? むー……それは、ちと寝過ぎたの」
冗談のような台詞を真顔で言って、少女はうなじをかいた。
どうやら彼女にとっても予想外に長い眠りだったようだ。が、あまり驚かないところをみると、ちょっと寝坊した程度の感覚なのかもしれない。
「ところで、まだそちの名を聞いておらなんだな」
「俺は伶人。御巫伶人だよ」
「わらわは
狐の少女──瑠姫は、大きな瞳をアーモンド型にして微笑んだ。
そして、その人懐っこい笑顔のまま踵を返し、肩越しに伶人を見やる。
「では、参ろうぞ」
「参るって、どこに?」
「そちの屋敷に決まっておろうが」
「マジで? って、おい! 待てよ!」
あわてる青年を後目に、少女はさっさと歩き出す。
その背を追いかけながら、伶人はようやく気付くのだった。
(もしかして、あの”光の少女”は、こいつなのか? 爺ちゃんの言ってた真実って、このことだったのか──!?)
【つづく】
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