外伝2 せんせいとすみちゃんと結婚式 4.せんせいの悩み

 みどりの花嫁姿は本当にきれいだった。

 私にすみちゃんという存在がなかったら、少しくらいは心が揺れて大学時代の思いがよみがえっていたかも知れない、そう思ってしまうくらいに幸せそうな笑みを浮かべていた。

 そして同時に、そんなきれいなみどりを穏やかな気持ちで祝うことができるのをうれしく感じた。

 キャンドルサービスで新郎新婦が各テーブルを回ったときに、私と目が合ったみどりは、ちょっぴり舌を出してウインクをしながら小さく頭を下げた。

 おそらくスピーチを依頼の依頼で呼び出されたときの出来事について謝ったのだろう。私は苦笑いを浮かべてそれに応えた。

 そんな悪びれる様子もないみどりを許せてしまうのは、かつてみどりのそんなところを好きだったからなのか、それともすみちゃんんの存在が私を支えているからなのかはわからない。

 だけどすみちゃんがいなければ、きっとみどりを憎んだり恨んだりしていたのではないかと思う。

 かつて好きだった人に会うことを心配するすみちゃんの気持ちも少しはわかる。だけど、みどりに心が揺らされることがまったくないくらい、私がすみちゃんのことを好きだということを信じてもらえていないような気持ちになる。

 裏を返して考えれば、すみちゃんは私と同じような状況になったときに、かつての思い人に心が揺らぐのではないかと勘ぐりたく鳴る。

 一刻も早く家に帰ってすみちゃんを問い詰めたい気持ちだ。

 私のスピーチや美咲と久美子の余興の歌も滞りなく終えて、華やかな披露宴は終了した。

 もう帰りたい気持ちではあったが、それをグッとこらえて二次会の会場に移動する。

 披露宴の出席は、新郎新婦の親戚や会社関係の人たちが中心だ。一方の二次会は友人たちが主催するラフな立食パーティーになっていた。そのため久美子の気合いが一段とアップする。

 そんなに鼻息を荒くしていたら、逆に取り逃がすんじゃないかと心配になってしまうほどだ。

「樹梨は彼氏がいるんだから、ちゃんと私を引き立ててよ」

 と久美子に小声で言われたけれど、どう引き立てろというのだろう。私にあまり期待をしないでほしい。

 美咲は美咲で異業種交流会が如く、男女問わずに積極的に話しかけて人脈を広げることに余念がなかった。

「こうした地道な人脈作りが、いつどこで役に立つかわからないんだからね」

 呆れる私に、美咲も鼻息荒く話していた。

 目的のベクトルは違うけれど二次会を満喫している二人をよそに、私は早く二次会が終わってほしいと思っていた。

 出掛けるときですらすみちゃんはあれだけだだをこねていたのだ。これで帰りが遅くなったらもっと拗ねてしまうだろう。

 もしも今日のことですみちゃんと口喧嘩をすることになったとしても、興味のない話に愛想笑いを浮かべているよりもずっといい。

 そんなことを考えながら会場の隅でなんとか時間を潰して、二次会も終盤にさしかかったとき、みどりがようやく私たちの元に現れた。

 披露宴に参列しなかった友人たちへのあいさつを優先していたため、私たちを後回しにしていたのだろう。

「今日はありがとう」

 笑顔で言うみどりに、私たちは口々に祝福の言葉を伝えた。

 そして久美子はみどりに顔を寄せて小声で「新郎の友だちでいい人、紹介してよ」と懇願していた。

 私はそんな久美子を苦笑いで眺めていると、私の視線に気づいた久美子が唇をとがらせた。

「彼氏のいる樹梨は余裕があっていいですねー」

 いつものように軽口を言った久美子の言葉にみどりが大きく食いついた。

「え? 樹里、彼氏いるの?」

 嬉々とした声を上げたみどりはへぇ、彼氏ねぇ」と言いながらニヤニヤと笑みを浮かべて私の顔を見る。

「まぁ、ね」

「今度紹介してね、彼氏」

 そんなみどりの言葉には嫌な予感しかしない。

 私を誘ったことのあるみどりは同性と関係を持つこともアリだという結論に至っているはずだ。さらにみどりは子どものような好奇心をいまだに持っている。

 もしもすみちゃんに会わせたとしたら、ぜったいにすみちゃんにちょっかいを掛けるだろう。

「そうね、もしも機会があったら……」

 そう返事をしながら、私は絶対にそんな機会を作らないようにしようと心に誓った。

 そうこうしているうちに長く感じた二次会がようやく終わりを迎えた。

 やっと帰ることができると胸をなで下ろしたとき、久美子が右腕に、美咲が左腕に絡みついた。

「帰る気じゃないよね」

「先生にだって人脈は必要よ」

「樹梨は幸せなんだから、私の幸せに協力しなさい」

「むしろ、ここからが人脈作りの本番よ」

 どうやら二人は私を三次会に連行しようとしているようだ。

「ちょ、ちょっと待って、本当に無理だから」

 本当に勘弁してほしくて抵抗を試みたけれど、二人は聞いてくれるつもりはないらしく、がっちりと両腕をホールドされてしまう。

 さらに二次会の会場を出たところで久美子と美咲が話し込んでいた男性陣にまで取り囲まれてしまった。

 そんな言葉に私は「いえ、帰ります」とはっきりと言ったのだけど、私の声に被せて久美子と美咲が「もちろん!」と答える。

「え? 樹里ちゃんは三次会に行かないの?」

 顔も名前も覚えていない男性になれなれしく名前を呼ばれて少々いらだちを感じながらも私は軽く笑みを浮かべた。あくまでもここはみどりの結婚を祝う場だから、空気を悪くすることはできない。

