黒騎士の道
「どうしてウチばかりが……こんな目に……」
部屋の隅で膝を抱え泣く母の姿に、ズロヤトはなんとも言えない気分だ。
襲撃からずっと母はこの調子だった。目の前で伴侶を殺され、自身も暴力を受けて死を身近に感じ、生活の全てが根底から覆されてしまった恐怖。
母の心は、それに耐えられるほど強くなかったらしい。
ズロヤトにとって母は最も頼りになり、そして安心させてくれる守護者のような存在だった。それが、これほどまでに脆かったという事実には失望が強い。だが、今度は自分が守護する側だという責任感も感じている。
「父さんの代わりに、僕が守らないと」
それは同時に、もう子供では居られないという事実でもあった。これからは騎士見習いとして経験を積み、いずれ戦場に出て戦わねばならない。
強い責務と微かな寂しさ。
そんな気分でズロヤトが歩いていると、その肩に何かが当たった。足下に転がったのは小石。顔を上げてみれば、あの嫌な餓鬼の姿を見つけた。鼻水を垂らした顔でニヤニヤしている。
「お前の父ちゃん、死んだんだって?」
「…………」
「弱っちいから戦で負けて、弱っちいから死んだのだろ」
「…………」
指を指して笑う姿に冷たい怒りが込み上げてきた。それは抑えようのない強い感情で、また身体の奥底から力が込み上げてくる。
けれど、その振るうには強すぎる力を必死に抑え込む。
「賊に殺されるとか騎士の恥。命乞いして殺されたのか。そうなんだろ」
我慢の限界だった。
拳を握りしめると相手の腹に一撃を浴びせた。吹き飛んで転がった相手へとゆっくりと近づき、蹴りを入れてさらに転がす。
呻いている姿に、ゆっくりと近づき傍らにしゃがみ込む。そのままの髪を掴んで引き起こしてやり、目を合わせ、ゆっくり丁寧に教えてやる。
「次は殺すぞ」
涙と涎を垂らし震える様子を嘲笑してから解放してやり、ズロヤトは歩き去った。陰鬱だった気分が晴れて清々しいぐらいで、もっと早くにこうしていれば良かったに違いない。
周りで呆然としている連中の様子が、ひどく愉快だった。
その中には、前にズロヤトを嘘つき呼ばわりして殴ってきた大人の姿もあった。睨んでやると大慌てて逃げて行くが、それがまた面白くさえあった。
騎士は国の剣であり盾である。
強ければ良いというわけではないが、やはり力ある者こそが認められる。年齢も性別も生まれも関係なく強い奴が偉いというのが基本だ。
「さて、今日はお前の強さを確認させて貰う」
ズロヤトが呼ばれたのは第一騎士団の隊舎だった。そこで見習い騎士に相応しいかの実力を試される。
「相手は正規の騎士だ。手加減はするなと言ってある。下手をすれば死ぬかもしれんが、覚悟はできているか?」
「はい」
しっかりと答えて肯く。ここで引いても後は無く、壊れた母を支えるためにも全力を尽くさねばならない。
案内された鍛錬場には、いかにも戦い慣れたといった見た目の男がいた。
「副長。こんな子供を相手にするんですか? 手加減なしで本当に?」
「見た目は関係ない」
「はいはい、では本気でやりますよ」
面倒そうに言った相手は木剣を投げてきた。しかも受け取ったズロヤトが構える前に襲い掛かってくる。辛うじて構えた木剣で止めるが、手が痺れるような威力だ。
次の一撃を腰に受け、あまりの痛みに呻いて膝をつく。
「こんなもんですか?」
そんな声が聞こえ、ズロヤトは焦った。
ここで認められなければ母を守れず、生きてもいけない。懐の中に手を突っ込み、あの木彫りの像を握りしめる。父が殺された時の怒りと憎しみを思い出させてくれる大切なものだ。
「GUUU……!」
あの時の感覚が胸の中に甦り、ズロヤトは深く静かに唸って顔をあげた。既に痛みは消え失せている。全身を巡る力のまま地を蹴って跳びかかる。
「なっ!? 疾い!」
思いきり横に木剣を振るえば、それを相手は木剣で止めてくる。だが、構わず次の一撃を放てば相手は止められない。腰に命中、何かが砕ける手応えがある。さらに次を――。
「そこまで!」
副長の鋭い声でズロヤトは我に返った。
ほぼ同時に相手は床の上に倒れ、そのまま悶絶をしている。直ぐに救護班が来て搬送していく。周りで見物していた者たちがズロヤトを感心と感嘆の眼差しで見つめてきている。
他に何も誇るものもなく、どうしようもない状況にある身にとって、それはとても心地よいものであった。
騎士団に加わった証として剣を授かった。
それから騎士の仲間に紹介され、施設を案内され、美味い食事を貰い、さらには母のための手土産まで貰ってズロヤトは帰路についた。
ようやく明るい未来が見えてきた。
