第247話 いざ征かん、準備をしに
職人通りから一本裏に入った通りは、薄汚れている上に道幅も狭い。それでも安い店があるので、それを目当てにした人通りがある。しかし歩いている者の大半は儲かっていない者なので、少々不穏な雰囲気が漂うのは否めない。
もっとも殆んどが冒険者であるため、そうしたことはあまり気にしていなかった。辺りの住民にしても、腕に覚えがある者ばかりなので、やっぱり気にしていない。
静かな小路は、そこらから槌や鎚を打つ音が響き、時折誰かの笑い声がしたりする。偶に諍いが起きるが、よくある事なので、命のやりとりのような大喧嘩にならない限り気にする者もいない。
「久しぶりに来たが、元気かな?」
「ふんっ、アレはドワーフじゃろって。元気に決まっとるわい」
「憎まれ口風に言いつつ信頼しているというわけか」
「ちっがーう!」
並んで歩くアヴェラとイクシマの声は辺りによく響く。
辺りの者はちらりと視線を向け、そこにいる美しい――少なくとも見た目は抜群な――エルフの姿を目で追っている。さらに、一緒に居る素直に可愛い感じの少女にも視線が向く。
「イクシマちゃんも心配してないけど心配してるってことだよね。うん、そういう感じでいいって思うよ」
「待てぇーいっ、ノエルよ。我は、ほんっとうに心配なんぞしておらんのじゃぞ。これっぽっちもじゃ」
「うんうん。そうだよね心配してないんだよね」
「ふあぁ! ノエルよ、何故に我の気持ちを分かってくれんのじゃ」
わいわいと――主としてイクシマが――騒いでいると、薄汚れた店構えのドアがカランコロンと音を響かせ開いた。
小柄だがガッシリした体躯の女性が顔を出す。
アヴェラを見てニヤリと笑い、ノエルには軽く手で挨拶し、それからイクシマには笑いながら舌打ちした。
「ったく、店の前で騒ぐんじゃないよ。これだからエルフときたら」
「出おったなドワーフめ。誰も騒いでなんておらんわい――ふぎゃぁ!」
世話になる店の主の機嫌を損ねたくないため、アヴェラは愚かなエルフの両耳を摘まんで上に引っ張った。そこが弱点のため、たちまちイクシマは声なき声をあげ悶絶している。
その様子に溜飲を下げ、店の主シュタルは中に入れと手で合図した。
以前に訪れた時と同様に、店内は小綺麗に整頓され鉄や革や木、そして炭の臭いが漂っている。使い込まれたテーブルは見事に磨かれ、小さな花瓶に花が飾られていた。
アヴェラは壁にかけられた盾の一つに目を留めた。
「この模様……」
「あんたのとこのニーソに頼まれたやつだよ。ひょっとして、この目が痛くなるような模様はあんたかい?」
「そうですけどね。まあ、錯視ってやつですよ」
「なかなか面白いし、それなりに意味はある」
シュタルは盾の一つを手に取りイクシマに向けた。
「ぬがぁ! 動いとる動いてないのに動いとるぅ!」
「とまぁ効果はあるけどね、馬鹿正直に見つめるようなアホにしか効かないという欠点はある」
「なんじゃとーっ! このドワーフめ! 我を馬鹿にしとるじゃろ!?」
「ただまあ戦闘の一瞬の中で、少しでも生き残るチャンスを得ると云う意味では得がたくはある」
「聞けよおおっ! 泣くぞ! 身も蓋もなく、ここで泣いて騒いでやるぞ!」
既に騒いでいるイクシマにシュタルは呆れたような息を吐いている。それ以上、騒々しくなる前にアヴェラはエルフの口を塞いで強制的に黙らせた。馬にハミを噛ませるように指まで突っ込んでいる。
「対人戦の戦争には効果ありましたけどね。モンスター相手だと、どれほどかは分かりませんけどね」
「だろうね。それでも新人の奴らにゃ、おまじない程度でも役に立つ」
「初心者講習を終えた連中が解き放たれた、とまあケイレブ教官から聞きましたよ」
「おやまあ、あのケイレブと知り合いかい?」
シュタルは軽く眉をあげた。微妙に苦笑するような顔ではある。なおイクシマはアヴェラの指を甘噛みしている。
「ええ、指導教官ですよ。それから、うちの両親のパーティメンバーですし」
「ってことは。あのトレストとカカリア姐さんの息子!」
なぜかカカリアだけ敬意を込め、姐さん呼ばわりである。しかも心なしかシュタルの背筋が伸び、目には怯えのようなものがある。
「あの? うちの母と何かありました?」
「いえ、そのようなことはなにも。お気になさらず」
何故か言葉遣いも変わって丁寧でさえある。間違いなくカカリアと何かあったらしい。
