暇を持て余した兄妹の戯れ

吉乃直

暇を持て余した兄妹の戯れ

「どうしてなのお兄ちゃん!」




 連休半ばのある日。日が暮れ始め、傾いた太陽が街を朱色に染めだした頃。


 ある家のリビングでピンク髪の少女──津々木つつぎ小春こはるが悲愴な表情で声を荒らげた。


「私はお兄ちゃんのことが好きなの! ずっと一緒にいたいの! ……なのに、なんで出てくなんて言うの!?」


 そして目尻に浮かんだ涙をぬぐい、震えた声音でそう続ける。


 すると兄──津々木直也なおやは表情を曇らせ目を伏せた。


「……ごめん」


「謝ってほしいんじゃないの! 私は、お兄ちゃんが家を出てくって言い出した理由が知りたいの!」


「それは……」


 小春の質問に、直也は言葉を詰まらせる。


「なに? 言えないことでもあるの?」


 小春は一歩、直也との距離を縮めながら重ねて問い質す。


「いや、その……そ、そろそろ大学生になるし、自立しようかと、思って」


「ホント?」


 小春が覗き込むと、直也は気まずそうに目を逸らす。


「嘘だよね」


「ち、ちがっ」


 直也が慌てて否定しようと口を開きかけるも、小春が「もしかして」と遮った。


「私が原因なんじゃないの?」


 その確信めいた問いに、直也は顔を強張らせる。


「ねぇ、そうなんでしょ? ……私がお兄ちゃんのこと好きになったから」


「違う?」と迫られ、直也は後退りする。


「そ、それは……」


 否定できない。なぜなら、小春の言っていることが正しいからだ。


 直也が家を出て一人暮らしをしようとした理由は、小春が直也に男女面での好意を覚えてしまったから。


 だが二人は血の繋がった実の兄妹。恋愛なんてできるわけがない。


 だから直也は、距離を置くことで小春を更生しようと思ったのだ。


 しかし、今すぐ行動に移そうとしたのは、小春の気持ちだけではない。


 小春がいくら恋心を抱こうが、直也が受けなければいい。いずれ大人になれば、否応にも離れるようになるのだから。


 ならなぜか。それは、直也もまた、小春に好意を抱いてしまったからだ。


 だから、直也は決意した。このまま小春から純粋な好意を向けられ、自分が耐えられなくなると感じたから。



「……お兄ちゃん、ごめんね」


 ふと、小春が小さく呟く。


 思考に耽っていた直也は、その弱々しい声に反応し小春の方を見る。


「お兄ちゃんのこと好きになっちゃうような妹で、ごめんね……」


 先程と打って変わって、小春は哀愁を漂わせながらうつむく。


「ちがっ、小春が謝ることじゃない!」


 そうなってようやく、直也が感情の籠った声を上げた。


「なんで? 私がお兄ちゃんを好きになったから、お兄ちゃんは出て行くんでしょ?」


「けどっ……小春が謝ることじゃない」


 直也は努めて冷静にそう返す。


「なんで? なんで、お兄ちゃんはそんなに優しいの?」


「なんでって、小春が俺の妹だから。優しくするのは当然さ」


 重々しい空気のなか、直也はにへらっと優しく微笑んで答える。


 小春は妹だ。……妹、なのだ。


「お兄ちゃん……っ」


 小春は大粒の涙を浮かべ、直也のもとへ駆け出す。


 そして直也の細身な体に抱きついた。


「お兄ちゃんっ! 私、お兄ちゃんと離れたくないっ! 私もうワガママ言わない、お兄ちゃんのこと家族として好きでいるから……だからすっと一緒にいて!」


 涙声で、小春は自らの気持ちを叫ぶ。


 直也のことが異性として好きなのは変わらない。だがそれでも、その感情を圧し殺してでも、小春は直也と一緒にいたいのだ。


 小春の気持ちを聞き、直也は小春の頭を撫でながら自分に問いかける。


 己の気持ちから目を逸らし、自分が耐えられないかもしれないからと逃げ道を探し。そんなことでいいのか。そんなことで兄が務まるのか。


 ……いいわけ、ないだろ。


 直也は不甲斐ない自分を切り捨て、覚悟を決める。


 そして、そっと小春の背中に腕を回し、抱き返した。


「おっ、お兄ちゃん!?」


 直也の突然の行動に、小春は少し嬉しそうに頬を緩ませながら戸惑いを露にする。


「ごめん。俺、逃げてた。小春のこと考えてるつもりで、自分のことしか考えてなかった」


「お兄ちゃん?」


 突如変わった兄の雰囲気に、小春は戸惑いの色を浮かべながら直也を見上げる。


「俺さ、小春のことが好きだ。家族としてもだけど、その……女の子としても、意識してた」


「お、おおおお兄ちゃん!?」


