第1章『月華の瑠姫』②

「なんじゃ、この町は。なにもかも石で出来ておるのか?」

 貫木かんのき神社の駐車場につくなり、瑠姫るきは目を丸くした。

 アスファルトの舗装やコンクリートの建物は、もちろん彼女の知識には無い。

「ちょっと見ぬ間に、こうも世の中が変わっていようとはな」

「ちょっとって……お前、三百年も眠ってたんだろ?」

 それを「ちょっと」と言ってしまう感覚に呆れつつ、伶人は車に乗るよう促した。

 その赤い軽トラックを見て、瑠姫はまた不思議そうな顔をする。

「こいつに乗れと?」

「は? あ、そっか。自動車くるまなんて知らないわな」

ぐらい知っておるわ。見たところ山車だしか何かのようじゃが、そちがくのか?」

「まさか……ほら、乗りなよ」

「うむ」

「──いや、そうじゃなくて」

 瑠姫が荷台によじ登ろうとしたものだから、伶人は咄嗟に彼女の奥襟をつかんだ。

 引きずり降ろそうとしたつもりはないが、結果的にそうなり、瑠姫は尻餅をついてしまう。

「なんじゃ! 乗れと言ったであろうが」

「ここに乗るんだよ」

 伶人は助手席のドアを開け、膨れっつらで抗議する瑠姫に座席シートを指し示した。

「……なら、最初からそう言え」

「いや、まさかあんなボケをかますとは思ってなかったんで」

 文句を言いながら助手席に座った瑠姫にシートベルトをつけてやり、伶人は運転席へ。

 エンジンをかけ、軽くアクセルを吹かすと、瑠姫は不安げに肩をすくめた。


「……? こいつ、唸っておるぞ……?」

「怖がらなくても大丈夫だよ」

「怖いわけではない。……ちと驚いただけじゃ」

「ふーん。じゃ、今度はもっと驚くかもな」

 ちょっとした悪戯気分で、伶人はわざと勢いよく車をバックさせる。

「はうっ──!?」

 案の定、瑠姫は小さな悲鳴をあげ、両の拳を口元に引き寄せた。が、次の瞬間には新しい玩具を見つけた子供のような表情になり、車を転回させる伶人のハンドルさばきをじっと見つめる。

「なるほど。その丸いもので舵をとるのか。こんな乗り物を自在に操るとは、面白い術じゃな」

「術? いや、こいつは魔法とかで動いてるわけじゃないよ」

「方術でないとすれば、なんなのじゃ?」

科学技術テクノロジー、なんて言っても解らないよな。昔の言葉で言うと、からくり、かな」

「ふーん。ゼンマイ仕掛けで走り回るネズミの玩具おもちゃを見たことがあるが、これもそういうカラクリなのか? こんな大きなものを動かすとなると、さぞかし大きなゼンマイなのじゃろうな」

「ははっ! ゼンマイなんか入ってないよ。チョロQじゃあるまいし」

「ゼンマイも無しに動くのか? 面妖な……」

「俺にしてみりゃ、お前のほうがよっぽど面妖だけどなぁ」

 しみじみと言ったところで、車は道路に出る。

 片側二車線の市道を行き交う自動車たちを見て、瑠姫は歓声をあげた。


「おお! カラクリぐるまがこんなに! 今は誰もがこんなものを持っておるのか? わらわも欲しいぞ。やはり値が張るのか?」

「残念だけど、お前には無理だよ。子供は免許をとれないから」

「免許? なるほど。免許皆伝の腕前と認められねば、使えぬのか。どこで修行すればよいのじゃ?」

「修行ね。まぁ、自動車学校に通うのも修行っちゃあ修行かもな」

「じどうしゃがっこう……そこに行けばよいのじゃな?」

「行ったってダメだよ。子供は免許をとれないんだから」

「むー……わらわは子供ではないぞ」

 瑠姫は唇をとがらせた。

 子供ではないと言っているわりに、その反応はいかにも子供っぽい。

「そうなのか? どう見たって中一かそこらだけどな。お前、何歳いくつなんだ?」

怪異あやかしに転ずる前のことは憶えておらんが、少なくとも百は超えておるはずじゃ。鳥獣は百年の時をへてというからの」

「じゃあ、眠ってた時間も含めると四百歳以上ってことか」

 伶人は呆れたが、驚きはしなかった。相手は人間ではないのだから。

(けど、まぁ、実年齢はどうあれ容姿みため精神年齢なかみ十代前半ローティーンの女の子なんだから、そのつもりで接すればいいのかな)

