外伝3 せんせいとすみちゃんの大切な日

 喧嘩をした。

 喧嘩をした相手はすみちゃんだ。

 付き合いはじめてから何度か些細なことで口喧嘩をしたことはある。

 例えば、麻婆豆腐に使う豆腐は木綿豆腐か絹ごし豆腐かで喧嘩をした。そしてその喧嘩は麻婆豆腐を一口食べた途端に終了した。

 そんな喧嘩はきっと喧嘩のうちに入らない。お互いを知るためのコミュニケーションのようなものだし、それこそ仲直りのきっかけすら覚えていないようなものばかりだ。

 だけど今回の喧嘩はこれまでのものとは違っていた。

 大学時代の友人であるみどりの結婚式の二日後、私は仕事帰りにすみちゃんの部屋に寄った。

「ただいまー」

 そう言ってすみちゃんの部屋に入ると、「おっかえりぃ~」とご機嫌な様子のすみちゃんの声が返ってきた。

 すみちゃんはローテーブルに何冊もの冊子を広げて熱心に紙面を読んでいる。

「なに見てるの?」

 私が聞くと、すみちゃんはその中の一冊を持ち上げて私に見せた。それは住宅情報が掲載されたフリーペーパーだった。

「今日、ちょっと出たときにもらってきたんだ。見てたらなんか楽しくなっちゃって」

 そうしてすみちゃんは再び住宅情報誌に視線を落とす。

「どうして急に?」

 私の問いに、すみちゃんは眉根を寄せて私の顔を見上げた。

「どうしてって……一緒に住むならこの部屋は無理でしょう? もうすこし広い部屋じゃないと」

「それはそうかもしれないけど……今すぐ一緒に住むわけじゃないんだし」

「どういう意味?」

 すみちゃんの表情が険しくなる。

 楽しい部屋探しに水を差されて機嫌を損ねてしまったのかもしれない。だけどどのタイミングで引っ越しをするのかはきちんと話しておかなければいけないことだ。

「今すぐ一緒に住むのは無理でしょう?」

「それって、一緒に住みたくないっていう意味?」

 すみちゃんは不機嫌な表情を隠すこともなく言う。

「そうは言ってないじゃない。でも引っ越すならお金もいるでしょう。私、まだそんなに貯金がないもの」

「お金なら私が出すよ」

「それはヤダ。二人のことなんだから」

 いくらすみちゃんが年上で私よりも経済力があるのだとしてもこれは譲れない。

 するとますますすみちゃんの表情が曇っていく。

「やぱり一緒に住みたくないんじゃないの?」

「そんなこと言ってないでしょう。もう少し時間をかけて考えようって言ってるだけ」

 すみちゃんが一緒に住むことを急ぐ理由がよくわからない。私だってもっとすみちゃんと一緒にいたいと思う。

 だけど今ではなく、これから先もという意味だ。

 だからこそ慎重に考えたいし、急ぐことでもないと思っている。

「一緒に住みたくない理由って、本当にお金のことだけ?」

「仕事のこともあるけど……」

「仕事なんて、住所が変わったことを伝えるだけでしょう?」

 確かに書類上はそうだろう。だけどすみちゃんは私が受け持っているクラスの児童である流里さんの叔母だ。別段悪いことをするわけではないけれど、教え子と家族に近い関係になることを思えば慎重に考えなければいけないことだと思う。

