外伝2 せんせいとすみちゃんと結婚式 3.すみちゃんの悩み
樹梨が私の額につけた第三の目を洗い落として洋服を着込む。
今日は樹里とのんびり過ごそうと思っていたから、予定がぽっかりと空いてしまった。
樹里の部屋でぼんやりと帰りを待っていたら、さすがに樹里に引かれてしまいそうだ。さて何をしようか、と考えながら、ぼんやりと樹里の部屋の中を見回した。何度も訪れているからこの景色もすっかり見慣れている。散らかっている私の部屋とは違い、すっきりと片付けられていた。
部屋の片隅にはコルクボードが置かれており、そこには授業参観を見学した翌日に私が送った花丸のコピー用紙が貼り付けられている。
そのすぐ脇の写真立てには、樹里の誕生日に渡したポストカードのゲラと汗でヨレヨレになった作品展のポストカード。
その横で存在感を放つのは、樹里を応援したいという気持ちで描いた『未来』と名付けた絵だ。
樹里が私の贈ったものを大切にしているのを見ると、くすぐったいようなうれしいようなそんな気持ちになる。同時に少し恥ずかしい気持ちにもなった。こんなに大切にしてもらうようなものでもないように感じるからだ。
恥ずかしいといえば、樹里と出会ってからずっと、恥ずかしいというか情けないとうか、そんなところしか見せられていないような気がする。
姉に焚き付けられたとはいえ、告白をしてくれたのは樹里の方だ。それからもずっと樹里が私をリードしてくれている。
この関係にまったく不満はないのだけれど、たまには年上としてかっこいいところも見せたい。
私は立ち上がって樹里の部屋を出た。どうすれば樹里に年上としてかっこいいところを見せられるのか、自分ではよくわからない。だったら知っていそうな人に聞いてみればいい。私は頭に浮かんだその人物の家に向かって足を進めた。
「……一体、何の用?」
玄関のドアを開けると、不機嫌そうな顔を隠すこともなくその人物は言った。
「房子はどんな顔をしていてもきれいだね」
私が笑顔でそう言うと、房子はますます嫌そうな顔をした。
安曇房子(あずみふさこ)は、私の高校時代の後輩である友永市子(ともながいちこ)の恋人だ。そして市子より八歳だか九歳だか、それくらい年上だった。
市子を介して知り合ってから十年以上の付き合いで気心も知れているし、今の私がアドバイスをもらう相手として、これ以上の適任者はいない。
渋々といった様子で房子は私を部屋の中に入れてくれた。休日だから市子もいると思ったのだが、その姿が見当たらない。
「今日、市子は?」
「休日出勤」
ぼそりと答えながらも、房子はキッチンでお茶を用意してくれていた。
私は遠慮なくソファーにどかりと腰掛ける。
「それで、急に来るなんて何の要件なの?」
房子は私の前に湯飲みを置き、自分は私の向かいのソファーに座りながら言った。
「ありがとう。年下の恋人を持つ先輩としてアドバイスをもらえないかなと思って」
私が言うと、房子は呆れたように眉を寄せて小さく息をついた。
「私たちとあなたたちは全然違うからアドバイスも何もないでしょう」
「んー、そうかもしれないけど……。いつも樹里ちゃんに甘えてばっかりだからさ、たまには年上としてビシッとリードしたいなぁ、って思ってさ」
すると房子はきょとんとして首をかしげた。
房子はこうした仕草の一つ一つが女っぽいなぁ、と思う。私に向かって愛想を振りまくことはないけれど、この仕草に愛想がプラスされたら、だまされる男はわんさかいることだろう。
その上、誰が見ても一瞬目を奪われてしまう豊満なバストまで持ち合わせている。
「樹里ちゃんは、すみ枝にそんなことを求めてはいないでしょう」
「そうかなぁ」
「あなたこれまでに何度「付き合ってみたら違った」って言われてフラれてきたのよ。樹里ちゃんは、むしろあなたのヘタレたところが好きだって言っているんでしょう? 物好きだなとは思うけど」
「結構ひどいことをいうねぇ」
私は頭をかきながら、淹れてもらったお茶を一口すする。
樹里が渡しを好きだと言ってくれることはうれしい。だけどそれが不思議でもある。
学生時代から今まで、何人かの女性と付き合ってきた。彼女たちは最初こそ私を好きだと言ってくれる。だけどそれは「かっこいい王子様」や「しっかりした大人」の姿を私に期待してのことだった。
だから付き合いはじめて少し経つと「イメージと違う」と言って去ってしまう。
だから私は、本当の私の姿を知って、それでも好きだと言ってくれるひとなんていないのだと思っていた。
樹里だって最初は私のことを「大人の女性」だと思っていたはずだ。それなのに、姉に(精神的に)ボコボコにされたり、自分から告白もできなくてモジモジしていた私を見てもなお、私を好きだと言ってくれる。
「そういえば房子たちはいつから付き合ってるの? はっきり聞いたことないんだけど」
「いつからになるんだろう……?」
房子は口元に手を当ててしばらく考えてから答えを口にした。
「はじめて会ったのは私が二十歳の頃だけど、あの子はまだ中学生だったから」
「それってなんだか犯罪っぽいね」
冗談めかして私が言うと、房子はピクリと右の眉を上げた。
「家庭教師と教え子です」
「だけどさ、市子が高校生のときにはもう付き合ってたよね?」
私は当時のことを思い出す。はっきりと聞いたわけではないが、高校時代の市子の影には、すでに房子の姿が見え隠れしていた。
「あれは、付き合ってないと思うけど? 一緒に住んでただけで」
「え? それって、どういうこと?」
なんだかとても爆弾発言だったような気がする。ここは是非じっくりと話を聞いてみたい。
「たいした話じゃないわよ」
と、房子は市子と同居をはじめたいきさつを教えてくれた。
その話によると、当時貧乏学生だった房子は吹けば飛ぶようなボロアパートに住んでいたそうだ。道を歩けば五人や十人の男がつきてきてしまいそうな房子がそんなアパートに住んでいることを市子はとても心配していたらしい。
そこで市子は、高校に進学したのを機に親を説き伏せて一人暮らしをはじめ、ボロアパートに住んでいた房子を引っ張り込んだのだという。
「なんだ、そっちも年下の方がリードしてるんじゃん」
「まぁ……そういえなくもないけど……」
珍しく房子が頬を赤らめて言った。
「じゃぁ、付き合おうって言ったのも市子から?」
「もう一緒に住んでいたし、はっきりとそういう言葉はなかったかな」
「うーん、なんだか参考にならないなぁ」
私が素直な感想を述べると、房子はガッと目をつり上げた。
「私の場合、市子が子どもだったから我慢したのよ。あなたたちは違うでしょう。あなたと一緒にしないでくれる」
私は首をすくめた。さすがに怒らせてしまったようだ。
「ごめん」
「もう用は済んだでしょう? 帰ってくれない?」
一言の謝罪では房子の機嫌はなおらなかった。
「わかった。もう帰るよ。あ、最後に一個だけお願いしたいことがあるんだけど……」
私は両手を合わせて房子を上目遣いで見つめた。
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