 そんなことを思いつつ、伶人はちらりと助手席となりに目をやった。

 すると、瑠姫は興味津々の顔でハンドルを指さし、妙に甘ったるい声で言ってくる。

「なぁ? ちょっとでよいから、わらわにも、をやらせてたも?」

「だーめ。子供の玩具じゃないんだから」

「子供ではないと言っておろうに」

「だったら、子供みたいなワガママ言わないの。な?」

「む……意地悪」

 瑠姫はまた唇をとがらせた。

 しかし駄々をこねはせず、気を取り直して車内を観察しはじめる。

「絵図が動いておる……これはなんじゃ?」

「それはカー・ナビゲーション。略してカーナビ。道を教えてくれる機械だよ」

「かぁなび……これもカラクリか?」

「うん。まぁ、そういう解釈でいいんじゃないかな」

 それからしばらく、「これはなんじゃ?」と「あれはなんじゃ?」の波状攻撃が続いたが、伶人は辟易うんざりすることもなく、できるだけ解りやすいように教えてやった。

「──今の世の中は、カラクリだらけなのじゃなぁ」

 というのが、質問攻めに一息ついた瑠姫の感想だった。



 十数分後。

 青年と女狐めぎつねを乗せた軽トラックは『メゾンみかなぎ』の駐車場に納められた。

 その二階建てのアパートの一室が伶人の住処すみかだ。

 ちなみに大家は伶人の伯父。おかげで家賃が通常の半額という、特別待遇を受けている。

「これが、そちの屋敷か。妙な造りじゃが、なかなか立派じゃな」

「いや、これ全部が俺の家ってわけじゃないんだよ。こういうのをアパートといって、いくつかの世帯が一つの建物に住んでるんだ」

「なんじゃ、長屋か。そちの住まいはどこじゃ?」

「下の端っこ」

 伶人の部屋は一階の端。104号室である。

 間取りは2LDK。八畳の居間DKに六畳の和室、四畳半の洋室という構成で、単身者ひとりものには充分な広さだ。

 といっても洋室は古本屋の倉庫のようなありさまだし、寝室もベッドと収納家具で埋まっているので、くつろげる空間は居間にしかないのだが。

「ほう。なにやら不思議な座敷じゃの。南蛮風というやつか?」

 その居間に通された瑠姫は、くるくると周りながら言った。

 伶人は彼女をソファーに座らせ、江戸切子のロックグラスにジンジャーエールを注ぐ。

硝子ぎやまんの湯飲みとは、粋ではないか。──んぶっ!?」

 てっきり麦茶か何かだと思ってグラスをあおった瑠姫は、予想外の刺激に驚かされた。

「なんじゃ、これ。舌が痺れるぞ。まさか毒ではあるまいな」

「なんで俺がお前に一服盛るんだよ……。そういう飲み物なの」

「……ふむ。泡を吹く水とは奇怪じゃが……慣れれば面白いな」

 瑠姫は疑心暗鬼おっかなびっくりといった感じでジンジャーエールに再挑戦し、ちびちびと舐めるように味わいはじめた。

 そうしてグラスを持ったまま部屋を見回し、目の前の座卓テーブルにあるテレビのリモコンをのぞきこんだりする。

 それを横目に、伶人は腕を組んで思索モードに入った。

 なりゆきで連れてきちゃったけど、さて、どうしたものか──

 まぁ、いまさら追い出すのも可哀想だし、しばらく面倒みてやってもいいかな。

 にしても、謎の美少女が転がり込んでくるなんて、まったくラノベだよな。

 ぶっちゃけ類型的テンプレ状況設定シチュエーションだけど、こうして経験してみると、案外、悪くないかも。

 だけど、この現実離れしまくった現実、どう理解すればいいんだ?