 兄の突然なカミングアウトに、小春は動揺に声を震わせる。


 激しく狼狽しながらも、その表情はどこか嬉しそうだ。


「でも、兄妹じゃその……結婚とかできないし、周りは絶対に受け入れてくれない。それじゃあ小春が幸せになれない。それは嫌だ」


「……」


「だからダメだって、自分に言い聞かせてた。この想いは打ち明けず、諦めようって」


「……うん」


 それは先程、小春が直也と一緒にいるために決意したことだ。


 兄も同じ痛みを感じたのだろうかと小春は考えたが、


「でも小春はどんどん可愛くなっていって、すぐに諦めるのを諦めた」


 さりげなく漏れた言葉に、小春は「か、可愛い……お兄ちゃんが、可愛いって」とはしゃぐ。


「それで結局、なにもできないまま逃げることにしたんだ。……ハハッ、ホント情けないな」


「そ、それは……」


 小春はすぐさま否定しようと思ったが、内心確かに情けないと同調していたのでなにも言えなかった。


「でも、もう逃げるのも止める」


 自嘲を浮かべていた直也は、真面目な面持ちで小春を見つめる。


「小春、好きだ、愛してる。誰にも渡したくないし、一生隣にいてほしい」


 直也の告白に、小春は目尻に涙を浮かべながら小さく頷く。


「うんっ! 私もお兄ちゃんのことが大好きですっ、一生そばにいさせてくださいっ!」


 そうして、二人は茜色に染まるリビングで、愛を確かめるように強く抱き合うのであった。






「──どうだった?」


 しばらくの間が空き、先程の告白が嘘のような地声で小春が尋ねる。


「んー、80点かな。なんか感情はすごく出てたけど、迷走してた」


「それはお兄ちゃんもでしょ?」


「それは、そうだが」


 ブーメラン発言を指摘され、直也は顔をしかめる。


「だって急にやるもんだからさ。いつもなら事前に設定とか教えてくれるじゃん」


「だから、どれほど身についたのかなって思ってやったの」


 小春の返しに、直也は渋々と納得する。


「それで、俺のはどうだった?」


「20点」


 即答だ。


「って、低すぎない? 俺けっこう甘口で点つけたんだけど」


「べつに甘口にして、なんてお願いしてないし」


「そ、そうだけど」


「それにこれでも大目に見たんだよ?」


「そ、そうなのか?」


「うん。お兄ちゃん、最後のところは感情がすごい籠っててよかったけど、それ以外全然ダメだった。設定は曖昧だし、葛藤やセリフで誤魔化そうとしてなに言ってるかわかんないし」


「うっ」


 小春の指摘に、直也は胸を押さえて苦しそうにうなる。


「お兄ちゃんとしてはカッコつけてるつもりなんだろうけど、謎だから。謎ポエム並みに謎だから」


「ちょっ」


「紛らわしいというか、遠回しすぎるというか……とにかく、最後のところ以外全部ダメ。ダメダメのダメ」


「お兄ちゃんそろそろ泣くよ!?」


 酷評の連続に、直也は涙目で「もう止めて!」と訴えかける。


「あはは、じゃあ次は頑張ってね~♪」


「……あぁ、そうするよ」


 直也はやつれた様子で頷き、ため息を溢す。


「ふぅ、疲れたし、アイスでも買ってこようかな。小春はなにかいるか?」


「んー、じゃあフルーツタルトみたいなので」


「おっけー、わかった」


 小春の注文を聞き届け、直也は少し速足でリビングを出た。






 ──これが、この兄妹の遊びだ。


 毎日ではないが、二人とも暇で親がいないとき、いろいろな設定をつけて演技をする。


 いつから始まったのか、もはやうろ覚えだが、これが津々木兄妹の暇潰し。


 だが──



「「(はぁぁぁっ、演技でよかったぁぁぁ)」」



 二人は別々の場所で、同じように安堵の息を吐く。


 二人とも顔は真っ赤に染まっており、互いに告白を反芻はんすうする。


 あれがもし本気だったらどうしようと戸惑い、でも本気だったらと妄想に耽る。



「「(でも、もし演技じゃなくて、本当に告白できたら……)」」



「なんて、ないか」


「乙女チックすぎるかな、私」



 そう、別々の場所で息ピッタリに二人は苦笑する。




 こうして二人は、身を焦がす想いを胸に秘め、たわむれに告げ合うのであった。



 その想いを本当に告げる日は、来るのだろうか。

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暇を持て余した兄妹の戯れ 吉乃直 @Yoshino-70

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