第253話 暴虐の嵐
戦争が終わって、アルストルの街は賑わっていた。
街の中には大勢の人が出ている。複数の者が連れ立って歩いている姿や、呼び込みの声を張り上げる商店。美味そうな匂いを漂わせる飲食店。大通りには始終笑い声が飛び交うぐらいだった。
これまでどことなく漂っていた戦争の不安が解消され、しかも勝利という結果が得られ、その勝利にアルストル勢の大活躍という話も加わり、街の人々は浮き立っているというわけだ。
さらに言えば、アルストルの各商会が軍需物資の特需で大儲けした余波が街全体に広がっていることも影響している。
「うーん、特にそういった様子は感じてないの」
コンラッド商会の一室でニーソは微笑んだ。
話をしている間にも、軽く開いたドアの向こうからは、活発な取引の声が聞こえてくる。一度などは歓声と拍手まで聞こえて来た。何か大きな取り引きが成立した雰囲気だった。
そんな忙しさでも、ニーソはノエルやイクシマを優先して話をしていた。
「なら良かった。ごめんね、ニーソちゃんもアヴェラ君に来て欲しかったとは思うけど。代わりに私たちが来ちゃって、えへへ」
「ううん、嬉しいよ。アヴェラのことだから何も言わなかったと思うけど、二人が心配して来てくれて凄く嬉しいの」
「あ、うん。いやぁ、でもアヴェラ君もニーソちゃんを心配してるはずだけど」
わたわたとノエルが手を振るのは、アヴェラが悪く思われやしないかと心配してのことだろう。だがニーソは、にっこりしてノエルの様子を見ている。
「大丈夫、アヴェラのことは分かってるの。ちゃーんと二人が私のところに来てくれるって、考えてるに決まってるもの」
「そ、そうですか」
なんとなく敬語を使ってしまうノエルである。
イクシマは出された焼き菓子っぽいものを、むんずと掴んで口にした。
「砂糖がまぶして、あまあま。噛み応えは、もちもち。実に、美味し」
「それ昔、アヴェラが作ってくれたものの再現なの。ドーナツとかいうものの一つなの、他にもあるけど試食する?」
「する!」
大喜びで訴えるイクシマにニーソは別のパンを持ってきて差し出した。まるで餌付けしてるみたいだ、とノエルは失礼なことを考えたが黙っておいた。自分も食べたかったからだ。
ニーソがバスケットに入れたドーナツなるものを持って来た。
「はい、これ。試作品なのよ」
「うむうむ、貰おうか。苦しゅうない」
両手でドーナツを持ったイクシマは端から齧り付いて、はむはむしていく。
「うむっ、焼いて固い部分と中との噛み応えバランスが良き……じゃっどん、ちと甘すぎじゃな」
「そうかなぁ、私はちょうどいいかなって思うけど。好みの問題なんだろね」
「ノエルよ、甘いもんは良いんじゃが。甘すぎるもんは良くない、我のように甘いも苦いも分かるものにならんとな」
「そ、そうだね」
「ふふふ、我は苦いもんも平気じゃがな。ノエルにはまだまだ難しかろうな」
イクシマは反っくり返って胸を張り威張り気味だ。なお、少し苦いお茶が飲めるようになったのは、つい最近でしかない。
「あっ、そうなのね。そっちも大丈夫なの」
ぽんっと手を打ったニーソは棚から、別のドーナツを持って来た。
「これも味を見て欲しいの、いいかな」
「ふふん、仕方がない。この我が味を見しんぜようではないか。はっはっは!」
「どうぞなの」
「どうれどれ……ぐあああっ!! 苦ぁい!」
「あ、あれ? 程良い苦みのはずなんだけど――うん、ちょうど良い」
ニーソは同じドーナツを口にして、目を上にやりながら味をみて頷いた。
「もしかしてイクシマちゃんのが苦かったのかな。じゃあ片付けておくのね」
「ま、待ていっ! 捨てるんか? 捨てるんじゃろ。そんな、もったいないこと許さああんっ!」
食い意地のはったイクシマに、お残しという言葉はない。片付けられそうなドーナツを掴んで遮二無二なって口にする。
「うおおんっ、苦い! 苦いんじゃああ!」
涙目でドーナツを貪るイクシマにノエルは呆気にとられている。ニーソは飲み物を用意しに行ったが、もちろん蜂蜜たっぷりの甘いやつだ。
ドーナツ騒動も一段落し、主原因のイクシマも甘い飲み物――二回お代わりした――を口にして落ち着いた。
まだドアの向こうからは賑やかな声が聞こえ、商売は活発な様子だ。
「それじゃあ、アヴェラにも渡して欲しいの」
「了解なんだよ。私がしっかり預かるから、任せて」
「ノエルちゃんの方が大事だから、転んでも自分を優先して欲しいの」