 彼女こいつ言動くちぶりからすると、俺たちは〝出逢うべくして出逢った〟みたいだが、どういうことなんだ──?

「──はう!?」

 頭の中に疑問符を並べていた伶人は、少女の素頓狂すっとんきょうな声で我に返った。

 瑠姫がリモコンをいじっているうちに、テレビが点いてしまったのだ。

「鏡の中に景色が……! なるほど、この棒の突起つぶつぶを押すと、見える景色が変わるのだな。面白い!」

「面白いのは分かるけど、あんまオモチャにするなよ」

「ん……すまん」

 たしなめられて、瑠姫は面目なさそうにリモコンをテーブルに置く。

 と同時に、彼女の口からヒキガエルの断末魔のような音が飛び出した。

 自分でもびっくりしたようで、瑠姫は慌てて口をおさえる。

 頬がほんのり赤くなってゆくところをみると、彼女にもそれなりの乙女心が搭載されているらしい。

「へぇ。赤くなったりするんだな、お前でも」

「お前でも、とはどういう意味じゃ」

「いや、俺に裸を見られていても平気だったのに、ゲップをそんなに恥ずかしがるなんて、なんか意外でさ」

「平気じゃったわけではないぞ。わらわとて女子おなご……恥じらいはある」

「そのわりには、見事な見せっぷりだったけどな」

「見られてしもうたからには、隠してもしょうがあるまい。そちだって眼福じゃったろ?」

「眼福ね。ま、否定はしないでおくよ。お前の名誉のために」

 伶人は笑って応えた。決してロリ属性ではないつもりだけれど、それなりに凹凸めりはりのある健康的すこやか肢体ヌードを拝見できたのは眼福ラッキーだったかな、とは思う。

 一方、その幸運の提供者はテレビに興味津々の御様子で、

「方術をなさずして遠くの景色を映し出すとは、便利じゃのう」

 ぺたぺたと画面を触ったり、裏側をのぞいたりしはじめた。

 好奇心旺盛なのは見ていて微笑ましいが、この調子であちこち勝手にいじくられるのは困るし、危ない。

 なので、伶人は現代社会の生活様式というものを教えておくことにした。

 その授業は、まず居間と台所にある機器類の説明からはじまる。



 家電の作動原理などを訊かれると説明に苦労するところだったが、瑠姫はすべてを〝摩訶不思議なカラクリ〟として理解し、質問はしなかった。

 続いてはトイレである。

「──ここがトイレ。昔の言葉で言うとかわや

「どうやって使うのじゃ?」

「そこに座ってするんだよ。で、終わったら水を流す」

 伶人は洗浄便座シャワートイレとトイレットペーパーの説明をし、水を流してみせた。

「ほう。便器おかわを洗い清めてくれるのか。便利じゃの」

 水が止まるまで眺めてから、瑠姫は便座の操作パネルに目をやる。

「このビデというのは、なんじゃ?」

「それは……あとで試してみなよ」

 伶人は言葉を濁した。女性のデリケートな部分をすすぐ装置だとは、ちょっと言いにくい。

「そうか、では早速──」

 ちょうど、もよおしてきたところだった瑠姫は、刀印(人差し指と中指だけを伸ばした状態)を結んだ右手で空中に横一文字を描き、「さん」と唱えた。

 緋色の切袴が青白い炎をあげ、溶けるように消えてゆく。

 それは本物の炎ではない。霊的なエネルギーの輻射が、あたかも火炎のように見えるのである。

「……そこで見ているつもりか?」

「は? ああ、するの?」

 小袖の裾をまくろうとする瑠姫を見て、伶人は慌ててドアを閉めた。

 ややあって、「おう!?」と小さな悲鳴が聞こえてくる。

 続いて、「はうっ」という抑えた感じの嬌声も。

(賑やかだな)