「あのね、すみちゃん」

「もしかして、私のこと、もう好きじゃなくなった? それとも他に好きな人ができた?」

「はぁ? どうしてそうなるの?」

「一緒に住みたくない本当の理由は、それなんじゃないの?」

「そんなこと言ってないでしょう」

「だって、指輪もつけてないじゃない」

 そうしてすみちゃんは私の左手を睨みつける。確かに私の左手に指輪はない。みどりの披露宴の日にすみちゃんがくれた指輪は、大切にしまってある。

 学校につけていくことができなかったし、外でつけたり外したりしていてなくしてしまうのが嫌だったからだ。

 それを説明すれば、いつもと様子の違うすみちゃんでも納得してくれたかもしれない。

 だけど私は決定的に間違った返事をしてしまった。多分、すみちゃんのよくわからない言い分に私も腹が立っていたからだ。

「なにかいけない? 指輪を付けようが付けまいが、私の自由でしょう」

 それですみちゃんはさらに激高し、私も頭に血が上ってしまった。意味のない言葉を投げつけあい、私はすみちゃんの部屋を飛び出した。

 それからすみちゃんには一切連絡をしていない。そしてすみちゃんからの連絡もなかった。

 喧嘩をした日からもう九日が経っている。

「はぁぁぁ」

 私は深いため息をついた。

 付き合っているといっても、会わないことがこんなに簡単なことなのだと痛感した。きっと別れることだって簡単にできてしまうのだろう。

 あの日喧嘩をしたからといって別れたいと思っているわけではない。すぐにでも仲直りがしたい。

 だけどなぜかすみちゃんに連絡ができずにいた。

 問題を先延ばしにしているだけだとわかっている。それにちゃんと顔を見てはなせば、案外すんなりと仲直りができるかもしれないとも思う。

 それでも、もう一度あの日のような言い合いになって、決定的に関係に亀裂が入ってしまったらどうしようと思うと怖いと思ってしまうのだ。

「はぁぁぁぁぁぁ」

 私がさらに深いため息をついたとき「どうしたんですか? 大きなため息なんてついて」という声が聞こえた。

 顔をあげると、無駄に爽やかな笑顔を浮かべた浮嶋(うきしま)先生が立っていた。

 浮嶋先生は三年二組を担当している男性教師だ。

 私より四年先輩で、私がこの小学校に赴任してからずっと気にかけてくれている。

 浮嶋先生はいい先生だと思う。

 人気俳優に微妙に似ていることを意識して、髪型や服装を寄せていることを除けば概ね好感が持てる人物だった。それに、児童思いの熱心な先生でもある。

 新米の私としては、助言や助力をしてくれる先輩の存在はありがたい。

 だが何か仕事上で困ったことがあると、私は五年二組の担任をしている鬼頭先生に助けを求めるようにしている。

 浮嶋先生はいい先生なのだけど、私のことを同僚としてみているだけではないと感じるからだ。自意識過剰と言われるかもしれないけれど、おそらく私を女として意識していると思う。

 浮嶋先生をあまりに頼ってしまうと、食事などに誘われたときに断りづらくなってしまう。だからさりげなく浮嶋先生を避けるようにしていた。

 もしも直接的にアプローチをされたならばその方が楽だと思う。はっきりとお断りすれば済むからだ。

 すみちゃんの仕事上のパートナーの倉田さんは対応がしやすい。倉田さんの場合半分冗談だと思うけれど、「すみ枝と別れて僕と付き合おうよ」と言われても、「え、嫌です」と普通に答えられる。

「何か悩み事ですか?」

 浮嶋先生は少し私の顔を覗き込むようにして言った。

「いえ、なんでもありません」

 私は愛想笑いを浮かべて答える。

「なんでもないっていうため息には見えませんでしたよ」

 浮嶋先生は私の言葉に納得くれなかった。

 もしもここで「彼女と喧嘩をしてしまったんです」と言ったら浮嶋先生はどんな顔をするだろう。

 なんとなく色々考えるのが面倒になってきて、本当にそう言ってしまいそうになるのをぐっとこらえた。

「本当になんでもありませんよ。ちょっと疲れが溜まっているだけです」

「うーん、それは心配だな。この仕事、ストレスも大きいですからね。ストレスは上手に発散しないと、本当にきつくなりますよ」

 浮嶋先生はおそらく本当に心配をしてくれているのだと思う。

 そういえばすみちゃんとはじめてしっかりと話をした雨の日にも同じようなことを言われた気がする。

 あの日の私はとても酔っていて、すみちゃんとどんな話をしたのかあまり覚えてはいない。

 だけどあの日は私にとって大切な思い出になっている。

 もしもあの日、すみちゃんと偶然に出会えなかったら、すみちゃんと付き合うこともなかったかもしれない。

 喧嘩をしてしまったし、私が知らないすみちゃんの姿がまだまだあるのかもしれない。それでもやっぱり私はすみちゃんのことが好きだ。

 このまま会わない時間が長くなるほど連絡を取りづらくなるだろう。このまま別れるなんて嫌だ。

 それに普段のすみちゃんを見ていると、ついつい忘れてしまうけれど、すみちゃんは基本的にモテる。長続きはしないようだが、サプライズプロポーズの日にだって、ノンケの友人たちを魅了してしまったくらいだ。