「大丈夫だよ、転んでも受け身のとりかたアヴェラ君に教わってるから」
どっちも転ぶ前提で話しているが、不運の加護が高まったノエルの場合は仕方ない。それでもイクシマに持たせないのは、途中で無くなるからだろう。
「では家に行くんじゃって、ママ上にも知らせんとな」
「うん、でもカカリアさんなら何があっても大丈夫だって思うんだよね」
「馬鹿者ぉ。ここで良いところを見せんでどうする。しっかと心配しておるという姿勢を見せねばな。ふふふ、きっと褒められるぞー」
「うーん、下心満載だよね」
「当然じゃろって。ひゃぁ、早く行くんじゃって」
イクシマがウキウキなのは、カカリアに甘やかされたいからだ。自分の娘のように扱ってくれるため、母を知らぬ身としては楽しみでならないのだった。
廊下でバタバタと足音が響く。
そこは歴戦の冒険者であるノエルとイクシマは即座に意識を切り替える。常に手の届く場所にある武器を握り、軽く身構えいつでも動ける体勢とした。
ドアが勢いよく開いて入って来たのはニーソの部下の一人である従業員だ。
「お二人とも手を貸して下さい! お客様の一人が暴れているんです!」
コンラッド商会にも警備の者は存在し、お抱え冒険者に警備的な声をかけることは通常ありえない。だから、そのぐらいの緊急事態とも言える。
「イクシマちゃん、こっちは私が」
「よーし、任せたぞー」
短い言葉で以心伝心、ノエルはニーソの側に付いた。そしてイクシマは凄い勢いで従業員に振り向く。
「さあ、案内いたせ!」
ちょこまかした足取りでどすどす走って行く。
コンラッド商会は、なかなかの評判だ。
それは取り扱う品が良いからだけではなく店舗も素晴らしいからだ。高級感のある内装は、しかし落ち着ける雰囲気がある。だから客は穏やかな気分になりつつ、自分が人間としてのグレードが上がったような気分になれる。
最近では貴族の間で、子供に品を身につけさせたければコンラッド商会に行かせろと言われているぐらいだった。
そんな店舗で一人の冒険者が暴れていた。
身につけた装備は質も良く、真面目な鍛錬と研鑽の末にしかるべき地位と立場に辿り着いたといった風体だ。とても店の中で暴れるような人物には見えない。
しかし、今は無法者の如く振る舞い暴れている。取り押さえようとする警備員との格闘もあり、職人が丹精込め神経を注いだ建具や内装が傷ついていく。
慌てふためく客や従業員にコンラッドが声を張り上げた。
「落ち着きなさい、お客様の安全を第一に。それから皆さんも退避を! 警備の皆さん、申し訳ない! もう少し耐えて下さい」
そのとき暴れる冒険者が警備員を振り払い、コンラッドに狙いを定め突進した。コンラッドは震えて動けない若い女性従業員を後ろに庇い身構えた。
襲ってくる拳を横から打って払いのけ、さらに踏み込もうとする相手の隙を突き足払いをかけた。もんどり打った冒険者は、見るからに名品のテーブルを押しつぶし倒れ込む。
「はっはぁ、まだまだ私もやれますな」
若い頃は各地を巡る旅商人だっただけに、コンラッドは幾つもの修羅場をくぐり抜けている。そうとは言え、相手が剣を抜くと流石に顔を引きつらせた。しかし直ぐに相手を睨み付けたのは、お客と従業員を守るため覚悟を決めたからだ。
素晴らしい意匠の施されたドアが弾け飛んだ。
「我、参上ぉ!」
イクシマが声を上げ躍り込む。
瞬時に状況を見て取ると、剣を抜いた冒険者へと向かい突進。途中にある名工作の衝立を蹴散らし、遙か遠国の鮮やか絨毯を踏みにじっていく。
「やらせはせん、やらせはせんのじゃぁっ!」
小っこい身体で頭から突っ込み、下から突き上げる姿は猛々しい。弾き飛ばされた相手は、繊細な造りの棚に激突し残骸に変えた。そこに飾られてあった玻璃の小物も諸共にだ。しかも相手の持っていた剣は名画に突き立ち、抜け落ちながら大きく斬り裂いた。
続けて部屋に入ったノエルは運悪く木片に躓き、壁に飾られてあった貴重な布を掴み引き裂きながら転んでいる。
「はっはぁ! 我の勝ちぃ! 勝利ぞ! どうじゃぁ!」
イクシマは両手を腰に当て胸を張って大威張りだ。
呆然としていた従業員たちは、被害の数々を順繰りに見て、ある者はぶっ倒れ、またある者はへたり込んでしまう。もちろん安堵したからではない。
ただ流石にコンラッドは大人物で、愉快そうに笑ったあげく礼まで述べてみせた。
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