暗黒騎士の終の道
新たなる戦場は王都から南に三日。そこから山を越えた先にある平原となる。既に先遣隊が向かっているという話だ。
ズロヤトは王より直々に命じられると大いに張り切り、部下たちに出撃を命じた。幾度もの戦いに勝利したズロヤト騎士団は――既に誰も懲罰部隊とは呼ばない――皆の声援に応えながら出発した。
その声援がズロヤトを誇らしい気分にさせてくれる。
しかし同時に、自分が褒めそやされるのも成果をあげているからだと理解している。一度でも負ければ人々は掌を返し、ズロヤトたちを罵るだろう。そうした危うい立場であることは重々承知していた。
ズロヤトは元より部下たちも、脛に傷持つ立場である。人々はそれを忘れておらず、ただ単に一時の熱狂によって声援を送ってくれているだけなのだ。
三日をかけ移動し、苦労して山を越えたのは、開戦の数日前頃だった。他の部隊の進行が遅れているとかで、正確な日時は決まっていない。
だから適度な場所に陣を構えると、そこで持参した糧食を使い腹ごしらえを開始した。こっそり酒を持ち込んだ者がいて、酔いに任せた下卑た笑いや、下手な歌をうたう者もいて、ズロヤトは機嫌を損ねていた。
しかし戦いの前に部下を処理するわけにもいかず、持ってきた食料を口にした。固いパンは使われている穀物の挽きが悪いらしく、食味は悪いを通り越しチクチクするぐらいだ。味だって悪い。
かつて貧しい中で母が必死に用意してくれたパンの味、それを思いながら噛みしめていたズロヤトの元に、部下の一人が報告にやって来た。
「ズロヤト様、よろしいでしょうか」
「構わん」
「ありがとうございます」
明らかに安堵した様子で部下が頷いた。どうやら話しかけただけで殺されるとでも思っているようだ。それは大いなる誤解で、礼儀と規律を守りさえすれば別にそんなことはしないのだが。
「この辺りで食料を買い求めようとしたところ、各村に備蓄がないのです」
「不作だったか。ならば、逆に糧食を分けてやれ」
「いえ、この地方は豊作でした」
「…………」
ズロヤトの目が据わり、目の前に居た部下は震え上がった。気付けば周りの騒ぎも静まり返りっていた。誰もがズロヤトの発する怒気を感じたのだ。
連行されてきた村長は、剣をちらつかせただけで白状した。
正体不明の一団が村を訪れ、殆んどの食料を買い上げていったのだという。しかも相場より高いため、皆が大喜びで売ったらしい。
「いかがなさいます?」
部下は振り向いてズロヤトに伺いを立てた。もう答えは理解しているらしく、許す許さないの確認ではなく、どう処理するかといっただけの確認だった。
戦いを前に糧米の買い付けがあると知りつつ、あまつさえそれを明らかに敵勢の一団に売るなど許されぬ行為だ。しかも、金に目が眩んでだ。放置しておけば敵に内通し、味方が危険になる。
「片付けろ」
「どの範囲までですか?」
「ここは、見せしめにする」
ズロヤトの言葉に部下たちは笑みを浮かべた。お楽しみと分かって、そこからは囁くような話し声や抑えた笑い声がざわめきとなっている。
そんな様子に村長は顔を青ざめさせた。
「お待ちくだ――」
ズロヤトは大剣で村長を刺し貫き片手で持ち上げた。
「新参の連中にやらせておけ。残りは敵に備え警戒態勢をとり、味方陣営の警護を行う。気を抜くなよ、この辺りには敵が浸透している」
お楽しみにありつけなかった者は残念そうな顔をするが、しかしズロヤトを恐れ不満の声はあげない。
そのままズロヤトは味方を守れる場所に移動する。狭い谷間の道から出て来た辺りの、少し高い程度の場所だが、そこから味方軍勢を眺められる。何かおかしな動きをする連中がいれば、直ぐに見つけられる場所だった。
王に従う騎士や兵を守るのもズロヤトにとっては大切なことだ。
だが――部下たちの大半が殺された。
それどころか、辺りの村々にズロヤトが村人の虐殺を命じたという噂さえ流れているらしい。明らかに敵の仕業だ。
「……不快だな」
ズロヤトは舌打ちをした。
堂々と姿を現し、正面から戦えばいいのだ。それを嫌がらせのように食料を買い占め、村人の気持ちも金で揺らがせたあげく、対処したズロヤトの悪評を流している。
「どうされますか?」
部下が微かに身震いしながら尋ねてきた。それにズロヤトは頭を振った。大事な事は戦に勝つことであり、いま成すべきことは味方軍勢の警護だ。
「悪知恵の働く連中だ、どうせ伏兵をおいて待ち構えている。放っておけ」
ズロヤトは味方のため見廻りを行う事にした。だが数歩で足を止める。ああ、そうだ、と呟き肩越しに振り向く。
「逃げてきた連中、逃がされただけだ。始末しておけ」
相手に頭の回る奴がいる。それも、とびっきり性格の悪い奴がだ。どうにも気分が悪い。ズロヤトは何度目かの舌打ちをして歩きだした。
「アルストルの旗下、アヴェラ=ゲ=エイフス。そこの黒騎士に戦いを挑む」
敵国王太子に一騎打ちを申し込んだはずが、次から次へと余計な者が出てくる。名誉ある一騎打ちの邪魔をされズロヤトは苛立った。