 いきなり尻に湯をかけられて驚く瑠姫の姿を想像し、伶人は笑いをかみ殺した。もっとも、二回目の嬌声は、より敏感な場所を洗われたからなのだが。

「洗ってくれるのはいいが、くすぐったいな」

 トイレから出てきた瑠姫は、股間を両手でおさえ、はにかむように笑った。

 どうリアクションしていいか分からず、伶人は苦笑だけを返して風呂場のドアを開ける。

「ここが風呂だよ」

「変わった湯船じゃな。陶器か?」

 風呂好きなのか、瑠姫は楽しげにユニットバスを見回した。

 もちろん湯船は陶器などではないが、あえて説明する必要も無いだろう。

かまどが見当たらんが、どうやって湯を張るのじゃ?」

「台所と同じだよ。この取っ手をひねると、お湯が出る」

 伶人は蛇口から湯を出してみせ、ついでにシャワーの使い方を教えた。

 さらにシャンプーなどのことも教えてやり、お風呂関係のレクチャーは終了となる。

「とりあえずは、こんなもんかな。あとは追々教えてやるよ」

「うむ。よろしく頼む。なにせ解らぬことばかりじゃて」

「さて、今度は俺が質問する番だ。こっちも解らんことばかりだからな」



 居間に戻ると、伶人は瑠姫にソファーをすすめ、コンソメ味のポテトチップスをテーブルに用意した。

「この干からびた沢庵たくわんみたいなのは、食べ物なのか?」

「ああ。それはポテトチップス。ジャガイモの薄切りを揚げたお菓子さ」

「ふーん。……うん、いける。酒に合いそうじゃ」

 お気に召したようで、瑠姫は数枚のポテチを重ねて頬張った。

 それをジンジャーエールで飲み下す様子を見つつ、伶人は質問を整理する。


  こいつは何物なのか?

  どうして俺が主人あるじなのか?

  なぜ、子守山で眠っていたのか?

  これから、どうするつもりなのか?


 さしあたっての疑問は、こんなところだろう。

「なぁ。お前って、やっぱり妖怪なのか?」

「ああ。霊験あらたかな地に棲まう鳥や獣のなかには、ごくまれにじゃが、天寿を超える年月を生き、人間ひとにも劣らぬ知恵を得るモノがおる。元をただせば、わらわもそうした怪異あやかし一種ひとりじゃ」

「元をただせばってことは、今は違うのか?」

「いささかな。わらわは〝式〟でもあるからの」

 ジンジャーエールで喉を湿らせ、瑠姫は話を続ける。

「そもそもは普通ただの狐であったわらわは、いつの間にやら人の言葉をかいするようになり、ふと気がつくと、人里離れた草庵あばらや卦竹斎けちくさいと称する老爺ろうやと暮らしておった」

「……けちくさい?」

「ふざけた名じゃろ? 詳しくは知らんが、もとは山伏やまぶしで、老いてからは薬師くすしをしておったようじゃ。やがて、そやつとは死に別れ、わらわは近くの村に棲みついたのじゃが──あるとき、そこで歩き巫女の娘に出逢ってな」

 歩き巫女とは、特定の神社に所属せずに諸国をめぐり歩く巫女である。

 旅すがら祈祷などで生計をたてていたが、身を売っていた者も少なくないという。

「その娘は紫苑しをんという名でな、天女のように美しく、たぐいまれなる霊験の持ち主でもあった。その技量に惚れ込んだわらわは弟子入りを志願し、彼女の式神となった。かくして瑠姫という名を授かり、少女ひとの姿を与えられた、というわけじゃ」