 披露宴の翌日、さっそく久美子から電話がかかってきて、すみちゃんを紹介してほしいといわれた。話をしてみたいだけだと言っていたけれど、あの日の久美子の目を見たら、そんな言葉は信じられない。

 こうしてすみちゃんと離れている間にも、すみちゃんを好きにンる人が現れるかもしれないのだ。ぼやぼやしていたら、すみちゃんを奪われてしまうかもしれない。

 そう考えたら一刻も早くすみちゃんに会いたくなった。

「ね、そうしましょう」

 ふと気づくと、浮嶋先生がまだ私の隣で何かを離していた。すっかり考え事に夢中になって、まったく話を聞いていなかった。だけどそんなことは言えず「はぁ」と曖昧な返事をする。

「よし、決まりですね」

 浮嶋先生が満面の笑みで言いながらサムズアップをした。

「え?」

「どんな愚痴でも聞きますからね」

「あ、あの……」

 何か失敗をしてしまったようだ。もしかして、仕事終わりに食事に行こうという誘いを受けてしまったのかもしれない。

 正直、今は浮嶋先生に構っている心の余裕はない。どうやって断ろうかと思っていたとき、スマートフォンが震えた。どうやらメッセージのようだ。私は浮嶋先生に向かって小さく頭を下げてから内容を確認する。

 それは誰よりも恐ろしく、同時に誰よりも頼りになる人からの連絡だった。私は即座に浮嶋先生を見上げて謝罪をした。

「申し訳ありません。急用が入ってしまって……私はお先に失礼させていただきます」

 そうして私は鞄をもって立ち上がると、改めて浮嶋先生に頭を下げて職員室を出た。

 メッセージをの相手は、すみちゃんの姉・みち枝さんだ。詳細はなく今から会えるか? ということと待ち合わせの喫茶店が記されていただけだった。

 だけどこのタイミングでみち枝さんから連絡が来たということは、すみちゃんの話に決まっている。

 私は校庭を横切りながら、みち枝さんに「今すぐ行きます」と返事を打った。

 指定された喫茶店に到着したが、店内にみち枝さんの姿はなかった。私は入口から見つけやすい席に座り、ホットコーヒーをオーダーする。

 そしてオーダーしたホットコーヒーが届いたタイミングでみち枝さんが現れ、席に座るより早く店員にレモンティーをオーダーした。

「急に呼び出してごめんなさいね」

 みち枝さんは椅子にすわりながら上品な笑みを浮かべて言う。

「いえ……」

「本当にごめんなさい」

 みち枝さんは改めて謝罪の言葉を発した。今度は眉尻を下げて神妙な顔をした。急な呼び出しくらいでそれほど謝られる必要はないような気がして少し首をかしげると、みち枝さんはすかさず言葉を続ける。

「本当にバカな妹でごめんなさい」

「え? あっ……」

 咄嗟にどう返事をしてよいかわからなくなってしまう。きっとすみちゃんお話だろうとは思っていたけれど、このタイミングでこんな風に切り出されるとは思っていなかった。

「あと、浮嶋先生とのデートを邪魔してごめんなさい」

「どうして知ってるんですか!」

 するとみち枝さんは不適な笑みを浮かべる。

「お話がしたいなと思って学校に行ったら、ちょうどデートのお約束をしているところだったから……」

「ああ、それであのタイミングだったんですね。ありがとうございます。助かりました」

「本当は浮嶋先生とデートしたかったんじゃありません?」

「いいえ。絶対にそれは違います」

「そうなの? 浮嶋先生はいい先生だと思うわよ。スミよりもしっかりしてるし、わかりやすくアピールしているみたいだし」

 みち枝さんが何を言いたいのかよくわからない。以前は私とすみちゃんが付き合えるように画策していたのに、今度は別れさせたいのだろうか。

「どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」

 みち枝さんと腹の探り合いで勝てる気がしない。だったらストレートに尋ねるだけだ。

「スミと付き合ってたらこれからも今回みたいなことがあると思うわよ。あの子は時々わからない行動をとるから……。私が言うのもなんだけど、結構面倒なタイプだと思うから」

