第262話 酷い奇跡

 木々の向こうの開けた場所で待ち構える相手。それは、ケイレブをはじめとした上級冒険者たちだ。操られているとはいえど、その佇まいには隙がなく、離れていても警戒心がかき立てられるほどだ。

 これを前に平然としていられる者はおらず、アヴェラとノエルは不安を、イクシマとジルジオは武者震いを、ヤトノは呆れを、それぞれ隠せていない。

「さあ戦ぞ! 強敵ぞ!」

「さっきは、攻撃を止めたくせに。このトリエルフめ」

「なんでトリなん?」

「トリは三歩歩けば忘れると言うからな」

「なわけあるかぁ!」

 文句の声をあげるイクシマの顔を掴んで押さえる間も、アヴェラは油断なく相手を見やっている。

「ところで爺様、あの相手と戦ったらどうなると思う?」

「おう、勝てるが無傷とは言えぬであるな。特にケイレブの若造相手が一番面倒である。操っておる奴が残っておると考えれば、どうしたものか」

「確かにそうだね」

「どうする? 一度退くのも選択肢ではあるが」

「そのつもりはないよ」

 アヴェラは掴んでいたイクシマの顔を放し、ついでに額を軽く突いてやった。それから一歩前に出て向こうにいる相手を見据えた。

「太陽神の加――」

「待てえええっ!」

 イクシマが飛びついて止めた。小っこいのでアヴェラの腰に抱きつくぐらいで、そこから険のある目で見上げ怒っている。本来なら止めに入るノエルは運悪く飛んで来た枯葉が顔に当たって砕け、ヤトノに破片を払って貰っている。

「お主ぃ!? 何しよるん!?」

「見ての通りだが」

「んなこた分かっとるわい! なして、そんなことするかじゃ!」

「突撃系エルフには分からんだろうが。相手が待ち構えてるなら、まずは遠距離攻撃で挨拶するのが常識なんだよ。と言うかな、あんな見るからに罠っぽい場所に突っ込む馬鹿はいないだろ」

 アヴェラはイクシマの金髪頭を鷲づかみにした。しかし、なかなか離れないため、さらに揺さぶっていく。

「やめいっ! それは分かったが、お主の魔法は駄目じゃろが! 教官殿が消えてしまう!」

「……大丈夫だろ、ケイレブ教官だし」

「言うとることがおかしい! 大丈夫なら攻撃する意味なかろうが!」

「小うるさい奴だ」

「うるさくなあああいっ!」

 イクシマは大声をあげた。

 しかし、その間にも待ち構えるケイレブたちは動く様子もない。つまり、操っている相手はどうあってもそこで戦わせたいということだ。


「まあまあ、待て待て」

 ジルジオは年長者の余裕を持って仲裁に入った。横では運の悪いノエルが枯葉の粉末でくしゃみをしており、ヤトノに頭を撫でて貰っている。

「良いではないか、アヴェラの言うとおり先制攻撃は良いことであるぞ」

「爺どん、何を言うとるん?」

 そのときイクシマは気付いた。ジルジオが知るアヴェラの魔法は、先程の光の魔法など、まだ致命的とまで言えない程度のものだということに。

「違うんじゃ。爺どん! こやつの魔法はそんなんでないんじゃって!」

「そうであるか。まっアヴェラは天才であるからなぁ」

「違ぁう! ああ、なして分かってくれんの!?」

 自分の伝えたいことが上手く伝えられず、理解もされないもどかしさでイクシマは地団駄を踏んでいる。ノエルが何とかしようとするが、面白がっているヤトノに邪魔された。

 アヴェラは仕方ないので片手でイクシマを抱きしめた。

「ふぎゃぁ!?」

「ちょっと大人しくしてろ」

 うるさくないよう、その顔を自分の身体に押しつけさせ黙らせる。少しジタバタしているが、概ねおとなしくなった。ノエルは止められる存在は自分しかいないと気付いて慌てるが運悪く躓き、ヤトノに支えて貰っている。

「おうおう、見せつけてくれるであるなぁ。いいぞ、もっとやれ」

「とりあえず魔法で攻撃するよ。前からやってみたかった魔法で」

「よーしよしよし。やってしまえぃ! 一発かましてやれ」

「太陽神の加護よ、ソーラーレイ……あれ?」

 アヴェラは張り切って魔法を使ったが発動しなかった。

 しかし何も起きなかったわけではない。目の前に強くも優しく、激しくも頼もしく、眩しくも眩しくなく、恐ろしくも心地よく、染みるようで焼け付くようでもある光が柱となって天から地へと降り注いだのだ。