「なるほどな。狐の妖怪を素材とした式神、か」

 ということは、その紫苑という巫女は陰陽師でもあり、瑠姫が使う魔法も陰陽道の系譜にあるのだろうと、伶人は理解した。

 陰陽道とは、各種の暦法・天文・気象などから吉凶禍福きっきょうかふくを読み解く学問であり、それを駆使して災厄を祓う呪術でもある。

 古代中国で生まれた陰陽五行説が日本に伝わり、密教や神道などと混じり合いながら独自の理論体系となったものだ。

 ちなみに陰陽とは、万物の原質たる二種類の「気」の作用で万象を説明する理論のこと。

 五行とは、天地を循環して世界を形成する五つの因子──木・火・水・土・金・土のことをいう。

 この陰陽説と五行説は起源が異なるが、相互補完的に発展し、いつしか一つのシステムとして考えられるようになったらしい。

 陰陽師とは、その陰陽五行システムから任意の事象を抽出せしめる方士ほうしなのである。

 そして、彼らが使役する使い魔のような存在を「式神」という。

 はく(布)やへい(紙)、あるいは鳥獣などを素材として造られる、疑似生命体とでもいうべきモノだ。

 そもそもが狐である瑠姫は生物いきものには違いないが、少女ひととしての肉体すがたは方術で造られたもの。あくまでも疑似的かつ人工的な事象ものである。

「そんなのが本当に存在するなんてな……」

 伶人は、しげしげと瑠姫を見た。

 狐の怪異あやかしであり、式神でもあるという女の子──いまだに信じがたいが、目の前の現実を否定することはできない。

「ま、それはいいとして……お前、俺のことを新たな主人あるじとか言ってたけど、どういう意味なんだ?」

「そちが紫苑の血をひいておる、ということじゃ」

 素っ気なく答えると、瑠姫は一枚のポテチをくわえ、リスがクルミをかじるようにポリポリと食べはじめた。

 伶人は腕組みをし、問い返す。

「俺が、お前を式神にした巫女さんの子孫だってのか?」

「そうじゃ。わらわを目覚めさせたことが、なによりの証よ」

「だからって主人あるじとか言われてもな……。俺にそんな資格は無いと思うぞ」

「……? どういう意味じゃ?」

「お前の言ってることが事実なら、こうして俺たちが出逢ったのは必然なのかもしれない。けど、俺は陰陽師じゃないからな。式神の主人なんか務まらないだろうさ」

「そちは方士ではないのか? ならば、どうやってわらわを起こしたのじゃ?」

「俺は何もしちゃいないよ。お前を起こしたのは、たぶん、こいつだ」

 伶人は胸元の知方珠を指さした。

 そして、例の不思議な夢のことを瑠姫に説明する。

「──そうか。思うに、その夢は幻術じゃな」

「幻術? 幻を見せる魔法か」

「うむ。紫苑は自身の末裔にわらわを託すべく、おのが血脈に幻術を仕組んだのじゃろう。子々孫々に受け継がれる、しゅのような術をな」

「つまり、あの夢は俺の記憶なんかじゃなく、遺伝子に仕込まれていた情報──脳にプリインストールされてた動画だったってことか」

 伶人は瑠姫の仮説を科学的に解釈しようとした。

 そんな比喩を理解できるはずもなく、きょとんとする瑠姫だったが、聞き流して話を続ける。

「ともかく、そちが紫苑の末裔であることは間違いない。その知方珠が、わらわを起こす鍵だったのじゃろう。それは紫苑が創った神器じゃて、誰にでも扱える代物ではない。意図したことではないにせよ、そちがその霊験を引き出したということは──」