特に敵国王太子の情けなさはなんだ、と憤っている。配下に無駄な犠牲を出したくなければ、さっさと出てくるべきだ。地位と権力だけを持ち、責から逃げるのは卑怯者のすることだろう。
また代わりに出て来たのは、年若い相手だ。
「お前のような若造が?」
黒騎士ズロヤトは、相手国王太子に呆れ果て笑いさえ出て来た。
「よほど人材がないらしいな。こんな若造が出てくるとはな」
「御託はいいんだ。適当に勿体ぶったこと言って、逃げるのか」
「馬鹿馬鹿しい。片付けろ」
だが、アヴェラと名乗った相手は意外な強さをみせた。そうなると戦うしかない。やるしかない。
一騎打ちを受け、少しして準備をして来たアヴェラに声を掛けてやる。
「小僧、よく来た。怖じ気づいて逃げるかと思ったぞ」
「いちいち挑発しない方がいい、軽く見えてしまう」
「口騒がしい雑魚だ」
「雑魚って言う奴が雑魚らしいけど」
ああ言えば、こう言う。口が達者すぎて苛立つ。
心を過ぎるのは、かつて母の死の原因となった餓鬼だ。口が達者で上手く立ち回りも上手い。相手が手を出せない場所から、ちくちくと嫌がらせをしてくるのだ。
ズロヤトは普通の三倍はありそうな大剣を抜き掲げた。
「我はズロヤト一族の者、祖父はアドレを治めし猛きテッグロ、父はガロンを滅ぼしたケンポウ。その血を受け継ぎしコクショクが名に怯え死んでいけ!」
戦いは神聖なものであり名誉であり、そして父祖の名を背負い行われるもの。その気概を込め大剣を振り回す。
「エイフス一族の者。先祖はイエヤ、一代にして大国を得て初代支配者となる。二代ヒデタ、父より受け継ぎ智にと法によって国を統治せし。三代イエミ、大奥を創設し一族を確たるものとする――」
アヴェラが長々と喋り出すが、ズロヤトは静かに名乗りを聞き続けた。これは名誉ある戦い。名誉ある戦いの作法は護らねばならない。
かつて父がそう言った言葉を守るためズロヤトは待ち続けた。
たとえ相手が卑怯な策略を持って長々と名乗りをあげているとわかっても、ズロヤトは父の言葉を守るため待ち続けた。
アヴェラは強かったが、こちらを嬲るように馬鹿にするような言動をとってくる。やはり、あの小狡い餓鬼の同類だ。自分は安全圏にいて、そこからチクチクと挑発をしてくる。
「あ、疲れた? それなら休憩してどうぞ」
「舐めるなっ!!」
「慌てない慌てない、一休み一休み」
「ぶっ殺す!!」
父が死に母が死に、ずっと必死に生きてきた。幾度もの戦いで何人も殺してきたが、少なくとも敵には真正面から全力で当たり敬意を持って殺してきた。首だって飾ってやったぐらいだ。
「いけませんね、足元がお留守になってますね」
足を引っ掛けられ転ばされる。
周りからの笑い声にズロヤトは歯を噛みしめた。かつての悔しさが甦る。この相手は、自分の人生を歪めた餓鬼と同じだ。相手を越える力を持ちながら、その力で相手を嬲ってくる。
「ふざけるな、ふざけるな。俺を馬鹿にしやがって。俺は本当は凄いんだ、お前らとは違う。神に選ばれた存在だ。誰よりも強い! 最強なんだ!」
「努力もなしに貰った力で威張るな」
努力はした。努力をしても勝てぬ相手がいるときは、確かに神に縋り力を得た。努力をしてもどうにもならないとき、別の力に手を出すことは間違いなのか。力そのものに何の違いがあるというのか。
「これは神から授かりし力だ。俺は選ばれし者だ!」
「結局、努力が嫌なだけだろ。楽して最強、はな垂れ小僧の願望だな」
「違う! 違う違う違う!」
努力はした。勝手に他人の人生を貶めるなと言いたい。
「俺は強くて凄くて最強なんだ!」
そうでなければいけない。それだけが自分の価値なのだ。それが無ければ他にはなにもない。本当になにもない。
「もっと力だ! 神よ! もっと俺に力を寄越せ!」
そしてズロヤトの中にかつてない力が流れ込み、同時に意識が朦朧としてきた。全てがぼんやりとして、何も分からなくなる。懐に入れていた木彫りの像から嘲笑うような、声ではない声の笑い聞こえてくる。
その笑い声こそが、ずっと自分を苛立たせていた元凶だといま気付いた。
だが、もうどうにもならない。いつまでもいつまでも、そうやって嘲笑われていくのだろう――そんなボンヤリした世界に軽やかな声が響いた。
「ちょいさーっ!!」
同時にズロヤトは解放された。身体を包んでいた気怠さや重さから解放され、清々しいぐらいの気分となる。
そして少女のような女のような不思議な声が響いてきた。
「憐れむべき部分はあったかもしれない。だが自制をしなかったことは己の罪、考えなかったことも己の罪。疑わなかったことも、誰にも相談しなかったことも。全て己の選択の結果、己が成したことの罪の報いは受けねばならない」
ズロヤトは、自分が止まれる時はいつだったのか。ぼんやりと考え、闇の中へと堕ちていった。
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