 その中に光を背負う人に似た姿が――否、人こそがその姿に似ているのだと思い知らされる完璧な存在が立っている。

 光の存在がアヴェラを見た。

 めっ、と子供を叱るような素振りで指を向けてくる。それでアヴェラは相手が何者かを理解して、頭を掻き会釈するしかなかった。


 薄暗かった沼地は光に照らされ変化しだす。地面から緑が芽吹き、枯れ木が瑞々しさを取り戻し、澱んだ水も空気も澄んでいく。目の前で繰り広げられる神秘と奇跡に、並の人間であれば感極まって放心状態になったかもしれない。

「おおう」

 ジルジオは目を見開いて膝を突き頭を垂れているし、ノエルとイクシマは顔を見合わせた後で慌ててひれ伏した。そしてアヴェラは軽く会釈している。

 しかしヤトノは口をへの字にして不満顔だ。

「なんてことを。わたくしの本体が遊び半分でつくって、飽きて放置したフィールドとは言えど、勝手に改変するだなんて許せません」

「いや、飽きて放置なら別にいいだろが」

「駄目です。いくら御兄様が仰ろうとも、これは協定違反なんですから」

 ヤトノはにんまりと笑った。

「そ、れ、に。他神がつくったフィールドを勝手に弄るのは御法度。自らが定めた協定を自らが破ったわけです。こんな機会、見逃せません」

 恐らく光の存在は久しぶりの地上で、つい張り切って力を使ってしまったに違いない。ギクッとして狼狽える様子を見てアヴェラは察した。

 ヤトノは腕まくりして腕をぶんぶん振りまわしている。

「つまり! 公然と、堂々と、正当に、あれをぶちのめせるチャンスです!」

 その宣言と同時に、アヴェラは周囲が賑やかしいことに気付いていた。声ではないが、八百万ぐらいはいそうな気配が集まり、野次馬している感じだ。

 ゴングの代わりにラッパを吹き鳴らしそうな感覚があった。

「ヤトノ、やめとけよ」

「大丈夫なんです。向こうも地上用の状態、勝てます。いえ、勝ちます。御兄様に勝利を捧げるべく、ぶちのめしてみせます」

 ヤトノが前に出ると光の存在が後ずさりする。これから神殺しが始まりそうだとアヴェラは思った。

 ちらりと見れば、ケイレブをはじめとした上級冒険者たちは完全に蚊帳の外であり、寂しそうにのそのそと去って行こうとしている。あれを逃がしてしまっては、いろいろ面倒だ。


 アヴェラはヤトノを羽交い締めにして抱き上げた。

「まったく!」

「御兄様!?」

 ジタバタ暴れるヤトノをさらに抱きしめ離さない。

「駄目です。御兄様、そんな場所触って。皆が見てるんです」

「ほう、そうかい。だったら、お望み通りにしてやろうじゃないか」

「御兄様?」

 アヴェラはヤトノを一旦降ろすと、その全身をくすぐりだした。小袖の中に手を突っ込み直触りである。

「駄目ですっ……皆が見て……あっ……そこは……いやっ、見られて……」

 散々に弄られヤトノは半ば放心状態で痙攣さえして前後不覚状態だ。

「そもそも放置してる方が悪いだろが」

「ですけ、ど……嫌ぁ、もっと……見られてるのに、駄目……見られて……これ癖になりそ……」

「管理瑕疵ということだ。分かったら、大人しくしてろよ」

「ううっ」

「分かったな」

「はい……」

 アヴェラはヤトノを屈服させた。衆人環視ならぬ衆神環視のなかで厄神の一部を屈服させるという偉業だ。良いものが見られたと、周囲の気配が次々と去って行く。

 そして光の存在は助けてくれたアヴェラに――発端はアヴェラなのだが――感謝する素振りをして、逃げるようにして文字通り昇天していった。

「……この世界、大丈夫かな」

 そこはかとない不安を抱きつつ、アヴェラはお仕置きを終えた。

「そんなぁ。御兄様、もっと……」

「知らん」

「酷い、こんな雑に扱われて放置されるだなんて……素敵」

 ヤトノは名残惜しそうにしつつ、しかし恥じらうように頬を抑え悶えている。

 泥と枯れ木だらけのフィールドに、場違いなぐらい清水と瑞々しい木々の存在する空間が誕生しており、なんとも奇妙な状態だ。

 移動しようとしていたケイレブたちも動きを止めている。

「ほら、爺様もノエルもしっかり。あと駄エルフも」

 アヴェラの声で皆は我に返り、奇跡と感動の余韻を胸に立ち上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る