 なんとか理性を保っていた私に久美子が言った。

「ねぇ樹里、こんな機会じゃなきゃ、ゆっくり遊べないじゃない。私、もうちょっと樹梨と話したいな」

 甘えるような声を出す久美子にさらに苛立ちが募るが、久美子はそれをわかって言っているのだろう。

 美咲「そうだよ」と相槌を入れ、男性陣も口々に「そうだよ」「行こうよ」とはやし立てる。

 こんな風に包囲網を組まれたら、私にそれを断る精神力はない。旧友がそんなところまで計算しているのかも知れないと思うとさらに悔しさがこみ上げるが、私はうなだれることしかできなかった。

 心の中で「すみちゃんごめんね、まだ帰れそうにないよ」とつぶやく。

 そのとき、三次会会場に移動しようとしてい人たちの空気がサッと変わったのを感じた。

 ざわめきというかどよめきというか、なんともいえない声が漏れはじめたのだ。

 私は何が起こったのかを確かめようと、今出てきた店とは反対側の道路の方向に視線を向けた。

 久美子と美咲、取り囲んでいた男性陣も私と同じ方向に視線を送る。

 そうして集まった視線の先にはシンプルな黒いドレスに身を包んだ女性がいた。

 体のラインがきれいに出るロングドレスで、しなやかな生地のスカートには深いスリットが入っている。そして一歩足を進めるたびにスリットから白い太ももがなまめかしく覗く。

 堂々と歩く女性は、結婚式の二次会でドレスアップした人々の中にいてもひときわ目立っていた。

 果敢な男性が「よかったらこれから一緒に飲みに行きませんか?」なんて声を掛けていたけれど、女性はその声を歯牙にもかけず一点を見つめて歩みを進める。

 女性はまるでレッドカーペットを歩く大女優のように、人並みを割って進み、まっすぐに私の目の前までやってきて立ち止まった。

 自信に満ちた微笑みを目の前にして、私は驚きながらもなんとか言葉を発した。

「すみちゃん、一体どうしたの?」

 すると澄ちゃんは笑みを浮かべたまま何も言わずに私の左手をとった。

 かわいいすみちゃんでも、なさけないすみちゃんでも、こどもっぽいすみちゃんでもない、かっこいいすみちゃんにそんなことをされたら、さすがにちょっと顔が熱くなる。

 そんな私の動揺をよそに、すみちゃんは流れるような仕草で私の薬指にリングをはめると、そっと私の手にキスを落とした。

 そして上目遣いに私を見ると

「樹里、私と一緒に暮らそう」

 と言ったのだ。

 これはプロポーズだろうか。多分そうなのだと思う。

 すみちゃんは私の手を取ったままじっと私の返事を待っていた。

 だけど何の言葉も返せない私に不安になったのか、ゆっくりと眉尻が下がって見慣れた情けないすみちゃんに戻っていく。

「えっと、あれ、ダメだった?」

 そんなすみちゃんの情けない声に私はようやく我に返った。

「あ、そうじゃないよ。……その服はどうしたの?」

 やっと発した私の言葉にすみちゃんは少し表情を緩めた。

「これは房子に借りたんだ」

 私は女の色気を練って生まれてきたようなすみちゃんの旧友である房子さんを思い出してそのファッションに納得する。房子さんによく似合いそうなドレスだ。

 すみちゃんが着ているとかっこいい雰囲気だけど、房子さんが着たら色気がムンムンになることだろう。

「んー、おかしいなぁ。もっと喜んでくれると思ったんだけどな。やっぱり房子のドレスじゃだめだったかな」

 すみちゃんは、私が想像していた通りのリアクションがなかったことに納得がいかないのか首をひねって言う。

 すみちゃんの渾身のプロポーズはうれしい。久々に見たかっこいいすみちゃんも素敵だと思う。

 だけどそれ以外の感情の方が大きくて、その気持ちをストレートに表すことができない。

 もしもこれが自宅だったならば、きっとすみちゃんに抱きついてキスの雨で感激を伝えていたことだろう。

 サプライズをすれば、いつでもどこでも大感激をするというわけではない。サプライズに適した時と場所というものがあると思う。

 房子さんのドレスを借りているということは、このサプライズも房子さんの入れ知恵だろうかと思ったのだけど、房子さんだったら止めているような気がする。

 おそらくすみちゃんの思いつきで、用途を説明することなくドレスを借りてきたのだろう。

 そんな風に思いを巡らせている間にもすみちゃんの顔はどんどんと曇っていく。

 私はすみちゃんに気づかれないように小さく息をついて気持ちを入れ替えた。そしてすみちゃんの首に腕を回す。

「ありがとう、すごくうれしい」

 すみちゃんの耳元でささやいたとき、周囲でワッと声が上がった。

 衆人環視でこんなことをする羽目になるとは思わなかった。

 だけどすみちゃんは周囲の様子を気にすることもなく満足そうな笑みを浮かべる。

 私はすみちゃんから体をはなして、恐る恐る振り返った。

 私たちから少し離れた位置に立っていたみどりはニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 事情を知らなかった久美子と美咲は口をあんぐりと開けて立ち尽くしていた。

 そして私と目が合った久美子はすみちゃんをぼんやりと眺めたまま言った。

「もしかして……この人が、樹里の彼氏……じゃなくて……付き合ってる人?」

「あ、うん……まあ」

 私がそう答えるのと同時に久美子が「素敵」とつぶやくのが聞こえた。

 その隣に立つ美咲も潤んだ瞳でポーっとすみちゃんの顔をみつめていた。

 どうやらかっこいいモードのすみちゃんはノンケの二人まで虜にしてしまうようだ。

 すみちゃんのプロポーズはうれしかったのだけど、新しい悩みの種が芽吹いてしまったようだ。



   外伝2 おわり

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