第252話 馬に蹴られて飛んでいけ

 トレストとアヴェラが、ビーグスや何人かを連れ奥の会議室に向かったとき、ウェージの胸には微妙な気持ちがまだ残っていた。

 それを強いて言葉にするなら寂しさというものだ。

 何となく自分だけ除け者にされ仲間はずれにされたように感じている。ちょっとだけ寂しく哀しくある。ただ、そんな感情に囚われるほどウェージは子供ではない。その原因となったフィリアにも特に悪感情を抱くことはなかった。

「ウェージ様」

 弾むような声でフィリアが話しかけてきた。その華やぐような声の感じは、ウェージも悪い気はしない。振り向けば室内の薄暗さの中でも、フィリアは輝いて見えるぐらいに綺麗だった。

 聖堂で立ち働く姿を見ているときは凜々しさを感じるが、今は年相応の少女らしさを残した女性といった柔和さと可愛さが強い。

「では、フィリア侍祭。聖堂まで送りましょう」

 トレストから名代を任されたのだ、しっかりと対応しようとウェージは心に決めた。それに、フィリアは近くで見るとびっくりするほど可愛い。声を聞くだけで何やら心が弾む気もする。

「あの、ですね。一つ宜しいでしょうか?」

 フィリアの声に一生懸命さを感じ、ウェージは心の中で首を傾げた。

「折角なんです、私のことは。そのっ、呼び捨てにして頂ければ」

「は? いやいや、そんなことは出来ませんて」

「でもですね、だからその……」

「ははぁ、なるほど」

 ウェージは、にやりと笑って続けた。

「分かりますよ、俺も休みの日に仕事関係で言われるのは嫌ですわな」

「ううぅ……そうじゃなくってですね」

 フィリアは口をへの字にして上目遣いで睨んだ。

「てなわけで、フィリアお嬢様。聖堂までエスコートさせて頂けますかな」

「はいっ、喜んで」

 ウェージが気取った仕草で差し出す手に、フィリアは恥じらいながらしかし嬉しそうに手を伸ばした。

 やきもきして見守っていた警備隊の皆は一斉に顔をにやけさせている。


 突然に音が響いた。

 その激しい音に反応したウェージが見たものは、弾け飛ぶ扉であった。取調室に通じる頑丈な扉だ。しかし、あろうことかそれが向こう側からの力を受け破壊されたのである。

「気をつけろ!」

 ウェージは瞬時に言うと、素早くフィリアを引き寄せ背後に庇った。しかしフィリアがしがみついて来るので、それ以上の動きが出来ない。

 出てきたのは、先程拘束され連行された若者の一人だ。最近冒険者として、そこそこ活躍していると聞いている。即座に近くに居た隊員が両側から挟むようにして迫り警棒を叩きつけた。

 冒険者の若者は強烈な攻撃を両肩に受けて、しかし平然と反撃をする。

 弾き飛ばされた隊員が軽く宙を飛び、テーブルを押しのけ、または小棚を巻き込み書類を散乱させ床に倒れ込んだ。よほど強烈な反撃であったのか、呻いて動けないでいる。

「手を放して貰えるかな、お嬢さん」

「あわわっ! えと、すいません」

 ウェージは相手を睨みつつ、フィリアを自分の後ろに庇った。

「安心しなよ、あんたの事は命に代えても必ず守ってやるからさ」

「そ、そんな! 命だなんて」

「気になさんなよ。俺にとっちゃ、あんたは命を懸ける価値があるんだ」

「はうぁ!!」

 聖堂の侍祭が警備隊詰め所で負傷したり、万が一に命でも落とされると政治的にも大問題。警備隊の皆に迷惑をかけぬ為にも守らねばならない。しかもトレストやアヴェラから直々に頼まれているのだ。

 ウェージには命を懸けるだけの理由があった。

 その辺りの事情を知らぬフィリアは、こんな時であるのに感極まっている。

 冒険者の青年が床を蹴ると、いきなりウェージに向かって来た。それを阻止すべく警備隊の一人が体当たりをするが、跳ね飛ばされ椅子に激突する。

「こいっぁ……」

 普通ではないとウェージは気を引き締めた。向かってくる冒険者の青年の気配は普通ではない。何か禍々しいような戦慄するようなものがあった。希にアヴェラと一緒に居るヤトノから感じるものだ。

