狐仙奇譚~目覚めるモノたち

黒崎かずや

序章 『夢か現か』

 御巫伶人みかなぎれいとは、霧のたちこむ雑木林の中を歩いていた。

 オリーブ色のカーゴパンツにミリタリー風の黒いシャツという服装で、胸元には澄んだ紫色の〝勾玉〟が。その一風変わったペンダントを除けば、普段いつもの彼らしい格好スタイルだ。

 鬱蒼とした木立ちに敷かれた小道は、緩やかな右カーブを描きつつ、三十メートルほど先で霧に呑まれている。

 その白く霞んだ景色を見据え、伶人は黙々とを運ぶ──


 しばらく進むと、細い道が右にわかれていた。

 それが当然の選択であるかのように、伶人は迷わず枝道へ。

 やがて石造りの鳥居があらわれ、そこから先は急な石段になっていた。

 石段を登るにつれて霧が晴れ、木洩こもれ日が降ってくる……


 ほどなくたどり着いたのは、今を盛りと咲き乱れる山桜に囲われた空間だった。

 広さは学校の教室ほどで、ならされた地面にはまるい飛び石が置かれている。

 それらが導く先に、白木造りの小さなやしろが鎮座していた。

 それは神棚のような様式かたちで、観音開きの扉にはわらまるく編んだ輪注連わじめが掛けられている。

 よくると、輪注連は四つのかん(金属製の)で固定され、扉には護符のようなものが貼られてもいた。

 さも意味ありげな封印だ。

 それが妙に気にかかり、伶人は社に近づこうとする。


 そのとき、不思議なことが起こった。

 胸元の勾玉が淡い光を放ちはじめたのだ。

 そして、次の瞬間──


一陣の風が渦を巻き、伶人は散り舞う桜花にくるまれた。

 その花吹雪が空にぜるや、さらに輝きを増した勾玉から一条ひとすじの光が走り、社の護符をる。

 すると、護符と輪注連が炎をあげて消え失せ、ひとりでに開いた扉の奥から白い光が溢れてきた。

 その光輝きらめきが伶人の前に集まり、乳白色の像を結んでゆく……


 蜃気楼のように揺らぐは、あきらかにヒトのかたちをしていた。

 なめらかな曲線で構成された輪郭シルエットからすると、女の子のようだが──


   ◆   ◆   ◆


「──またか」

 はっ、と目を覚ますなり、伶人は溜息混じりにつぶやいた。

 身をよじって枕元の時計を見ると、時刻は午前八時をすぎたところ。

 登校も出勤もする必要が無い身分なので、好きなだけ惰眠を貪っていられるのだが、かといって二度寝を決め込む気分でもなく、頭をかきながらベッドを降りる。


「また、あの夢……」

 伶人は寝室のカーテンを開けると、窓際に置かれた机のへりにもたれ、電子タバコをくわえた。

 起き抜けの乾いた喉に染みるメンソールが心地好ここちよい……

「……なんなんだ?」

 細く水蒸気けむりを吐きつつ、伶人は思案に沈んだ。


 霧にけむる雑木林を歩いて小さなやしろに行き着き、少女をかたどる不思議な光に遭遇する──

 そんな夢をみて目を覚ましたのは、これで何度目だろう。

 そもそも夢というものは、雑多な記憶の断片かけらが継ぎ合わされた心象風景イメージのはず。

 えてして荒唐無稽でたらめな幻想も入り交じるが、それもまた自身の経験的概念から生まれたものであるはずだ。

 けれど──

 あの神棚のような社には見覚えが無い。

 いや、あるのだろうが、思い出せない。


 ということは、無意識の領域にしまいこまれた幼少期むかし記憶おもいでなのか?

 だとすれば、あの〝光の少女〟は何かしらの幼児体験の暗喩メタファーなのかもしれない。

 夢の中の自分は今現在の姿だから、今の自分の視点で過去を追想リプレイしているわけだ。

 そして、かくも思わせぶりな現象を引き起こしているのは──


「──これか」

 伶人は机の上の小さな標本箱アクリルケースに目をやった。

 中には、紫水晶アメジストの勾玉を革紐でくくった素朴なペンダントが。

 それは七歳の誕生日に祖父から贈られたもので、御巫家に代々伝わる宝珠おたからなのだという。

 綺麗だからこうして飾っているけれど、本来なら実家の神棚にでも供えておくべきものだろうから、普段身につけて歩くことはない。

 なのに夢の中では必ずこれを身につけていて、いかにも意味ありげな現象をみせているのである。

 それは、つまり──


「──こいつが夢の謎を解く鍵、ってことだよな」

 伶人はケースから勾玉を取り出し、窓越しの朝陽にかざした。

「ひょっとして、俺は何かを思いだしかけてるのか? この勾玉に関係する、何かを」

 もし、それが幼いころの記憶であるのなら、雑木林というロケーションで思い当たる場所は一ヶ所しかない。


「──とすると、あれはやっぱ子守山だろうな」

 御巫家の私有地である、郊外の里山だ。

 あそこなら小さいころから何度も行っているし、いわゆる霊域とされる場所なので、社祠しゃしの類が存在する可能性も高いだろう。

 あの〝光の少女〟に象徴される記憶──思い出すべき〝何か〟が、そこにあるのか?

「……行ってみるか」

 伶人は、その〝何か〟を探してみることにした。



 のちに彼自身が『奇譚』と名付けることになる数奇な物語は、そこからはじまる。



【つづく】

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