第248話 いつもの事がいつものように
真新しい石組みは、まだ角にも角張りがあって苔の一つも無く、彫り込まれた紋様の中には白さが残っているぐらいだ。それでも台座の足下には幾つかの小傷が見られ、何度も使用されている形跡がある。
「これも久しぶりだな」
アヴェラは転送魔法陣の中程で腕組みした。
「はよう、はよう! はよう行くんじゃって!」
「イクシマちゃん落ち着いて」
「これが落ち着いていられようか! 冒険ぞ!」
イクシマが戦鎚の柄の先で足下を打ち、台座に傷を増やした。張り切った声が石造りの
「転送が始まるんだ、大人しくしないと大変なことになるぞ」
「はあ? 大変なことってなんぞ?」
「転送事故とかだな。たとえば転送時に紛れ込んだ蝿がいて、それと合体して恐怖の蝿エルフになってしまうとか?」
「なにそれ恐い!」
「分かったのなら大人しくしてろ」
言われたイクシマは黙り込み辺りに視線を配って、蝿のような小虫が居ないか緊張している。もちろんそれはノエルも同じで、特に自分の不運を自覚しているので緊張の顔だ。
「イクシマが蝿と合体したら、ハエシマと呼ぶか? ザ・ハエシマ。それともベルシマゼブブ、いやイクシマゼブルでもいいか」
「やめーいっ。そんな変なこと言うんは、いくないぞ」
転送が始まり視界が揺らぐ。
白い閃光のようなものを感じると同時に何も見えなくなり、そして気がつくと薄暗い中に立っていた。
足下の台座は同じだが、そこは石の室ではなく草の室。周囲の壁は蔦などが絡み合ったもので、むせ返りそうなほど濃厚な草の匂いで満ちている。
「どうだ? 二人とも背中に翅とか生えてないか」
アヴェラの言葉にノエルとイクシマは大急ぎで自分の身体のあちこちを触り、また身をよじらせ確認しだした。
「なぁっ、なあ! お主ぃ! 我の背中を見てくれい!」
「どれどれ」
頼まれたアヴェラはイクシマの着物のような服の襟を引っ張り、軽く中をのぞき込んだ。誰も見たことがないであろう肌は、どこまでも白く滑らかだ。
「おやおや」
「なんぞ!?」
「なんともないな」
アヴェラは笑ってイクシマの頭をぽんっと叩いた。
ぱたぱた背中に手を回そうと一生懸命なノエルにも頼まれ、そちらの背中も見る。ちょっと悪戯して指でなぞり変な声をあげさせた。
「ううっ、酷いよ。とっても驚いたんだよ」
「良い声だった」
「うぁーっ」
ノエルは顔を赤くしたかと思うと握った手でぽかぽか叩いてきた。なんとも可愛らしい仕草である。これがイクシマであれば、最初の悲鳴の時点からして騒々しかったに違いない。
「さて、行こうか」
気を引き締めると転送魔法陣のある草の室を出た。薄暗かった。枯れたような木が乱立し、見通しはそれほど悪くない。だが、どうにも陰気な雰囲気だ。しかも足下が湿っている。
「よかったぁ、沼ってほどじゃないよ。どんなだって心配してたけど、これなら汚れないよね。良かった」
「いや沼のフィールドなんだ。そのうち沼になるんだろ」
「うっ……そっか、やっぱりそうだよね。泥汚れって意外に落ちにくいからさ、そういうの心配してたの。ほらさ、私って加護が加護だから絶対に沼に嵌まるって思うんだよね」
「安心しろ、ちゃんと引き上げてあげるから」
「だよね、やっぱり嵌まる前提だよね」
ノエルは肩を落とすと、小さく息を吐いた。加護が強まって以降、さらに不運に遭う度合いが増しているのだ。致命的なものはないが、足の小指をぶつけて悶絶したり、食べ物に砂が入っていたり、小銭をおとしたり酷い目に遭っている。
「イクシマが先頭でノエルが次で、後ろから見守ろう」
「なら安心、かな?」
「その代わりイクシマの手綱は任せた」
「……頑張る」
ノエルは両手を握って気合いを入れると、直ぐにイクシマの後ろに付いた。それを見やって、イクシマは膨れっ面をした。
「我をなんじゃと思っとるん?」
「あはは、ごめんね」
頭を掻きつつノエルは言及を避けている。
そしてその言葉にされなかった内容が、とても正しかったことは直ぐに証明された。
がさがさと身体をくねらせ這うモンスターがいた。全身が漆黒で無数の足が赤色。結構に大きく、厚みだけで人の膝丈ほどある。
それを見つけた途端、イクシマの目が爛々と輝いた。気付いたノエルが手を伸ばすものの、運悪く落ちてきた蔦の葉が顔に当たり、行動が僅かに遅れる。
「ひゃぁ! 獲物じゃぁ!」
ノエルの手は間一髪間に合わず、イクシマが飛びだした。手にした戦槌の先をぐるぐる回し、足元の泥濘を蹴散らし気合に満ち満ち突っ込んでいく。
「ああっ、行っちゃったっ!」
「仕方ないさ、やるしかない」
「うん、これは私のミスだよね。挽回しないと」