 その口ぶりからすると、みち枝さんは私とすみちゃんの喧嘩の理由をしっかり把握しているようだ。

 だからこそ私はみち枝さんの顔をまっすぐに見て伝える。

「すみちゃんよりしっかりしている人も、わかりやすい人も、面倒臭くない人もいると思います。それでも私は、子どもっぽくて頼りないところもあって、面倒くさくて、かわいいすみちゃんが好きなんです」

 言い終わって急に恥ずかしくなったけれど、みち枝さんに隠してもしょうがないと開き直ることにした。

 そして自分の言葉に私自身が励まされるような気持ちになった。喧嘩をしても口をきかない日が続いていても、私の胸の奥には確かにすみちゃんを好きだという気持ちがある。

 自分の気持ちを確認したら、無性にすみちゃんに会いたくなった。

「そう……。私、やっぱり先生のこと、好きだわ」

 みち枝さんが柔らかな表情で言う。私は黙ってその言葉に耳を傾けた。

「私は先生にこれからもスミのそばにいてほしいと思ってるのよ。だけどね、無理をする必要はないとも思ってる。あなたはあなたの自由にしていいの」

「はい……。だからこそ、私はこれからもすみちゃんと一緒にいたいと思っています」

 私ははっきりと伝える。みち枝さんに気を遣った訳ではない。私の本心だ。するとみち枝さんは「そう」と小さく息をついた。

「それで、今回の件は先生とスミの二人だけで解決できそうなの? 必要ならいつでも一肌脱ぐわよ」

 私は表情を引き締めた。みち枝さんの一肌がどんなものになるのか想像するだけでも恐ろしい。

「お気遣いありがとうございます。だけど大丈夫です。これから先のためにも、ちゃんと二人で解決します」

「そうね、それがいいと思うわ」

「はい」

「まぁ、妹の恋愛に口を挟むなんて過保護にもほどがあるわよね」

 そう言ってみち枝さんはケラケラと楽しそうに笑った。

「いえ、そんなことは……」

 と答えつつもちょっぴり過保護だなと考えていた。

「だけどね、先生……樹里さんも私にとってはもう一人の妹なのよ。だからいつでも遠慮なく頼ってね」

 それは何よりも心強い葉だった。

 私はその言葉に頷いてから、早速そのカードを使わせてもらうことにした。

「ひとつ聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「すみちゃんは付き合う前には五年かけて……なんて言うようなのんびり屋さんだったのに、どうして一緒に住むことは急ぐんでしょうか」

「あの子は別にのんびり屋という訳ではないのよ。鈍いところがあるからそう見えることも多いけどね。んー、そうね……。スタートを切るまでは遅いけれど、一度決めちゃったら早い、といえばわかりやすいかしら? だから後先考えずに突っ走って失敗することも多いのよ。ほとんどの場合、スタートする前に終わっちゃけど」