 瑠姫は伶人を見つめて一拍の間を置き、

「──そちこそが、わらわの主人あるじたらん者なのじゃよ」

 諭すように言った。そして、ぽつりと付け加える。

「さりとて無理強いはできんがの。わらわをどうするかは、そち次第じゃ」

「そう言われてもな……お前は、どうしたいんだ?」

 それが一番大事なことだろうと思い、伶人は訊ねた。

「……できることなら、そちの式になりたい。それが、この巡り合わせを用意してくれた紫苑の想いじゃろうし……わらわも、そうしたい」

「そっか。なら、それでいいんじゃないか?」

「……いい、のか?」

 投げやりなようで優しさを感じさせもした伶人の言葉に、瑠姫は目を見開いた。

「いいも悪いも、お前、他に行くあてなんか無いんだろ?」

「うん……」

「だったら、ここにいればいいさ。式神のご主人様にはなれないけど、妹ができたとでも思えばいいわけだし。女の子一人くらい、養ってやるよ」

「そうか! では、あらためてよろしく頼む。それにしても、これ、美味いな」

 瑠姫は安堵の笑みを見せ、ポテトチップスを数枚まとめて頬張った。

「新たな主人あるじが男とは思わなんだが、優男やさおとこで良かったわ。むさ苦しいのは好かん」

「ちびっこに誉められてもねぇ」

「ん? なにか言ったか?」

「いえ、なにも」

 伶人は笑ってごまかし、電子タバコをくわえる。

「ところで──お前、どうしてあんな場所で眠ってたんだ?」

「……鬼神おにめのせいじゃ。まったく、思い出すのも忌々いまいましい」

「オニ?」

 妖怪、式神、陰陽師──ただでさえ神秘オカルト大行進オンパレードなのに、今度は鬼ときた。

 伶人はいよいよ興味をそそられ、「なんか、面白くなってきたな」と、前のめりになった。

 けれど、瑠姫の表情は冴えない。

「あー……もしかして、面白がっちゃいけない話なのか?」

「まぁ、な」

「そっか。ごめん」

「ふっ……やはり、いい奴じゃの。そちは」

 微笑みをくれて、瑠姫は物語をはじめた。


「紫苑と旅に出てから三年あまりがすぎたころ、月乃宮という小さな宿場で、わらわたちは一人の〝鬼〟にでくわした。

 そやつの名は、皇雅おうが

 つまらぬ喧嘩いさかい主人あるじを殺された式神が、おんに呑まれて鬼と化したものじゃった。

 紫苑はそんな皇雅をあわれみ、怨をはらってやろうとしたのじゃが、すさまじいまでの鬼気を鎮めることは出来ず、やむなく鏡に封じた。

 その闘いで、わらわは〝しゅ〟を受けてしもうてな。

 じわじわと血肉を腐らせてゆく、おぞましい呪詛じゅそじゃ。

 もちろん紫苑は手を尽くしてくれたが……鬼の呪に打ち勝つには清らかな陽の気に身を浸し続けるしかなく、わらわは鏡の中で眠りにつくことになったのよ。

 いつの日か、きっと紫苑の生まれ変わりに逢えると信じてな。

 ……わかっておったのじゃ。わらわの眠りが、紫苑が生きられる歳月よりも長くなろうことは。

 されど、他に手はなかった──」


 陰陽師あるじ式神しもべという関係でありながら、紫苑は瑠姫を娘のように慈しんでくれたし、瑠姫もまた紫苑を母のように慕っていた。

 だからこそ、それが今生の別れになることを承知のうえで眠りについたのだと、瑠姫は言う。

「わらわが腐り果ててゆくさまなど、見せとうなかったからな」

 そうつぶやく瑠姫の瞳は、しっとりと濡れていた。

 しかし、それを見せまいと笑みを作り、脚を前に投げ出しながらおどけてみせる。

「いかん、いかん。湿っぽいのはしょうに合わぬわ。なぁ?」

「…………」

 優しい言葉を期待されていることを察しながらも、伶人はあえてそれを無視した。

 気持ちは分かるよ、などというありきたりな台詞は、綺麗事でしかないと思うから。

「泣きたい気分なら、我慢しないで泣いたほうがいいんじゃないか?」

「む……泣かせたいのか?」

 瑠姫は唇を噛み、思いも寄らないことを言う青年をめつけた。

 しかし伶人は淡々と続ける。

「うん。思い切り、泣いてみたらどうだ? それで何かが解決するわけじゃないだろうけど、少しはスッキリするかもしれないぞ?」

「そちという奴は、優しいのか、意地が悪いのか……わからんな」

 わずかに肩を振るわせながら、瑠姫は微笑む。

 と同時に、溜まっていた涙がポトリと落ちて、

「──うあぁぁぁぁー!」

 堰を切ったように泣きだした。

 涙も鼻水も拭うことなく、ぎゅっと握った拳を腿に押し当て、わんわんと泣きじゃくる。

 思っていた以上の号泣に、そう仕向けた張本人がいたたまれなくなるほどだったが──

 二分ほどで瑠姫は落ち着きを取り戻し、差し出されたティシュで豪快に鼻をかんだ。

 そして、さっきの作り笑いとは違う、しおらしい笑みをみせる。

「そちの言うとおりじゃ。気が晴れたわ。もう泣かぬ」

「そうか? なら、泣かせた甲斐はあったな」

 伶人も笑って、まだ鼻をすすっている少女の頭にポン、と手を置いた。

「むー。なにやら手玉に取られた気もするが……まぁ、よいわ」

 瑠姫は膝を抱えて丸くなり、新たな主人あるじがくれる温もりに目を細めるのだった。



【つづく】

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