どこまでも素直で良い子のノエルは自分が悪かったと反省している。向こうで戦槌を振り下ろし、モンスターを襲っているエルフに見習わせたい。
だが、イクシマは意気軒昂に動いて一撃を放っている。
凄まじい攻撃で、モンスターの胴体を打ち破った。それで緑の液体が飛び散るのは、胴体が二つに千切れたからだ。凄い馬鹿力である。
「はっはぁ! 見たか勝利ぞ!」
「ボケエルフ油断するな!」
しかしアヴェラは足を止めず突っ込んでいく。モンスターの千切れた胴体は動きを止めず、しかも両方それぞれが動いているのだ。
頭のある方がのたうちながら動き身体を起こす。ゆらゆらと揺れ動く触角、短いが鋭い牙。
アヴェラがヤスツナソードを一閃。手応えを感じない鋭さで縦に斬って仕留める。だが、まだ千切れた反対側がある。
「私が!」
風を巻いてノエルが駆け寄り、威力を加味した小剣を突きだし貫き、枯れたような木に突き立てた。ようやく失敗に気付いたイクシマが戦槌を振り回し、木諸共に打ち砕く。
ようやく戦いは終わった。
被害は躓いたノエルが転んで、泥濘んだ地面にダイブしたことだけだ。
イクシマは悄気ている。
その長い耳の先が下がり気味なのは俯いているからだけではない。
「すまぬ、すまぬ……」
「大丈夫だよ。怪我とかなかったし」
「じゃっどん服とか汚れておる」
「冒険者なんだもの、服の汚れぐらい気にしないよ」
ノエルはアヴェラの投げたタオルで顔を拭う。タオルの泥汚れを見て、困り笑いを浮かべている。一方で水気と泥にまみれた服の方は、べったりと身体に張り付き身体つきを露わにしているぐらいだ。
「うおおおんっ! ノエルよ、お主は! お主は何て良い奴なんじゃ!」
「そんな良い奴を酷い目に遭わせたのは誰だ」
アヴェラの冷ややかな言葉にイクシマは首を竦めた。
「うっ……いやその、久しぶりのフィールドでな。つい、血が騒いだのじゃ」
「可哀想なノエル。服の泥汚れは落ちにくいのにな」
「もちろん! 我が責任をもって弁償する」
「そんなのは当然として、お前はもっと反省しろ。同じ失敗を繰り返すな。いや、まずは自分の行動が失敗だと理解しろ」
淡々と告げるアヴェラは怒ってはいないが呆れていた。
その気配を感じているらしく、イクシマはついには項垂れてしまう。
「まあまあアヴェラ君てば。私は大丈夫なんだから、そう言わないであげて」
「しかし甘やかすのは良くない」
「そうかもしれないけどさ。これはイクシマちゃんの個性なんだから、その個性を尊重してあげようよ。それをフォローしてお互いにやっていくのが仲間なんだからさ」
まるで天使のように素直で優しすぎる。
とは言え、ノエルの言う事にも一理あった。全員が完璧で間違いを犯さず、淡々と最適な行動をとるなどあり得ない。
「まあ、イクシマはイクシマだからイクシマだったな。こういう駄目な子のフォローをしてやるのもパーティというものか」
アヴェラは仕方なさそうに息を吐いた。
倒したモンスターは姿を消し、後には素材として一対の牙が残された。赤い色が毒々しい。一応は革袋に仕舞い込むが、鋭い牙が袋を貫通するぐらいだ。
「なかなか素材からして危険じゃないか。何のモンスターかは知らないが」
アヴェラが呟くと、その襟元から白蛇が這い出て飛び出すと、少女の姿になった。白い小袖を翻して地面に降り立ったヤトノだが、その素足は泥濘を踏んで少しも汚れない。
「御兄様、これはスコロペンドラなんです」
「そうかヤトノは詳しいな」
「はい! 当然なんです」
「つまり厄神様が戯れにつくったモンスター?」
「まあ素敵! 以心伝心ですね、わたくしの言おうとしたことを察してくれるだなんて。流石は御兄様なんです」
スコロペンドラが厄神関係のモンスターと聞き、牙に触ろうとしていたイクシマは即座に手を引っ込めた。下手に触らぬ方が良い厄介で面倒な素材と察したからだ。
そしてそれは正解だった。
「固くて頑丈で簡単には死なず、牙には肉を溶かして凄い痛みを与える毒があるんですよ」
「なるほどなぁ」
「最初の頃につくったので、結構手が込んでいるんですよ。あ、でもですね。ちゃんと人間だけでなくって他の生物も平等に襲うんです」
つまるところ相手構わず襲う性格で、しぶとく厄介な毒持ち生物というわけだ。流石は厄神作だとアヴェラは感心すらした。
「確認するが、ここらには厄神様作のモンスターが大勢いたりするのか?」
「はい! いろいろ集まってるんです。凄いんですよ」
ヤトノは嬉しそうだ。一方このフィールドが極めて危険で面倒だとアヴェラは察した。そしてノエルとイクシマは凄く帰りたそうな顔だ。
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