 そうしてみち枝さんはケラケラと笑った。

 みち枝さんの言葉に私はすみちゃんの行動の原理がわかったような気がした。

「そっか……。なんとなくわかりました」

「だからこれからは樹里さんがしっかりと手綱を握ってね」

「がんばります。みち枝さんのようにはできないと思いますけど」

 そうして二人で笑い合うと、肩の力がスッと抜けた。

「あ、そうだ。これからもスミと一緒にいるつもりだというのなら伝えておきたいことがあるの」

 みち枝さんの笑みが微妙に変わった。悪巧みをしているときの笑みだと思う。瞬間的に背筋に悪寒が走った。

「な、何でしょう」

「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。今日がスミの誕生日だっていうだけだから」

「えぇぇぇっ!」

 私は思わず立ち上がって叫んでしまった。

 そういえばすみちゃんの誕生日を確認していなかった。私は時計を見る。すでに十九時を回っていた。

 私とすみちゃんの事情を知りながら、昨日でも一昨日でもなく、今日会いにきたのは偶然ではないのだろう。

「仲直りが一番の誕生日プレゼントになるんじゃない?」

「すみません、私、お先に失礼します」

 私は鞄を持って喫茶店を飛び出した。

 その足で向かった先はもちろんすみちゃんの部屋だ。

 誕生日プレゼントもないし、どんな話をすればいいのかもわからない。だけどどうしても会いたかった。

 だけどすみちゃんは部屋にいない。

 預かっている合鍵で部屋の中も確かめたけれど、部屋はすっかり冷えていて、かなり長い時間部屋を空けていることがわかった。

 しばらくすみちゃんの部屋で待っていたけれど、私は諦めて自宅に戻ることにした。

 電話をしたり、メッセージを送ったりすれば済む話だとはわかっている。

 だけど顔を見て話をしたかった。ちゃんと誤解を解きたかった。

 電話やメッセージを無視されてしまったらそれすらかなわない。

 そうしていると嫌な妄想が頭を支配し始めた。

 もしかしたら誰かと誕生日を祝っているのかも知れない。そのなかにすみちゃんを好きな誰かがいて、アプローチされているかもしれない。

 すみちゃんを信じていないわけではない。だけど私たちはケンカをしていて、それから一切連絡をとっていないのだ。別れたと思われているかもしれない。

 それにすみちゃんは押しに弱いタイプだと思う。相手からグイグイ来られたら断りキレないかも知れない。

 そんなことを考えているうちに自宅にたどり着いた。

 すると「おかえり」という聞きなれた声が耳に届く。顔を上げると、玄関の前にすみちゃんが立っていた。

「すみちゃん……」

「遅かったね」

 そうしてすみちゃんは小さく笑みを浮かべる。心なしか震えているように見えた。

「ちょっと、どれだけ待ってたの? 電話をしてくれればよかったのに」

 ついつい自分のことを棚に上げて言ってしまう。

「うん……。でも、もしも電話に出てくれなかったらどうしようって思ったら、電話ができなくて……」

 すみちゃんも私と同じことを考えていたのだと思うと少しうれしくなって、少し罪悪感が芽生えた。

 私は慌てて玄関の鍵をあけてすみちゃんを部屋の中に招き入れる。エアコンをつけてお風呂にお湯を張る。

「すぐにお風呂入れるから、とりあえず温まって」

 私が言うと、すみちゃんは首を横に振った。

「それよりも先にちゃんと話がしたい」

 そうして私の手を取ったすみちゃんの指先は氷のように冷たかった。

 十二月の夜にずっと外で待っていたのだから当然だ。

「私もすみちゃんと話がしたいと思ってたよ。だけどそれはすみちゃんが温まってからにしよう。風邪ひいちゃうよ」

 すみちゃんの顔を見るまでは普通に話をできるか不安もあった。だけどそれは杞憂だったようだ。驚くほど穏やかな気持ちですみちゃんと向き合うことができる。

「うん、わかった。でも、本当に格好つかないね」

 すみちゃんはそうつぶやくと肩をすくめて頭をかいた。

「別に格好をつける必要なんてないでしょう?」

 そうしてクスクスと笑うと、浴槽にお湯がたまったことを知らせるメッセージが部屋に響いた。

「さ、早くお風呂に入ってきて」

 そう言ったのだけど、すみちゃんは私の手を握ったまま動かなかった。

「樹里ちゃんの手も冷たいよ。一緒に入ろう?」

