第256話 見知った顔

 荘厳に鳴り響く鐘の音を、アヴェラは一緒に歩いているヤトノと聞いた。昼と夕の間を告げるものである。

「御兄様」

 ぺたぺたと素足であるくヤトノが不意に言った。紅い瞳に白くすべやかそうな頬が美しい。それだけで魅入られそうなものだが、アヴェラは軽く見て頷いただけだ。

「どうした」

「今回の件ですが、ちょっと困りました」

「へぇ? 厄神様の創ったモンスターが街に来ると問題があるんだ」

「まあ一応は神間協定に触れてますね」

 近くを通り過ぎた馬車は豪華絢爛で、既に貴族の居住区まで来ている。第一警備隊の者も巡回しており、一介の冒険者が歩いていれば呼び止められ目的を問われるところだ。

 ただし警備隊の間でアヴェラの顔は知れ渡っており、わざわざ呼び止め、第三警備隊の隊長と事を構える馬鹿はいない。勿論アヴェラは告げ口はしないが、そういう事は何故か直ぐ知れるのだ。

「協定違反にでもなるのか。なら厄神様が困ってしまうな」

「あ、それは大丈夫です。本体は白を切った後に、開き直って居直っているんです。全く困っておりません」

「ああそう……」

 アヴェラは思わず空を仰ぎ見た。きっと今頃は、主神がカッカして苛立っていそうだと思ったのだ。そのままヤトノの頭に手をやり髪を撫でれば気持ちよさそうに目を細めている。

「じゃあ、ちょっと困ったというのは?」

「そうですね。太陽神めが、いい加減にぶち切れそうなことですね」

「ちなみに……ぶち切れるとどうなる?」

「さあ? これまで大人しかったので、どうなるかは分かりません」

 なるべく早いところ解決した方が良さそうだ、とアヴェラは聞いて思った。やや足を急がせ通りに目をやった。

 塀の続く一帯はアルストル大公家の敷地であり、もう少し行けば裏門となるあたりだ。正門から入って全く構わないと大公家の皆から――大公のハクフからさえ――言われていたが、アヴェラはその気はなかった。

 空の日射しは強めに辺りを照らしていた。

 そのため景色の全てが鮮やかに見えている。

「爺様に見つかる前に、ナニア様に伝えておくか」

 呟いて今後の方針を検討しようと腕を組んだ。

 その手がとまったのは、どこかで叫ぶ様な音を聞いたからである。戦いの前の気合い声のようで、少なくともこの貴族区で聞こえるようなものではない。

「……やっぱり、早めの解決が必要そうだ」

 アヴェラは呟いて裏門に向け走りだす。もちろんヤトノも遅れず、神官着のような服の裾を摘まみ隣を駆けている。


 声が聞こえてくるのは、やはりアルストル大公家の敷地。塀を隔てた向こうである。裏門を警備していた兵士は駆けてくる姿に武器を構えたが、相手がアヴェラと気付いて即座に構えを解いた。

「これはアヴェラ様!」

「中から変な声が聞こえる、このまま通らせて貰う!」

「お願い致します!」

 裏門を通り抜ければ、辺りで仕事をしていた庭師、厩舎の世話役、下働きの者たちが不安そうな顔をしている。以前に大公府が襲撃されたこともあるためか、それぞれ武器になりそうな物を手にして集まっている。

 アヴェラとヤトノの姿に驚いた様子だ。

 そんな人々の間から飛びだしてきた相手がいた。

「お久しぶりですアヴェラ様!」

「アバラス!?」

 以前に偽アヴェラをやっていた、ぽっちゃりとした少年だが、今は侍従の服を身に着けている。血色がよくなり、きちんとした治療を受け健康になったようだ。思わず足を止めたアヴェラの前で恭しい仕草で礼の姿勢をとる。

「この騒ぎで来られたのですね! どうぞ、こちらです!」

 アバラスは頷いて走りだした、そして走りながら顔を向けてくる。

「僕、侍従見習いをやらせて貰っています」

「そうかドレーズさんとガーガリアさんは?」

「おっとうとおっかぁ……いえ、父と母は庭師として働かせて貰ってます。元は農家で土いじりは得意ですので」

「なるほど」

 話をしながらなのでアバラスは息を切らして顔色も青ざめていくが、全く速度を緩める様子はない。根性で走っているようだ。

 建物に沿って走って行く。

 角で曲がり渡り廊下を越え、再び曲がって走っていくと、やがて騒然とした音が強く聞こえてくる。呼び合う声、気合いの声、誰かを励ます声。合間に金属がぶつかり合う響きがあり、そしてナニアの指示を出す声がある。