騎士として給金を貰えば人を雇い家を守らせれば、母も安心してくれる。何の不安もなく安心して暮らせる日々が、また戻ってくるのだ。
嬉しい気分で歩き自宅が見えてきた。
「?」
家の前に人だかりがあった。
そして何故か嫌な予感がしている。思わず走って到着したズロヤトに、集まっていた人々が気の毒そうな眼を向けてきた。
「何が……あったの?」
その問いに皆は視線を逸らし、何人かは足早に去って行く。嫌な予感は恐怖にまで高まり、恐る恐る屋敷の中に入る。
玄関先に誰かが倒れていた、母だ。胸元にナイフが突き立っており、その周りに広がる鮮やかな赤だけが妙に目についた。
呆然とするズロヤトに、ようやく近所の知り合いが教えてくれた。
貴族の少年とその親がやって来て、ズロヤトに殴られたと文句を言い、そのまま激しく母を責めたてた。そして母は突然に叫びだし、自らの手でナイフを突き立てたのだという。
「…………」
限界にあった母の心は、責めたてられたことで終わってしまったのだ。
ズロヤトは放心状態にありながら、それでも母を室内に運んでやり、一番好きだった窓辺のソファに横たえた。
どこか安堵したような母の顔を見つめ、自分が一人になったと実感する。頭の中は混乱して目眩もしてくる。もう家に帰っても褒めてくれる相手も、笑いかけてくれる相手もいないのだ。
そう思うだけで、全身が薄ら寒いような感覚に包まれる。
「…………」
いま自分がすべきことに思い至り、懐から木彫りの像を取り出す。微笑にも嘲笑にも見える像の笑みが、今は心強く安心できた。
――汝、力を欲するか?
あの言葉が、また頭の中で響く。やはりそれは木彫りの像からの問いだ。だからズロヤトは歯を噛みしめ目に力を込め頷いた。
「力を! 力をくれ!」
そして全身に滾る感情のままズロヤトは歩きだした。
歩いていけば、誰もが道を開けるだけで、声をかけてくる者もいなかった。もう日は暮れつつあった。まるで終わりを告げているようだと思いながら、ズロヤトは角を曲がって、目指す場所に向かった。
あの嫌な餓鬼の屋敷だ。
誰かが知らせたようで、屋敷の前には剣を構えた者の姿が複数あった。何も言わずズロヤトは剣を抜き歩き続けた。
少し離れた場所で足を止め、睨み合った。
「こちらに非は無い。死にたくなければ、馬鹿な事はやめておけ」
そんな音が聞こえた。だが何を言っているのかズロヤトには理解できなかったし、どうでも良い事だった。屋敷の二階の窓に、憎むべき餓鬼のニヤケ顔が見えた。
ズロヤトは動いた。まだ十数歩はある距離を瞬時に詰め、同時に剣を振るって、そこに立っていた邪魔者に斬りつける。剣は胴を捉えて両断した。何か声を発した上半身が落ちていく。
通常ではありえない膂力である。だが、今のズロヤトにはまだ余裕があった。そのまま素早く動き、左右に斬りつける。相手の動きよりも速く、その剣は相手の手足を断ち斬っていた。
「ひっ!?」
怯えの声をあげた残りの一人に跳びかかり、頭から股まで斬り下げた。
――最高だ。
相手の怯えた目線が心地よかった。もう得る事の出来ない父や母の称賛の代わりに、それはズロヤトの心を満たしてくれる。
そのまま屋敷に向かう。
玄関には怯えながら剣や槍を握る家人の姿があるが、その腰はひけて震えている。それが妙におかしくて、最高の気分だ。もう笑いあう事もできない父や母との会話の代わりに、それはズロヤトに喜びを与えてくれる。
誰も彼も斬り捨て、ゆっくりと建物の中に入った。
悲鳴をあげて逃げる連中も殺したいが、それより一番大事な獲物を逃がすわけにはいかない。ゆっくりと階段をあがっていく。
「どこにいる?」
腰を抜かした従僕に問いかけると、震える指先がドアの一つを指差した。親切に教えてくれた礼に、一撃で殺してやった。ちゃんとお礼をするのは、母に言われた大事な約束だ。
ドアを開けると物が飛んできた。
それを当たるに任せ、ゆっくりと進んでいく。
「来るな! お前が悪いから、こうなったんだ! お前が生意気だから!」
すまないと思う。もっと早く力があれば父を守れて母は壊れることがなく、もっと傍にいてあげれば母は命を絶つこともこともなかった。自分が弱くて申し訳なかった。もっと強くて誰よりも強かったら、きっと今も父と母は笑っていたに違いない。
でも、もうどうにもならない。
これから先どうしてよいか分からない。どう生きていけばいいのか、全ての道標を失った気分だ。だが今すべき事だけは分かる。
「言ったはずだ――次は殺すと」
泣き叫ぶ相手をズロヤトは少しずつ刻んでいった。懐の中にいれた木彫りの像の存在を妙に強く感じながら。
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