 すみちゃんんは少し不安そうな顔で私を見た。だから私はできるだけ明るい笑みを作ってうなづく。

 するとすみちゃんはホッとしたようにひとつ息をついた。

「ねぇ、すみちゃん。少し痩せた?」

 浴室に足を踏み入れてすぐに私はすみちゃんに尋ねた。

「ん? どうだろう……。食欲がなかったから、もしかしたらそうかも……。樹里ちゃんは……変わってないね」

「だって私は普通に食べてたもの」

 私が答えると、すみちゃんは少しだけ目を見開いてうつむいた。

「そっか……」

「子どもの相手って体力がいるんだよ。それに子どもたちの前で、食欲がないって給食を残すこともできないし」

「ああ、うん、そうだね」

 そんな会話をしながらざっと汗を流して湯船に入る。温かいお湯がじんじんと肌を刺激した。

 浴槽の端に陣取ったすみちゃんに背中を預けるようにして座ると、「だけど元気そうでよかった」と言って私を後ろから抱きしめて首筋にキスを落とした。

 私は座る位置をかえてすみちゃんと向かい合う。

「あのね、一緒に住むって話だけど……」

 私は思い切って喧嘩の原因になった出来事を切り出した。

「ああ、そのことならもういいよ」

「え? もう一緒に住みたくないってこと?」

「違うよ。それは絶対ない」

 すみちゃんははっきりと言った。

「それならどうして? この間はあんなに一緒に住みたがってたのに」

「みんなに怒られた……」

「みんな?」

「みっちゃんとか房子とか市子とか……。あとキタローにまで」

 あの日以降、すみちゃんはどれだけの人に話して歩いたのだろう。そのことにちょっと驚いてしまった。

 すみちゃんはうつむき加減で少しだけ唇を尖らせて続けた。

「それからサプライズのプロポーズもやりすぎだって言われた。そりゃそうだよね。樹里ちゃん、カムアウトしていない友だちもいたんだよね」

「ああ、うん。それはまぁ……」

「ごめん。私がずっとオープンにしてたから、あんまり考えてなかった」

 その理由があまりにもすみちゃんらしくて思わず吹き出してしまった。

「いいよ、気にしてないから」

「房子が用途も聞かずに服を貸してしまって申し訳なかったって言ってた」

 なんだかすみちゃんと房子さんのやり取りが目に浮かぶようだ。

「いずれは話すつもりだったしから本当に気にしてないよ。ちょっとびっくりしたけど、嬉しかったのは本当だから」

 私がそういうと、すみちゃんの顔に笑みが戻る。お風呂で温まったからか、ほんのりと頬が赤くなっているのがかわいい。

「私もすみちゃんと一緒に暮らしたいと思ってるよ。だけどもう少しだけ時間をかけて考えたいの。それでもいい?」

「うん」

 たったこれだけのことを伝えられずに一週間以上顔を合わせずにいたなんて馬鹿だなと思う

 すっかり体が温まると、風呂を出て部屋へと戻った。

 そして私はもう一つすみちゃんに伝えなければいけないことを伝えることにした。

「すみちゃん、お誕生日おめでとう」

 するとすみちゃんは目を丸くして小首を貸してる。

「あ、そっか、今日誕生日だった」

 自分の誕生日を忘れる人は珍しいような気がするけれど、そこがすみちゃんらしいなとも思う。

「だけど私もさっき知ったばっかりだから何もプレゼントを用意していなかったの」

「別に何もいらないよ。こうして話せただけで嬉しい」

 すみちゃんの笑みを見て、その言葉に嘘がないのだと確信する。

「何もいらないの? これを渡そうと思ってたんだけど……」

 そうして私は手のひらに小さなプレゼントを乗せて須美ちゃんの前に差し出した。

 するとすみちゃんは私の手ごとプレゼントを握りしめて「ほしい!」と叫んだ。

「一緒に暮らせるのはもう少し先になりそうだけど、これからは部屋の前で待つんじゃなくて、この鍵で中にはいって待っててね」

 私がそういうと、すみちゃんは返事の代わりに私をギュッと抱きしめた。

 それはとても暖かくて心地よくて、とても久しぶりの感覚のように思えた。

「すみちゃん、誕生日おめでとう」

「ありがとう。樹梨ちゃん、これからもずっと一緒にいようね」

「うん」

 すみちゃんの誕生日は私たちがはじめてした大きな喧嘩の仲直り記念日になった。

 そして、これから先も一緒にいたいと再確認した大切な日になった。



    外伝3 おわり

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