横で聞いていたイクシマはニンマリ嬉しそうだ。笑って万歳までしている。
「なんじゃなんじゃ、はーっこれだからドワーフってのは。カカリア殿は、とーっても優しくってな。我のこと可愛がってくれるんじゃぞ」
「……あんた悪いことは言わない。姐さんを甘く見るんじゃないよ。これはエルフとかドワーフとか関係ない。真面目な忠告だよ」
「お、おう……」
流石のイクシマも怯むぐらいの真剣さでシュタルは言った。全くわけが分からないと、横で聞いてるノエルも頬に指をあて首を傾げている。
思わぬ場所で思わぬ相手の思わぬ反応を見たものの、アヴェラは気を取り直して今日来た用件を告げる。武具の手入れはしていたが、一度しっかり見て貰おうと思ったのだ。
ノエルが大袋に入れ持ってきた防具を出すと、シュタルは職人の目付きで確認に入った。細かい部分まで確認し、引っ繰り返して裏側も見ている。さらに指で弾いての音や、撫でての手触りも確認している。
ややあってシュタルは笑って頷いた。
「ノエルは、ちゃんと手入れしてるみたいだね」
「えっと、言われたとおりにして。布で拭って汚れも落として、傷がついた部分は油も塗って。そんな感じにしてただけなんで」
「そういうのが大事なのさ。細かい汚れに埃や砂がついて固くなって、動きにしなやかさが無くなっていくんだよ。真面目な子は好きだよ」
「えへへ」
ノエルは照れた様子で頭を掻いた。
続けてアヴェラも肩当てを差し出すが、幾つかの戦闘を経て傷だらけだ。
「こいつはまぁ、随分と無茶したね」
「おかげで命拾いしました。でも、こんなになってすいません」
「何言ってんのさ。防具ってのは守るためにあるからね、こんぐらい使い込んでくれると最高さね。しかも手入れは完璧だ」
「まあ、念入りにやってくれる相手がいますんで」
アヴェラの防具は、いつもヤトノが手入れをしている。あまりに念入りなので、そのうち何か災厄の力を宿さないか心配なぐらいだ。ただ、今のところはその気配はないらしい。
「これは、そのまま使いな。でも、もう少し改良版を使うってのもいいかもしれないね。必要なら、あとで見積を出しとくけど」
「お願いします」
今のアヴェラはそうした金額が出せる程度には稼げている。もちろんそれは冒険者としてであり、何かと貢ごうとするニーソのお金ではない。
「はい次、バーサーカーエルフ」
「誰がバーサーカーじゃぁ! なして、そんなことを言われないかん?」
「そうなの? そういう噂だから、てっきり名乗ってるんだと思ってたけど」
「はああぁ!?」
イクシマは思いきり声をあげ、問い詰める視線をアヴェラに向ける。だが、身に覚えのないアヴェラは普通に首を横に振った。
それからイクシマの戦槌も確認して貰い、問題ないと言われた後にアヴェラたちはシュタルの店を出た。
しかし憤懣やるかたなしといったイクシマの足取りは荒々しい。一歩ずつ石畳を踏みつけるようにして、のっしのっしちょこまか歩いている。
「この我をバーサーカーエルフなどと誰が噂しとるん!? 許せん、ぎったんぎったんにしてやらねば気がすまん!」
「そういうとこだぞ」
「なんじゃとー。やっぱし、お主が噂を流しとるんじゃろ」
「流すわけないだろ。可愛いイクシマをバーサーカーエルフだなんて呼ばれるのは心外だからな」
「か、可愛い……そうかー。こやつめ、正直者め」
たちまち照れたイクシマは頬を染め俯いた。長い耳も連動して赤みを帯び、先が下がり気味となっている。
「お前をバーサーカーエルフだのウォーエルフだの呼んでいいのは一人だけ」
「お、おう……そうか」
「突撃エルフとか暴走エルフとか、ドジっ子エルフとかボケエルフとか。もしくはゴリラエルフとかオーガエルフとか蛮族エルフとか」
「…………」
「ワンコエルフとかポチエルフとか、咆えエルフとかな。そう言って良いのも一人だけ。だから噂など流すはずもない。分かったか、この気持ちが」
「分かるかあああっ!」
イクシマの叫びが轟き道行く人々の視線が集中する。しかし叫んだ当の本人は憤りのあまり気付きもせず、代わりにノエルが申し訳なさそうに頭をさげている。
フィールドに行く準備は、ちゃくちゃくと整っていた。
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