「後は行ける! 大丈夫だ!」

「はい、お願い、致し、ます、ですうぅー」

 アバラスはやっとのことで言って、いきなり倒れてしまった。心配になるような転び方だったが、今は気にしてはいられない。

「ふむ、なかなかの根性ですね。感心します」

「ちゃんとやってるようで安心したよ」

「御兄様あそこです」

 視界が開けた。

 美しい花壇のある広場に、光を受けた剣の煌めきが幾つも見えた。その中に剣を構えたナニアの姿がある。

 ナニアは華麗な動きで剣を振るっていた。髪を靡かせ、味方を庇い励ましており、激しい斬り合いをしている相手は冒険者らしい装備の者たちだ。しかし足元に倒れた仲間を守ろうとしているため苦戦気味のようである。

 アヴェラは花壇の一つを飛び越しヤスツナソードを抜き放った。

「手伝いに来た!」

 その声を聞いて、ナニアやその配下が希望に顔を輝かせた。


 冒険者の一人が反応し斬りかかってくる。

 素晴らしい早さで、装備や顔つきからして中級冒険者辺りであるのは間違いない。アヴェラは躱しながら相手の剣だけを斬って次に向かい――次の相手を見て驚いた。

「ウィルオス!?」

 冒険の始まりに相棒となった相手だ。その後ろには仲間二人もいるが、いずれも無表情のまま向かってくる。魔法の火が飛んできた。

 アヴェラは懐からスケサダダガーを取りだし投擲。魔法の火に当て爆発させた。その間にもウィルオスが襲ってくるが、見事な剣技である。最初の冒険の時とは雲泥の差で、素晴らしい速度がある。

 しかしアヴェラの身のこなしの方が敏捷だった。斜めに動いて擦れ違うと、いきなり腕を動かし肘を叩き付けた。ウィルオスはひっくり返る。そのまま後ろの仲間二人に迫ってヤスツナソードの柄で殴りつけ、身を翻して蹴りを入れる。殆んど一瞬の早業だ。

 通り過ぎたときに、ウィルオスたちは次々と倒れていた。

 見ていたナニアたちが驚きと感嘆の響めきをあげ、中には歓声をあげた者すらいた。手を叩いたのは建物の窓から見ていた者だろう。

 そのまま残りの冒険者に向かうが、それぞれ剣を構えアヴェラに標的を変え、一斉に向かってきた。ナニアたちと剣をぶつけ合っていた者ですら同じだ。

 アヴェラは走る速度を緩めず集中した。

 ――操られているなら殺すわけにはいかないな。

 世界の動きが緩慢となっていき、アヴェラも周りの空気が粘性を帯びでもしたように、動きが思うように取れなくなっていく。その状態で次の次の次の次の次の行動まで考え、一つずつ手順を踏むように身体を動かした。

「よし」

 呟いて動きを止めた途端に、緩慢だった世界が元通りになる。後ろではヤスツナソードに斬られ――賢いヤスツナソードが意を汲み手加減した――呪いを受け倒れていく。

 だが、それぞれの口から肉色の何か這い出てきた。ウゾウゾと動いている。

「うわっ、気持ち悪っ!」

 思わず呟いてしまうぐらいだが、肉色の何かはあちこちへと散っていく。

 そこへヤトノがひょいひょいとした足取りでやって来た。まるで舞っているかのような華麗な動きである。

「御兄様、御兄様。申し訳ありません。逃げ散りそうなので、ちょっとだけ力を使いますね」

「おいっ? いきなり!?」

「はいそうなんです、いきなりです」

「心の準備が」

「ちょいさーっ!!」

 軽く跳び上がったヤトノは白い小袖を閃かせ、可愛らしい拳を可愛い仕草で振り下ろす。途端に閃光が迸り、逃げようとしていた肉塊は光に消えた。見ていたナニアをはじめとする人間たちは意識を失い倒れてしまう。

 そしてアヴェラは激しい頭痛と目眩に膝を突いた。

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