 ウェージはフィリアを後ろに追いやり、警備隊で身につけた体術で相手の動きを封じた。若い冒険者の動きは止まったが、それも一瞬で恐ろしい力で強引に振り払ってきた。

 だが、ウェージは意にも介さなかった。

 即座に絡みつくようにして相手の力に沿って動き、さらに一瞬の動きで足払いをかける。体勢を保とうとする男が首を掴んできた。

「ぐっ!」

 恐ろしい力に息が詰まるだけでなく、骨が軋み激痛が迸る。それでもウェージは相手を押してフィリアから遠ざける方向に動いた。

 痛みの中で思い浮かんだのは、フィリアを守りたいという気持ちだった。

 政治的な理由でも警備隊の仲間の為でもなく、この可愛らしく素敵な女性を守りたかった。その時だった、ウェージが自分の中にある気持ちに気付いたのは。

 ――そうか、俺は……。

 意識が遠のいていく。

「ウェージ!!」

 そこに自分の声以上に聞き慣れた声が飛び込んできた。


 廊下を進み扉を開けようとして、トレストは足を止めた。

 向こうでは間違いなく争いの音が響いている。こうした場合に不用意に飛び込むのは良くないと、長年の経験で身につけていた。肩が叩かれ、ビーグスが自身の顔を指さし続けて扉を示した。

 それに頷きを返すと、トレストは体を縮めビーグスに場所を譲る。

 慎重に扉を開け様子を窺ったビーグスだったが――。

「ウェージ!!」

 我を忘れて扉を開け、飛び出していった。

 尋常ではない出来事が起きているのだ、瞬時に理解したトレストだったが冷静さを失わず、続けて室内に入り込んだ。

 殆ど力を失ったウェージが首を掴まれた状態で持ち上げられ、そこにビーグスが突っ込んでいる。壁際には侍祭のフィリアが目を見開いたまま硬直し、部屋は荒れて部下たちが倒れていた。

「アヴェラはフィリア殿、俺は援護、残りは皆の救助と警戒」

 言葉短く指示を出し、トレストは大股に進んでビーグスの援護に入った。

 ビーグスが相手に肩から突っ込み、下から突き上げるような動きで浮かせた。それでウェージが解放され落下、ビーグスがそちらを受け止め、相手が腕を振り上げ――トレスト渾身の一撃が放たれる。

 固く握りしめた拳に全ての力と怒りを込めた一撃は、相手を弾き飛ばすように打ち倒す。

 驚いたことに相手は立ち上がってきた。

「なるほど、普通の状態じゃないようだな」

 相手は力こそ強いが、しかし動き自体は洗練もされておらず熟練もしていない。トレストは的確に相手の動作を見抜き、動きが逸れる場所を狙って力を加えていく。

 さらに掴みかかる相手の力を利用し投げ飛ばす。以前にアヴェラが教えてくれたジュードーとかいう技を警備隊内で改良し昇華したものだ。

 床にたたきつけた相手の背中に乗り押さえ込むと、他の隊員が素早く縄を手にして集まり縛り上げた。相手はまだ暴れているが、床の上でのたうつ程度。流石にそれ以上は動けないようだ。

「よし。状況報告!」

 真っ先に確認したいのはウェージの状態だが、隊長という立場では全体を確認するしかない。もちろんトレストの気持ちを理解している部下たちは、即座に自分の報告を端的に伝えていく。

「ウェージ、重傷ですが無事です」

 ビーグスからの報告にトレストは大きく息を吐いて安堵した。見れば侍祭のフィリアが半泣き顔で癒しの術を連発させている。たとえ死にかけでも元気になりそうな勢いだ。

 トレストはこんな時であるのに軽く笑った。

「ビーグス、そこは任せてこっちに来てくれ。邪魔はいかんぞ、邪魔は」

「そらそうですな、やれやれってもんです」

「取調室を確認してくれ、おそらく怪我人がいるはずだ。それから魔術師を呼んで拘束した者の調査。各警備隊に情報共有、それから大公府に一報。非番の連中と引退した先輩方を召集。忙しくなるぞ!」

 矢継ぎ早に指示を出すと、それに応えて人が動く。各自が各自で自分の為べき役割を理解しており、また日頃からトレストの指導が行き届いているお陰だ。

「それでアヴェラは――」

「大公府への連絡は引き受けるよ。それからナニア様に会ってくる。それから、この相手は話していた相手で間違いないってさ」

 アヴェラが軽く手を伸ばすと、そこに真っ白な蛇が絡みついている。蛇は緋色の瞳でトレストを見やって頷いてみせた。つまり、そういうことだ。

「ふむ、なんならニーソちゃんを避難させてからでもよいぞ」

「問題ないよ、二人が行ってくれるさ」

「母さんも一緒に動くだろうな、まあ大丈夫だろうな」

 トレストは頭を掻いて辺りを見回し、ひとまず倒れているテーブルを片手で起こし直した。まずはそこで、近隣ギルドに通達する書類を書かねばならなかったのだ。

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